映画と本の『たんぽぽ館』

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「右岸 上・下」 辻仁成

2012年10月04日 | 本(恋愛)
九の数奇な生涯

右岸 上 (集英社文庫)
辻 仁成
集英社


右岸 下 (集英社文庫)
辻 仁成
集英社


                 * * * * * * * * * 

さて、「左岸」を読み終えてから、「右岸」に入りました。
ところが、こちら祖父江九の人生は茉莉以上に劇的です。
「左岸」の方は茉莉の「女の一代記」と表現しました。
こちら右岸は、やはり男の一代記ではありますが、
むしろ「数奇な一生」と呼ぶほうがふさわしい。
というのも、この九は超能力者なのです。
子供の頃にはスプーンを曲げ、長じてもっと驚くべき能力を見せます。
もとより彼は、ヤクザの父とその愛人との間に生まれた子。
それゆえ、任侠話?と思うような場面があったりもして、
以前の「冷静と情熱のあいだ」の雰囲気を期待する方には、
ちょっと意外過ぎる展開に戸惑うかも知れません。
この数奇な生涯をたどる彼が、幼馴染茉莉との心のつながりを持ち続け、
合間合間に、彼女の人生との接点を持つ。
ああ、このときの彼女はこんなふう・・・とわかるところが、両方読んだ醍醐味です。


たった一度、若き九と茉莉がホテルに泊まったその時の真相は・・・。
うそ、そんなこととは思ってもいませんでした・・・。
けれど二人には肉体関係がない、
そこが本作の一番大事なところなので、
理由はともかく、そうして置きたかったのでしょうね。
他ではさんざん性愛を描きながらも、
主人公の二人には、純粋な魂だけのつながりを・・・というところで、
その大切さがいっそう深まります。
そういえば終盤、それぞれに結婚してもいい人が現れるのですが、双方そこでは踏み切れない。
それは多分、心の奥底にもっと大切にしたい人がいるから・・・。
二人の子供たちのこと、
惣一郎の死の意味、
左岸と右岸の両方を読んでようやくその全貌が解けるので、
やはり両方読むべきです。


左岸と右岸について九はこんなふうに言っています。

「はじまりは同じ場所だったというのに、
川は時とともに下流に向かうにつれてものすごく大きくなって、
僕達を遠ざけてしまう。僕は右岸で生きている。
あなたは左岸で生きている。
・・・人間の数だけ岸辺があるんだと思う。
だからぼくはいつも岸辺に立って、
あなたや、会えない家族、友人らのことを思うのです。」



ところで、茉莉も九も、それぞれ何度も大きな心の痛手を受けるのですが、
茉莉は、やがて立ち上がって一人で生きていきます。
でも九のほうは、落ち込んだら次に立ち上がるまでが一苦労。
それには常に誰かの大きな手助けが必要となります。
無論大きな事故で体を壊したこともあるのですが、
やはり、男と女では、男のほうがかなりハートはナイーブ。
そして女はたくましい。
これはもう、真理ですね。


「右岸」はスピリチュアルな側面がかなり強いので、
好みがあるかも知れません。
私は嫌いではありませんが、それにしても
九がこうでなければならない理由があまり良くわからないような・・・


「右岸」辻仁成 集英社文庫
満足度★★★☆☆


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