人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

いまさらオイルの話

2007年09月27日 | メンテナンス実演(VTR250)
ハロー、人骨です。不規則に適当なメンテナンスの話を書いていますが、今回はメンテナンスの王道です。自称「自分では何もやらない」という人も一度くらいはやった経験があるかもしれない、オイル交換のことです。

やり方は、とにかく古いオイルを抜いて新しいオイルを入れるわけですが、マニュアルどおりに交換していて最近フト疑問に思う点がありましたh。
そして、自己解決しました。(何だよソレ!)
そのことを書いてみようと思います。

疑問とは、規定のオイル量のことです。

マニュアルではよく

「オイル注入後2~3分アイドリングし、停止後1分くらい待ってから点検窓を覗いて(orディップスティックを見て)範囲内にあればOK」

等となっていますよね。

4サイクル車は、カブ等小排気量でなければ点検窓式の採用が多いと思います。VTR250も点検窓です。自分もいつもオイル交換時にはマニュアル通りに作業し、LOWとHIGHの間の規定値に収めていました。

だけどオイルの窓って、一度規定どおりに入れたらそれっきり中々見ないものですよね。明らかにオイル漏れがあったりしなければ滅多には見ないのが、一般人ではないでしょうか。結構オタクな部類だと思う自分でさえ、オイルの状態は走行距離目安だけに頼ってます。そして次回交換時まで放っておきがちです。

さて先般いつもどおりのオイル交換をしました。新しいオイルは規定どおり入れておきました。この日はたまたまその後で1時間くらい走行して、もう一度点検窓を見てみたんです。

そしたら、何故かオイルが増えているではありませんか!
点検窓いっぱいまで来てしまっています。どうして?!オイル入れすぎたのかな?!でもちゃんとさっきはLOWとHIGHの間だったぞ。

しばらく頭をひねって、どうやら「熱」と「オイルの粘度」が関係しているのではないかと推理しました。

つまり、エンジンが十分に暖まると、低温時にトロトロしているオイルもサラサラになる。サラサラになったオイルは、エンジンの内壁にベットリ付くことなく、みんな底の方へ落ちてくる。そうするとオイル窓から見えるオイルの量が増えて見える。

というのがぼくの推測です。ここまでは多分正しいのではないかな、と思います。

だけどぼくは「オイル入れすぎた?!」とのあせりから、違う方向へ誤解を深めていきました。
それは

「自分の入れ方は多すぎに違いない!」

という誤解です。
つまり、「完全暖機後オイルサラサラ状態でLOWとHIGHの間に来ているのが本来の規定値なのに、自分はまだオイルが冷めててトロトロしてる状態で調整してしまったので、結果として多く入れ過ぎたのだ」と考えたのです


今この記事を読まれている方は、すぐにそれが間違いだと気付いたかと思います。

だってマニュアルでは2~3分アイドリングして停止後1分後に測れって言ってるんだから、暖機終了後のサラサラ時じゃなく、2~3分しか暖まっていないトロトロの時に測るのが当然だろう、と。

多分その通りなのだと思います。そしてこれこそぼくが至った自己解決です。自分、頭悪すぎます…。
つまりオイル量は、オイルが暖まりきってない状態で計測するものなのです。マニュアルはそう書く代わりに「2~3分暖める」と書いたのでしょう。全て合点が行きます。

だけどぼくは今まで、マニュアルに書かれていた「2~3分」を、「暖機終了後」のことだと勝手に誤解し、ずっと読み替えていたのです。

だから今までずーっとオイルを多めにいれていたのだろうと考え、愕然としました。

「オイルもったいねー!」


ということで、貴方もたまにオイル窓を覗いてはいかがでしょうか。
かつてウォーターポンプのシールが逝かれてクーラントがオイルに混じり、オイル窓の中がコーヒーフロートみたいになっていたことがあります。
前回何時換えたか覚えてないような場合も、色である程度の判断がつきます。15年近くオイルを換えずに倉庫で寝ていたバイクのオイルを換えたことがあります。窓から覗いた瞬間、まるでイカスミだと思いました。
とにかく、チェックする価値はあるでしょう。

なお、以上の温度と粘度の話は全部想像で書きました。間違いを指摘してくださる理系な頭脳の方がいらっしゃいましたら是非教えてくださいませ。

もうひとつの血

2007年09月26日 | ただの雑談
血で血を争えないという話をしたばかりだが、違う意見を聞いたので記憶にとどめておくためにここに記しておく。

昨日妻の実家へ遊びに行った。実家というのは育った家だ。身に付けてきた文化や精神の拠り所ともいうべき場所である。妻の実家とぼくの実家は、生活水準という意味では似ているけれど(厳密には妻の方が1ランクダッシュは上)、家の中の雰囲気は随分違う。
それには博学で話し好きで酒好きな義父の存在が大きい。
正真正銘東大出のインテリである義父は、能(!)を嗜むほか、いつも何か小難しい本を読んでいて、その度にそこから得た知識を「こういう話があったよ」と言って教えてくれる。
妻などは「お父さんのウンチク話ウザくない?」などというが、ぼくにとってはおよそ実父と全然違うタイプなのでいつも興味深い。お酌の相手をしながら義父の話に耳を傾けるのが結構すきなのだ。自分の父が下戸なので、親子で飲むという経験の無いぼくにとっては、もう一人の父親といった感もある。最近はアル中のこともあり病名こそ伏せながらも「ドクターストップでして」とかわしてきたが、今回晴れて汚名返上したこともあり、久々に相手をさせていただいた。
(大丈夫、もうぼくは泥酔しないんだよ!)

