吉井勇が若き日に旅した「五足の靴」の足跡を辿るなかで崇福寺を訪ねたのですが、日が経つにつれ、無性にもう一度行きたくなったので昨日、再び崇福寺を訪ねました。
1回目に見落としていたところなど新たな発見もありました。また、売店の方とお話ができ、いろいろなことを教えてもらったことも収穫でした。
ただ、勇んで再訪したものの愛用のカメラを忘れるといいう失敗をしてしまい、今回の撮影はすべてスマホになってしまいました。ピントが合ってない写真もありますが、多くの写真を使って崇福寺の魅力をあらためて紹介したいと思います。
この赤い門が出迎えてくれます。「竜宮門」という言い方が直感的で好きなのですが、門が3つあるので「三門」ともいいます。
右の門
「吉祥」(めでたいことが起きる兆し)と書かれています。
左の門には「如意」
如意は、辞書によると「物事が自分の意のままになる不思議な力」という意味だそうです。
門の手前には唐寺らしく唐獅子が一対置かれています。
右 バックに「吉祥」
左 同じく「如意」
門の取っ手
これも唐獅子で不埒な考えを持っていると手を嚙まれそうです。現在はめてあるのはレプリカと聞いて安心しました。本物ならこれを盗んでいく不埒者もいるからです。
そして扁額
左に「隠元書」と確認できます。「三顧の礼」ならぬ4回の招請を受けて明から渡海されたあの隠元和尚の筆です。
こんな感じで、今回は「五足の靴」関連ではなく、崇福寺そのものの魅力をじっくりと紹介していきます。興味がある方はお付き合いください。
建物の位置関係がわかるように、あらかじめ「諸堂配置図」を紹介します。
(パンフレットの「崇福寺縁起」)
三門より長い石段を登っていきます。
高い角度から見る三門もこれまた趣深い!
石段の横にはいろいろな壁があります。
よく見ると、中国で縁起がいいとされる桃のレリーフが施されています。
石の隙間を埋めている漆喰がいい味を出しています。
中にあるお堂
屋根に生えた草がこれまたイイね!
そして、あの「第一峰門」
これやこの朱塗りの壁の唐づくり沙門即非の額のある寺(吉井勇)
扁額
左に「即非」のサイン
にわか即非ファンの私にはたまりません。
周囲は四手先三葉栱の精巧な組み物
門の裏に回ると
これまた中国で縁起が良いとされる牡丹とコウモリのレリーフがしてあります。
ゴージャス!
もったいないので、もう一度表に回りました。
門の右側に書かれているのは
「天宮海闊無雙地」
意味は「佛の心は天海のごとく広いまたとない処」だそうです。売店の方に教えてもらいました。
同じく左側は
「虎伏龍帰不二門」
意味は「虎が伏して龍が帰ってくる二つとない門」
反対側の扁額
さて、この意味は…
私なりには「海」は仏法界の法の海、「境」は寺の境内の意として、修行するには「天にもにた華のような適地」と解釈したのですが、詳しい方がおられたら教えてください。
護法堂
あそこにも「コウモリ」
関羽堂
「三国志」の英雄・関羽が祭ってあります。
ただ、関羽は「美髭公」と別名があるほど長く美しい髭がトレードマークなのですが、この関羽には髭がないように見えるのですが…。写真でも暗くて確認できません(ピンぼけ)。
観音堂
天王殿
きりりとした韋駄天が祭ってあります。
鐘鼓楼
鐘
唐寺の鐘の音にもうなだれてさすらいびとは涙ながしむ(吉井勇)
大釜
長崎が大飢饉に襲われた際にこの大釜で粥を炊いて多くの難民を救ったそうです。この大釜は一度に3000人分の粥が炊けたそうです。詳しくは下の写真に。
釜には「崇福禅寺」の文字
媽祖堂門
ここにも「コウモリ」
大きな魚板がありました。
場所がパンフレットの「諸堂配置図」に載っているぐらいなので有名なのでしょう。
