TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

冬の天山山頂 そこで見たものは…

2017年01月29日 | 山(県外)
本ブログは「TENZANBOKKA」とローマ字表記していますが、その根っ子にあるもはいうまでもなく「天山歩荷」です。今回は久しぶりに本ブログの原点ともいうべき天山に登ってきました。車でしたが、天山歩荷時代の足跡をたどってきました。


歩荷はここから始まります。「天山宮前」のバス停前にそびえる大鳥居、そしてその奥に秀峰天山が…


当時は、夏合宿に向けてのトレーニングの一環として天山歩荷を行っていました。
炎天下の7月、砂を詰め込んだキスリングを背負い、バス停からあの山頂を目指したのです。


バス停付近から見る天山の勇姿


「うん?」山頂が白いような…


山頂に残る雪は目視できました。レンズでズームアップするとさらにはっきりと。


冬枯れの晴気川と天山  郷愁がこみ上げてくる光景



1合目と言っていた「天山神社」


ここの木陰で1回目の休憩をとっていましたが、初めて歩荷を経験する1年生はそのほとんどがここまでにバテまくっていました。「本当に山頂まで行けるのだろうか…」
そんな1年生の事情には関係なく、ここから天山への急登が始まるのでした。


神社からの道 大きく左カーブの後、車道をそれてみかん山の小径へと入っていきました


みかん山…
当時の苦い記憶が蘇りました。暑さにやられ一人バテ狂い、水ポリの水を飲み尽くした私は、山中を流れる小川に顔を突っ込んでその水をがぶ飲みしたのでした。封印していたあの時の記憶…


そして川内分校跡



-タイムスリップ-  1979年・冬 追い出しワンデリング


テントを設営しているのが同じく川内分校
よく見ると大先輩の三浦さんや平石さんが…
当時のテントも懐かしいね、カマ天、ウインパー、リー棒…


廃校を後に8合目の駐車場を目指しましたが、途中から雪道に変わりました。
先日の多良岳で苦い思いをしたので、今回は無理をせず途中から歩いて行くことにしました。天山歩荷にくらべればそれくらい屁でもない。


天山上宮橋 ここからショートカットしようと思ったら…


以前はこの橋の手前から上宮につながる登山道があったのですが、今は消滅しているみたいでした。


仕方なく、車道を歩き天山上宮駐車場に着きました。



雪が残る上宮


雪だるま(4つ)


池 ずいぶん厚い氷がはっていました。


伝説の石室


大雪に遭った先輩達が、この小屋に避難して天気の回復を待ったという小屋は当時のまま。この中で作って食べたラーメンが美味しかったという。そのときは登山道から外れたら胸まで埋まるような吹きだまりがあったとか。


本日の昼食


風がなく天気がよかったので外のテーブルで食べる事にしました。大雪の中、石室でのラーメンにも憧れたのですが…

こんな感じ



-タイムスリップ-

同じく池のほとり(1979年・冬 追い出しワンデリング)
当時6年生、5年生の畏れ多い先輩達の姿も…

昼食を終え山頂を目指します。
筆者が山頂で見たものとは何か…




そして山頂



「郷土神守」「鎮護…」
この肥前国は私が守るとばかりに四方に目を光らすカラスが一羽


そういえばカラスは昔から神の御使いと言われていますが…
このカラス凜として、どこか威厳が漂っていました。




山頂で見た驚愕のものとはこのカラスじゃなく…


思わず「えっ!」


この真冬に、上半身裸で日光浴?
佐世保から来たという若者(アメリカ人)。この、後彦岳を目指すということで彼は小走りに去って行きました。




そういえば私たちも、人が見たら「えっ!」と思うようなことを真剣にやっていました。
天山歩荷しかりです。

「なんで山に登ると?」

あの頃、山が好きかと尋ねられたら私の場合、答えに窮したと思います。

「なして山に登ると?」という素朴な級友からの問いに
「山は好かん。好かんけん登っと」

今は亡き同期の末永は、笑顔でそう級友に答えていました。
ただ、末永はその言葉とは裏腹に山を深く愛していました。

私が山が好きになったのは最近のことです。
あの頃は、山というより、共通の目標に向かって「えっ!」というようなことに熱く立ち向かっていたワンゲルとその仲間達が好きだったのでしょう。


-タイムスリップ-  (1979年・冬 追い出しワンデリング)


蘇る
あの日あの峰遠い道
燃ゆる思いを胸に秘め
友と登りし天山は
今も心に映えて立つ
涙染み込む熱き山


当時作っていた詩を一部修正しました。
冬の天山に登ってみて、あの頃の幻影を見る思いがしました。
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