闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

『海流のなかの島々』萌ぇ~!?

2011-06-12 23:22:36 | テクストの快楽
昨日読み終えたヘミングウェイの遺作『海流のなかの島々』(新潮文庫、沼澤洽治訳)第一部「ビミニ」のなかに、私からすると、非常に同性愛感覚に近いように感じられる表現があったので、今日はそれを紹介しておこう。
「ビミニ」の部分は、画家ハドソンが、離婚によって元妻に引き取られている息子たちをフロリダに近いビミニ諸島の自宅に招き一夏を過ごすという話なのだが、そのなかでハドソンは、3人の息子、友人のロジャーらとともに、クルーザーに乗って釣に出かける。そうしたなかで、次男デイヴィッドの竿に巨大な魚がかかり、それを釣り上げるべく全員で数時間苦闘するが、結局、糸が切れてこの大魚を釣り逃がしてしまう。
このあたり、それ自体緊迫感に富むすぐれた描写なのだが、魚を釣り逃がした空虚感のなかで、デイヴィッドが言う次の言葉に、私は同性愛的感覚を感じたのだ。

     ★     ★     ★

「そうだな」デイヴィッドは目を固くつぶって言う。「一番ひどい時、一番くたびれてふらふらだった時、どっちが奴でどっちが僕だか分らなくなっちまった」
「よく分る、それは」ロジャーが言った。
「それから、この世の中の何よりも、奴が好きになった」
「好きって、本当に好きなの?」とアンドルー。
「そう、本当にね」
「へえ、僕には分んないな」
「あまり好きになっちまったもので、奴が上がって来るのが見えた時、辛くて我慢できなかった」デイヴィッドは目を閉じたままである。「ただ奴の姿を近くで見たかった、それだけだ」
「分るよ」とロジャー。
「奴を釣り落したことなんて屁とも思っちゃいない、今の僕は。記録なんてどうでもいいんだ。記録がどうこうなんて、前にそう思い込んでただけ。今は奴も大丈夫で僕も大丈夫なことが嬉しい。敵じゃないんだから、僕たち」(同書上巻、226~7頁)

     ★     ★     ★

この引用を読んで頂いた方にも私と同じように感じて頂けたら幸いだが、要は、私が考える同性愛感覚というのは、相手と子供をつくりたいとか家庭をもちたいとかいう感覚でもなければ、特定の性的快楽でもなく、わけのわからない相手と「どっちが奴でどっちが僕だか分らなく」なりたいという感覚なのだ。
ヘミングウェイという人は、同性愛的世界から非常に遠いところで小説を書いている作家だとおもうが、同性愛者が読めば、そのなかにいくらでも同性愛的感覚を見いだすことができるということで、特に記しておく。
しかし考えてみると、釣というのは、基本的に男の世界という感じがしなくはないけれど…。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