さて、わがチビの行動に、ぼくの実父に由来する遺伝を思わせる不安要素があることは先日書いたとおりだ。このことを義父に話してみた。するとこういう返答だった。

「さっき○○(妻)も、チビは私と人骨君の子供だから運動能力が無いに違いないとかいう話をしていたんだけど、わたしはそれは違うと思うね。子供にそういう話をすると、本人が本当にそういう気になる。可能性を狭めちゃうと思うんだな。わたしも小さいとき母親にリズム音痴だと言われたのがずっとトラウマでいまだに拍子をとるときに構えてしまうからね。存外遺伝なんてそういう気持ちの上の問題かもしれないでしょう」

まあ孫かわいさで言ったのが半分だとは思うが、最近なんでも血のせいにしがちだったぼくとしては、そうだなあまりチビの性格もカテゴライズしないほうが良いのかなと思ってみたりした。たとえ血に限った話をするとしても、チビにはこの義父の血も1/4流れているわけなのだから。

根拠はよく知らないけど「ぼくは112歳まで生きる、おまえたちより後に死ぬぞ」と確信している義父が、いつまでも元気であるようにと願いました。

2007夏のツーリング6

2007年09月25日 | ツーリングのレポート
8月29日(水)


【行程】
大阪南港→R25へ乗る→藤ノ木古墳と法隆寺(10:00)→天理市付近で西名阪を避けるためR25を外れてしまい、迷う→R25名阪国道で亀山へ→R306を北上して鈴鹿ICから東名阪自動車道→楠JCTから名古屋高速→小牧北JCTから中央道→内津峠PA(16:00)→虎渓山PA給油荷物チェック、最後八ヶ岳PA→帰宅。
走行561km


【できごと】

☆フェリー内には必要なものだけを持ってきており、バッグやヘルメットやブーツは全部バイクのところへ置いてある。やっぱり船内は身軽に限るよね。

☆今日は「1日雨」みたいな予報であったが、寄港の時点では雨は降っておらず路面もドライ。今日は原則「家に帰る」のだが、なるたけ下道を使い、天気の悪くないところを走っていきたい。ケータイで実況アメダスとにらめっこする。

☆大阪南港からR25を目指す。たまたま通りかかった長居公園というところで、丁度いま世間を賑わせている世界陸上が開催されていた。が全く興味なし。

☆R25八尾市で偶然目に飛び込んで驚いたのが「物部守屋の墓」(9:00)。どこかにあることは知っていたが、まさかこんなところに!ちなみに物部守屋という人物はぼくにとって非常に縁が深いのである。

物部守屋の墓


☆生駒山地を越えて王子に入ったら大雨。適当な空きテナントの軒先で雨宿り&カッパ装備。このツーリングのためラフローの1万5千円のカッパを買ってきたが、とうとう出番が来た。通りすがりのおばちゃんに「雨の中がんばってね」と優しい声をかけられた。暑い。

☆藤ノ木古墳と法隆寺界隈を訪問。法隆寺は拝観料がかかったのでパス。昔からツーリング中には原則「入るだけで課金」のところへは近寄らない。


藤ノ木古墳



法隆寺


☆再度R25へ戻るが、前述の通り道に迷う。多分R24を南下し、近鉄天理線とかに沿ってさまよっていたと思う。ショートカットしようとして田んぼと住宅街の中に迷い込む。大雨で田の水が道路に冠水しており、警察やら消防やらが来ていてヘリコプターまで飛んでいた。さらには話題になった妊婦たらい回し事件がちょうど近辺で発生したところの様子だ。初めてバイクで「水深20cm?」くらいを走ったよ。視覚的にかなり怖かった。

☆R25名阪国道は「無料の高速道路」なのだと理解した。60km/h制限を忘れそう。どうもシートバッグに被せたレインカバーが機能していない様子で、風圧で吹っ飛びそうだ。原因はバッグにくくりつけた銀マットが嵩張っていて、その上からレインカバーをかけているせい。大きさが足りていないのだ。

☆五ヶ谷ICとかいう付近で事故渋滞。渋滞の先でまだ生々しい現場発見。小破したステップワゴンみたいな車が横向きで停まってて、リアの扉が開いていて、めいいっぱいリクライニングしたリアシートに女性が横たえられ、レスキュー隊になにやら手当てされていた。まだ救急車は現場に到着していない模様だった。流血とかはしてなかったので無事だったと思うけど、通行する全てのクルマに晒されていた。多分彼女にとって自分の結婚式とか葬式以上に多くの人の注目を集める人生一大イベントだったでしょう。大雨では通行に注意してね。

☆雨は降ったり止んだり。一時的に止んだようなので伊賀SAというところで昼飯(12:30)。測量風のおじさんたちに「この雨の中バイク?がんばってね。この先もっと降ってるよ」と警告される。アメダス見ながら、「名古屋付近から天気が良ければ下道」等色々考えるのだが、結局雨は降ったり止んだりで上がることはなかった。

☆シートバッグの銀マット問題を解決するため、一旦マットを外した状態でバッグにレインカバーをかけ、その上からゴムひもで銀マットを固定。こんなこともあろうかと持ってきて役に立った、ゴムひも。

