天使幼稚園

カトリックの精神に基づいて未来を生きる子どもたちを育てます

<園長だより「風」7月号>花もいろいろ ~関心を持って調べる力~

2024年06月24日 08時00分00秒 | 園長だより
 今年も梅雨の季節がやってきました。梅雨といえばアジサイ(紫陽花)。あちらこちらで、紫やピンク色の花が咲き誇っています。こんもりと咲いたアジサイの花。でも、花のように見える部分は、実は花ではなく、「装飾花」といって「額」が変化したものです。その装飾花をかき分けてみると、ひっそりと咲いている「真花」を見つけることができます。そこには小さなおしべやめしべ花びらがついています。このアジサイの名前は、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」から来たとする説が有力とのこと。「紫陽花」の文字は、中国で紫色の花を咲かせる花を「紫陽花」と呼んでいたことから、日本に咲く紫色のこの花を「紫陽花」と名付けたとされています。

 この時期にはアジサイだけではなく、ユリ(百合)やカンナの花もあちらこちらで見ることができます。

 ユリは6枚の花びらがあるように見えますが、外側の3枚はがく片で「外花被(がいかひ)」と呼び、内側の3枚が「内花被(ないかひ)」と呼ぶ花びらです。ユリという名前は、茎が長く風が吹くとゆらゆらと揺れる様子から名づけられ、「百合」という漢字は球根の鱗片がたくさん重なっているところからきているとのこと。

 カンナの花を観察すると不思議な形をしています。花びらのように見えるのは、雄しべが変形したもので、その中の一番内側の1本だけが花粉をつけるそうです。カンナという名前は茎が筒状になっていることから、古代ケルト語の杖を意味する「Cana」から、あるいは同じように筒状の茎を持つ葦を意味するラテン語の「Canna」からきているという説などがあるそうです。

 「花の絵を描いて」と言われたとき、みなさんだったらどんな花を描くでしょうか。一般的にはキクの花のように中心におしべとめしべがあり、たくさんの花びらがその周りを囲んでいる花や、チューリップのような地面から茎を出しその脇から葉が伸び、一番上に花が咲いているものを描くことが多いのではないでしょうか。でもひとことで花といっても、このように多くの形状の花があふれています。ただ、この2つの花以外の絵を描くのは難しそうですね……。

 昨年、NHKの連続テレビ小説「らんまん」で取り上げられた牧野富太郎博士は、1928(昭和3)年、雑誌の取材で、記者が「雑草」という言葉を口にした時、「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。」と話されたそうです。また、1965(昭和40)年頃、生物分類学をテーマとして研究していた昭和天皇は、庭の手入れをした職員が「雑草が茂ってまいりましたので、お刈りいたしました。」と報告をした時、「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」と注意なさったというエピソードも残っています。

 日々何気なく眺めている草花ですが、このように様々な形状を持ち、さらに一つひとつ名前を持っているのです。何も知らずに興味や関心を持たずに過ごすのではなく、身近な草花を注意深く観察し、「何だろう?」「なぜ?」「どうして?」という疑問を持ち、その問題を解決しようとする姿勢。それが、これから育ちゆく子どもたちにとって欠かせない、学びの原動力となるものです。

 登降園時、あるいは日々の生活の中で、草花や樹木を細やかに眺め、その特徴を他の草花と比べてみたり、名前を調べたりできると良いですね。さらに草木だけではなく、生き物や町の様子などに関心を広げていくことを通して、「自ら伸びる力」を育んでいくことができればと願っています。
                (園長 鬼木 昌之)

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<園長だより「風」6月号>匂いの記憶・匂いの力

2024年05月23日 08時00分00秒 | 園長だより
 先々週は母の日の集い、先週は親子遠足、そして今週は保育参観に足をお運びくださり、ありがとうございました。お家の方と一緒に過ごす子どもたちの嬉しそうな笑顔。コロナが5類に移行されてから2回目の春。こうしたふれあいの時間を普通に持つことができることの恵みを、改めて感じているところです。

 ♪ おか~さん な~に おかあさんって いいにおい
     せんたくしていた においでしょう しゃぼんのあわの においでしょう♪
       (作詞:田中ナナ / 作曲:中田喜直)

 母の日の集いで子どもたちがプレゼントした「おかあさん」の歌。1954(昭和29)年に発表され、今でも歌い継がれているこの曲の作詞者田中ナナさんが、この詩を作るきっかけを次のように語っておられます。

