大震災とそれにともなう原発事故で、需給バランスが崩れた電力を補うため日本最初の計画停電が実施されている。不便だが、この際、やむをえないだろう。
当初、無傷の西日本の発電所から電力を融通する案もあったという。実現できれば停電せずにすんだかもしれないが、それを拒んだのが「周波数の壁」だった。
よく知られているように、日本の電力事業は東日本の電力会社が50ヘルツ、西日本が60ヘルツで運用されている。従って西日本の電力を東日本で利用する場合には、周波数を変換しなければならないが、現有の変換設備の処理能力は100万KWしかない。これではとても需要を満たせないため、頓挫したのである。
狭い日本の中でふたつの周波数がある。なぜ、そんなへんてこりんなことになったのか。その理由は日本の電力事業の歴史にあった。
日本最初の電力会社、東京電燈会社(現在の東京電力)が設立されたのは1883年(明治16年)のことだった。その後、神戸、京都、大阪などにも同様の会社が設立されていった。
初期の電力システムはエジソンの直流方式が主流だったが、電力需要がふえるにつれてニコラ・テスラの高圧交流方式が普及し始めた。
このとき東京電燈会社が購入したドイツ製の交流発電機が50ヘルツを採用していたため、その供給エリアでは50ヘルツが使われるようになった。一方西日本では、大阪電燈会社(現在の関西電力)がゼネラル・エレクトリック社製の60ヘルツ発電機を採用した。ここから現在の東西の周波数区分が生じたのである。
ゼネラル・エレクトリック社の設立者はエジソンだから、初期は当然、直流発電機を製造していた。しかし時の流れには逆らえず、当時はウェスチングハウス社のライセンス供与を受けた交流発電機も製造していた。ウェスティングハウス社の特許はテスラの特許を購入したものだから、かつての部下の軍門に下ったことになるわけで、天下の発明王としてはさぞ不本意だったことだろう。
ちなみに60ヘルツという周波数も、当初からテスラが主張していたものだった。
その後、周波数統一の話は何度も持ち上がったが、そのたびに膨大な費用がネックとなって実現しなかった。それに変わるべき周波数変換設備の建設も、やはり必要性と予算のかねあいでなかなか進まなかった。
最初から全部テスラでやっていれば、今のような問題は起こらなかったのにと思うと残念でならない。
当初、無傷の西日本の発電所から電力を融通する案もあったという。実現できれば停電せずにすんだかもしれないが、それを拒んだのが「周波数の壁」だった。
よく知られているように、日本の電力事業は東日本の電力会社が50ヘルツ、西日本が60ヘルツで運用されている。従って西日本の電力を東日本で利用する場合には、周波数を変換しなければならないが、現有の変換設備の処理能力は100万KWしかない。これではとても需要を満たせないため、頓挫したのである。
狭い日本の中でふたつの周波数がある。なぜ、そんなへんてこりんなことになったのか。その理由は日本の電力事業の歴史にあった。
日本最初の電力会社、東京電燈会社(現在の東京電力)が設立されたのは1883年(明治16年)のことだった。その後、神戸、京都、大阪などにも同様の会社が設立されていった。
初期の電力システムはエジソンの直流方式が主流だったが、電力需要がふえるにつれてニコラ・テスラの高圧交流方式が普及し始めた。
このとき東京電燈会社が購入したドイツ製の交流発電機が50ヘルツを採用していたため、その供給エリアでは50ヘルツが使われるようになった。一方西日本では、大阪電燈会社(現在の関西電力)がゼネラル・エレクトリック社製の60ヘルツ発電機を採用した。ここから現在の東西の周波数区分が生じたのである。
ゼネラル・エレクトリック社の設立者はエジソンだから、初期は当然、直流発電機を製造していた。しかし時の流れには逆らえず、当時はウェスチングハウス社のライセンス供与を受けた交流発電機も製造していた。ウェスティングハウス社の特許はテスラの特許を購入したものだから、かつての部下の軍門に下ったことになるわけで、天下の発明王としてはさぞ不本意だったことだろう。
ちなみに60ヘルツという周波数も、当初からテスラが主張していたものだった。
その後、周波数統一の話は何度も持ち上がったが、そのたびに膨大な費用がネックとなって実現しなかった。それに変わるべき周波数変換設備の建設も、やはり必要性と予算のかねあいでなかなか進まなかった。
最初から全部テスラでやっていれば、今のような問題は起こらなかったのにと思うと残念でならない。