☆鈴鹿から再度高速に乗って(13:30)名古屋市街をパスしてからどこぞで降りようかななんて粘っていたが、内津峠PAというところでアメダスを見ても明るい材料ナシ。時間も時間だし、諦めてこのまま全部高速で帰ることにする。再度スプロケット15丁を装着。チェーンオイルが吹っ飛んでるので軽く給油。工具を出してて荷物が濡れてることに気づく。もっとはやく銀マットを外しておくべきだった…。ひとまずは雨ではないので、一旦はカバーを外して、チャックも少し開けて走行風で乾燥を試みる。

☆また降ってきたので虎渓山PAというところでもう一度雨装備。後は八ヶ岳で休憩したのみで帰宅した。結局長野県内から山梨、東京と全部雨。なにかと雑巾が活躍します。ラフローの高いカッパの防水は完璧。

☆雑巾はトラスフレームに結び付けておくと、走りながら乾くから便利だよ!(VTRの人へ)


【たべもの】

朝:高級ジャムパン、タマゴロール

昼:伊賀SAでデカイおにぎり

夜:自宅



< お し ま い >

血の話

2007年09月20日 | ただの雑談
父方の祖母が他界した。通夜と告別式が済んだところである。
ぼくの祖父母はみんな健康だったが、90歳前後で一人二人三人と世を去っていってしまった。あと一人だけになってしまい寂しい限りなのだが、それでもみな長寿だった。改めて現代日本人の平均寿命って長いんだなあと実感する。

父方の親戚一同が約2年ぶりに集まった。育ち盛りの子供ならばともかく、成人ともなれば2年程度ではあまり変わらない。そんな中ぼくは2年前と比べて気の持ちようがやや変わっている。何が変わったかというなら、社会に馴染むように、注意深く客観的に周囲を見るように、空気を読むように、つまるところ日本人らしく振舞えるようになろうと、試みている点だ。

今回親戚一同を見て感じたことは「血で血は争えない」ということ。
初めて会った父の従兄弟の声が、父の兄の声にソックリだったので驚いたこともあったが、それより各人が醸しだす「雰囲気」が似ている。故人の孫世代であるぼくと従兄弟たちも、互いにどこか似ているようだ。そうかぼくはこんな感じに見えるんだな。孫世代で既婚者は、ぼくと、従姉妹のうちの一人だけ。今回その旦那くんが来ていたが、明らかに我々とは違うオーラを発していた。

一方葬式と言えば料理とお酒だ。拒む理由はなくなったので、酒もちびちびと頂いてきた。席の途中、ある従姉妹が核心を突く発言をした。

「っていうか原則○○家の人間(われわれ)って、口下手で人付き合い苦手だよね」

なんというか、ぼくがぼくなのは仕方がないことなのだな。そういう思いを改めて強くする。

ぼくが、奈良にあるというルーツ探しをしており、3世代ぶりに交流を果たしたいと思っていることを従兄弟たちに説明すると、皆興味をもってくれた。未だ見ぬ、「同じオーラをまとう同世代の人間たち」がいるのかもしれない。協力してくれると言う従兄弟もいたし、ある人には当家の家紋を教えてもらうことができた。これからが楽しみだ。


※ ※


荼毘に付された祖母の遺骨を箸で拾う。
人一倍人骨が大好きなぼくであるが、焼骨を拾うのは何とも微妙な感じだ。こんなカサカサの骨になる気持ちは、どうなんだろう…。やっぱりぼくは土葬が良い。あまり焼骨は興味の対象にならない。



「言うだろうな~」と思ったらやっぱり言ったのが、火葬場の職員のセリフ。

「お年の割にはしっかりしたお骨ですね…」

これを云われると一同頷く。誉めてるんだか何だかわからないけど、まあ挨拶みたいなものなのだろう。


もうひとり、「言うだろうな~」と思ったらやっぱり言った人がいる。
祖父が他界した時、父が奇妙な発言をしたことと、果たして祖母が他界した時に父はどんなことを言うんだろうか心配だという話を、以前ここで書いたが、今回も父の出番である。

ぼくは自他ともに認める骨好きだけど、祖母の焼骨を目前にしてちょっと萎えていた。そのぼくそっちのけて、身を乗り出して自分の母親の遺骨を食い入るように見る父。骨を指差しながら火葬場の職員に尋ねて曰く、

「このグリーンのは、何?」

職員「手向けのお花か、ご遺体を包んでいた毛布の色が落ちたのでしょう」


※ ※


会食中に父の兄と話した。彼も趣味人間で、リタイアした現在はひたすらそちらにのめり込んでいるそうだ。詳しくは書かないが、話を聞くにつけ素人レベルを超越している熱中ぶりのご様子だ。

趣味の話を聞かれたのでぼくのおたくな素行について話すと、こんなことを聞くことができた。

「そうかそうか人骨君も相変わらず凝り性なんだね。実は人骨君の父さんも昔から変わっていてね、ほら普通小さい子供といえばみんなで野球とか缶蹴りとかして遊んでたもんだけどさ、何故か父さんはひとりでひたすらアリンコの巣の観察とかしてる子だったんだよな。なんというか、人間の世界には興味が無い感じだったよ」


これを妻に話したら

「やばい、それってうちの子と一緒じゃん…」

確かに近所の子が揃ってカケッコとかやってるのに、誘ってもらってもチビは無視。いつまでも一人で「コンビカー」を漕いでいたり、ひたすらアリンコを追いかけていたり、原付に跨ってブンブン言っていたり、草木に水やりばかりしていて、他の子供たちにはあまり興味が持てない様子だ。

