寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3153話) 今の風呂

2021年06月10日 | 出来事

 “私が小学生だったその昔、家の風呂は五右衛門風呂でした。若い人が聞いたら「何、それ?」でしょうが、かまどに鉄釜を据え、下から火をたいて直接沸かす風呂のことです。現代のようなガスや電気でなく、まきや炭でたき付けます。私が入っていると「湯加減、どう?」と母が聞いてきました。シャワーなんてなく、頭を洗う際、母は洗面器で湯をかけてくれました。
 その頃、同居した祖父は足が悪くてトイレに行くのも大変で廊下にし瓶を置いていました。母が祖父をたまの風呂に入れてあげようとしたときのことです。風呂の脇につかまりながらしばらく気持ち良さそうな表情を浮かべた祖父ですが、いざ風呂から出ようとしたら足が動かなくなってしまって。母と私で引きずり出しましたが、祖父は「はあはあ」と苦しげでした。
 今なら介護施設もあり、足が動かない人でもリフト付きの機械で簡単に入浴できます。私は介護の仕事をしており、入浴の手伝いをすることもありますが、湯につかりながら「気持ちいい。よかったな」と言ってもらえるとこちらもうれしくなります。”(5月18日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の介護ヘルパー・出口さん(女・67)の投稿文です。昔の風呂のことを思い出すと今でもぞっとする。もちろん五右衛門風呂であったし、近所の3軒でもらい風呂をしていた。3軒が順番で風呂沸かし、その家に入りに行くのである。10数人が入るのである。かけ湯などしない。農業で汚れた体をそのまま沈めるのである。風呂の中は豆電球一つ、ほとんど何も見えない。多分最後の方は泥風呂であったろう。もらい風呂が解消したのは多分、水道が引けた小学6年の頃であったと思う。まだいろいろ語りたいことはあるが、それだけ風呂を沸かすというのは大変だったのである。そしてボクの家の五右衛門風呂は、ボクが家を改造した昭和57年まで続いた。娘も短い期間だったが、五右衛門風呂に入っていた訳だ。覚えているか一度聞いてみたい。
 その頃のことを思い出すと、今は天国だ。ボクの家は水道が引けてからずっと太陽熱温水器を使っている。これも昔に比べれば随分機能が充実し、ガスで加温するのは冬の間数ヶ月である。今など水に水を加える状態である。太陽熱温水器を利用している家庭も随分減った。一度村の中を歩いて数えてみたい。


コメントを投稿