ブリヂストン美術館 その7
パブロ・ピカソ『女の顔』(1923年)
『女の顔』はピカソの新古典主義時代の作品である。モデルとなったのは最初の妻のオルガだとも、また別の女性だともいわれているらしい。
だが、いくら女好きのピカソといえども、すべての女性像を実在の女の肖像に帰する必要はあるまいと思う。特に古代ギリシャのキトンのような衣装をまとった一連の人物像は、同時代の誰かをモデルにしたわけではないのではないか、という気がする。
『女の顔』に描かれた女性は、たとえば以前「メモリアル・ピカソ(6)」という記事で取り上げた『水浴の女』と似ていて、豊かな髪と二重のまぶたをもっている。これが特定の女性の面影を映しているものかどうか、ぼくにはあまり興味がない。ただ、ピカソにいつもついてまわる凄絶なる肉欲というものが、この『女の顔』からはほとんど感じられない。
彼女は肉体的というよりも、むしろ思索的である。その瞳はやや憂いを宿していて、何かを深く考え込んでいるように思われる。肌の色が異様に白いことも、この女の実在性を希薄にしている一因であろう。
***
参考画像:パブロ・ピカソ『腕を組んですわるサルタンバンク』(1923年)
ブリヂストン美術館の顔ともいえる『腕を組んですわるサルタンバンク』も、同じ1923年の作品である。
ただしこの絵は、半世紀前におこなわれたフランスへの里帰り展には含まれていない。というのも、当時この絵は、世界的ピアニストであるウラディーミル・ホロヴィッツの所蔵となっていたからだ。彼がこの絵のどこを気に入って買ったのか、ぼくには想像がつかないけれど・・・。
この絵を先ほどの『女の顔』と比べてみると、かなりよく似ているといえる。豊かな茶色の髪、彫りの深い二重のまぶた、斜めから見た顔の向き・・・。おまけに肌の色が抜けるように白いところまで、そっくりだ。ただ、サルタンバンクがやや眼差しを上にもたげており、何かを眺めているように感じられるところがちがう。この絵はもともと左側に女の姿が描かれていたというから、彼女の顔を見ていたのかもしれない。
だがなぜか、ピカソは傍らにいる女の姿を消してしまった。その理由を知るすべはないけれど、ピカソはこのとき、画壇の寵児として世間に注目され、時代の波に揉まれることに疲れていたのではないか。オルガと結婚して5年が経ち、最愛の息子も生まれた直後に、ピカソはほんの束の間、穏やかな家庭のなかで過ごすことができたのかもしれない。新古典主義時代の絵は、落ち着いた彼の心の状態をよく映し出しているようにぼくには思われる。
なおこの絵を所有していたホロヴィッツは、10年余りにわたってリサイタルを開くことを拒否した時期があったそうだ。そのとき彼はアメリカの自宅で、この絵と長いこと向き合っていたのだろうか。ピカソが何となく人を遠ざけたくなった気持ちが、ホロヴィッツにはよく理解できたにちがいない。
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パブロ・ピカソ『女の顔』(1923年)
『女の顔』はピカソの新古典主義時代の作品である。モデルとなったのは最初の妻のオルガだとも、また別の女性だともいわれているらしい。
だが、いくら女好きのピカソといえども、すべての女性像を実在の女の肖像に帰する必要はあるまいと思う。特に古代ギリシャのキトンのような衣装をまとった一連の人物像は、同時代の誰かをモデルにしたわけではないのではないか、という気がする。
『女の顔』に描かれた女性は、たとえば以前「メモリアル・ピカソ(6)」という記事で取り上げた『水浴の女』と似ていて、豊かな髪と二重のまぶたをもっている。これが特定の女性の面影を映しているものかどうか、ぼくにはあまり興味がない。ただ、ピカソにいつもついてまわる凄絶なる肉欲というものが、この『女の顔』からはほとんど感じられない。
彼女は肉体的というよりも、むしろ思索的である。その瞳はやや憂いを宿していて、何かを深く考え込んでいるように思われる。肌の色が異様に白いことも、この女の実在性を希薄にしている一因であろう。
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参考画像:パブロ・ピカソ『腕を組んですわるサルタンバンク』(1923年)
ブリヂストン美術館の顔ともいえる『腕を組んですわるサルタンバンク』も、同じ1923年の作品である。
ただしこの絵は、半世紀前におこなわれたフランスへの里帰り展には含まれていない。というのも、当時この絵は、世界的ピアニストであるウラディーミル・ホロヴィッツの所蔵となっていたからだ。彼がこの絵のどこを気に入って買ったのか、ぼくには想像がつかないけれど・・・。
この絵を先ほどの『女の顔』と比べてみると、かなりよく似ているといえる。豊かな茶色の髪、彫りの深い二重のまぶた、斜めから見た顔の向き・・・。おまけに肌の色が抜けるように白いところまで、そっくりだ。ただ、サルタンバンクがやや眼差しを上にもたげており、何かを眺めているように感じられるところがちがう。この絵はもともと左側に女の姿が描かれていたというから、彼女の顔を見ていたのかもしれない。
だがなぜか、ピカソは傍らにいる女の姿を消してしまった。その理由を知るすべはないけれど、ピカソはこのとき、画壇の寵児として世間に注目され、時代の波に揉まれることに疲れていたのではないか。オルガと結婚して5年が経ち、最愛の息子も生まれた直後に、ピカソはほんの束の間、穏やかな家庭のなかで過ごすことができたのかもしれない。新古典主義時代の絵は、落ち着いた彼の心の状態をよく映し出しているようにぼくには思われる。
なおこの絵を所有していたホロヴィッツは、10年余りにわたってリサイタルを開くことを拒否した時期があったそうだ。そのとき彼はアメリカの自宅で、この絵と長いこと向き合っていたのだろうか。ピカソが何となく人を遠ざけたくなった気持ちが、ホロヴィッツにはよく理解できたにちがいない。
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