ここでは登場しないが、わが弟はじめ、他の従兄弟たちにも強烈なキャラクターの持ち主が多い。8人しかいない従兄弟も平均年齢は30をとっくに超えているが、子供がいるのはぼくだけ。この血筋が途絶えそうなことに、ふと焦りを覚えた。何か前世の呪いがかかっているのかも知れない。
絶やしてはいけない。
恐山でも行ってイタコに聞いてみるかな。いや絶対行かないな。青森いくなら三内丸山とキリストの墓に行っちゃうよなあ。

別のおじはこんなことを云っていた。

「兄貴たちの話にはついてけないよ。二人とも真面目でさ。俺だけ若い頃から泥酔して救急車で運ばれたり自転車盗んでパトカーで連行されたりだったからなあ」

もういいや。

2007夏のツーリング5

2007年09月16日 | ツーリングのレポート
8月28日(火)


【行程】

阿蘇(9:00)→県道111(阿蘇パノラマライン)で草千里経由→R325→高森峠→R265蘇陽峡→R218道の駅高千穂(11:15)→天岩戸神社(12:30)→R218「神話街道」で降臨ルートを辿って東へ降り、北方というところから主要地方道20→R388→広域農道を通って南下→宮崎県道40→西都原古墳群(16:00)→R219→R10で宮崎港(17:45)→夜は船中泊で大阪行き(19:10発)。今日の走行距離256km


【できごと】

☆今日は比較的ノンビリ出来ると思っていたのに6時には起床。なんでこう目覚めが良いのだろう。今日の朝飯は地元メーカー「リョーユーパン」の「熊本七城メロンクリーム」である。菓子パンばっか食ってと言われるかもしれないが、一応せっかく遠くに来たのだからたまにはヤマパンばっかじゃなくてご当地貧乏パンでも食ってみようかという老婆心あってのものだ。メチャクチャ甘かった。

☆持参しているガスバーナーはカップラーメン用であったが、コーヒーを飲むのにも都合がよい。昨年まで朝はパンと牛乳だったけど、今年は牛乳の代わりにホッとコーヒーである。ちょっとエロい。

☆炊事場の照明用電源ボックスが割られていて、中にはコンセントがひとつあった。ここで携帯を充電。9時までに撤収準備を済ませ、9時丁度に昨日に続きフェリー会社へ再度問い合わせるが、予約不要で乗れそうだ。

☆阿蘇山の南へ向かう。草千里はとっても涼しくて気持ちが良い。しかし駐車場有料につきスルー。
道路には「牛馬優先」の標識。よくよく考えると、本当にそれで良いのかなァ?


草千里。歩行者より牛優先



☆高千穂までは上述の国道を一気に走った。特に印象の無い道路だったが、林業が盛んの様子だ。

☆ひとまず道の駅高千穂に着き情報収集。何となく天孫降臨のルートを辿ってみたかった。天岩戸神社というところが見所が多そうなのでここを訊ねることにする。ほかに寄り道どころも無さそうなので、家用のおみやげも購入。バイクツーリングは荷物が入らないので、無用なお土産品購入は避ける主義だ。よって職場用のおみやげは、後日新宿にある宮崎物産館あたりであとでシレっと買った。

☆道の駅で昼飯を食べた。いわく「高千穂牛牛丼」。久々に米と肉を口にした気がする。食券で買う食堂ふうながら、インスタントではないしっかりした食事で非常に美味しかったよ。

☆色々見所はあるみたいだけど、素直に「ツーリングマップル」にもクローズアップされている天岩戸神社へ赴く。神社の裏手から川に沿って随分歩いたところに天安川原というところがあった。
岩戸に篭ってしまった天照大神を、どうやって引っ張り出したらよいか、八百万の神々が詮議した場所とのこと。
だが大方の観光客はここが天岩戸だと思っていたようだ。ぼくもそう思った。
神社はさすがのご由緒とあって、皇室の訪問者記録や植樹がたくさんあった。


天安川原


☆例の高さ日本一の「高千穂橋梁」は、国道を通過がてら遠目に見ただけで終わってしまった。はやく再建されると良いね。その後の「神話街道」は、国道は谷間の底ではなく上の方を走っているて眺望良好。広い谷間がどんどん先の方へ開けていって、思いのほかグレートで圧巻な眺めです。海に着く前に右折して併走する広域農道を走ることにした。

☆広域農道は気持ちよいワインディング。R327と交差する潮見というところにあったファミリーマートで座り込んで休憩してると、地元の爺さんがニコニコしながら隣に座って語りだした。若い頃大阪へ出稼ぎに行ったら給料が3倍だったとかいう話をいきなり初対面で聞かされる。長閑だな。おじいちゃんと記念撮影して去る。(14:30)

☆県道40を走っていると俄かに雲行きが怪しくなり激しい夕立。だけどあまりに暑いのでこれを胸いっぱいに受け止める。ビショヌレで風を切ると涼しくってナイス!どうせすぐ乾いちゃうしね。

☆西都原古墳群は、男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳の2つがニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの墓と伝えられており、なんと宮内庁管理の陵墓参考地で禁立入。「鬼の窟古墳」は横穴式石室へ侵入可能。人骨的には大興奮でした。もっとじっくり見たかった。


