6月14日、関東地方も梅雨に入りました。平年より1週間ほど遅く、ここ10年間では一番遅い梅雨入りだそうです。梅雨入り後、雨は降らなくてもジメジメした日が続き、先週は突然の豪雨のため園庭で遊んでいたお友だちが「きのおうち」に取り残されたりもしました。週間天気予報を見ると、今週末からは、ずらっと雨マークが並んでいます。傘をさして登降園をしなくてはいけなかったり、お外遊びができなかったりする日が続きそうです。
福岡にいた時、1年間写真教室に通い、毎月1回撮影会に出かけていました。ある月の撮影会の日、朝から雨。「あ~あ、今日は濡れるからいやだなあ。」と思っていると、講師の先生が「今日は、撮影会日和じゃな!」とおっしゃいました。「今日のように雨に濡れると、しっとりとした良い写真が撮れるからなあ。」その日、傘をさしながら、雨の日ならではの構図を探し回りました。今までの常識が覆されたひとことでした。
子どもたちは雨の日も大好き。水たまりがあるとその中に入ってバチャバチャと水しぶきを上げて遊んだり、傘をささず、雨に濡れるのを楽しんだりする姿もよく見られます。「よごれるよ。」「風邪をひくよ。」と大人が心配するのをよそに、子どもたちは雨を楽しんでいます。子どもと大人、雨の日の見方もそれぞれです。
ポーランド出身のニコラウス・コペルニクス(1473-1543)は、天体の動きをつぶさに観察し、当時信じられていた、宇宙は地球を中心に回っているという「天動説」を覆し、太陽の周りを地球が回っているという「地動説」を唱えました。今では地球は太陽の周りを回っていることを誰でもが知っていますが、当時としては信じられない見方の変更でした。そこから常識を覆すような発見や新しい考え方を「コペルニクス的転回」と呼ぶようになりました。今まで常識だと思っていたことも、別の視点から見るとそれが覆るケースもあるものです。
「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え『悔(く)い改めよ、天の国は近づいた』と言った。」(マタイによる福音書第3章1-2)
カトリック教会ではこの「悔い改める」ことを「回心(かいしん)」と呼んでいます。それは、ものごとの見方の根本を神さまに向けるということを示しています。自分の心のおもむくままにではなく、自分の思いを神さまに委(ゆだ)ね、罪や悪から遠ざかり、同時に神さまの恵みと助けに信頼して、生き方を変えようという決心を伴って心を新たにすることです。
「悔い改め」をギリシア語で「メタノイア(METANOIA)」と言います。このことばを後ろから読むと「アイノタメ(愛のため)」になると、以前、神父様のお説教の中で聞いたことがあります。このことに初めて気づいた方は、見方を変えることが得意で、しゃれが好きな方だったのでしょうね。
長い人生の中では、なかなか自分の思い通りに物事が進まず、悩んだり落ち込んだりすることがあります。そのような状況の時、自分の思いを中心に今を考えることから、神さまからのメッセージをベースに物事を考えることに、ちょっと視点を変えてみてはいかがでしょう?
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
(テサロニケの信徒への手紙一第5章16-18)
(園長 鬼木 昌之)