木島桜谷『寒月』

木島桜谷(このしま・おうこく)の名を知る人は少ないだろう。ぼくも数枚しか絵を観たことがないし、その経歴についてもほとんど知らない。
このたび少し調べてみたら、京都の烏丸御池という駅からほど近い三条室町の生まれだと書いてあった。ここは祇園祭のときに山が出るところなので、ぼくも一年に一度は、桜谷の生まれたあたりをうろついていたことになる。
***
『寒月』は六曲一双の屏風であり、ぼくがこれまで観た桜谷の作品の中では最大のものだ。と同時に、彼の名前を記憶に刻みつけた決定的な作品でもある。今のところ、ぼくはこの屏風をして、桜谷のすべてだといいたいほどに惚れ込んでいるといってもいい。
画家の知名度の低さに反して、この絵を京都の美術館で観る機会は多い。しかも毎回のように、この雪景色の前で数分間を費やさずにはいられない。北陸生まれのぼくにとって、雪はおのずと馴染み深いものである。ことに雪のない冬ともなると、無性に雪が見たくなってくるのだ。たとえ、それが絵に描いた雪であっても。
先日もこの絵の前に立っていたら、ある女性のお客が「写真みたいね」といっていた。雪の白さに目を奪われていたぼくは、その言葉を聞いて我に返った。屏風なのに写真のように見える絵というのは、そうそうあるものではないからだ。
いわれてみると、雪原の中から木立が伸び、奥の方へゆくにつれてその密度を増し、やがて林となるありさまは、息を飲むほどリアルである。迫真の描写力というのは、こういうことをいうのだろう。
雪をいくら丁寧に描いても、雪らしくはならない。雪を取り巻く情景をしっかりと描いてはじめて、雪が生きてくる。雪はすべてを写し込む鏡のようなものだ。
***
桜谷は美術学校の教師を努めながら活動を続けたが、40代のころから第一線を離れ、読書にいそしむ生活を送ったという。彼が美術史に輝かしい名声をとどめていないのは、おそらくそのためだろうし、桜谷はそれを望まなかったのだろう。彼は61歳のとき、電車事故で不慮の死を遂げている。
北野天満宮の近くに、「桜谷文庫」という建物があるのを最近知った。桜谷の作品を保管しているのだろうが、行ったことはないので公開されているかどうかはわからない。それにしても、知られざる画家の絵をこうやって後世に伝えていく人たちがいるということは、何と素晴らしいことか。『寒月』とはまたちがった、まだ観ぬ桜谷の世界が、そこには眠っているのだろう。
(京都市美術館蔵、画像は部分)
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木島桜谷(このしま・おうこく)の名を知る人は少ないだろう。ぼくも数枚しか絵を観たことがないし、その経歴についてもほとんど知らない。
このたび少し調べてみたら、京都の烏丸御池という駅からほど近い三条室町の生まれだと書いてあった。ここは祇園祭のときに山が出るところなので、ぼくも一年に一度は、桜谷の生まれたあたりをうろついていたことになる。
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『寒月』は六曲一双の屏風であり、ぼくがこれまで観た桜谷の作品の中では最大のものだ。と同時に、彼の名前を記憶に刻みつけた決定的な作品でもある。今のところ、ぼくはこの屏風をして、桜谷のすべてだといいたいほどに惚れ込んでいるといってもいい。
画家の知名度の低さに反して、この絵を京都の美術館で観る機会は多い。しかも毎回のように、この雪景色の前で数分間を費やさずにはいられない。北陸生まれのぼくにとって、雪はおのずと馴染み深いものである。ことに雪のない冬ともなると、無性に雪が見たくなってくるのだ。たとえ、それが絵に描いた雪であっても。
先日もこの絵の前に立っていたら、ある女性のお客が「写真みたいね」といっていた。雪の白さに目を奪われていたぼくは、その言葉を聞いて我に返った。屏風なのに写真のように見える絵というのは、そうそうあるものではないからだ。
いわれてみると、雪原の中から木立が伸び、奥の方へゆくにつれてその密度を増し、やがて林となるありさまは、息を飲むほどリアルである。迫真の描写力というのは、こういうことをいうのだろう。
雪をいくら丁寧に描いても、雪らしくはならない。雪を取り巻く情景をしっかりと描いてはじめて、雪が生きてくる。雪はすべてを写し込む鏡のようなものだ。
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桜谷は美術学校の教師を努めながら活動を続けたが、40代のころから第一線を離れ、読書にいそしむ生活を送ったという。彼が美術史に輝かしい名声をとどめていないのは、おそらくそのためだろうし、桜谷はそれを望まなかったのだろう。彼は61歳のとき、電車事故で不慮の死を遂げている。
北野天満宮の近くに、「桜谷文庫」という建物があるのを最近知った。桜谷の作品を保管しているのだろうが、行ったことはないので公開されているかどうかはわからない。それにしても、知られざる画家の絵をこうやって後世に伝えていく人たちがいるということは、何と素晴らしいことか。『寒月』とはまたちがった、まだ観ぬ桜谷の世界が、そこには眠っているのだろう。
(京都市美術館蔵、画像は部分)
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雪のために全ての音が封じられ、しかしその雪の上をサクサクと歩くけものの足音・・・それだけが聞こえてくるようです。
三条室町には今尾景年の旧邸があります。逓信病院の向かい。今は料亭ですが、普請道楽のひとだけに建具などがステキでした。
少し北へ行くと、森寛斎の家もあったそうです。現存するのは石碑だけですが。
あのへんにはたくさんの画家が住んでいたんですね。
先日、京都に行き、ふらっと立ち寄った美術館。
竹内栖鳳に会えるかも。という期待どおり、数枚の作品をまじかに観れてうれしかったのです。
ところが、私の足をその場と長く留めたのは、他でもない。この作品だったのです。
私は、ガラスに顔押し付け汚し、時には絵から離れ床に座り込み、その場に数分、数十分と居続けました。前を通り過ぎる人にかまいもせず1対1の世界に浸っていました。
そして、思いだしたように「木島桜谷 寒月」をググッっていると、こちらのサイトにたどり着いたという経緯です。
同じような感情を持たれたテツさんのブログに足跡を残していきます。
共感できて光栄です。
先月も京都市美術館を訪れ、この絵を堪能してきたばかりでした。お気に入りの一枚があると、何度もそこを訪れたくなりますね。望むらくは、もっと桜谷のことをいろいろ知ってみたいという思いもありますが、『寒月』一点さえあればぼくには充分という気もします。
またこちらのブログにお越しいただけるのをお待ちしております。