169号墳




鬼のいわや古墳の石室



☆R219でスピードパスで給油した後宮崎港フェリーのりばへ。宮崎は大都会。オシャレな女の子を久しぶりに見た。2等寝台の乗船券を買った後、ターミナル付近のコンビニに戻って夕食と明日の朝食を買い込み、ギリギリで出発。

☆船の中ではサッサとフロに入るのがポイントですね。出航前に大浴場(名ばかりで、10人も入れない)にてフロを済ます。フェリーのフロって、船が動き出すと浴槽のお湯がザップンザップンなるんだよ。

☆今夜は皆既月食。フェリーの看板から赤グロい月を見る。小学生のころみたなあ。船内アナウンスでもサービスで教えてくれていた。
「せせ船長室からご案内です。。っこ今夜は、て、天文、ッ天体、天体ショーの月食。です皆既。皆さん、船旅のひとときに、是非、想い出。作りに。」
噛みまくっていておかしかったです。21時には眠くて寝てしまった。



【食事】

朝:熊本七城メロンクリーム

昼:高千穂牛の牛丼

夜:コンビニ幕の内弁当


宮崎港

人骨最後のアル中

2007年09月14日 | ただの雑談
アルコール依存症(以下、俗称である「アル中」で通す)は正真正銘薬物依存症の一種である。
自分も若かりし日は興味本位で手間をかけて様々な合法ドラッグの類に手を出したものだったが、実は最も身近で入手しやすい合法ドラッグこそアルコールに他ならない。このことはあまり知られていない。我々日本人は酒を嗜む文化圏に所属しているのだから当然だろう。
そして、この病気は治らない。一度身に付いた依存は二度と消せない。タトゥーより消せない。
悲しい恋の想い出より消せない。

しかし俗にいう「回復」は出来る。
すなわち生涯にわたって一切のアルコールを断つことだ。
煙草を止めたい人には「止めるか、止めないか」の2択しかないのと同じだ(脱線するが、煙草に関してぼくは去年の暮れ以降、第3の選択肢である「たまに吸う」で安定している。自分では買わないので、誰かに貰うのみ。ペースにして月に2~3本程度。別に普段吸いたいとも思わない。これはどういう状態なのだろうか?)。
ところが薬物としてのアルコールが持つ依存性(=やめられない度合い)はとても強いそうで、煙草や大麻のそれを優に越えるという。依存に陥ったものは、一口でも酒を口にすればもはや酒量をコントロールできないというのだ。「酒は飲んでも飲まれるな」ということばをよく聞くが、まさに飲まれている状態だろう。
アル中患者が断酒をするのは並大抵のことではない。断酒会やらAAと呼ばれるミーティグが持たれる所以であろう。

また、アル中は俗に避妊もとい「否認の病」と言われる。当の患者が、自らが依存状態にあることを認められないのだそうだ。嫁さんに病院に引きずられて来て、診察室で「オレはアル中なんかじゃない!」と怒声を上げるのはよくあるパターンなのだという。

ぼくの場合は自主的に、いわば自首しに行った。
そこでアル中という判決を受けた。
クソ寒い2月のある日であった。
以来酒を断った。

※ ※

毎日飲んでいた酒をパッタリ辞めた、その最初の数日間は確かにすごく物足りなかったし、まるで自分が不具のレッテルを貼られたようで非常に不愉快であった。
しかしすぐに馴染んだ。言われるほど大したことではないじゃァないか。
だから、心のどこかで「オレほんとにアル中かな?」とずっと思い続けていた。

認められないこと、それはすなわち否認である。この病気に罹患している典型的な証拠かも知れない。
しかし、仮に本当にぼくがシロだった場合。それやあ疑うのが当然だ。濡れ衣ではないか。
断酒中のアル中患者が再度飲酒を犯してしまうことをスリップというそうだ。
スリップをきっかけにした再度の飲酒習慣の再開は、人間を辞めることを意味する。
だけど、お分かりだろうか。疑念を晴らすため、もはやぼくには危険を冒して「実際に飲んでみて試す」というチョイスしかなかったのだ。

そう思わせるのに十分だったのが、通院していた大病院の医師の反応だ。ぼくが離脱症状も経験せずにアッサリと飲酒を止めてしまったことを、明らかに不審がっていた。

「え、本当に飲んでないんですか?」

ぼくがウソをついていると思われたのかもしれないし、自分が下した診断を疑ったのかもしれない。
診断をもらった初回の通院時に、酒を辞めたら幻覚が見えるだろうし震えも来るだろうからと言われ、その時はこれを飲めと何か精神安定剤みたいなのも処方されていた。これも無用の長物であった(睡眠薬としていつか使えるかも知れないので保存してある)。

それ以降の月イチの通院も、30分以上待って、わずか2分の問診で終了だ。
「そうですか。よかったですね。じゃあまた来月あいましょう。」
はっきり言って通う意味が無い。
精神科の医師は、依存癖のある患者から極度にアテにされ自らが依存の対象とならないよう、過剰に同情的になったり、頼られるようにしてはいけないそうだ。ある程度冷たく距離を保つ必要があるという。
それを差し引いても、ぼくに伝わる情報は少なすぎた。何のために通っているのか、ぼくには理由が分からなかった。
ある時など、問診中に先生のケータイが鳴って、そのまま“問診時間より長い時間”どこかへお隠れになってしまわれたこともある。
今、自分がいかにして酒の無い生活に取り組んでいるのかをこちらから話しかけても、「あそう」という感じで、今日の診察経過を1行だけ書き込んだカルテのファイルをぼくに渡そうとして差し出した手を引っ込めようとはしなかった。
目の前にファイルを突き出されて「良いから黙って早くこれを受付に持っていってくれ」という態度をされては、なんというか、まともに相手にされている感じがしない。
病院不信ってヤツ?
先日、アル中という病気を新幹線に喩える話を書いたが、果たしてぼくは今どこにいるのだろうか?本当にもう静岡なのか?
医師はぼくの位置を見誤っていないか?
まだ東京駅を出発していないのではないか?

