天使幼稚園

カトリックの精神に基づいて未来を生きる子どもたちを育てます

<園長だより「風」12月号>一生勉強 一生青春

2023年11月24日 08時00分00秒 | 園長だより
 先日NHKの「プロファイラー」という番組で、伊能忠敬の人生を紹介していました。

 1745年、千葉県九十九里浜で生まれた忠敬は、酒造業や金融業、運送業を営む伊能家の養子になり、その才覚によって店を繁盛させました。伊能家の蔵には、先祖が書いた運送業に係る多くの資料が残っていました。それをまとめた先祖は、商売を隠居した後、それらの編纂に取り組んだという事を知った忠敬は、年をとってもできることがあるものだと感心したそうです。

 そして忠敬自身も49歳の時家督を長男に譲り、江戸に出て天文学者の高橋至時と出会い、師と仰ぎます。当時、天文学の世界では地球の円周がどれくらいなのかということに大きな関心が持たれていました。それを求めるためには子午線一度の距離を求めることが必要です。より正確な距離を求めるためには江戸と蝦夷(今の北海道)までほどの距離を調べる必要があるということから、高橋至時の助けを得て、幕府に蝦夷地の測量を申し出、それを認めてもらうことができました。こうして忠敬の測量の旅が始まりました。

 忠敬は55歳から73歳になるまで、繰り返し繰り返し測量の旅に出かけでデーターを集め、その死後、地図作りを受け継いだ弟子たちの手によって、1821年、実測による「大日本沿海輿地全図」が完成しました。忠敬が測量で歩いた距離は、地球1周分の4万kmほどにもなるそうです。忠敬は旅の途中娘に送った手紙に「地図作りは自分の天命だ」と書いて送っていました。

 今年の6月「美の巨人たち」という番組では、アンリ・マティスを取り上げていました。

 1869年にフランスで生まれたマティスは「色彩の魔術師」といわれる20世紀を代表する画家の一人です。多くの意欲的な作品を生み出してきたマティスでしたが、72歳のとき大病を患い、絵筆を握って大きなキャンバスに向かうことが難しくなりました。しかし、芸術の道をあきらめることなく、ベッドの上でもできる「切り絵」に可能性を見出し、新たな作風を作り上げました。

 マティスの介護を行っていたモニーク・ブルジョアがシスターになったことが縁になり、マティスはその集大成となる、ヴァンスのロザリオ聖堂の内装やステンドグラスのデザインに取り組むことになりました。以前のような体力がないマティスは、座ったまま長い棒の先に筆を結び付けて、絵を描きました。真っ白な壁に描かれた線描画。そこには「色彩の魔術師」と呼ばれたマティスの鮮やかな色は全くありません。ところが南仏の暖かな日差しがステンドグラスを通して壁に映ると、そこには美しい色があふれてくるよう設計されていました。光が聖堂の奥にまで差し込む冬の午前11時頃が最も美しい光景が広がるとのこと。マティスの作品の集大成らしいすばらしい聖堂になりました。

 今日紹介した二人の偉人に共通しているのは、年を取ったり逆境にあったりしたとしても、常に自分ができることを模索し向上する信念を持っていることでした。

      私がこの世に生れてきたのは 私でなければできない仕事が
         何かひとつこの世にあるからなのだ (相田 みつを)

どんな環境にあっても、自らに与えられた才能を活かすことができるように工夫をし、努力を重ねる。そこに新たな可能性が生まれていきます。

 相田みつをさんの言葉の中に「一生勉強 一生青春」というものもあります。学ぶ意欲を持ち、日々学び続ける人は、いつまでも若さを失わない。示唆に富んだことばです。忠敬やマティスのように年を取ったり、体が思うように動かなくなるのを待つまでもなく「わたしでなければできない仕事」を見つけ取り組むことが、全ての人の生き生きとした人生に求められているのではないでしょうか。
              (園長 鬼木 昌之)


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