〔美術館のロビーではルノワールの少女像が出迎えてくれる〕
ルノワールは、疑いもなく、日本で最も親しまれている画家のひとりである。近年とみに有名になったフェルメールや伊藤若冲とはちがい、昔から知名度は抜群だった。
しかし、クラシック音楽に詳しい人が「自分はチャイコフスキーの曲が好きだ」と宣言することにためらいを覚えるように、美術に精通した人がルノワールのファンであることを公言することは、あまりないように思われる。通俗的すぎるからか、それとも美少女の絵が多いせいかはわからないが、しかし内心は、おそらく嫌いではないはずである。
ぼくも美術に出会った当初から、ルノワールの絵に魅了されつづけてきたひとりだ。まだ7歳のころ、生まれてはじめて鑑賞した西洋名画展の図録の表紙は、ルノワールの愛らしい姉妹の絵で飾られていた。ぼくはそれを親にねだって買ってもらい、来る日も来る日も眺めて楽しんだものだった。
宗教画や歴史画と比べて、ルノワールは“理解する”必要がない。だから、子供でもすぐに好きになれるのである。誤解をおそれずにいえば、眼の保養として、これほど上質のものはないのではないか?
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〔「ルノワールとフランス絵画の傑作」のチケット〕
ルノワールは印象派のひとりであると、美術の本には書かれているだろう。だが、彼が印象派の画家だったのはほんの短い期間にすぎなかったのではないかと、ぼくは考えている。彼は視覚に映じるイメージよりも、対象の存在感や、触感すらも描き出そうとした。とりわけ晩年にはその傾向が著しく、重量感にみちた女たちがたくさん登場するのは、彼がおぼろげな印象などでは満足できなかったことをよく示しているように思う。
ルノワールという人は、晩年病魔に苦しんだわりには長生きで、作品も多い。日本の美術館にも、さまざまな時代の作品が収蔵されていて、ぼくも何度か観る機会にめぐまれている。
だが、このたび兵庫県立美術館で公開されたアメリカのクラーク夫妻のコレクションは、ルノワールだけでも30点を超えるほどの充実ぶりを示しているという。そのうち22点が、他の画家の優れた作品とともに展示されていたのだが、ルノワールの絵が展覧会のクライマックスを受け持つということは、実はあまり多くない。そこには、日本人がルノワールに対して抱いている複雑な心情が反映されているような気もするのだが、どうだろう。
それはさておき、とある猛暑の一日、涼しい館内で久しぶりにフランス絵画の巨匠たちとじっくり対面して過ごしたときのことを、少しずつ振り返ってみることにしたい。
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