てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

東京ゼロ泊 ― ゴヤ展その他のこと ― (16)

2012年03月24日 | 美術随想
ゴヤ展 その12 ゴヤの版画たち(4)


〈戦争の惨禍〉2番『理由があろうとなかろうと』(1810-1814年、国立西洋美術館蔵)

 〈戦争の惨禍〉と題された一連の版画を見ると、ゴヤは単なる宮廷画家だったというよりも、一流のジャーナリストではなかったか、という気がする。

 いや、現代の“戦場ジャーナリスト”と呼ばれる人たちも、凄惨な場面を目撃しているにはちがいないが、それをどこまで表現できているのかまではわからない。たとえば道端に倒れている死体を、報道を通して直接伝えることは困難であるからだ。けれどもゴヤの版画には、眼を覆いたくなるような残酷な場面がはっきりと描かれている。

 かつて第二次大戦に従軍した日本の画家たちは、戦争の真実を隈なく描き出すことよりも、ある程度美化したものとして表現することを求められた。けれどもゴヤは、戦意を高揚するためのものではなく、人間どもの愚行がありのままに展開される修羅場として、戦争を描いたのである。誰から命じられたというわけでもないのに。

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 1808年、ナポレオン率いるフランス軍はスペインに侵攻した。かのカルロス4世は退位させられ、ナポレオンの兄がホセ1世として王位につくなど、政治は混乱を極める。軍人たちのものだった戦争が、罪なき市民の命を無残に奪いはじめるのも、このころからだ。

 民衆への容赦ない暴行、累々たる死体の山・・・。ゴヤは、そういったものを包み隠さず描き出そうとした。『理由があろうとなかろうと』では、右側に銃剣を構えたフランス軍、左には反抗しようとする市民が描かれているが、どちらが有利かはあまりにも明らかだ。この構図は、有名な油彩画『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』の原型になったものだろう。


参考画像:『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』(1814年、プラド美術館蔵)

 それにしても、戦争を仕掛ける人間の側は、顔が見えない。彼らは人間の意志をもっているわけではなく、操られているにすぎないのかもしれない。

 戦争が巨大化し、複雑になっていくにつれて「命」の重みが無力になっていく。その非情さを暴き出すのが、ジャーナリズムの仕事の一環であるとするなら、ゴヤの絵はまさに要点をついている。彼はただ、むやみに残酷さを強調したかったわけではないのだ。

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参考画像:パブロ・ピカソ『朝鮮の虐殺』(1951年、国立ピカソ美術館蔵)

 「戦争の世紀」といわれる20世紀に入って、『ゲルニカ』で反戦の態度を明確にしたピカソは、同じスペイン人としてゴヤの姿勢を意図的に受け継いでいたのだろう。朝鮮戦争にアメリカが介入したことに抗議して描かれたとされる『朝鮮の虐殺』は、明らかにゴヤの上記の絵を下敷きにしている。

 それどころか、無防備な市民たちに銃を向けている兵士たちは、まるでロボットのようである。人間の意志の届かないところで戦争がおこなわれ、数多くの命が奪われていく不条理さは、ピカソの時代になっても何も変わってはいなかった。

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