ロイ・リキテンスタイン『泣く女』(1963年)
ウォーホルと並んでポップ・アートを代表する人物といえば、リキテンスタインということになろうか。ただし、その作風はかなり特殊である。高尚な芸術の王道であった絵画が、漫画というサブカルチャーと結びついて、まったく新しいアートを作り上げた。
ただ、リキテンスタインが眼をつけたのは、そこだけではない。彼は、印刷の網点までも再現した。新聞や雑誌に載っている写真やイラストなどを虫眼鏡で拡大すると、細かい点の集積に見えることは誰でも知っているが、それをも巨大化して描いたのだ。
近代以降の絵画には、至近距離から観ると異なった様相をあらわすものが多い。筆触分割という技法を使い、点や線という最小の単位を積み重ねて描くという「印象派」は、多くの人に受け入れられてきた。展覧会の会場では、絵に顔を近づけたり、後ろに下がったりしながら、その変化を楽しんでいる人をよく見かける。
いわばそれと同じようなディテールを、リキテンスタインは現代アートに持ち込んだのだ。かつて「五十点美術館 No.18」でも彼の作品を紹介したが、それは明らかに、印象派へのオマージュといえるものであった。
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ところで、漫画の多くは、人物が活躍することで成立している。風景描写だけの漫画など、まずあり得ない。
そこからヒントを得たリキテンスタインの作品も、当然のことながら、その多くが人物像である。しかも、彼の代表作といわれているものは、若い女性がモチーフの場合がほとんどだ。東京都現代美術館が6億という大金で購入して話題となった『ヘアリボンの少女』も、それに属する。
この『泣く女』も、その系列に含まれるだろう。ただ、彼女がなぜ泣いているかの説明は、まったくない。いや、あえて説明的な要素を見せないために、極端なクローズアップで描かれている。そこには、シャープに切り取られた現代社会の断片があるばかりだ。
たとえば、テレビのチャンネルを変えたりするときに、ぼくたちは同じような場面を目撃することがあるのではないか。あるチャンネルでは、楽しそうに笑っている男が映る。別のチャンネルでは、激しい怒りをぶちまけている女が映る、など。その番組を最初から通して見ていないかぎり、どういうシチュエーションなのかはわからない。
ただ、ほんの一瞬だけテレビ画面に映った人物の顔が、なぜか脳裏に焼きつき、いつまで経っても消えないことがある。そこには、不用意に切り抜かれた日常の一部分が、こちらの意思とは関係なく肥大化してしまうという現象がある。リキテンスタインの絵画は、一見するとポップで明るいけれど、そんな現代の底知れぬ恐怖を思い出させてもくれるだろう。
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