寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3008話) 「生きるんだ」

2020年08月21日 | 出来事

 “終戦直前、私たち家族は中国東北部の旧満州にいて、それこそ裸一貫で日本に引き揚げてきました。玉音放送を聞いたのはその途中でした。私たちは生死の境をくぐり抜けながら収容所を転々としたとき、引率する責任者から「日本人として辱めを受けたときや、どうしようもない悩みにぶつかったときはこれを飲んでください」と一人一人に紙に包んだ青酸カリを渡されました。母は即座に家族全員分の紙を取り上げ、「どんなことがあっても生きるんだよ」と繰り返しました。
 たどり着いた祖国でも食料は不足していて、バッタやカエルはもちろん、犬や猫、ヘビも食べました。母は私たち子どもの成長を考え栄養のありそうなものを次々と与えてくれました。サンマが一匹手に入ったときは家族五人で分け合いました。母が命の大切さを教えてくれたからこそ、今の自分があると思っています。亡き母には感謝の気持ちでいっぱいです。”(8月3日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小野寺さん(82)の投稿文です。戦中戦後の苦しさである。引き揚げ者は特に大変だったであろう。今日本はコロナ禍で大変な事態であるが、この苦しさはそんなものではない。もしもの時のために青酸カリを渡されたという。こんなことは体験者じゃないと知らない。「バッタやカエルはもちろん、犬や猫、ヘビも食べました」と言われる。それにしても小野寺さんのお母さんは強かった。状況がそうさせたのであろうか。でも誰もがそうではなかったであろう。
 8月2日の中日新聞に「日本が戦後戦争をしなかった理由」のアンケート結果が載っていた。1番は「憲法九条があったから」で47%、2番は「戦争体験者や被爆者が悲惨さを訴えてきたから」で23%、3番は「日米同盟があったから」で14%とあった。この結果にはボクもうなずくところがある。特に2番をいいたい。この理由は大きいと思う。この投稿もそうである。実体験の話は心に響く。新聞社の意向もあろうが「発言」欄には戦争体験者の投稿が多い。しかし、今後ますます体験者は少なくなる。語れる人が減ってくる。2番の理由はまもなくなくなる。これをボクは憂える。今憲法9条を変える話もある。全体的に好戦的な方向に向かっている気がする。理由などどうでもつく。本音のところで何を思っているかである。


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