断酒会とかに参加する代わりに私のところへ報告に来い、という意味なのかもしれなかったけど、それも分からずじまい。
5ヶ月目を最後に、勝手に通院をやめた。

※ ※

そこへ件のドイツ人旅行客の青年が現れたわけだ。
彼はこう言った(英語で)。

「なんだジンコツは飲めない体なのか。OKそれならあとでこう言えば良いんだよクレイジーなジャーマンに飲まされたってな。じゃァかんぱいだ。」

そういって彼は目の前でプシュっとタブを開けて缶ビールをぼくに差し出した。何が出るかと思えばドイツ人なのに麒麟「淡麗」だ。

「吸うかい?日本ではタバコが安くて助かる」

もらったタバコはマイセンライト。

ぼくは彼が現れるのを待っていた!
何でも良いから実験のキッカケを作ってくれる存在を待っていた。
ぼくは躊躇することなく麒麟淡麗をノドに流し込みながら、よく意味の分からない酔っ払いの英会話を続けた。そして彼がペットボトルに入れて持ち歩いていた日本酒ももらった。

「樽酒量り売りでもらったんだ。おいしいよ」

「おーいお茶」のペットボトルに日本酒を入れるなんて、さすがにガイジンならではの発想と思った。しかも味は「菊正宗」とかそういうヤツの味だった。樽の味もしなかった。

かくして、ぼくは泥酔することなく飲酒量をコントロールすることが出来た。彼と何を話したかもよく覚えているし、適宜切り上げてシュラフにもぐったのだ。気持ち良く寝れた。
今まで酒の量を減らそうなんて考えたことすらなかったが、本気でやろうと思えば出来た気がする。それを今改めて証明してみせた。
実験は成功だった。

ただしこれからいつまでも同様にコントロール出来るとは限らない。今だけなのかも分からない。
ひとまずこの「シーボルト事件」以降はまた飲むのを辞めた。

ぼくはどうするべきか。
シロだったことにして、勝手に断酒生活をやめるか。
それとも、やはりここまで続けた断酒生活を継続するべきか。
どちらの可能性もイーブン、分からなくなった。

※ ※

意を決して、先日殿下も入院された久里浜の門を叩いた。日本のアルコール治療における正真正銘の「聖地」である。大雨の中をバイクで走り、三浦半島までやってきた。先月買ったばかりの1万5千円もするカッパの効果は抜群だった。

ここでぼくは改めてこれまでの経過を正直に話した。上に書いたようなことを洗いざらい全部話した。前の病院への通院歴だけを除いて。理由はただひとつ。

「セカンドオピニオンは保険の対象外で、高くなります」

とホームページに書いてあったからだ。セカンドオピニオンの定義はよく知らないけど、とにかく初めて医者にかかったことにした。保険外治療なんて無駄な出費としか思えない。この期に及んで我ながら冷静な判断だったと言いたい。

聖地のゴッドたちは、ぼくの血を吸ったりオシッコを採ったり心電図を見たりまっすぐ歩かせるテストをさせたり内蔵の触診をしたりと4時間みっちりかまってくれた後、こう審判した。



「結論としては、あなたはアルコール依存症ではありません。ただしプレアルコーリックという、依存症の手前の段階と思われます。危険に変わりはないので、もし飲むなら、今の気持ちを持ち続けて、気を付けて飲んでね」



アゲーン!!!!!!!

※ ※

そこまでして飲む理由が欲しいのって、やっぱりキケンなんじゃない?
これから遠慮なくジャンジャン飲むつもりでしょう?

答えはノー。ぼくはとにかくアル中という自らに冠されたディッソナラブルなタイトルを返上したかっただけだ。この思いが一番強い。

「おめでとう、とりあえず今夜は記念に飲んでおく?」

妻が提案してきたが、断った。当面晩酌は原則しない方針である。それに今は彼女が飲めない身だ。

これまでの半年間で、得たものは大きく、失ったものは何も無い。ぼくが唯一誇れるプラス思考の賜物だ。転んでもタダでは起きない。
せっかくの機会だから、自分をよく見つめた。なぜ飲酒に走ったのかを考え、一定の結論に達した。これに対処する手段を考え、実践した。ぼくはもう酒が無くってもやっていける。危険な依存体質は、受け流して違うものにぶつけよう。

もしこれから飲むことが許されるなら。それは余裕をもって楽しく飲む酒が良いかな。
春が来て2人目が産まれた時、きみと乾杯しよう。

(と、言ってみただけ)

2007夏のツーリング4

2007年09月10日 | ツーリングのレポート
8月27日(月)

まずはこの写真を見てもらいたい。この日の朝食である。


高級こしあん



「高級つぶあん」の姉妹商品?裏面には「高知ヤマザキ」と書いてあったが、地域限定なのかもしれない。ちなみに「高級つぶあん」と違うのはアンコが「つぶ」か「こし」なのかだけではない。パン生地がフサフサ系な点、ケシの実ではなくてビッグマックと同じゴマ(?)がまぶされていた点、とにかくそもそも味が違う。
もっとじっくり食べておけばよかったが、向こうで寝ているドイツ人が気になりあまり集中できなかった。