 田中さんの妹さんが、ご主人の仕事の関係で、幼い娘ルビーちゃんをおばあちゃんに預けてフランスに渡りました。1年後に帰国したお母さんに会ったルビーちゃん。でも、お母さんの顔を忘れていて、おばあちゃんにしがみついてしまいました。その時、おばあちゃんが優しく「ほらママよー。いいにおいがするでしょう。」と声をかけると、ほのかなママの香りをかいだルビーちゃんが「ママ!」と笑顔になってママに飛びついたそうです。「においが結ぶ親子の絆。そのすごさを、歌で伝えたかったんです」と。<朝日新聞2010(平成22)年1月1日号より>

 生き物にとって、匂いは生死がかかった大切な情報です。花は香りを漂わせ、昆虫たちを引きつけて花粉を運んでもらいます。世界で一番大きい花として知られ、神代植物公園にもあるショクダイオオコンニャクは、腐った肉のような強烈な悪臭を出して虫を呼んでいます。芳香であれ悪臭であれ、それぞれの植物に必要な虫を、その匂いで誘っています。動物も、くだものやエサになる生き物の匂いを嗅ぎつけて、食べ物を得たり獲物を探したり、反対に敵から逃れることができたりしています。私たち人間も、今は食品の安全性が厳格に管理され、賞味期限や消費期限が定められていますが、かつては食べ物の匂いを嗅いで、腐った臭い、酸っぱい臭いがするものは食べられないけれど、そうでなければ食べられると判断していました。

 最近では匂いによる癒しの効果が、大きく認識されるようになりました。私たちは日ごろ視覚や聴覚から得られる情報を、大脳新皮質を使って考えたり判断したりしています。しかし、嗅覚の情報は、感情や直感に関わる大脳辺縁系にダイレクトに届きます。さらにその情報は脳の視床下部に伝わり、人間の生理的な活動をコントロールする自律神経系・ホルモン系・免疫系に影響を与えます。その効果に目を付けたのが、エッシェンシャルオイル(精油)を活用したアロマセラピー(英)<アロマテラピー(仏)>で、リラクゼーションを与えたり、病気の治療や症状の緩和に利用されたりしています。

 目で見ることができる視覚情報は、写真やビデオで記録し、繰り返し見ることができ、耳で聞く聴覚情報も、同じビデオや録音機器によって残すことが可能です。でも、嗅覚情報である匂いや香り、触った時に感じる触覚情報、そして舌で味わう味覚情報は、現在のところ、記録しいつでも確かめることはできないものです。

 再現が難しい嗅覚情報だけに、意識していないとつい忘れがちになってしまいます。さらに、人は同じ匂いを嗅ぎ続けると、だんだん慣れて、匂いを感じにくくなるという傾向があります。でも、わたしたちの身の回りにはたくさんの匂いがあふれています。花の香り、雨が降り始めた時の独特の香り、登降園時に通る街の匂い、お料理しているときのお家の匂い、さらには毎日通っている幼稚園の匂い、等々。時々嗅覚を研ぎ澄まし、身の回りの匂いを感じてみませんか。何か懐かしさを感じたり、感情が動かされたりする体験ができるのではないでしょうか。
         (園長 鬼木 昌之)


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<園長だより「風」5月号>共に歩む

2024年04月24日 08時00分00秒 | 園長だより
 53人(年少51人・年中1人・年長1人)の新しい園児を迎えて2024年度がスタートしました。朝、お家の方から離れる時に「ママがいい~」と淋しくなってしまっていた年少さんも、お弁当を食べるころには、ニコニコ笑顔が見られるようになっています。昨年度仲が良かった友だちと別々のクラスになって、ちょっぴり残念そうにしていた年中さんや年長さんも、新しいクラスの中で、親しい友だちができ始めています。社会の中でも天使幼稚園でも、新しい出会いが生まれている新年度です。

 ♪ いちねんせいに なったら いちねんせいに なったら ともだちひゃくにん できるかな ♪(「いちねんせいになったら」作詞:まどみちお / 作曲:山本直純) 

 小学校に入学する子どもたちの思いを歌ったこの曲にも表れているように、新しい環境に飛び込む時に心配なことの一つが、どんな人がいるのかな? 新しい人たちと馴染むことができるかな? 出会った人たちと仲良くできるかな? という、人との出会いに関することです。家族という親しい人だけの中で育ってきた、幼稚園に入った子どもたちにとって、見ず知らずの大勢の人との出会いは、大人が感じるよりも、もっと大きな壁になるものです。でも、その壁を乗り越えて、時にはぶつかったり、時には助けられたり助けたりしながら、友だちとのより良い関係を築いていくことが、人としての成長につながっていきます。

