てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

あたたかな静寂 ― ル・シダネルを回顧する ― (5)

2012年04月29日 | 美術随想

『コンコルド広場』(1909年、ウジェーヌ・ルロワ美術館蔵)

 フランスの画家であるにもかかわらず、ル・シダネルとパリとのあいだには一定の距離があるように思う。

 10代の終わりから20代のはじめにかけて絵を学ぶためにパリに滞在したのちは、32歳になるまでパリに住んでいない。その後も各地を転々としていて、長期間パリに定住しようとした様子がない。

 印象派のルノワールやピサロらはパリの都市景観を何枚も描いているし、もっと若い世代のユトリロや佐伯祐三、荻須高徳らもパリの街並みを主要なモチーフに据えていたことを考えると、パリはよほど絵心をくすぐる場所なのではないかと想像したくなるけれど、一概にそうともいえないようだ。ル・シダネルとパリとの相性があまりよくなかったのは、内向的な彼の性格のしからしむるところなのだろう。

 だが、例外的といってもいい作品がある。『コンコルド広場』は、いうまでもなくパリの名所が主題となっている(なお今回の展覧会ではル・シダネルの旅の道筋を跡づけるためか、舞台となった地名が作品名のあとに括弧つきで書かれていたが、コンコルド広場はパリである、と但し書きするのも馬鹿げているので、この記事のなかではすべて省いてある)。

 画面の上部に聳えるオベリスク。水を噴き上げつづける噴水。少し方向を変えれば、エッフェル塔も眼に飛び込んでくるはずだ。だが、画家は近代の象徴である鉄骨の建造物など描こうとはしなかった。

 都会的なものをぼかして表現するために、ル・シダネルは夜のパリを選んだ。雨が降っているのか地面は濡れているように見え、ガス灯や車の照明がぼんやりと映り込んでいる。前項の『運河』でみたような薄暗い川面の描写を、ここに応用しているのである。

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『月下の川沿いの家』(1920年、岐阜県美術館蔵)

 『月下の川沿いの家』はブルターニュ地方のカンペルレという土地の風景で、地図を見るとポン=タヴェンにほど近い。

 ポン=タヴェンといえば、かのゴーギャンらが画家たちのコロニーを形成した場所であり、美術史上忘れてはならないところである。あの特徴的な民族衣装は、フランスの他の地域にはみられないものだろう。暗色を敬遠してきた印象派主導のフランス絵画に、黒と白の激しいコントラストを持ち込むきっかけとなったのではないだろうか。昨年のワシントン・ナショナル・ギャラリーの展覧会でも、ゴーギャンのいっぷう変わった絵が出品されていた。


参考画像:ポール・ゴーギャン『ブルターニュの踊る少女たち、ポン=タヴェン』(1888年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)

 けれども、ル・シダネルが描いたブルターニュには、独自の民族色などかけらもない。城館のような白い建物と、その姿をおぼろげに映す夜の川は、いってみれば『コンコルド広場』とほとんど同じ手法で再現されている。

 このへんに、ル・シダネルという画家の限界をみることは間違いではない。だが、彼は嵐のように人生を駆け抜けるタイプではなくて、ゆっくりと、少しずつ変化を遂げる画家であった。このころ、ル・シダネルはすでに「薔薇の画家」へと生まれ変わりつつあったのである。

 血のかよった女性の頬にほんの少し赤みがさすように、彼の絵にも少しずつ明るい色が加わってくるのだ。

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