【行程】
9時ごろ出発。ひたすら国道197号を走って檮原~大洲~八幡浜(11:20)。
八幡浜から九四フェリーで臼杵へ(14:00)。
臼杵からは国道502号に乗り、三重町(ここで後述の理由により三重町から臼杵まで引き返した)~竹田市
竹田から国道57号に乗り阿蘇へ。17:00キャンプ場「阿蘇いこいの村」に到着、設営後、再びバイクにまたがり大観峰展望台へ。日没後キャンプサイトへ戻る。289km


【できごと】

☆いつもどおり6時には起床。山中なので朝は日が差すのが遅く、露で湿ったテントをなかなか乾かせずに出発が遅れた。ドイツ人は8時まで寝ていた。

☆ドイツ人と記念撮影して、先に出発。特に寄り道もせず八幡浜を目指す。R197で愛媛県に入ってすぐパトカー発見。法定速度を40km/hくらい超えてるので減速すると、なんと精巧な偽物。
効果抜群。うんこ警視庁は見習ってください。


交通安全


☆大洲を過ぎたところにある「カタヤマ」という家具屋でトイレ休憩。
ついでにフェリー会社に電話。今日乗るフェリーではなく、明日九州から帰るための夜行便のことだ。28日(火)ヨル発の宮崎発大阪行きは余裕アリとのこと。
最終日は「大阪→東京へ走る」で決まりかな。
でも予約はしなかった。

☆フェリーは八幡浜港のほか佐多岬(三崎港)から出るのも含めて何種類かあるのだが、とりあえず八幡浜の港を訪ねたところあと30分で出港という便があったので、1145出発臼杵ゆきに乗る。行先も九州ならどこでも良いやって感じ。臼杵がどこなのかは、知らなかった。

☆港の寸前の本屋で初めて「ツーリングマップル九州」を買った。ほんとに無計画です。

☆船は2時間。船中では昼飯を食い、買ったばっかの地図を見て目的地を阿蘇に決め、そこへ至るルートも考えて、昼寝。一度寝てしまうと今日はもう走るの辞めてこのままずっと寝ていたくなる。うっかりカーペットの上にサイフを置き忘れて隣のおじさんが教えてくれた。これがサイフにまつわる事件の予兆だったとは、この時は知る由もない。

☆九州に上陸して、昨日の反省もあり臼杵市内のセルフGSで給油する(14:20。3lくらい)。しかし機械は何故か紙幣しか受け付けず、やむなく千円入れて給油すると、つり銭の代わりに残額はプリペイドカードで発行された。だまされた!くっそーこのカード二度と使う機会無いんだろうなあ…。

☆R502はのん気に快適に走行。走行しながらカメラをハンドルにたてて撮影。

70km/h?


☆R502臼杵市内(旧野津町?)は「吉四六さんの里」を謳っている。史跡表示看板は見逃さないが、「吉四六さんの墓→」という看板は、微妙にスルー。

☆その先の三重町を抜けたところで雨が降ってきたので、ハンドルにおっ立ててたカメラをタンクバッグにしまおうとしてとんでもないことに気が付いた。(15:10)

「ぎィにゃァー!サイフがねー!!」

さっき給油したセルフGSに置き忘れたことを思い出した。ケータイが圏外なので、三重町の圏内まで引き返し、レシートにかかれていた電話番号にかける。

「ああバイクの方ですよね、店で見つけて預かってます」

とりあえずサイフ消滅という最大のピンチは回避された。
でも既に給油後1時間走っている。ここから1時間往復で2時間のロス。普通ならキレるところだが、何とか自分に言い聞かせた。

「タイムロスは不幸だけど、それでサイフが無かったら最低、サイフがあれば下から二番目。二番目だからガマンだがんばれぼく」

かくして引き返したGSでサイフを受け取り、二度と使わないはずのプリカで再度の給油を果たすことになった。めでたしめでたしィ。
ちなみに片道1hのところを、往復1hで走りきったのは内緒である。初めて下道でぬ30km/hも出した。

☆R502竹田市というところを通る。竹田の子守唄の竹田?
岡城址とかいうところを通る。難攻不落の堅城であると盛んにうたっていた。うーん戦国時代?高橋紹運が島津の猛攻を防いだお城かな?
等々想像しながら走っていたが、帰ってから調べるといずれも全く違っていた

☆阿蘇山へ至る最中、北海道みたいな牧場とか防風林の風景が広がっていた。話には聞いていたけど、カルデラとかいうのの仕組みがはじめて分かりました。
「丸いピザ生地の土手部分」みたいなのが外輪山です。ピザ生地部分が想像以上に広くてビビったよ。

☆阿蘇は24h営業のファミレスもあり何気に結構都会。しかし国道をちょっと離れるとすぐに牧場という素晴らしいシチュエーションだ。携帯もしっかり圏内。よかった。

☆「阿蘇山いこいの村」というオートキャンプ場へ着く。はっきり言って広い。広い公園全部がキャンプサイトという感じだ。

☆キャンプ管理人に「コインランドリーってありますか?」と訪ねたところ、自分たちが作業服を洗う洗濯機があるから、特別に貸してくれるという。またビニールハウスに干しておいても良いとのこと。さっき国道沿いでコインランドリーを見つけたから、どちらか気に入った方を使うことにした。九州人も優しいね。

