てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

オルセー寸描(3)

2007年01月21日 | 美術随想


 さて、結婚したウジェーヌ・マネとベルト・モリゾとの間にはジュリーという娘が生まれるが、それは野心あふれる若き画家たちが印象派展を舞台に活躍していた時代と重なる。もちろん、モリゾ自身もその一員だった。モリゾは画家として成長すると同時に、妻として、また母として、人間的にも世間的にも成熟していったのである。

 彼女の温かな家庭には、当然のように他の画家たちも足しげく出入りしたことだろう。特にルノワールやドガは、しばしばモリゾの家に招かれたという。人間嫌いで偏屈者といわれるドガが、モリゾの招きに応じたというのはちょっと意外な気もするが、ドガが生涯にわたって女性の姿を描きつづけたことを考えると、内心は喜び勇んで出かけたのかもしれない。そうでなくても、モリゾとドガとルノワールとは、印象派の中でもとりわけ人物表現にしのぎを削った仲間として、お互いに気になる存在だったにちがいない(ただしルノワールは、このときすでに印象派展への参加をやめていた)。

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 『ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子供)』(上図)は、そのルノワールが描いた、ジュリーが9歳のころの姿である。この絵はモリゾの依頼で描かれたものらしい。ルノワールは気のおけない仲間であると同時に、印象派随一の“肖像画家”でもあったから、普段の無邪気なジュリーとは別の、ちょっと改まった ― 写真館で写した肖像写真のような ― 娘の肖像画を描いてほしかったのだろう。

 よそいきの服を着て斜め向きに腰掛け、やや視線をそらしたポーズは、9歳の少女とは思えないほど大人びた雰囲気をたたえている。しかし決して堅苦しくならないのは、明るく健康的な色づかいと、思わず微笑を誘われる猫のポーズのせいにちがいない。

 一方でモリゾ自身も、成長しつつある我が子の姿をさかんに描いている。それはある意味で当然のことかもしれないが、その絵は母親としての愛情にみちあふれた目線と、画家としての鋭い観察眼との狭間に、あやういバランスで立っている(モリゾ『ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘、あるいは田舎にて』下図、マルモッタン美術館蔵)。しかし考えてみれば、幼い少女が母親を前にしておとなしくポーズをとっていられるはずもない。このころのモリゾの絵の多くが、やや筆触が粗く、急いで仕上げた感じがするのは、そのへんの事情によるのかもしれない(こんなことをいったらモリゾに怒られるだろうか)。



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 それにしてもルノワールのこの絵は、彼の“うまさ”をつくづくと感じさせる一枚だと思う。いちばん後ろに壁があり、その手前に長椅子があり、さらにそこにジュリーが座っていて、その手には猫が抱かれている・・・この4段重ねの厚みのある描写は ― 猫を抱く手を含めると5段重ね(!)であるが ― 画家の腕の確かさをじゅうぶんに証明するものだろう。

 質感の表現も、やはりずば抜けている。例えば背もたれの柔らかな部分と、硬質な木枠の部分とが、これほど明瞭に描き分けられていることに驚かざるを得ないが、それだけではない。試みに木枠の部分をカットしてみると(下図)、ジュリーはたちまち椅子からずり落ちてしまいそうである。長椅子の木枠は、平面上に描かれたモデルを現実につなぎとめる役目をしていたのだ。



 こういった知的な構成力は、ルノワールを単なる“印象派の画家”呼ばわりすることをためらわせる。彼はただ印象を描いたわけではなかったし、光と色の戯れを描いたわけでもなかった。そこにはやはり“人間”の実体が、確実に存在しているのである。まるで、手を伸ばせば触れることができるかのように。

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 この絵から数年後、今度は母親のモリゾが、長椅子に座る娘を描いた。ジュリーはすでに10代のなかばに近く、もはや少女とは呼べない複雑で多感な年ごろを迎えていたはずである。しかしそこに描かれたジュリーは、顔面から血の気が失せ、放心したようにこちらを眺め、ずり落ちそうになる体を左手でやっと支えているといった様子なのだ(モリゾ『ジュリー・マネとラエルト』下図左、マルモッタン美術館蔵)。ぼくはこの絵を本の図版で観たのだったが、思わずムンクの『思春期』を連想してしまったほどである(下図右、オスロ国立美術館蔵)。いったい、ジュリーに何があったのだろうか?

 

 実はこの前年、ウジェーヌ・マネが世を去っていた。モリゾは寡婦となり、ジュリーは父なし子となった。幸福だった家庭に、少しずつ暗い影がさしはじめていたのだ。ここに描かれたジュリーの顔は、明らかに何かにおびえているようである。

 だが残酷なことに、この絵が描かれた2年後、モリゾは54歳の若さで亡くなった。没後、300点からなるという大規模な回顧展が開催されたのは、ルノワールやドガやモネなど、かつての盟友たちが力を合わせてのことだった。


参考図書:
 坂上桂子『ベルト・モリゾ ある女性画家の生きた近代』
 小学館

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