 その出会いや交わりの中で、子どもたちの心の中に大切に育てていきたいのが「共に歩む」という思いです。周りの人から多くの手助けをしてもらいながら成長してきた子どもたちは、幼稚園という社会に飛び込み、してもらうだけではなく、自分も人のために何かをしてあげることができるという体験を重ねていきます。

 ♪ 喜びが 大きくったって 自分だけなら 喜びはただひとつ 増やせはしない
   喜びは みんな一緒に 味わうものさ 喜びを分け合って 大きくしよう
   なんにもなくても 嬉しいこころ みんなで生きてる 楽しいこころ
  苦しみが 大きくったって 心配せずに 苦しみはみんなで 乗り越えようよ
   苦しみに 友よその手を貸してあげよう 苦しみを分け合って 小さくしよう
   なんにもなくても 嬉しいこころ みんなで生きてる 楽しいこころ ♪
(「嬉しいこころ楽しいこころ」末吉良次 / フランシスコ会のブラザー)

 自分の思いを強く主張する「イヤイヤ期」を乗り越えてきた子どもたち。いつでも自分の思い通りにすることはできないということを学んだり、自分を援けてくれる人がいることに気付いたり、周りの人のために何かしてあげることに喜びを感じたりしながら、新しい人間関係を築いています。

 ただ、日々の生活の中、子どもたちは何となくそのことを感じてはいても、理解するところまで昇華できずにいるものです。このような体験があった時に、「嬉しいことをみんなで一緒にお祝いすると、もっと嬉しくなるね。」と喜びの共有に気付かせることや、悲しい思いをしている人や困った人を助けた時、相手の重荷が軽くなったことを伝えることを通して、子どもたちに「共に歩む」ことの意味を教えることができるもの。その役目を担っているのが、保護者の皆さんや幼稚園の先生、そして周りにいる大人たちです。

 身近な幼稚園の友だちとのふれ合いの中で、「共に歩む」ことの大切さや喜びを学んだ子どもたちが、やがて地域に目を向け、地域の方々と「共に歩む」ことを始め、その視線を国内、そして世界へと向けていき、世界中のだれとでも「共に歩む」世界を築いていってほしいと願っています。

 見よ、兄弟が共に座っている なんという恵み、なんという喜び。(詩編133-1)
                 (園長 鬼木 昌之)

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<園長だより「風」4月号>自ら伸びる力を育む

2024年04月08日 08時00分00秒 | 園長だより
 コロナによる制約がなくなって初めて迎える新年度のスタート。テレビのニュースでは、新入社員が一堂に会した入社式や、大勢が集まって会食をするお花見の様子が伝えられていました。天使幼稚園でも、年間行事や諸活動の計画をコロナの心配をせずに立てることができるようになりました。ただ、コロナ対策が必要な期間中、今まで通りにできないことが増えたことは不自由であったものの、それぞれの行事や活動のねらいを振り返り、何のためにしているのか、そのねらいを達成するためにはどうするかを考える良いきっかけともなりました。

 コロナの感染者が多かった一昨年度は、子どもの内面に目を向け「発見する喜び・成長する喜び」という目標を掲げ、5類に移行されることが決まった昨年度は、それまで十分にできなかった子どもたちの交わりを深めるために「援け合い・学び合い」という目標を立てて園生活に取り組んできました。新年度を迎えるにあたり、その成果を確認するため、職員でこれまでのあゆみの振り返ってみました。

 クラスで一緒に野菜や花を育て、水やりをしたりその成長を見守ったりする中、自然に目を向ける子どもたちが増えてきました。その子どもたちの興味関心をさらに高めることができるよう、園内の樹木や花に名前を記すことにも取り組んでいます。野菜が苦手な子どもが自分で育てたミニトマトをかじってみる姿も見られました。カマキリを飼ったクラスでは、カマキリが生きていくために、小さな生きている虫が食べられて死んでしまい、カマキリの体の一部になることを通して、食の意味や生命の尊さなどを学んでいました。また、砂遊びのルールを見直し、砂を運び出したり水を使ったりすることができるようにした結果、泥だんごを作って遊んだり、砂や草花を使ってお店屋さんごっこをしたりと、遊びの範囲が広がり、さらに水道から水を運ぶ人、砂を掘る人など、役割を分担しながら援け合う姿も多く見られるようになりました。

 年長さんを中心に、話し合いの場も多く設けました。5月のこいのぼりの共同制作の頃は、まだまだ先生のリードが必要だったものの、3学期のお店屋さんごっこの商品作りの話し合いでは、一緒に作る年少さんのことを考え「これならできる」「これは難しい?」と小さい人への配慮もできるようになっていきました。初めのころ自分の意見を押し通しがちだった子が、周りの意見を聞いてまとめ役ができるようになるといった成長もみられました。

