てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

植物園で深呼吸を(2)

2012年04月18日 | その他の随想

〔植物園の入園券〕

 植物園の最寄り駅は、京阪電車の支線の終点にあった。

 改札を出ると、たいていの駅にはロータリーがあったりバス停があったりするものだが、ここにはそれがいっさいない。スーパーもコンビニも、あたりにはない。ここに住んでいる人は、いったいどこで買い物をしているのだろうと思う。

 しばらく歩くと、建物の一階部分にガレージを備えた立派な家々が建ち並んでいた。そのかわり、単身者や学生が住んでいるようなアパートやマンションのたぐいはほとんど見当たらない。なるほど、コンビニなどは必要のない土地柄なのだ、と納得する。

 週末に近所のスーパーに出かけると、カートに山積みになるほど大量に買い物をしている奥さんをよく見かけるが、そういう人はこのような場所に住んでいるのかもしれない。ご亭主はもちろん、運転手兼荷物運び、というわけだ。

                    ***


〔数えきれないぐらいのユキヤナギが咲き誇る〕

 案内標示に従って進むと、国道を挟んだ向こうにはきれいに整備された河川敷があった。桜も数本、ちょうど見ごろの花をつけている(これは植物園の花ではないので、ごく普通のソメイヨシノのようだった)。けれども、ブルーシートを広げている人はひとりもいない。大阪にもまだこういうところが残っているのかと、ぼくは驚いた。

 植物園の入口に近づいていくと、何やら純白の花々がこんもりと群がって咲き乱れているのが見えてくる。まるで植物園への来場者を歓迎するためにデコレーションされたみたいに、ゲートのすぐ向こうでひときわ輝いているようだ。

 その美しさに釣られて、急いで料金を払って中に入ると、それはユキヤナギの群生であった。名前のとおり、雪が積もったような白である。ただし柳の仲間ではなく、バラ科の植物だと書かれている。

 街の公園や庭などにかたまって咲いているユキヤナギを眼にすることはあるが、これほどの大群ははじめてだ。その一画だけ荒波が打ち寄せ、“波の花”が舞っているようにも見える。植物園に立ち入る者たちは一様に白の洗礼を受けずにはすまないほどの迫力で、桜をあてにしてきたことを忘れて、いきなり本日のクライマックスに出会ってしまったようだった。

                    ***


〔シュロの並木とユキヤナギの競演〕

 桜は、不思議なぐらい日本人の感性に影響する花だろう。「サクラ」「ウメ」「ツバキ」といった短い名前の花々は、ずっと昔からわれわれに親しい存在だった。学術的には梅も桜も、ともにバラ科サクラ属という同じグループなのだといわれても - ここは大学の植物園だからそういったことは重要なのだろうが - あまりピンとこないというのが正直なところだ。

 ただ、柳でもないのにユキヤナギという名をつけられたこの花は、おそらく比較的新しい植物だと思う。まず、柳のイメージが先にあったことはたしかだからである。その白く清楚なたたずまいも、日本人の感興をくすぐるというよりは、生活のなかの脇役としてひっそりと寄り添うぐらいがいい。

 だが、脇役がいきなり主役にのし上がってしまったような大量のユキヤナギは、ぼくの眼をすっかり眩ませてしまった。このあとで何が出てきてたって驚くまい・・・。そんな気持ちを奮い立たせて、植物園の奥へと歩いていった。

つづきを読む
この随想を最初から読む