“今日も雨、テレビは連日、新型コロナの話題であふれている。何か気分が晴れることはないかしら。ふうーっと障子に視線を移すと、小さな障子の穴を桜の花びらやモミジの形をした紙で繕ってあるのが目に映った。障子紙も黄ぱんでいる。そういえば、もう何年も張り替えていない。そうだ、お盆も近いことだから張り替えよう。やる気スイッチが入った。「陽ちゃんの部屋の障子も外してね」。孫に言った。さすが男の子、ヒョイヒョイと持って来た。
私が障子を指さし、「破る?」と聞いた。小さいころは真っ先に飛んで来て、喜んで破っていた孫も、さすがに十六歳になると照れ笑い。でも、「うん」とうなずいて、最初プスッ、次はグーでバリッ。次第に乗ってきた。そこへ息子がやって来た。「楽しそうだな」と参加した。息子の嫁さんも加わり、ストレス解消と親子三人でバリバリ。みるみる六枚の障子は桟だけになった。
それからが大変。孫と嫁さんに手伝ってもらい、「押さえて」「引っ張って」「のりを付け過ぎた」と大騒ぎして、何とか張り終えた。いつもなら一人だが、コロナによる自粛で息子夫婦も家にいたから家族でできた。部屋も心もパーッと明るくなった。”(8月2日付け中日新聞)
三重県伊勢市の理容業・笠江さん(女・75)の投稿文です。「障子張り」か・・・忘れていた懐かしい言葉の気がする。ボクの家も昔は何十本という障子があった。この文のように子供の頃、障子破りをした経験もある。ボクも手伝ったのであろうが、その張り替えは父母の大きな仕事であった。一人で張り替えるのは難しい。紙の両側をそれぞれ持ち、呼吸を合わせゆっくり桟に下ろす。共同作業である。笠江さん家族はこのコロナ禍の中でその体験をされた。いい思い出になったであろう。
今のボクの家に障子は8本のみである。それももう十何年前に職人さんにやってもらったままである。生活様式は変わる。過ごし方も変わる。今障子のない家も多かろう。大きく変わり始めたのは昭和40年代からであろうか。それ以前を知っている年代は、幾百年と続いてきた日本を曲がりなりにも知っている。ボクらが最後の世代かも知れない。そう思うとボクらの世代は次に伝えねばならない。
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