 さらに音楽教室や絵の具遊び、ハロウィンパーティーを取り入れたり、モンテッソーリのおしごとの提供を増やしたりと、子どもたちが多様な活動の中で、それぞれの持っている力を伸ばすことができるようにしてきました。

 こうして子どもたちの主体性を育んできた2年間のあゆみをベースに、今年は「自ら伸びる力を育む」ことを目標に掲げました。

 モンテッソーリ教育の基本は「子どもには自己教育力がある」という考え方です。子どもたちは、周りの環境に刺激を受け、いろいろなことができるようになっていきます。言葉にしても日々生活をする中で「どこでその言葉を覚えたの?」と周りの大人がびっくりするということもよく体験するものです。ただ、子どもが自由気ままに過ごしていても、自ら伸びることにつながるということではありません。そのために必要なことが、周りの環境を整えることです。子どもたちが、変化が激しい未来を生きるために必要な力は何か、そしてその力を養うためにどのような環境で過ごすことが好ましいのか、それを見極め準備するのが周りにいる大人に与えられた課題なのです。

 この1年間、子どもたちに必要な力を伸ばすための環境作りを工夫して行事や活動に取り組み、一人ひとりの伸びる力を養っていきたいと思います。そのためには、保護者の皆様方のご協力も欠かすことができません。保護者の皆様と幼稚園とが一緒になって子どもたちの成長を育むことができるよう、今年度もどうぞよろしくお願いしたします。
          (園長 鬼木 昌之)
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<2023卒園文集>できるようになったよ

2024年03月19日 08時00分00秒 | 園長だより
 2021年4月。コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、マスク生活が続く中、みなさんは天使幼稚園に入園してきました。感染を予防するため多くの制約がある中での幼稚園生活のスタートになりました。お誕生会は大勢の人が集まるのを避けるため、誕生日の人だけ集まって、園長先生の「でかでか紙芝居」を見てもらいました。運動会は3クラスずつ2日に分けて開催。秋の遠足の代わりに「おむすびころりん」の人形劇の鑑賞教室を開きました。でも12月のクリスマス会は年少さん全員で「サラダでげんき」の劇をすることができました。

 年中さんになった時もまだコロナウイルスの流行は続いていましたが、先生たちは知恵を出し合いながら感染対策を講じ、遠足を再開するなど、前の年にできなかったことを少しずつできるようにした1年間でした。

 そのころのみなさんは、「ぼく4さい。」「わたしも、4さい。」と、よく自分の年を教えてくれました。また、「ねんちゅうさんだから、できるようになったよ。」と、年中さんになってからできるようになったことを、たくさん話してくれました。一人ひとりの成長の様子を見ても、できることがいっぱい増えていました。

 それから1年以上が経ち、みなさんができるようになったことは、もっともっと増えていますね。日本地図のおしごとが終わり世界地図に取り組んだ人。難しい折り紙がすいすいできるようになった人。鉄棒で前回りだけでなく、逆上がりもできるようになった人やボールを投げたり取ったりするのが上手になった人。また、自分でたくさんの本を読むことができるようになった人やお友だちがいっぱい増えた人……。この1年を振り返ってみると、できるようになったことがいっぱいいっぱい見つかるのではありませんか?

 4月からみなさんは1年生。幼稚園時代とは時間の使い方も、勉強への取り組み方も大きく変わります。さらに学年が進むにつれて、それまでは、新しいことに挑戦しても簡単にできていたことが、だんだんできるまでに時間がかかったり、できなくなったりする経験が増えていきます。

 でも、簡単にできないことが増えてきた時こそが、みなさんにとって大きく成長するチャンスです。

 「人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です。」

これは本田技研工業の創立者、本田宗一郎さんのことばです。困難に出会ったとき、そこであきらめることなく、どうすればできるようになるかを考えたり、先生やお家の方、友だちに相談したりしながら、「絶対にできるようになるぞ。」という強い心を持って取り組むことを通して、困難を乗り越える力がついていきます。そして、その力が、みなさんがおとなになった時に役立つものです。

 マザー・テレサは、私たちに神さまからのメッセージを伝えてくれています。

「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」

できるようになることではなく、できるようになるために挑戦すること、そして努力することこそ大切だという教えです。

 小学校に入ってから、そして中学校、高等学校、大学などに進む中、たくさん困難なことに出会っていくことでしょう。でも、そこで負けることなく、自分にはできるようになる力があるんだと自分を信じ、高い目標に向かって進むことを続けてみてください。

