長崎県福江島の三井楽というところに、
「辞本涯」(じほんがい)とかかれた碑が建っている。
三井楽は、遣唐使船が最後に立ち寄った日本西端の地。
「辞本涯」は、遣唐使の一員となった空海の言葉で、
「本涯」を「辞」するで、日本を離れるという意味だそうだ。
(涯は崖(がけ)。さんずいが付いているので岸、みぎわの意)
三井楽の海。東シナ海をのぞむ何もない吹きさらしの大海原。
そこに「辞本涯」の碑は建っていた。
10年ほど前、この地を訪れたときの衝撃を綴っていた。
大海をのぞむ吹きさらしの荒野 漠として
先人の念を刻む石碑の他 何もない
辞本涯 凜と建ち
その深遠な大志 今に伝える
(H15.11.16)
あの当時は、海を渡ることは命がけ。
それでも成し遂げたいという志は、
あの大海原を前にしてひるむことはなかったのだろうか。
弱気になりそうな自分の心に向けて発した決意の言葉なのだろうか、
「辞本涯」
こんな碑も建っていた。
(万葉集の一首)
「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群」
-旅に出たわが子が、霜の降りる野で困るようなことがあったら、
どうか天の鶴たちよ、私の子どもをその温かい羽で守ってやっておくれ-
(「遣唐使ふるさと館」のジオラマ解説より引用)
大願をはたして無事に帰って来てくれと、祈るしかできない母親の切なる思いを
詠んでいる。