闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

カザフスタンから、そしてポーランドから

2012-08-14 23:00:59 | 雑記
昨晩、友人に宛てて、カザフスタンから展覧会の招待メールが届いた。
カザフスタンを代表する都市アルマトイ(ソ連時代の名称はアルマアタ)で、9月に大規模な芸術展を開催する予定なので、それに特別ゲストとして参加して欲しいという内容だ。
中央アジアのカザフスタンという、ちょっと想像のつかない場所からの招待に、友人も私も少しワクワクしたが、9月ではあまりにも間際で、先方と打ち合わせをしたり、準備をしたりする時間がとれそうにないので、残念ながら今回は見送りの回答をすることになった。

そんなことで、シルクロードに思いをはせていたら、お昼前に、今度はポーランドから私へのプレゼントという本が届いた。
その本は、『Vie et aventure du comte Beniowski (ベニョヴスキー伯爵の生涯と冒険)』というタイトルで、1853年(嘉永6年=ペリー来航の年)にフランスで出版された古い本だ。
ベニョヴスキーという人物を私は知らなかったので、ウィキペデイアで調べてみると、1746年~86年という18世紀の人物で、ポーランド近辺(当時はオーストリア領)で生まれている。この時代、ポーランドは、ロシア、プロイセン、オーストリアに分割され、最終的に国が無くなってしまうのだが、その危機のときに、彼はポーランド貴族がおこしたバール連盟という愛国の反乱運動に参加したという。実は、このバール連盟は、ポーランド国内で活動しただけでなく、パリに特使を送って、ルソーなどフランスの思想家たちにポーランド改革案作成を依頼しており、私はその改革案についてもいろいろ調べている。
ところで、ベニョヴスキー自身はロシアに捕らえられ、カムチャツカに送られるのだが、カムチャツカの収容所を脱出して、阿波と土佐を訪問している。ただし当時の日本は鎖国していたために上陸できず、その後、中国経由でフランスに亡命したようだ。
したがってこの人物は、18世紀のポーランド、日本、フランスに関わる数奇な運命の人物ということになる(おそらく、日本に接触した最初のポーランド人)。
本の内容は、ベニョヴスキーの生涯全般を紹介するものではなく、彼の手記のなかからシベリア流刑の部分だけを抜き出したもののようだ。
いずれにしても、非常に珍しい内容の貴重な本の出現に、またまた見知らぬいろいろな土地に思いをはせることとなった。