「夢見ることができれば、それは実現できる。いつだって忘れないでいてほしい。」(ウォルト・ディズニー)

          (園長 鬼木 昌之)
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<園長だより「風」春休み号>ドラゴンボール

2024年03月18日 08時00分00秒 | 園長だより
 『Dr.スランプ アラレちゃん』や『ドラゴンボール』の作者、鳥山明さんの突然の訃報に、国内からだけではなく、世界中から悲しみの声が届けられています。

 1980年に連載が始まり、1981年からアニメの放送が始まった『Dr.スランプ アラレちゃん』は、ペンギン村で繰り広げられる愉快なお話や、アラレちゃんやガッちゃん、村人たちのかわいくポップな姿が多くの人に受け入れられて大ヒットし、アラレちゃんの「んちゃ!」や「バイちゃ!」という挨拶は流行語になりました。

 『Dr.スランプ』に続いて1984年から連載が始まり、1986年からアニメの放送が始まった『ドラゴンボール』は、その後、世界的な大ヒット作品になりました。

 初期のドラゴンボールは、どちらかというと、Dr.スランプのスタイルを引き継いでいるようなコミカルな面がありました。ところが、鳥山明さんが「元々僕は、先の展開までジックリと考えるタイプではない。始まった時点では悟空が大猿に変身したり、サイヤ人という宇宙人だったというようなことは全然考えていなかった。先の話を考えずに行き当たりばったりで描くというのはけっこうスリルがあって悪くない。」と自ら語っているように、話の進展に伴い、その世界観がどんどん変化していきました。主人公の孫悟空の成長とともに、敵となるキャラクターもどんどん進化し、その物語や絵もシリアスなものに変化していきました。

 小さいころから強くなりたいという思いを持った悟空は、多くの人と関りを持ちながら修行に励み、いろいろな技を身に着けながら力をつけていきました。やがて、地球や宇宙を破壊するような強い敵が現れると、相手の力を上回ることができるようさらに腕をみがき、敵を打ち負かしました。その次に現れる敵は、前回の敵の力がひ弱に感じるほど強く、悟空はさらに新たな技を身に着け、さらにかつての敵が仲間となって協力しながら強力な敵を倒していきました。

 この物語の中で、読者は悟空という一人の少年の成長を、はらはら、わくわくしながら見守っていました。さらに作者の鳥山明さんが、先の展開を決めずに話を進めたことで、読者も次にどのような展開が待っているかを予想することができず、楽しみが増していきました。

 ドラゴンボールには「夢」や「冒険」、「挑戦」や「戦い」そして「友情」がたくさん盛り込まれています。そして、それはこれから育ちゆく子どもたちにとっても、大切なものです。ドラゴンボールのストーリーの先が決まっておらず、次の展開を見通すことができなかったように、子どもたちの未来も、多くの可能性を秘め、見通すことができません。だからこそ、悟空と同じように、逆境にめげず、勇気を持って立ち向かっていく力や、仲間を大切に思い手を携えながら共に成長していく心を、この物語を通して学ぶことができるのではないでしょうか。

 また、Dr.スランプのアラレちゃんは、いたずらっ子で失敗ばかりするけれど、みんなから愛され、かわいがられていました。それは、その行動が利己的ではなく、みんなと仲良く楽しく過ごしたいという思いから出ていたからでしょう。

 卒園する年長さんや、4月に進級する年中さんや年少さんにも、二人の主人公のように、困難なことに立ち向かいつつそれを乗り越える力や、周りの人々との関わりの中で、思いやりの心を持って互いに助け合う力を養っていってほしいと願っています。
           (園長 鬼木 昌之)


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<園長だより「風」3月号>雛祭り/調べることの大切さ

2024年02月21日 08時00分00秒 | 園長だより
 ♪明かりを つけましょ 雪洞(ぼんぼり)に♪
(うれしい ひなまつり=サトウハチロー作詞:河村光陽作曲)
もうすぐ雛祭り。天使幼稚園でもホール前に雛人形を飾り、子どもたちも学年ごとにお雛様の制作をして雛祭りを迎える準備をしています。

 雛祭りは、平安時代に中国から伝わった五節句(1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽)の一つ「上巳の節句」が起源となっています。「巳」は十二支の「蛇(へび)」のことで、蛇は脱皮を繰り返し成長することから、災いや穢れ(けがれ)を脱皮するように取り去り身を清める日とされていたそうです。この日は、水で体を清めて宴(うたげ)を催したり、紙でひとがた(人形)を作り、それに穢れを移して川に流したりしていました。

