今日、「僕と妻の1778の物語」を見てきました。
この映画は、眉村卓さんの奥様との実話がベースになったもの。わたし好みというのもさることながら、同じ大阪出身だし、昔懐かしの「少年ドラマシリーズ」は欠かさずみていましたからねぇ。
ただ今回、主人公の朔太郎にすっかり思いいれてしまいました。ちょっとした一言や、それこそ家具の隙間に落ちているブリキのロボットまでから妄想の糸口が見つかるあたり、本当に他人事とは思えない(苦笑:ちょっと使い方は違いますが「、ほかに言い方がわからなくて)
そして、そんな朔太郎の妄想を妻の節子がものすごく上手く引き出している。ああ、作家の奥様だなぁと感じいったり、ちょっぴりうらやましかったり。
そんな小説バカの朔太郎が病気の妻のために自分ができることは、「毎日3枚(1000字が目安?)以上の小説を書く」ことだけだった。時々エッセイだと彼女にツッコミを入れられながらも、1778作の物語を一日も休むことなく書き続けた彼の発想力・精神力・そして愛情……真似できないすごさを感じました。本当の意味でプロだと思いました。
そして、そんな夫のエールに妻は宣告された余命を超えて生き続けた。一作でも多く夫の作品を読みたいという気持ちが彼女の延命を促したのは紛れもない事実だと思うのです。
私も……どんな形であっても、たとえ一人きりであっても、誰かに力が与えられる作品が残せたらなと、心からそう思いました。
そのためには、毎日一話は無理でも、一行でも二行でも紡いでいかなければ……
誰のために書くか?
何のために書くか?
そんなのは関係なく書かずにいられないのか?
読む人がいなくても書くのか?
継続は愛・・・か~。
愛は永遠?
愛は動詞。
う~ん、このへんにしておこう(笑)
CM見ました。
涙なしではみれなさそうな映画です(TωT)
自分が書いたものを楽しみにしている人がいると思うと続けられると言うのはわかる気がします。
誰のために書くのでしょうね。
実はいくつかのお話は、特定の方に向けてというか、その方のことを思って書いていたりはしますが、同じ思いをされている方がいたら、見てくださるようにとも思っています。
結局がとこ私の思いを知ってほしいための自己満足とも言えるかもしれません。
愛は、本当に動詞なのかもしれませんね。こうやって、この年になってもモノを書くという力を生み出すことができるのですから。
たぶん、読む人がいなくても書くでしょうね。実際、日記なのかエッセイなのか判らないものを何年も書き綴っていた頃もありましたから。
草君(ひえ~、人名漢字をクリックりしたらでてきたよ!)の映画です。
私としては、共演の谷原章介さんが一体実はどの作家さんの役なのかなぁと、そんなことばかりを気にしていました。
ホント、ペイちゃんの足跡でも、ものすごく力もらってますよん。