テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々

エジソンも好きなテスラ研究家がいろいろ勝手に語っています。

昨日、テスラの夢を見た

2011-09-14 20:17:23 | Weblog

 きのうテスラの夢を見た。

 気が付くとわたしは大きな会場の奥にすわっていた。場内は聴衆で満員。どうやら電気の専門家が集まっているらしい。
 油断していると、突然、議長に指名された。
「会場に新戸さんがきているから、テスラについて3分間で話していただこう」
「ええっ?」
 準備も無ければ、時間もわすか3分。いったいどうやって。
 そうかノートパソコンの中に原稿がと気付いて、あわててバッグを探ったが、みつからない。困惑しているうちに、演壇のうしろに立たされていた。
 目の前には絶叫する女性講演者。熱弁をふるうも、野次とブーイングの嵐にかき消されてしまう。最後は司会者に足をつかまれて引きずり下ろされた。
 なんとか考えをまとめなければ、あせっているうちに自分の番がきた。
「テスラとは……」
 第一声をあげたものの、頭は真っ白。次の言葉がどうしても出てこない。
 ふとひらめいて、もっていたマーカーで鼻の下にひげを描いた。
 ひげをはやしていた頃、一度だけ、テスラに似ているといわれたことを思いだしたからだ。
「これがテスラです」
 顔をあげて大見得を切ったが、みなポカンとして見上げている。
 あわてて、今度はうしろのホワイトボードにテスラの似顔絵を描いた。
 意外にうまく描けたつもり。
「これがテスラです」。
 しかし会場からは相変わらず反応がない。そのうち、奥のほうがざわついてきた。やむをえず講演にはいったが、考えがまとまらないせいか、うまく言葉が出ない。
 そこへ専門家らしい男がチャチャをいれてきた。
「交流の周波数がああだらこうだら、関東と関西がどうたらこうたら、ゼネラルエレクトリックとウェスティングハウスがうじゃうじゃ……」
 わたしはいらつきながら答えた。
「そんな些末な話はどうでもよろしい」
 それでも、まだしつこくからんでくる。
「直流送電と交流送電がうんたら、かんたら……」
 場内は野次と怒号で、声もかき消されるほど。
 わたしのいらいらは極に達し、ついに爆発した。

「いいか、君たち。東北大震災や原発事故で問題になっている電力システム、その基礎をつくったのはだれか。ニコラ・テスラだろう。しかし彼の名前は歴史から消されてしまった。これは君たち専門家が怠慢だったからじゃないのか」
 怒りの余りわたしはほとんど絶叫していた。
「それだけじゃない。電力利権と一体化した君たちは、無線電力システムを推進しようとしたテスラを抹殺しようとしたではないか。今日の原発事故はその私利私欲の帰結だろう。ちがうのか」
 言い終わると、場内は一瞬にして水を打ったよう。
 それから割れんばかりの歓声、拍手が起こった。
 わたしは聴衆を見回し、静かに一礼して演壇を降りた。
 ここで目が覚めた。

 夢の中の科学者への怒りは、おそらくわたし自身への怒り。テスラの名を広められない不甲斐ない自分への怒りでもあっただろう。
 あるいは、そんなわたしへのテスラからの叱咤激励だったかもしれない。

 芝居で滞っていたテスラ本(「天才の発想力」)の電子出版化と「テスラ研究」の編集を急ぐことにしよう。


「さんせう太夫」公演、無事終了

2011-09-14 20:01:27 | Weblog

 9月11日(日)は「さんせう太夫」の楽日。
 公演前に恒例、本堂でのパネル・ディスカッション。
 パネラーは地元在住の作家佐江衆一氏、愛知学院大学教授で、国際寺山修司学会の創立者清水義和氏、遊行かぶきの創始者で「さんせう太夫」演出の白石征氏の三氏、そして司会は不肖わたくし、テスラ新戸(笑)。
 半年前の東北大震災を踏まえながら、今回の芝居を軸に、中世、別離、漂泊、孤独、家族、共同体、芸能などのテーマについてたっぷりと語っていただいた。
 パネラーとの縁で、寺山修司の短歌が語られたかと思えば、遊行寺つながりで一遍の歌に及び、震災、津波、原発事故などの災害から、戦争と破壊、科学と近代文明、日本人強制収容所、満州などへ話題は飛んだ。
 司会の力を超える場面も多かったが、主題を大きく踏み外さずにすんだのは逆境に立ち向かう日本人に寄せるパネラーたちの深い信頼と共感があったから。それは引き裂かれながら、なおも家族再会を信じる安寿と厨子王の魂とも相通じるものではないか。そんなことを考えながらお話をうかがっていた。
 
 この後の公演は大成功。出演者一同全力を出し切った満足感にひたりつつ、打ち上げに突入した。
 制作サイドの一員として、出演者、スタッフ、そしてなにより残暑厳しい中、3時間の長丁場におつきあいくださった観客の皆様に厚く御礼申し上げたい。