寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3302話) もどってきて! 

2022年04月11日 | 出来事

 “朝、明るくなってから行ってみた。昨日、夫が落ちた場所へ。雪のまだ残った土の上に脚立が倒れていた。そこから奇妙で不規則な線が六十メートルほど続いている。骨折して鉛のようになった左足を引きずりながら地面を這った跡だ。春になると濃いピンクの花を咲かせるアーモンドの木。ここ数日、夫はヘルメットを被って、その高い木を剪定していた。まさか救急車を呼ぶことになるなんて。
 予定されていた手術終了時刻は、もうとっくに過ぎている。遅い。何か予期せぬことが起きたのだろうか。いつもふざけている私の横で、呆れてニヤニヤしている夫に二度と会えなくなったら・・・。体が震えてきた。「どうしよう」という言葉しか出てこない。もっと優しくできたのに、私は・・・。涙が次から次と出てくる。「大変な手術で長くかかってしまいましたが、無事に終わりました」と、医師からのありがたい電話があった。
 颯爽と自転車に乗って図書館に通う夫。どんなに暑くても「俺の夏だ!」と言って野菜をたくさん作ってくれる夫、大好きな日本酒を嬉しそうに飲む夫。そんな夫の姿を、また見られる。この家の中で笑ってくれる。そう思うと、また涙が次から次と流れてきた。さっきとは違った涙が。”(3月13日付け中日新聞)

 長野県豊丘村の主婦・原さん(65)の投稿文です。先回に続いて、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなった時の騒動である。当たり前と思っていたことは、本当はいろいろな人の助けと大きな幸運がついていたのだ。そうでなくなった時に始めて気づくのである。こんなことをいつも思って過ごすのは難しいが、1日に1回でもそんな時間を持つことはしようと思えばできるのである。ボクは多くの日、朝の散歩で神社寺院に参拝する。その時「生かされている」ことに感謝を述べることにしている。元気でおられるのは自分の努力だけではとても及ばない。その他の大きな力が働いているのである。こんなこと言えるようになったのはまだ数年前からのことである。
 庭で脚立に乗るのは本当に気をつけねばならない。多くのけがをした人を知っている。亡くなった人もある。まず不安定な地盤の上に立てる。よく場所をわきまえて設置する必要がある。そして乗っても気をつけねばならいことばかりである。ボクも庭木の剪定をするが、数年前にほとんどの木を背丈くらいの高さに切り落としてもらった。見かけは全く悪くなった。でも、これで脚立に乗る回数はグッと減った。危険は少なくなったが、それでも高齢者に剪定は危険な仕事である。


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