“散歩用のスポーツシューズがかなり傷んできたため新たなものを求めてショップを訪ねた。店内にはカラフルな靴が所狭しと並べられていて私は黄色のシューズを手に取った。ふと六十年前の記憶がよみがえってきた。
小学校二年生だった。父が黄色いエナメルの靴を買ってきた。その靴で登校したら皆から「女の子の靴だ」とからかわれた。当時靴の色は男子は白か黒、女子は白か赤だった。それ以外の色はほとんど市中に出回っていなかった。その夜、「黄色い靴は皆にいじめられるからもう履かない」と私が言うと父は悲しそうな顔をした。翌朝、黄色い靴は白色になっていた。父がペンキで塗ったのだ。私は何事もなかったかのように白い靴を履いて学校に行った。”(5月20日付け中日新聞)
愛知県大府市のパート・相羽さん(男・68)の投稿文です。お父さんに買ってもらった黄色い靴がからかいの対象になり、その靴に白いペンキ塗って使ったと言われる相羽さん。時代は変わるなあ、とつくづく思う。今は靴だろうが衣服だろうが、男女の色の観念は大きく減ったであろう。この観念の固定が批判の的になったこともある。好きな色が選べる時代になった。ボクなど女性のカラフルな服装を見ると羨ましくなる。男もかなり自由になったといっても、勤めているときはあまり変わらない。スーツなど遠くから見れば皆同じようなものである。色も模様もわずかな違いしか無い。様々なのは遊び時と定年後である。今こそ謳歌したい。
相羽さんの話で面白いのは、白いペンキを塗って履いたと言うことである。今では子供とてとても履いてくれないだろう。やはり戦後という時代であったろう。
最近はジェンダーという言葉が「社会的、文化的な性差」として使われ、よく議論の対象になる。体質的に男女の差はあり、それから社会的文化的性差となる場合もあろうが、単に性差だけで差別するのは問題であろう。この問題は今後、いろいろな進展があろう。
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