【ピンチはチャンス!と受けとめていこう。】
何十年も前、水飢饉のとき、愛の教育に生きた東井義雄先生の愛弟子の八ツ塚実先生が、「水のありがたさに気づくチャンスと受けとめていこう」とおっしゃった言葉が忘れられない。
コロナウイルスヘの恐怖が、世界を震憾させている。ウイルスに人種差別も国境も何もない。つまらない人間の小さな是非のモノサシをかなぐり捨て、手をとりあい地球環境をどうすべきかを本気で考えるチャンスではなかろうか。
地球ができて四十六億年、これを一年に換算して、現生人類が現れたのは十二月三十一日の夜の十一時過ぎだという。地球上で最も新参者の人類が登場して、地球環境を加速度的に悪くし、多くの弱小動物・植物を絶滅に追いこんでいるといえるのではなかろうか。
宇宙船地球号に乗りあわせた兄弟仲間達すべての幸せのために、人類はどうあるべきかを真剣に考えるチャンスと受けとめていきたい。”(4月14日付け中止)
「今週の言葉」から愛知専門尼僧堂長・青山さんの文です。前回の「話・話」 に通じる話です。ピンチだから本気でことを考えます。本気で考えれば思わぬことも考えつくでしょう。それこそ、チャンスというのです。困難に陥ったとき、ただ嘆いたり、人の責任にしたり、文句を言ったり、そんなこともしたくなるでしょうが、ただそれだけではその困難を乗り越えるのは難しいでしょう。自分もそれ相応の努力をしなければ乗り越えられません。その努力が思わぬ成果を生むこともあるのです。青山さんはそれを言いたいのでしょう。
このコロナウイルス騒動は生活を一変させています。今までの生活のありがたさがよく分かります。まずはそれに感謝です。そして、青山さんの文で人間の傲慢さを知ります。ここ数十年で、46億年かかって築いてきた地球資源を食い荒らしています。また人類の歴史の中でも、ここ数十年の変化はそれ以前と比較になりません。人類を、地球をどうすべきか、本気で考えるチャンスだと青山さんは言われます。でも、世のリーダーたちはこの時点でも、自国第一、党利党略、我が身保守で動いている気がします。こういう人たちは、この青山さんの文をどう読まれるのだろうか。
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