闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

展覧会直前の緊張感

2007-10-11 16:18:46 | 雑記
さて9日。前日に作品の位置決めをしたので、9日はそれをどのようにライティングするかの照明チェックで簡単に終わるはずだっのだが、美術館に行ってみるとどうも様子が違う。前日は知人の展示スペースだけの問題で作品を配置したのだが、隣の作家の展示がすすんでみると、それとのかねあいで具合の悪いところがでてきたので、もう一度作品を並べ直したいという。なんのための前日のチェックだったかともおもうが、いろいろな作品のあつまる展示会では直前の位置変更もままあること。幸い時間的にも余裕があったので、知人も簡単に位置変更に応じた。結局、展示には私の提案が反映されないことになったが、状況が状況なのでそれもやむなしだ。
そうこうしているうちに、今度は、展覧会の音声ガイド用のインタビュー。一般の人に作品の意図等をわかりやすく話して欲しいという。美術作品というのは、それ自体で完結した世界をもっているから「作品」なのであり、解説という行為で作者がそれに手を加えるというのは、ある意味とても難しいのだが、知人はそれにも心やすく応じていた。作家というのはほんとうに大変だ。
ただ、音声ガイド担当のインタビュアーの質問は、直前に勉強したとはいえ作品の本質からまったくかけはなれたものもあり、心やすく応じるといっても、それなりの難しさはある。また1~2分の時間制限のなかで作家といえども作品をどこまで語れるかという別の難しさもある。作家と観客を結ぶために、音声ガイドは有効なツールであると同時に困難さもともなうということを実感した。
また展示準備でごったがえす会場で、私は、前日われわれを会場まで案内してくれた若者を発見したのだが、大勢のなかの一人でわれわれのことなど忘れてしまったのか、忙しいのか、こちらにはまったく無関心なそぶりだ。それもやむなしか(笑)。
ということで、展覧会の方は、あとはほんとうに開会を待つだけとなった。

ところで、オープニング前日の12日にはレセプションがあり、私は、N○Kの美術番組担当のKくんやA新聞、M新聞文化部記者など、身近な知りあいに案内状を送っておいたのだが、おもしろいことにこのKくんが、前の記事に書いたGさんと知りあいで、Gさんを自分の番組に起用したこともあるという。Kくん(ノンケ)と私は、Gさんとは関係なく知り合ったのだが(KくんがGさんの知りあいだと知ってから、私はGさんの遺品のネクタイのうち一本をKくんにあげたことがある)、共通の知人がいるということもあって、「ほんとはノンケじゃないんじゃない」などと冗談をいいながらフランクにつき合っている。A新聞のKさんも、似たようなざっくばらんな関係だ(書きながら今おもいだしたのだが、KくんとKさんは、N○KとA新聞でそれぞれTさんという文学者の担当者だった。Tさんとは私も面識があり、その家族も知っているが<Tさんの家族は私がゲイだと知っている。ただしTさんはゲイではない>、KくんとKさんは直接の面識はないはずで、レセプションの場でその二人を引き合わせるなんてことを考えるのもおもしろい)。KくんもKさんも、会うときはともに、セクシャリティの話など抜きで、ストレートに美術や文学の話だけできるところが、貴重な友人たちだ。案内状をうけとった人のつごうもあるだろうから、当日はどれだけの人が来てくれるかわからないが、よく知っている人たちが、知人が一生懸命制作した作品を観てくれればうれしいし、同時にまた、見知らぬ人や一般観客の反応も気になる。

そんなことで、自分の作品を出展するわけではないが、今は、展覧会直前独特の心地よい緊張感にひたっている。