生命が尊い正体をあらわす
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仕事を辞め、夫の田舎に移り住んだ私は、
暑い夏の日、見たこともない黒い獣を追って、
土手に空いた胸の深さの穴に落ちた。
甘いお香の匂いが漂う世羅さん、
庭の水撒きに励む寡黙な義祖父に、
義兄を名乗る見知らぬ男。
出会う人々もどこか奇妙で、見慣れた日常は静かに異界の色を帯びる。
芥川賞受賞の表題作に、農村の古民家で新生活を始めた
友人夫婦との不思議な時を描く2編を収録。
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芥川賞受賞の表題作を読んで、やっぱり小山田浩子さん、好きだわ~って思ってしまいました。
先に読んだ「工場」がすごく好きだったので、
引き続きということで手に取りました。
一見ごく普通の主婦のごく普通の日常を描いたようでいて、
いつの間にか、どこか不可思議な別の世界へ迷い込んでしまったような感じ。
主人公の「私」は、夫の実家の隣にある家に引っ越してきます。
これまでは共働きといっても非正規職員だったのですが、
それなりに忙しい日々。
しかしこの度仕事を辞めて専業主婦に。
とはいえ、片田舎のこの家では、ほとんど何もすることがなく、
外出しようにも出かける先がありません。
隣家の姑も仕事をしているので日中は留守。
「私」は、世間の人々が忙しく働いているのに
自分だけ何もせずぼーっと一日を過ごすことに罪悪感を覚えます。
そんな、せわしない世間から逸脱した「私」が、
いつしか人の世の流れとは別の流れの中に漂うことになってしまったのかも知れません。
そこで見る、不可思議なけもの、穴、見知らぬ男、子どもたち・・・。
みな愛おしい・・・。
本巻の巻末解説で、笙野頼子さんが、こんな風に書いています。
「多くの人は切り替わりを待ちわびるけれど、
それはふいに来てそのまま時間刑に。
理不尽や不可解が実は環境であること、
死者が、というより今まで見えなかった人や物が見える日が来る事、
また、どんなにきつくてもその中で生命が尊い正体をあらわす事。」
いやあ、さすが物書きさんの見方は鋭い。
これこそが本作の本質を端的に表わしているなあ・・・と感服しました。
私などどうすれば本作の魅力を語れるのか、ぜんぜん分かりません。
ともあれ、すべての登場人物や、生き物、出来事が意味を持って配置されている。
小説とはこうありたいという見本のような・・・。
「穴」小山田浩子 新潮文庫
満足度★★★★★