生き長らえていれば、誰にでも新年は来る。特に努力をしなくとも、時が過ぎればひとりでに年をまたぐ。そんなふうにして、このぼくにも2007年がめぐってきた。しかし今年の元日は、少なくとも去年のそれとは大きくちがっていた。
かつて随想にも書いたことだが、去年の元日は滋賀の三井寺で迎えたものだった。思えば京都に住みはじめて以来、京都以外の場所で年を越したのは初めてのことだったかもしれない。ぼくは年末の繁忙期の後で疲れ果てていたが、新しい年に向けて期するところがあったのだろう。
しかしそうやって始まった2006年は、散々な終わり方をしてしまった。繁忙期は例年どおりにめぐってきたが、ぼくは仕事を精力的にこなすかわりに、それ以外のことをないがしろにしていった。家に帰った後は、美術について考える気力も、書き記す根気も残っておらず、くだらない深夜番組を見るともなく ― 音声は消したままで ― 眺めながら、気がつくと朝になっていたりした。
こんなダラケた生活をしていても、仕事はきっちりこなさなければならない。それが社会人としてのぼくに課された任務であり、義務なのだ。寝過ごした朝などは、食事もとらずに大慌てで身繕いをととのえ、電車に遅れないように駆け足で家を飛び出すありさまだった。しかし、断じていうが、ぼくは決して今の仕事が好きではないのだ。趣味と実益を兼ねることができない以上 ― これはぼくだけではなく、世の多くの人にとっても同じであろうが ― あくせく働くしかないのである。
***
ぼくにとって美術というものが、そしてそのほかの芸術や文学というものが、仕事よりもかけがえのないものであることは認識しているつもりだ。今まさにぼくは生きている、ということを実感できる瞬間は、優れた芸術に心が感応したときに生まれてくるものであって、仕事をしているときには一度もそんなことを感じたことはない。
しかし芸術家ではないぼくは、芸術だけで生きていくことはできず、生の実感のともなわない仕事をつづけていくことによってしか生き長らえることができない。これが現世の鉄則であるということは、じゅうぶんにわかっているつもりなのである。
ところが生来不器用で、体も頑健ではないぼくは、しばしば生活そのものが仕事に圧迫されてしまった。去年の年末は、まさしくそんな状態だったのだ。展覧会がよいをやめることはなかったが、ぼくの肉体と精神は疲弊しきっていた。そんなとき、ぼくの頭をよぎるのはこんな矛盾にみちた言葉だった。
生きるということは、死ぬほど苦しいことだ。
***
そんなぼくにも、正月くらいはやってくる。今朝、ぼくは思い切って早起きし ― 仕事のない日に早起きをするということは、近ごろのぼくにはかなり勇気のいることだ ― 電車に乗って初詣に出かけた。線路脇に広がる田畑に、びっしりと霜が降りているのが見えた。暖冬の後に不意に訪れた真冬の寒さに、身が引き締まる思いがした。
どこに行くかは特に決めていなかったので、近場の長岡天満宮でおまいりをすませることにした。仕事のことを含めて、とりあえず今年こそは正常な生活が送れますようにと、お門ちがいの天神さんに祈った。振り返ってみれば、ぼくは毎年同じようなことを神様にお願いしてきた気がする。取り立てて無理難題をいっているつもりはないのだが、願いが実現するのはなかなか困難なことらしい。
帰り道、いつも携帯電話で閲覧している「言葉の贈り物」というサイトを見た。日替わりで、いろいろな名言や格言を配信しているサイトである。今日の言葉は、次のようなものだった。それは今のぼくにとって、まことにふさわしい言葉だと思われた。
《望みをもちましょう。でも望みは多すぎてはいけません。》(「モーツァルトの手紙」柴田治三郎編訳、岩波文庫)
かつて随想にも書いたことだが、去年の元日は滋賀の三井寺で迎えたものだった。思えば京都に住みはじめて以来、京都以外の場所で年を越したのは初めてのことだったかもしれない。ぼくは年末の繁忙期の後で疲れ果てていたが、新しい年に向けて期するところがあったのだろう。
しかしそうやって始まった2006年は、散々な終わり方をしてしまった。繁忙期は例年どおりにめぐってきたが、ぼくは仕事を精力的にこなすかわりに、それ以外のことをないがしろにしていった。家に帰った後は、美術について考える気力も、書き記す根気も残っておらず、くだらない深夜番組を見るともなく ― 音声は消したままで ― 眺めながら、気がつくと朝になっていたりした。
こんなダラケた生活をしていても、仕事はきっちりこなさなければならない。それが社会人としてのぼくに課された任務であり、義務なのだ。寝過ごした朝などは、食事もとらずに大慌てで身繕いをととのえ、電車に遅れないように駆け足で家を飛び出すありさまだった。しかし、断じていうが、ぼくは決して今の仕事が好きではないのだ。趣味と実益を兼ねることができない以上 ― これはぼくだけではなく、世の多くの人にとっても同じであろうが ― あくせく働くしかないのである。
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ぼくにとって美術というものが、そしてそのほかの芸術や文学というものが、仕事よりもかけがえのないものであることは認識しているつもりだ。今まさにぼくは生きている、ということを実感できる瞬間は、優れた芸術に心が感応したときに生まれてくるものであって、仕事をしているときには一度もそんなことを感じたことはない。
しかし芸術家ではないぼくは、芸術だけで生きていくことはできず、生の実感のともなわない仕事をつづけていくことによってしか生き長らえることができない。これが現世の鉄則であるということは、じゅうぶんにわかっているつもりなのである。
ところが生来不器用で、体も頑健ではないぼくは、しばしば生活そのものが仕事に圧迫されてしまった。去年の年末は、まさしくそんな状態だったのだ。展覧会がよいをやめることはなかったが、ぼくの肉体と精神は疲弊しきっていた。そんなとき、ぼくの頭をよぎるのはこんな矛盾にみちた言葉だった。
生きるということは、死ぬほど苦しいことだ。
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そんなぼくにも、正月くらいはやってくる。今朝、ぼくは思い切って早起きし ― 仕事のない日に早起きをするということは、近ごろのぼくにはかなり勇気のいることだ ― 電車に乗って初詣に出かけた。線路脇に広がる田畑に、びっしりと霜が降りているのが見えた。暖冬の後に不意に訪れた真冬の寒さに、身が引き締まる思いがした。
どこに行くかは特に決めていなかったので、近場の長岡天満宮でおまいりをすませることにした。仕事のことを含めて、とりあえず今年こそは正常な生活が送れますようにと、お門ちがいの天神さんに祈った。振り返ってみれば、ぼくは毎年同じようなことを神様にお願いしてきた気がする。取り立てて無理難題をいっているつもりはないのだが、願いが実現するのはなかなか困難なことらしい。
帰り道、いつも携帯電話で閲覧している「言葉の贈り物」というサイトを見た。日替わりで、いろいろな名言や格言を配信しているサイトである。今日の言葉は、次のようなものだった。それは今のぼくにとって、まことにふさわしい言葉だと思われた。
《望みをもちましょう。でも望みは多すぎてはいけません。》(「モーツァルトの手紙」柴田治三郎編訳、岩波文庫)