てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

囃子は遠くなりにけり ― 祇園祭回想 ― (1)

2011年08月01日 | その他の随想

〔鉾建ても終わり、曳き初めを待つ長刀鉾(2009年撮影)〕

 すでに8月となり、先月の祇園祭を振り返るにはもう遅すぎるかもしれない。大阪に暮らしていると、京都の人のように熱心に祇園祭の話題をするのは気が引けるようなところもある。

 ぼくもかつては京都に住んでいたが、職場はずっと大阪にあり、知人もみな大阪の人で、京都と大阪に片足ずつ突っ込んで暮らしているような煮え切らない思いを味わった。今となって振り返ると、京都市に籍を置いた11年もの間、彼の地に“長期滞在”をしていただけで、心の底から京都という街に同化できたわけではなかったようである。ぼくは観光客として、あまり京都から離れたくない、ごく近くから京都の風物を感じていたいと思ってはいたが、結局のところ京都に根を下ろすことは叶わなかった。根なし草のように大阪へ流れ着いて、今は3度目の夏を迎えている。

 けれども、7月になると胸が騒ぎ出す。祇園祭のことが心の片隅に引っかかっている。とはいえ、しょっちゅう出かけられるほど近くはなくなった。京都のニュースからもいつしか興味が遠のいて ― 以前は催しのスケジュールなどを熱心にチェックしていたものだが ― くじ取り式によって決められた巡行の順番も知らないまま、ついに宵山の日を迎えた。正確にいうと宵々山で、山鉾巡行の2日前の夜である。

 ぼくは我慢できなくなって京阪電車に乗り、京都へと向かった。電車には浴衣姿のカップルなども多かったが、彼らはあと数日も経ったら、同じ浴衣に身を包んで大阪の天神祭へと押しかけることだろう。その点ぼくは、あくまで祇園祭に惹かれているのである。花火大会も盆踊りもないが、他の夏祭とは決して置き換えられない、あの祭に・・・。

                    ***

 そうはいっても、最初から祇園祭が好きだったわけではない。むしろ、ほとんど何も知らなかった。ぼくが13年前、それまで独りで住んでいた大阪を離れて京都への引っ越しを敢行した日は、山鉾巡行のその当日だった。だがそれは単なる偶然であって、道路の通行止めを気にするトラックの運ちゃんの言葉で、ああ今日はお祭だったのか、とぼんやり気がついたような次第である。今でも覚えているのは、まるでぼくの新しい門出を祝うかのように、その日の空が抜けるような晴天だったということだけだ。

 その後、祇園祭に年々深入りするようになった。その過程はよく思い出せないけれど、ここ数年は宵山か巡行か、あるいはその両方に必ず出かけていた。3日連続で宵山にかよい、すべての山と鉾を見てまわったりしたこともあった。ほかにも神輿洗式や花傘巡行を見たこともあるし、山建ての様子をつぶさに見物させてもらったこともある。去年は巡行の幕開け、長刀鉾の稚児がとりおこなう「注連縄切り」を間近で見た。

 ただ、粽(ちまき)を買って帰って軒先に飾ったことは一度もないし、鉾に上がらせてもらったこともない。お金を使わない範囲で思う存分楽しもうというのが、ぼくの祇園祭へのかかわり方なのである。豪華な懸装品を新調するなど、何かと経費がかかりそうな祭ではあるが、その手の補助になりそうなことをさせてもらったことは皆無だ。要するにタダ券ばかり使って展覧会を観ているようなもので、あまりありがたい客人ではないのかもしれない。

 その点からいえば、ぼくは京都市民にもなりきれなかったばかりか、純粋な観光客にもなれないでいるのである。

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