昨年の紅白歌合戦以来、「千の風になって」という歌がよく聴かれているらしい。歌ったのは秋川雅史というテノール歌手で、CDもかなり売れているようだ。そのブームの煽りを受けて、新垣勉という別の歌手が吹き込んだCDも、よく売れているという。
新垣勉の名前は、何年か前からCD店でよく見かけていたし、その特徴ある風貌も知っていた。彼が全盲であるということも、うすうす知っていた。だからこそ、ぼくは彼のCDには手を出そうとしなかった。いつの間にいかなる思い込みが介入していたのか、今となっては不思議ですらあるのだが、この手の企画は“きわもの”だと決めてかかっていたのだ。
もともとクラシックを聴くのが好きだった人間からすれば、盲目の歌手だからといってわざわざ聴いてみる理由もなかった。ほかにも素晴らしい歌手は、ごまんといるからだ。彼らの歌声を評価するのに、目が見えるか否かということは、基準にはなり得なかった。ぼくは無意識のうちに、新垣勉の歌声を聴くことを避けてきたのだった。
だが最近になって、新垣が歌った「千の風になって」が売れているというニュースを聞くと、さすがにちょっと食指が動いた。近所のレンタルショップに立ち寄ってみると、「千の風になって」は置いていなかったが ― あるいは貸し出し中だったのかもしれないが ― 6年くらい前に出た彼の最初のCDがあったので、借りて帰った。それを聴くや否や、なぜもっと早く彼の歌を聴こうとしなかったのだろうと、ぼくは激しく悔やんだ。
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『さとうきび畑』というそのアルバムには、全部で16曲が収められている。西洋の宗教曲もあれば、日本の唱歌もある。ぼくは順番に聴くことはしないで、まず「アメイジング・グレイス」だけを抜き出して聴いてみた。というのも、この曲はここ一年ほど、ぼくの心の中にいつも鳴り響いている曲だからだ。
讃美歌であり、黒人霊歌としても知られる「アメイジング・グレイス」は、もちろん昔から知っている。そのメロディーは、一度聴いたら決して忘れることができない。だが意識して聴くようになったのはつい最近のことで、本田美奈子の早すぎる死がきっかけだった。
正直にいうと、ぼくは生前の本田美奈子にはあまり関心がなかった。アイドル歌手としてデビューし、ミュージカルへと活躍の舞台を広げていった彼女は、ぼくのアンテナには引っかからない場所にいたのだ。
本田美奈子の訃報と同時に、彼女が歌った「アメイジング・グレイス」がテレビで繰り返し流れるようになった。透き通った、それでいて力強い歌声は、クラシック以外には見向きもしなかったぼくの心をたちまちつかんだ。
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本田美奈子への関心と同時に ― ぼくは彼女の追悼番組を欠かさず見たものだった ― 「アメイジング・グレイス」という歌そのものの魅力が、ぼくをどうしようもなく惹きつけた。
レンタルショップで、手に入るかぎりの「アメイジング・グレイス」を借りて聴いた。なかにはドラマ『白い巨塔』の主題曲として歌われたものもあったし、楽器だけで演奏されたものもあった。一枚のCDがまるごと「アメイジング・グレイス」というものまであった。
ひいては、この曲が生まれるに至った物語もぼくの興味をそそった。簡単にいうと、「アメイジング・グレイス」の詩を書いた神父はもともと奴隷船の船長で、その詩には深い悔恨の思いがこめられているらしいのである。
図書館に出かけて探してみると、そのへんのいきさつを書いた300ページを超える本があったので驚いた(ちなみに著者は村田美奈子という人で、奇しくも本田美奈子と一字ちがいである)。思い切って借りてはみたものの、その本はあまりにも長く、結局読み切ることができずに返してしまったが、いまだにぼくの頭の片すみに引っかかっている。
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さて、新垣勉の歌う「アメイジング・グレイス」は、ややゴスペル調に味付けされていた。それは本田美奈子の歌い方とまるでちがっていた。ぼくは最初めんくらったが、これこそ新垣でなければできない歌い方ではないかと気がついた。なぜなら彼にはアメリカ人の血が混じっているからだ。
メキシコ系アメリカ人の父と、日本人の母の子供として、彼は沖縄に生を受ける。しかし生まれて間もなく、彼は助産婦の過ちによって劇薬を点眼され、視力を失う。1歳のとき、両親は離婚し、父親は海の向こうに帰ってしまった。
彼は両親を憎み、不幸に生まれついた我が身を憎んだが、やがて歌と出会い、キリスト教と出会うことで、憎しみは感謝の思いへと変わっていったという。まだ見ぬ父親へ向かって、彼は歌いつづける。父が授けてくれた、やさしくて力強い、テノールの歌声で。
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