てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

4月なのに草間彌生 ― 網目から水玉へ ― (2)

2012年04月02日 | 美術随想


『大いなる巨大な南瓜』(2011年)

 さらにエスカレーターを降りていくと、黄色に黒の水玉模様が施されたお馴染みのカボチャがあった。高さが2メートル半近くもある、文字どおり巨大なカボチャだ。現代アートの島「直島」の埠頭にも置かれていて、草間の作品のなかでも特に知られるようになったものである。

 驚いたのは、観覧客がみなカボチャの周囲に集まって、まるで韓流スターに遭遇したときみたいに、ひとり残らず携帯カメラを構えていることであった。なかにはカボチャにひたと寄り添って、自慢げにピースサイン ― ああ、ぼくの嫌いなピースサイン! ― をして微笑む強者もある。

 今回の展覧会には、会場内の数か所に写真撮影可能なスペースが用意されていた。荷物を預けるコインロッカーのところには、ご丁寧に「財布とカメラはお持ちください」などと書かれている。

 ただ、カメラのことはまだしも、財布を持っていけというのはどういう意味だろう。展覧会場の出口にミュージアムショップが用意されていることは、誰でも想像がつくはずだ。いかにも「何か買って帰りなさい」といわんばかりで、大阪ならでは(?)の商魂のたくましさにはちょっと呆れてしまった。

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 ところで、なぜカボチャなのか? これは、草間彌生の生い立ちと大いに関係があるようだ。

 彼女が生まれたのは長野県松本市の裕福な家庭で、種苗(しゅびょう)業と採種業を営んでいたという。草間家はかなりだだっ広い畑地を所有していた。幼かった彌生は、立派に成長しているカボチャの実を見つけてもぎとった。

 《何とも愛嬌のある形をしたカボチャに私は魅せられた。私がカボチャに造形的興味を受けたのは、その太っ腹の飾らぬ容貌なのだ。そして、たくましい精神的力強さだった。》(草間彌生『無限の網 ―草間彌生自伝―』新潮文庫)

 それ以来、彼女はがむしゃらにカボチャを描きはじめる。後先のことは考えず、ひたすら描く。10代の終わりごろ、数個のカボチャを並べて描いた日本画で賞を受けたこともあるという。意外なことに、草間はごく短いあいだ京都に住んで、日本画を学んでいるのである。

 《赤い毛氈の上に、鳥の子麻紙をしいて、筆を横に置き、まず座禅を組んで瞑想をする。やがて朝の太陽が京都東山に昇ってくる。そこで私はカボチャの精と向かい合うのだ。一切他のことを忘却し、一個のかぼちゃに心を集中していく。達磨が面壁十年のごとく、一つのカボチャに一ヵ月をかけた。寝る間も惜しんで。》(同)

 ここには、世間に流布しているイメージとはずいぶんちがった若き日の創作の一コマが語られていて興味深い。けれども、常軌を逸したともいえるカボチャへの偏愛は、何ごとをするにも決して妥協を許さない、いや妥協しようにもそれを自分に許せない、頑固というよりは偏執狂的な彼女の性向をよくあらわしているだろう。

 そして、若いころの草間彌生をいちばん悩ませたのは、そんな自分自身の存在にほかならなかったのである。

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