てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

20世紀版画おぼえがき(1)

2007年01月24日 | 美術随想
吉原英雄『彼女は空に』


 去る1月13日、ひとりの版画家が逝った。吉原英雄、享年76歳。もうそんなに高齢だったのか、と、ぼくは色彩鮮やかな彼の作品のいくつかを思い浮かべながら思った。

 とはいっても、この人物についてそんなによく知っているわけではないし、個展を観たこともない。せいぜい美術館の所蔵品などで、何枚かの作品に接したことがあるだけである。そもそも、ぼく自身、油彩画や日本画に比較して、版画の鑑賞に熱心なほうではなかった。広い意味で“印刷物”の一種だといえなくもない版画の前では、肉筆で描かれた絵画のときよりも、ぼくが立ち止まっている時間は短かった。

 でもよく思い出してみると、ぼくの記憶の中に深い記憶をとどめている版画というものが、いくつかあるようである。そのへんの曖昧な記憶を、少しずつ掘り出していってみようかという気になった。吉原英雄の死は、そのきっかけになったできごとだった。

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 訃報が伝えられてから数日後、京都市美術館で所蔵品展を観ていたら、思いがけず、吉原の絵が2枚あるのに出くわした。作品につけられたネームプレートを見ると、作者はまだ生きていることになっていたし、もちろん黒いリボンなどもついていなかったが、ぼくは心の中で冥福を祈りながら、彼の版画の前にしばらく立っていた。

 その作品は『三本のフォーク』と『大地から』という題名だったが、吉原に師事したという山本容子の画風を強く連想させるものだった。師匠の絵を観て、弟子を連想するというのは、本当なら順番が逆で、山本は吉原の影響のもとから巣立ち、徐々に彼女独自の作風を深めていったのだろう(徐々に、といっても、山本は吉原と出会って5年も経たないうちに、たくさんの版画賞を総なめにしていくのだが)。

 しかし、吉原英雄の名前とともにぼくの脳裏に強く焼きついているのは、洒脱な線描が躍る“山本容子風の”作品よりも、大胆な色面が紙を覆い尽くす、カラフルな作品のいくつかだった。『彼女は空に』など、画面の半分以上が鮮やかなブルーで占められていて、版画ではこういった ― たとえは悪いが、ペンキのベタ塗りのような ― 表現もできるのかと、驚かされたものである。

 それに加えて、エッチング独特の鋭い線で描かれた右側の女性はどうだろう? 最近のいわゆる“ヘソ出し”を連想させるようなファッションだが、この版画は1968年の作品だというから、もう40年近くも昔のことなのだ。

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 吉原英雄というと、もっとも広く知られているのは『シーソー1』かもしれない(下図)。この版画は東京国際版画ビエンナーレ展で賞を受け、彼の名を一気に高めたという。それにしても、この垢抜けた構図は ― デザインセンス、といってもいいが ― 現代のCGをちょっと連想させるところがある。だが、これもやはり1968年の作品である。



 からっとした爽快感、いきいきと躍動する人物、そして小気味よいエロチシズム・・・。吉原の版画は、不思議な若々しさをたたえている。そんな彼が、もう76歳になっていたなんて、ぼくにはとうてい信じることができなかったのである。


DATA:
 「京都市美術館コレクション展 第四期 《春を待つ》」
 2006年12月20日~2007年2月25日
 京都市美術館

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