もの思へば魚板の音もうらがなし海西法窟の春のゆふぐれ(吉井勇)
この魚板には作られた日が刻んでありました。
「辛卯」
さて、いつの辛卯なのかと思ったら
「天保二年」と。
1831年の干支は「辛卯」で間違いありません。
媽祖堂
媽祖堂内部
隣にある開山堂
その扁額
これは前回見落としていました。これには「開祖沙門即非書」としっかり書いてあるではありませんか。にわか即非ファンの私は欣喜雀躍、思わず拳を握りしめました。
「開祖沙門即非書」
開山堂の中
大雄宝殿(崇福寺の大雄宝殿は国宝)
額の「海西法窟」は千凱の書
大雄宝殿の「大雄」は釈迦のことですので、中には釈迦如来像が祭ってあります。
(お顔は少し大陸風か)
両サイドには羅漢さん
向かって右側
左側
「十八羅漢」だそうです。
最後に立ち寄った売店
店主は中国三世の女性の方で、以前は長崎大学の近くでちゃんぽん屋をしていたそうですが、今はここでお土産屋をされています。
話をする中で、いろいろなことを教えてもらいました。第一峰門の両側の文字の意味もそうです。私と同じように尋ねる人がいるのでしょうか。次のカードを見せながら説明してくださいました。
最近は少しずつ参拝者が増えてきて良かったとも言われていました。3年前のコロナが流行りだした頃は参拝者も少なく、1日に20人程だったそうです。その時から入り口の受付は閉まったままで現在に至っています。
今も閉まっている受付
拝観料は賽銭箱へ
コロナが少しおさまりだした1年前から、拝観料は賽銭箱に自主的に入れてもらうようになったそうです。
入るときにはあまり気に留めなかった無人の受付でしたが、帰りにその横を通るときは何とも言えない悲しい気持ちになりました。
コロナの収束を願うばかりです。
1週間と間をあけずに再訪した崇福寺、今は静かにコロナの禍に耐えているようでしたが、崇福寺は吉井勇が訪ねた頃と変わらぬ魅力にあふれていました。
1回目に見落としていたところなど新たな発見もありました。また、売店の方とお話ができ、いろいろなことを教えてもらったことも収穫でした。
ただ、勇んで再訪したものの愛用のカメラを忘れるといいう失敗をしてしまい、今回の撮影はすべてスマホになってしまいました。ピントが合ってない写真もありますが、多くの写真を使って崇福寺の魅力をあらためて紹介したいと思います。
この赤い門が出迎えてくれます。「竜宮門」という言い方が直感的で好きなのですが、門が3つあるので「三門」ともいいます。
右の門
「吉祥」(めでたいことが起きる兆し)と書かれています。
左の門には「如意」
如意は、辞書によると「物事が自分の意のままになる不思議な力」という意味だそうです。
門の手前には唐寺らしく唐獅子が一対置かれています。
右 バックに「吉祥」
左 同じく「如意」
門の取っ手
これも唐獅子で不埒な考えを持っていると手を嚙まれそうです。現在はめてあるのはレプリカと聞いて安心しました。本物ならこれを盗んでいく不埒者もいるからです。
そして扁額
左に「隠元書」と確認できます。「三顧の礼」ならぬ4回の招請を受けて明から渡海されたあの隠元和尚の筆です。
こんな感じで、今回は「五足の靴」関連ではなく、崇福寺そのものの魅力をじっくりと紹介していきます。興味がある方はお付き合いください。
建物の位置関係がわかるように、あらかじめ「諸堂配置図」を紹介します。
(パンフレットの「崇福寺縁起」)
三門より長い石段を登っていきます。
高い角度から見る三門もこれまた趣深い!
石段の横にはいろいろな壁があります。
よく見ると、中国で縁起がいいとされる桃のレリーフが施されています。
石の隙間を埋めている漆喰がいい味を出しています。
中にあるお堂
屋根に生えた草がこれまたイイね!
