カトリック教会では、6月を「みこころの月」と呼び、イエスさまの“みこころ”を通して神さまの愛を思い起こし、イエスさまの限りない愛のしるしである“みこころ”を称えてきました。
5月にも紹介した園のことばは、「イエスさまのように」というフレーズから始まります。
イエスさまのように かみさまに したがう よいこども
マリアさまに ならって やさしい こころ
いつも なかよく あかるい こども
きれいな はなを てんしの そので さかせましょう
イエスさまのように 神さまに従うためにはどうすれば良いのでしょうか?その大切なヒントは聖書の中に記されています。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、
精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な
第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさ
い。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書22章36~40)
また別の個所には次のように書かれています。
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛した
ように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネによる福音書13章34)
最も大切な掟は、神さまを愛しなさいというものでした。しかし、それはただ「神さま大好き」ということに留まらず。神さまが望まれるように生きることが求められているのです。そして、それと同じように隣人を愛することが大切だと教えてくださいました。さらに、それを人々に求めるだけではなく、イエスさまご自身が「わたしがあなたがたを愛したように」と、お手本を示してくださいました。
イエスさまは、特に罪びとや、小さな人、弱い人を大切にされました。
徴税人のザアカイは、ローマ政府の力をかさにきて税金を過剰にむしり取り私腹を肥やす、ユダヤ人にとっては裏切り者で、決して許せない人でした。しかし、イエスさまは、そのザアカイの家に泊まるとおっしゃったのです。当然、人々は「おい、あの人は、罪深い男のところに泊まろうとしているぞ。」とつぶやきあいました。しかし、イエスさまとふれあうことができたザアカイは「イエスさま、私はこれから財産の半分を貧しい人々に分け与えます。また、誰かからだまし取った分のお金は、4倍にして返します。」と改心したのです。「今日、救いがこの家に訪れた。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカによる福音書19章1~10)
また次のようなたとえ話をしてくださいました。「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば。九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたの天の父の御心ではない。」(マタイによる福音書 18章10~14)
このように、イエスさまのように神さまに従うためには、身近にいる人に心を配り、本当の意味での隣人となることが求められています。
フランシスコ教皇様が昨年の6月、みこころについて次のようなお話をされたそうです。
「イエスの人間的であると共に神的なる聖心は、わたしたちがいつでもそこから神のいつくしみ、赦し、優しさを汲み取ることができる源泉なのです。(中略)わたしが祖母から習った古い祈りがあります。『イエスよ。わたしの心を、あなたの聖心に似たものにしてください』これは美しい祈りです。この美しく小さな祈りを、この6月に唱えましょう。」と。
(園長 鬼木 昌之)