 また、平安時代には、お人形を使った「ひいな遊び」が貴族の女の子の間で盛んに行われていました。やがて、ひいな遊びのお人形とひとがたとが合わさり、流し雛となりました。

 江戸時代になり、人形を作る技術が高まって豪華な人形を作ることができるようになると、流し雛ではなく、女の子の健康を願って作ったお人形を飾るようになりました。こうして雛飾りが誕生し、雛祭りが女の子のお祝いになっていきました。

 雛人形の制作をしている子どもたちが、時々ホール前の雛飾りを見にきています。「あっ、おもちが ある。」「ももの はなが あった。」といろいろな発見をする一方、かごや牛車を指さして「これは なに?どうして かざってるの?」など疑問を持ち尋ねてきます。このように「なに?」「どうして?」という疑問を持つことが、子どもたちの成長にとって大切な、学びのきっかけになるものです。

 「雛祭りは桃の節句ともいって、ちょうどこのころ桃の花が咲き、桃には悪いものを追い払ってくれる力があると信じられていたから、桃を飾るようになったそうですよ。」「下の方の段には、お雛様のお嫁入りの道具の箪笥(たんす)や火鉢(ひばち)、そしてかごや牛車があるのですよ。」と、その場で教えてあげることで子どもたちの知識を広げてあげることができます。さらに、その子に調べる手段や力があるような時には、「図鑑や絵本で調べてみてごらん。」と、主体的に調べてみることを促すことで、その子の学ぶ力を高めていくことができるものです。

 ♪お内裏様と お雛さま 二人並んで すまし顔♪
ここに歌われている「内裏」とは、天皇が住み,儀式や執務などを行う宮殿のことで、お内裏様というのはもともと男雛、女雛二体を合わせた呼び名でした。ところがこの歌を通して、男雛を「お内裏様」女雛を「お雛様」と思って大きくなった人が増えてしまいました。

 雛飾りには「右近の橘」と「左近の桜」も飾られています。正面から見ると黄色い橘は左に、ピンクの桜は右に飾ってあります。「おや?左右が反対?」実は、この右・左は正面から見た位置ではなく、ひな飾りのモデルとなった天皇・皇后(お内裏様)から見て右・左を指しています。このように視点を変えると、見方がかわることや、歴史的な意味合いも、雛人形を通して学ぶことができます。

 ♪すこし 白酒召されたか 赤いお顔の 右大臣♪
右左の見方を知って雛飾りを見ると、赤い顔をしたお人形は向かって右に座し、こちらは左大臣だと分かります。作詞家の方の勘違いだったのでしょうか。さりげなく歌っている歌も、意味を考えながら確かめると、「本当は〇〇だ」と気付くことがたくさんあります。

 この他にも「雪洞って何、どうしてぼんぼりっていうの?」「菱餅は3色と5色があるけれど、どうして?」「三人官女は何をしているの?」など、好奇心を沸き立たせると、知りたいことや疑問が次々とでてくることでしょう。分からないことを見つけ出し、誰かに聞いたり自分で調べたりする。雛飾り一つからも学びを広げることができるものです。
           (園長 鬼木 昌之)


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<園長だより「風」2月号>みんなから愛される子に

2024年01月25日 08時00分00秒 | 園長だより
 毎年1月に大田区私立幼稚園連合会の新年の集いが開かれ、そこでは区内の幼稚園に勤める先生の永年勤続表彰や、教養講演会が行われます。今年も1月17日(水)に開かれた集いに、天使幼稚園の先生も全員が参加しました。今年の教養講演会の講師は、武士道研究家の石川真理子先生で「女子の武士道」というテーマでお話をしてくださいました。「武士道」というと、堅苦しく厳しいという印象がありますが、石川先生は、人として成長していくための本質は何か、そしてそれを生かすためにはどうするべきかという、これから育ちゆく子どもたちにとって大切な教えを語ってくださいました。

 このお話の中で最も印象に残ったのは、石川先生がご自身の子育ての中で大切にしてきた「みんなから愛される子に育てたい。」という思いでした。子を持つ親として、その子が将来、どのように成長していくのかは、楽しみでもあり、心配でもあるものです。「幸せな人生を送ってほしい。」「人の役に立つ人になってほしい。」「自分らしく生きてほしい。」「賢く成長してほしい。」「スポーツや芸術の道を究めてほしい。」等々。それぞれの家庭の中で、いろいろな思いがある中で、「みんなから愛される人に。」という目標は、多くの保護者の方々の共通の思いにつながるのではないでしょうか。

 チャールズ・ディケンズが著した「クリスマス・キャロル」の主人公スクルージは、金儲け一筋に生きていましたが、ある年のクリスマスの夜、過去、現在、未来の精霊によって、自らの人生を見せられます。人々から厭(いと)われ、見捨てられた墓碑に刻まれた自分の名前を見せられたスクル―ジは、今までの人生観を改め、街の人々の中に飛び込んでいきます。このお話だけでなく、人は一人では生きていけず、多くの人々との交わりの中でこそ幸せに暮らしていけるという例は、枚挙に暇(いとま)がありません。「みんなから愛される」ことは、その人の人生の重要な要素となっています。

 石川先生は、そのために必要な子育てのポイントを六つ示してくださいました。

 一つ目は「礼」。挨拶ができるよう育てること。人と人とのつながりの中で、自分の心を開き、相手を大切に思いながら言葉を交わし合うことを通して、互いの心が通っていきます。二つ目は「義」。うそをつかないことや、正しいことを貫き通すことで、周りの人からの信頼も厚くなるものです。三つ目は「悌」。弱い者をいじめないこと。小さな人を思いやり、大切にしていくことを、日ごろから心掛けていくことが大切です。四番目は「勇」。自分から進んでできる意欲や積極性、勇気が求められています。五つ目は「孝」。目上の人に丁寧に接すること。現代社会ではみんな平等という発想で、目上の人にでも自分の意見をしっかり伝えることも大切だと教えられるようになりました。もちろん、それも大切なことですが、目上の人であろうが目下の人であろうが、相手の思いや考えを尊重し、より良い考えを生み出す努力が、人と人とのふれあいの中でとても大切です。そして六つ目が「恥」。これは、他人に見られて恥ずかしいということではなく、自分自身の心で自分を見た時、恥ずべきことをしていないかということが重要だということです。

 3学期の始業式の日に、子どもたちに三つのお願いをしました。それは「我慢すること・譲り合うこと・話し合うこと」の三つです。今、教育の世界では「主体性」を重んじることが大切にされています。ただ、それは自分がしたいことを自由気ままにするということではなく、主体的に自分を高める行動ができるようにすることです。また、自分がしたいことを我慢して相手に譲ることも大切になります。もし、目の前の子が、自由気ままにわがままを言っていたら、「みんなから愛される子ども」になっているでしょうか。自分を高めるためには、がまんをすることを含め、自ら困難なことに立ち向かうこと、そして、周りのおとなは、子どもがしたい放題にしていることを放置するのではなく、時には毅然(きぜん)としてやるべきことを教える姿勢がとても大切になります。

 「みんなから愛される子どもに育てる」ために、今、どのように子どもと向かい合うかが、問われています。
             (園長 鬼木 昌之)


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<園長だより「風」1月号>辰年

2024年01月09日 08時00分00秒 | 園長だより
 2024(令和6)年「辰年」がスタートしました。「辰」という文字には「振=ふるう、ととのう」という意味があり、陽気が良くなって万物が振動し、草木が成長して形が整う状態を表すとされています。また辰年は動物では「竜:龍年」とされ、天空を飛び回り嵐を巻き起こす龍の姿から、勇ましさや躍動する年になるというイメージがあるようです。

 「振」「震」「唇」「農」などには「辰」が含まれています。「農」の文字も、「曲」の部分は「木木」が元になっていて、木が生えた大地を道具を使って耕す様子を表していて、これらの文字には「揺り動く」という意味が込められています。

 今年のお正月は「辰」ではなく「震」からの始まりになってしまいました。元日に起きた能登半島地震では多くの方が犠牲になり、まだまだ多くの方々が避難生活を送っています。2日には羽田空港で飛行機事故が起きました。「振興」の「振」ではなく、「地震」や「震えあがる」、「震」からのスタートです。亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ、復興に向けてどんなお手伝いが出来るかを考えるお正月になりました。

 能登半島地震では津波が発生しました。地震直後のニュースでは、津波の映像はほとんど報道されませんでしたが、その後、北陸各地に大きな津波が到達していたという情報が伝えられています。しかし、東日本大震災の経験を生かし、一人ひとりが直ちに避難行動を行ったり、近所の住民同士が声をかけあって逃げたりしたおかげで、これまでのところ津波による被害者についての情報はなく、過去の経験を生かして身を守る行動ができていたようです。日航機の事故では、乗客乗員379人全員が無事に脱出することができました。その背景には、非常時でも落ち着いて行動することができるように、乗務員は非常時の脱出訓練を繰り返し行っていることが生かされ、また乗客も、乗務員との信頼関係の中、誘導の指示に従って行動し、無事避難できたそうです。このように、有事に備え、日ごろから対策を練ったり、訓練を重ねたりして、落ち着いて対処できる準備をしておくこと、そして信頼関係の中で行動することの必要性を、改めて認識することができた災害・事故でもありました。

 ところで、1月は英語で“January”和名は「睦月」です。January の語源は、2つの顔を持つローマ神話の「Janus(ヤヌス)」からきています。Janusは入口と出口を司る門の神ともいわれ、前年と今年の境を守っているそうです。「睦月」は、お正月に家族や親せきが集まり互いに睦み合うことから生まれました。Janus神のように、過去を振り返りつつ未来にその知恵を生かすこと、また、互いに睦み合い信頼しあって日々を生きること。そのことの大切さを教えてもらった1年のスタートの日々でもありました。

 令和6年は、平成が続いていれば36年、そして昭和でいうと99年になります。1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災直後に迎えた昭和元年。昭和は昭和恐慌から第2次世界大戦と多くの困難に見舞われる中スタートましたが、その後、戦後復興期から高度経済成長期を迎えるなど、大きく進歩していった時代でした。特にこの時代は、映画「ALWAYS 3丁目の夕日」に描かれているように、貧しいながらも暖かいふれあいがある中、未来を信じて生きていることができる時代でもありました。

 地震や事故から始まった2024年だけれど、人々が援け合い、大きく進歩した昭和のように、充実した年になっていきますようにと願ってやみません。
                        (園長 鬼木 昌之)


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<園長だより「風」冬休み号>「てぶくろ」と「おおきなかぶ」

2023年12月19日 08時00分00秒 | 園長だより
 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。また、今年の10月7日にはハマスがイスラエルを襲撃し、その後イスラエルがガザ地区への攻撃を仕掛けました。今、東欧や中東で起きている戦争によって、大勢の方が犠牲になり、住んでいる人々は日々の生活にも窮する状況になっています。イエスさまがお生まれになった地ベツレヘムがある中東の教会では、今年はクリスマスの祝賀を取りやめ、平和を願う祈りの式のみを行うところがあるそうです。

 天使幼稚園の今年のクリスマス会。年中・年少の音楽劇は、ウクライナの民話「てぶくろ」と、ロシアの民話「おおきなかぶ」でした。この二つの音楽劇の選考。初めから意図したものではなく、それぞれの担当の先生が選んで提案したところ、偶然、戦争をしている二つの国のお話になっていました。何か神さまからのメッセージが込められているような気がします。

 おじいさんが落とした片方の手袋。それを見つけたくいしんぼうねずみが、その中で暮らし始めました。そこへ、ぴょんぴょんがえるや、はやあしうさぎ、おしゃれぎつね、はいいろおおかみ、きばもちいのしし達がやってきて仲間に入り。最後はのっそりくまがやってきて「ぼくも入れて」。手袋は、今にもはじけそうになるけれど、♪あったかいね きもちいいね ここがすき きみがすき いっしょが だいすき♪(てぶくろ:劇中歌)譲り合い、援け合って楽しく過ごす様子が描かれています。

 大きく大きく育ったおじいさんが植えたかぶ。おじいさんが抜こうとしても抜けません。そこでおばあさんを呼んできて一緒にかぶを抜こうとしますが、かぶは抜けません。おばあさんは孫を呼び、孫は犬を呼び、犬は猫を呼んできますが、それでもかぶは抜けません。最後に猫がねずみを呼んできて「うんとこしょ、どっこいしょ。」すると、やっとかぶを抜くことができました。みんなで力を合わせて一つの目標に向かって進むことや、小さなねずみが手伝った時にかぶが抜けたことを通して、みんなと一緒に力を合わせることで大きなことを成し遂げられることを表しています。

 この二つのお話に共通した「共に生きる」という心を忘れたところに、いさかいや戦いが生まれてしまいます。

 2000年前、神さまは独り子イエスさまを、私たちに贈ってくださいました。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(ヨハネの手紙一 4章10)

神さまを裏切り続けた人間だけれど、神さまは常に人間を愛してくださっているという、神さまからのメッセージが込められています。

 そのイエスさまは

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書 13:34)

と、神さまが私たちを愛し大切にしたように、わたしたちもお互いに大切にし合いなさいと教えられました。

 もうすぐクリスマス。世界の平和を願いつつ、神さまが私たちに贈りものをしてくださったように、わたしたちも身近な人や世界に住む人々に、自分に出来る贈り物をする。そんなクリスマスを送ることができると良いですね。 
             (園長 鬼木 昌之)


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