そして、あの「第一峰門」
これやこの朱塗りの壁の唐づくり沙門即非の額のある寺(吉井勇)
扁額
左に「即非」のサイン
にわか即非ファンの私にはたまりません。
周囲は四手先三葉栱の精巧な組み物
門の裏に回ると
これまた中国で縁起が良いとされる牡丹とコウモリのレリーフがしてあります。
ゴージャス!
もったいないので、もう一度表に回りました。
門の右側に書かれているのは
「天宮海闊無雙地」
意味は「佛の心は天海のごとく広いまたとない処」だそうです。売店の方に教えてもらいました。
同じく左側は
「虎伏龍帰不二門」
意味は「虎が伏して龍が帰ってくる二つとない門」
反対側の扁額
さて、この意味は…
私なりには「海」は仏法界の法の海、「境」は寺の境内の意として、修行するには「天にもにた華のような適地」と解釈したのですが、詳しい方がおられたら教えてください。
護法堂
あそこにも「コウモリ」
関羽堂
「三国志」の英雄・関羽が祭ってあります。
ただ、関羽は「美髭公」と別名があるほど長く美しい髭がトレードマークなのですが、この関羽には髭がないように見えるのですが…。写真でも暗くて確認できません(ピンぼけ)。
観音堂
天王殿
きりりとした韋駄天が祭ってあります。
鐘鼓楼
鐘
唐寺の鐘の音にもうなだれてさすらいびとは涙ながしむ(吉井勇)
大釜
長崎が大飢饉に襲われた際にこの大釜で粥を炊いて多くの難民を救ったそうです。この大釜は一度に3000人分の粥が炊けたそうです。詳しくは下の写真に。
釜には「崇福禅寺」の文字
媽祖堂門
ここにも「コウモリ」
大きな魚板がありました。
場所がパンフレットの「諸堂配置図」に載っているぐらいなので有名なのでしょう。
もの思へば魚板の音もうらがなし海西法窟の春のゆふぐれ(吉井勇)
この魚板には作られた日が刻んでありました。
「辛卯」
さて、いつの辛卯なのかと思ったら
「天保二年」と。
1831年の干支は「辛卯」で間違いありません。
媽祖堂
媽祖堂内部
隣にある開山堂
その扁額
これは前回見落としていました。これには「開祖沙門即非書」としっかり書いてあるではありませんか。にわか即非ファンの私は欣喜雀躍、思わず拳を握りしめました。
「開祖沙門即非書」
開山堂の中
大雄宝殿(崇福寺の大雄宝殿は国宝)
額の「海西法窟」は千凱の書
大雄宝殿の「大雄」は釈迦のことですので、中には釈迦如来像が祭ってあります。
(お顔は少し大陸風か)
両サイドには羅漢さん
向かって右側
左側
「十八羅漢」だそうです。
最後に立ち寄った売店
店主は中国三世の女性の方で、以前は長崎大学の近くでちゃんぽん屋をしていたそうですが、今はここでお土産屋をされています。
話をする中で、いろいろなことを教えてもらいました。第一峰門の両側の文字の意味もそうです。私と同じように尋ねる人がいるのでしょうか。次のカードを見せながら説明してくださいました。
最近は少しずつ参拝者が増えてきて良かったとも言われていました。3年前のコロナが流行りだした頃は参拝者も少なく、1日に20人程だったそうです。その時から入り口の受付は閉まったままで現在に至っています。
今も閉まっている受付
拝観料は賽銭箱へ
コロナが少しおさまりだした1年前から、拝観料は賽銭箱に自主的に入れてもらうようになったそうです。
入るときにはあまり気に留めなかった無人の受付でしたが、帰りにその横を通るときは何とも言えない悲しい気持ちになりました。
コロナの収束を願うばかりです。
1週間と間をあけずに再訪した崇福寺、今は静かにコロナの禍に耐えているようでしたが、崇福寺は吉井勇が訪ねた頃と変わらぬ魅力にあふれていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます