寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第2872話) 持続可能性

2019年11月19日 | 活動

  “JR飯田線に揺られ、愛知県新城市の「つくしんぼうの会」を訪ねた。規格外や未利用の農産物からジャムや焼き肉のたれなどを手作りし、道の駅のような産直施設に卸す、よくある農村女性のグループだと聞いていたのだが。
 発足は二十一年前。もともとは高齢者の家事援助や、ミニデイサービスなどを自治体から請け負う地域福祉のグループだった。「当初、ミニデイの昼食には仕出しを取っていました。残す人が多かった。ならばいっそ、自分たちで作ろうとー」。会長の荻野孝子さん(七七)はそう言って、一枚の古い写真を取りだした。ミニデイに集うお年寄りたちのスナップだった。「するとどうです、この笑顔。これ見ちゃったら続けていくしかないでしょう」と荻野さんも笑顔満開。
 補助金だけに頼っていては続かない。「ならば稼ぎましょうよ」と始めた加工品開発だった。住み慣れた街で最期まで安心して暮らしていくために「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」。自主と自立を身にまとう、つくしんぼうたちのモットーだ。「西の方で電力会社の社長でもやってみませんか」そう言うと荻野さん。返事はなしに、大笑い。”(10月27日付け中日新聞)

 「世談」から論説委員・飯尾さんの文です。最近の女性の進出には素晴らしいものがある。しかし、この「つくしんぼうの会」もう21年である。地域福祉のグループから今や企業のようである。その発展も素晴らしいが、続いていることが更に素晴らしい。当初立ち上げた人たちには熱意がある。でも続けるとなるといろいろな問題が生じてくる。それを乗り越えて安定期に入る。次に問題は次世代にうまく引きつげるかである。このつくしんぼうの会の人たちは、慣れた家事の延長であったろう。そこに無理はなかった。ここがうまくいった要因であろうか。
 高齢の女性の活動にはいつも驚ろかされる。これは長年家庭に縛られてきた反動だろうか。家事には様々な要素がある。その能力を生かす延長戦であれば後は心意気だけである。それに比べ、男性は定年までに意気込みを使い切ってしまったのか、その後がなんとなく淋しい。また定年後に生かす能力は、その前のものとは違うことが多い。また現役時代の立場が邪魔することもある。一生涯を見たとき、ボクは日本社会は女尊男卑と思っている。


コメントを投稿