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てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

鳥よ、鳥よ、鳥たちよ ― 上村淳之の庭で ― (5)

2013年04月30日 | 美術随想

『晨』(2000年)

 ところで、淳之の花鳥画と、彼の父である松篁が描いた花鳥画とは、どこがちがうのだろうか。

 実をいうと、ぼくにはさほど大きな差異があるとは思われない。落款がなければ、父が描いたか息子が描いたか、はっきりわからないものもあるのである。だが、それは単に父親の絵を真似たということではなく、先祖が耕した土壌を子孫が大切に守っていくのに似ている。

 ぼくは3年前のブログに、こんな言葉を書きつけていた。

 《花鳥画をひとすじに描きつづけて明治から平成までの激動の時代を生き延びた上村松篁という存在は、単なるひとりの日本画家であることを超えて、この国が次第に鉄やコンクリートの建物が林立する姿へと変貌していくことへの素朴な、それでいて強靭なアンチテーゼだったのではないかという気がしてならない。》

 この考えは、今でも基本的に変わっていないと思う。松篁の絵と淳之の絵とのあいだに断絶がないのは、そのモチーフのなかに日本の近代化をあらわすものが何も描かれていないからである。それだけではなく、上村父子が鳥たちの生態から受ける啓示のようなものが、たった一代で描き切ることのできないほど深遠な、人間の存在の根底に関わることがらだからでもある。

 『晨』に描かれた白い鷹は、松篁が描きたいと望んでいたモチーフだった。たくさんの鳥が飼育されている淳之の庭にも白い鷹はいなかったので、八方手を尽くして探し出し、ようやく上村家に迎え入れた鳥である。しかし、松篁はその鳥を描くことはなく、息子が『晨』を描き上げた翌年に、世を去ったという。

 この鷹の凛としたたたずまいは、周囲のものから孤立したさびしさと、おのれの信念を胸の内に抱いているたくましさとを、こもごもに感じさせる。それはまさに、上村父子が花鳥画に向かうときの心情そのものであったはずだ。白い鷹は淳之にとって、父の肖像でも、また自分の像でもあるのかもしれない。

                    ***


『旅立ちを待つ』(2011年)

 ここに描かれているのは、シギの一種であろうか。シギは、上村淳之がもっとも好んで描く鳥のひとつだ。

 彼はさる対談のなかで、次のようにいっている。

 《シギの一生というのは、ほんとうに危険を冒しながら、定めに従って、地球を半周するとまで言われます。リスクを承知しながら渡っていく鳥の生き様が私は好きでね。それでシギの類が多いのです。》(「上村淳之展 ― 作家の眼」図録より)

 今、穏やかな水面に憩っているように見えるこのシギたちにも、もうすぐ過酷な人生(鳥生?)の定めが訪れるというのだ。いくら時代が経過しようと、人間どもの生活が近代化して便利になろうと、彼らの生き様は変わらない。

 それに比べると、われわれの暮らしぶりは何と“なまくら”なのだろう、と思ってしまう。そして、人間が追求している目先の幸福感のようなものが、いかにもちっぽけな、取るに足りないもののような気がしてくるのである。

(了)


DATA:
 「卒寿記念 上村淳之展」
 2013年4月3日~4月15日
 京都高島屋グランドホール

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