こんにちは。
11回目の旅は肝付町(旧・高山町)です。
曇天とやや天気は悪いですが
雨が降っていないだけ良しとしましょう。
肝付町の肝付といえば、戦国大名で有名な肝付氏のことです。あの島津氏と数百年にわたり鹿児島の覇権を争ってきました。そして大隅半島のドンは弥五郎ではなく、
この肝付氏だったのです。
そんな肝付氏の本拠地・肝付町。その一部である旧・高山町を旅したいと思います。
ちなみに旧・高山町の高山は肝付氏の本拠地である高山城跡の高山です。
まさに今回の旅は肝付氏のお膝元といえるでしょう。
国道448号線、波見地区付近。
大隅半島を周るためには絶対通ることになる国道。
そのため必然的にサイクリングやツーリングをする人達が多数現れる。
ちなみに今回の旅から原付スクーターから軽自動車に変えました。
これで雨の日も長距離もバッチリ!!
戸柱神社。国道448号線沿いにある。
歴史や由来などの詳細は不明。
近くに権現山(標高319.8メートル)の入山口がある。
この国道は大隅半島の海際をなぞるように走る。
内之浦~岸良・田代そして大根占まで
果てしなく長い。
夏の晴れた時はむしろ車よりバイクが気持ちいいだろう。
海沿いの道路とはいえ、山と隣り合わせの地形でもある。
平地は少ない。
夏のレジャーは海派か山派で分かれたときは
ぜひ大隅半島へ行こう。
周りはたまに民家がポツンとあるだけで本当に何もない。
普段の買い物とか大変だろうな。
海岸のほうを見ると、砂浜が見えるということはなく
たくさんの山が見えます。
海蔵地区にある休憩所の敷地内にある建造物。
第2次世界大戦で米軍が九州攻略を目的としたオリンピック作戦で
志布志湾上陸を察知した日本軍が
その阻止を目的としてこの海蔵地区に砲台を建設した。
この洞窟がその跡地となっている。
今は、ロープが張られ立ち入り禁止となっている。
砲台跡に関する説明版。赤いさびのような模様があるが、
まるで血を連想して怖い。
休憩所を少し離れた場所には、同じく日本軍が設営した
トーチカ跡が残っている史跡がある。
しかし、ここの入り口に繋がる道はかなり狭く道が荒れていて
結構危ないので注意して運転されたし。
トーチカ跡。もし米軍が上陸してきた場合は
激しい戦闘が行われたのであろうか?
トーチカの口にある銃座と思われる溝。
当時の最新鋭である99式軽機関銃を装備していたらしい。
トーチカ内に入るための裏の入り口。
立ち入り禁止のため、外から撮影。
硬いコンクリートで出来ていてとても頑丈である。
当時はトーチカ内を日本兵達が歩き回っていたのであろう。
人工衛星から来る電波を自動で追跡して受信するアンテナ。
昭和62年まで活躍したという。
いったん旅のスタートラインまで戻って、権現山を周るように
海沿いとは逆の方向に進んだ集落のはずれに行くと
轟の滝という荒瀬川を流れる滝が現れる。
滝の上流にはダムがあり荒瀬川の豊富な水量をコントロールしている。
轟の滝のあった地区の隣り野崎地区には
塚原古墳群という44もの古墳からなる場所がある。
画像に土の盛り上がりが2ヶ所あるが
これも古墳であろうか。
東串良町にも唐仁古墳群があったが
地理的にもお隣になるし
ここら一帯は古代の時代栄えたのであろう。
あんぐりと口をあけるようにそびえ立つ塚崎の大楠(おおくす)。
樹齢1300年といわれ、
奈良時代のころから日本の変遷を見守り続けてきた巨木。
神々しいやぁ~
お昼になり、腹が減ったのでラーメン屋に寄る事に。
ラーメン江戸屋。
こじんまりとした小さめのラーメン屋で
地元の知り合いなどが集まって食べている感じ。
私が店に入った時、
店の人は厨房に居らず客席で談笑したりラーメンを食っていた。
まだ正午台なのに早くないっすか(汗)
適当にカウンターに座り
お品書きを探そうとするもない。
壁を見ると江戸前とんこつラーメンとライスしかメニューがない。
あとは大盛りにするかぐらいしか標記がなかった。
仕方なしに江戸前とんこつラーメン大盛りを頼む。
カウンターでラーメンをすすっていた女性の店員が厨房内に入り、
ラーメンの支度をし始める。
何という・・自由さ。
5分ぐらいして出てきたラーメンは画像の通り比較的シンプルな感じ。
店や店員の雰囲気、ラーメンの印象からしてあまり期待せずに
ラーメンを食うと・・・・
!?
