ときどきと、えいえんの物語
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モモヨは小学三年生。
おねえちゃんのみどりちゃんは中学生。部活は科学技術部。
なんだか早口言葉みたい。
赤科学技術部青かばこぎじゅぷじゅ黄かがちゅきちゅぶちゅ。
近くにモモヨがよく遊びに行ってた、レオンさんの住んでるお屋敷がある。
レオンさんはかなりおばあさん。
オイモはモモヨの家の犬のこと。
子犬のときジャガイモみたいだったからそういう名前になった。
今はシカっぽい。
オイモはときどきいなくなるけど、いつも暗くなる前に帰ってくる。
それが、その日は晩ごはんの時間になっても帰ってこなくて、
モモヨは、ずっとあわあわしてた。
でも心配してるのはモモヨだけで。みんななんでか気にしてなくて。
そこにいること、もうそこにはいないこと、
今のこと、昔のこと、ほんとうのこと、ゆめのこと。
そのすべての境目が浮かんでは消えながら、四季の移り変わりのなかで、
『つみきのいえ』の加藤久仁生の絵とともにつむがれる、ときどきとえいえんの物語。
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本作、児童書です。
先日、福音館の編集者である岡田望さんの話を聞く機会があり、
「物語を立ち上がらせるものたち」というその一例として取り上げられたのがこの本。
当然、岡田氏が編集に携わった本であります。
小学3年生のモモヨをとりまく世界が舞台です。
科学技術部に入っている中学生のお姉ちゃん・みどりちゃんがいます。
オイモというのはこの家に飼われている犬の名前。
このオイモが時々いなくなってしまうのですが、
ご近所のおばあさん、レオンさんの家にお世話になっていたりします。
モモヨが住んでいるところはかなり自然環境に恵まれているようで、
美しい自然に囲まれながら息づくモモヨの「世界」が、
モモヨが語りかける親しみを感じる文体で描かれていきます。
その世界は、決して楽しいことばかりではありません。
いやむしろ本作、二つの「死」について描かれているわけですが、
作中に「死」という直接的な言葉は出てこないのです。
それは、残酷なことを子供に突きつけたくない、などという馬鹿げた配慮ではなく、
もっと、生活の中には隣り合わせである「死」を、
実は自分にとても近いものとして感じ取って欲しい、
喪失の痛みを知って欲しい、そういう意図のものだということが分かります。
児童書で特徴的なのは、挿絵があること。
絵本とも違う児童書で、挿絵の役割とは何なのか、
岡田氏はそのことについて述べていました。
あってもなくてもいい単なる添え物ではなくて、
物語世界をより深く、広くイメージを作り上げていくもの・・・、
ということで、そういえば「不思議の国のアリス」や「ムーミン」の挿絵は
今や物語と切っても切れないものになっていますね。
本作中、みどりちゃんがモモヨの髪を切っている絵があるのですが、
その本文は、二人の会話シーン。
髪を切っているなどという文章はどこにもありません。
それは挿絵を描かれている加藤久仁生さんのイメージなんですね。
相当深くこの物語を読み込んで理解していないとこういう絵は描けない、
と岡田氏はおっしゃっていました。
確かにこの姉妹の関係性を表わすにも、実に良い絵なのです。
みどりちゃんは、さすが科学技術部だけあって、事実関係を冷静に判断できる。
まだそういうことの出来ないモモヨをちょっぴり思いやっているところが見えます。
そして、何よりもモモヨのことが大好きなんですね。
児童書というのは、そういう気持ちがすごくピュアに飛び込んでくる感じがして、
いいなあ・・・と思いました。
図書館蔵書にて
「オイモはときどきいなくなる」田中哲也 加藤久仁生 画 福音館書店
満足度★★★★☆