何と見た目の普通さとは裏腹にとてもウマいではないか。
味はあっさりとしながらも濃厚さもある。
バラ肉のようなチャーシューも肉の旨みがしみていてご飯が食いたくなる。
うーむ。わからないものだ。
江戸屋を後にし
県道554号線へ。目指すは二俣川キャンプ場付近。
何故ならそこまでが高山町の南限になるからだ。
周りは農風景が広がる。
県道554号線は途中で終わり県道542号線に吸収される。
高山川沿いを平行しながら岸良方面まで続く道。
二俣川キャンプ場に着いたが、
シーズンオフのせいかロープが張られ進入できず。
近くに反対側の道路沿いに赤い鳥居が見えたため寄ることに。
どうやら山の神である犬神様を祀っているようだ。
日本人は色々なものを神と崇めている。
自然もその一つで、午前中に訪れた大楠の大木や
この山そのものも崇拝対象となるのだ。
八百万の神とよく言ったもので
あらゆるものに魂は宿ると古来から日本人は考えてきた。
二股キャンプ場付近を後にし、Uターンする。
お次の目的地は
肝付町・(旧高山町)の名前の由来となっている、
戦国大名・肝付氏の本拠地、高山城跡である。
画像は高山城跡外観。
左下の白い看板辺りに入り口(大手口)がある。
50ヘクタールの広さがある高山城跡。
さすが島津氏の大隅半島征服を数百年に渡り守ってきた肝付氏の本城だけはある。
画像の案内板に高山城跡の縄張りが書かれています。
入り口の大手口に近いところにある
湯沸し場跡、岩石に切り抜かれたような跡がある。
ここで茶釜などを炊いていたのであろう。
ちょっと降りたところにはベンチのような長めの石が不自然に複数置いてあり
もしかしたら、ここはカフェレストランのような場所だったのかもしれない。
あるいは、ここで来客などに茶菓子でも出してもてなしていたのだろうか?
肝付氏、文化度高いっス。
比較的入り口の大手門に近い郭の一つ。くま屋敷と読むのでしょうか?
熊本の戦国大名、相良氏の援軍をここで篭らせて
島津氏の攻撃から防衛させたとか。
客将たちを利用して守らせる場所までちゃんとお造りになるなんて
肝付さん、あんたは何て抜け目ない大名なんだ。
大手門跡と書いてある。いわゆる高山城の中心部分はここからということになる。
大手門をとおったすぐ近くに山伏城という場所がある。
城の中に城である。
いわゆるくま屋敷みたいなもので
一つの郭を城として使っていたのであろう。
山伏ということは虚無僧もしくは仙人みたいな
格好をした僧兵みたいな奴らばかりを集めて守らせていた城ということか。
他家や他業種はその集団で固まって守らせたほうが
まとまりがあって強いと考えた肝付氏のオリジナルの戦略なのかもしれない。
空堀跡。とても広い。
ここを通った敵兵は空堀の上の郭などから
落石による攻撃や、弓や鉄砲による射撃で狙い撃ちにされたことであろう。
二の丸跡。本丸の次に大事な場所。
枡形跡の入り口。これは本丸に対して入り口付近を守る虎口のような場所らしい。
いわゆる真田丸。
本丸。ここで肝付氏は政務を仕切っていたのであろうか。
本丸を囲うようにある土塁。
下からの弓矢等の攻撃を防ぐ役割もしていたらしい
高山城跡を堪能した私は
冷えた体を温めるため高山温泉ドームへ
名前の通り、浴場内の天井はドームになっている。
ドームを生かすために風呂に入りながらプラネタリウムってのはどうだ?
風呂入りながら見続けてのぼせて駄目になって救急車続出になったら困るか。
大人一回入浴券310円です。
四十九所神社。
赤い鳥居が周囲からするとめちゃくちゃ目立つ。
綺麗で美しい神社である。
今回の旅はこれで終わり。
旧・高山町は戦いに関する町であると思いました。
肝付氏の城跡に旧日本軍の遺跡。
旧・高山町は地形的に守りに適した地であると考えられそうです。
次回の旅は、鹿屋市(旧・輝北町)の予定です。
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