☆大観峰展望台は、ツーリングマップル曰く「ここを訪れずして阿蘇を語るなかれ」みたいな持ち上げっぷり。分かりやすいから行くことにした。キャンプ設営後に全ての荷物を降ろして身軽になって走りにいった。やはりシートバッグをバックルで外せる設計にして正解である。


うーんワンダフル


☆夕食は地元の「文吾うどん」という店で。バイクで10分くらいかな。冷が既にないというので月見うどん。どのメニューも異様に安い(月見は350)。付近のランドリーは24時間営業だが、洗濯と乾燥は別料金と判明。キャンプ場の洗濯機だけ借りて、あとでランドリーを訪れて乾燥させる計画にした。


☆キャンプ場の二槽式は「全手動」。はっきり言って初体験。まず洗剤を入れて洗う。続いて水を捨てて、注水すすぎする。最後に脱水。脱水に使う「おとしぶた」は、むかし母親が使うのを見ていたから使い方が分かった。
なお、洗濯機は覗くとなんだか汚い。ホース放水で掃除してから使う。
脱水槽にはこともあろうかでかいナメクジが寝ていた。仕方ないから指ですくい取ったが、さすがのぼくも少しイヤだった。

☆洗濯機を回す間、いこいの村の大旅館(国民宿舎?かんぽの宿?)のフロを使いに向かった。フロの前に家に電話。久々にチビの声を聞く。

「オトシャン、モウカエッテコナイヨ」

なんだと?

☆続いてコインランドリーへ。夜中に明かりが点いてるから、はっきり言って虫だらけだ。30分間ひたすら今日の出来事をケータイでプチプチ書く。

☆全部終わったら24時を過ぎていた。明日はのんびり寝坊するかな。



【食事】

朝:あんぱん(高級つぶ高知版)、タマゴサラダロール

昼:フェリーの売店で買ったサンドイッチとチーズちくわ

夜:文吾うどん

2007夏のツーリング3

2007年09月04日 | ツーリングのレポート
8月26日(日)

【行程】
淡路島のオートキャンプ場を8時半ごろ出発。
国道28号を南下し、鳴門大橋を渡り四国に上陸(9:30)。
県道14、12号、国道192号を通って徳島平野を吉野川に沿って西下。
阿波池田からは国道32号を南下。
小歩危峡に至って「三好林業総合センター」とかいうのに併設されているうどんそばの店でうどんを食す(12:30)。
大豊というところから国道439へ入り、本山町、土佐町、仁淀川町等を経て檮原へ。
檮原の太郎川公園キャンプ場にて野営決定(16:00)。走行325km。


【できごと】

☆淡路名物はたまねぎ。あるGSでは「県外のひと、マンタン給油者1個贈呈」を謳っていた。

☆手を離すとバイクが右に曲がるため(元々だけど)、鳴門大橋入口でチェーンラインを修正。

☆鳴門大橋ではうずしおモドキが見えた。

☆吉野川沿いに讃岐ウドンの店が多かった。しかし午前中なので腹が減らなかった。

☆国道沿いに何度も現れる「土柱」のカンバンが気になったが、行かなかった。

☆吉野川の右岸JR徳島線沿いに、川と崖の狭い間に家が並ぶ場所。人権センターみたいなのがあった。

☆「みのにもんたまんじゅう」という謎の看板。そういう饅頭らしい。何故かデザイン絵には袴姿の武士。詳しくは知らないけど、アイデア出した人も採用した人も、すごい。

☆徳島平野は阿波池田で終了だった。ここからはずっと山あい。

☆小歩危での昼食はうどんにしたが、このあたりはウドンでなく祖谷の蕎麦がメインだった。どおりでみんなソバを食ってるわけだ。さらに食後、R32をちょっと進むともっと全然広くて立派な良いドライブインみたいなところがあった…。

☆国道439は全然信号がなく、ひたすら山間を黙って走る感じ。とても快適。そしてひたすら携帯圏外。80km/h程度で凹みを通過すると、リアが1回余計にバウンドする。つまりサスがヘタってきたことに気づいた。

☆途中に「吾北むささび温泉」「道の駅633美の里」というのがあった。R439とR194が交わるので、国道番号を足すと633になるので、「むささ」び、らしい。アイデア出した人も採用した人も、すごい。

☆暑いとのどが渇いた。1日3本くらい500のPETで水分補給をしながら走ったよ。ちなみにお茶は高いからひたすら「水」。ラフローのバッグにはPETボトルホルダーがあって超便利だった。

☆檮原を仮の目標地に定めていたけど、ついたときは時間に余裕があった(16:00には着)。九州上陸を視野に、さらに先の大洲を目指そうと思ったのだが、ちょうどガソリンが無くなった。スタンドを訪ねたが日曜は全て閉店。やむなくこの町で一晩明かすことに。

☆檮原は宮本常一の「忘れられた日本人」に出てくる「土佐源氏」の舞台である。感慨深いものがある。キャンプ受付でその話を聞こうと思ったけど、聞きそびれた。

☆テントを張ろうとしたら白人男性に英語で声を掛けられる。「そこに設営するより、ぼくが張ってる上の方が良いサイトだよ!(英語)」。色々悩んだ末、まあ旅の思い出に良いだろうということでこの人とお付き合いすることにした。日本語は全く話せないドイツ人であった。以下の行動は全て彼と一緒である。

☆いきなりビールで酒盛りをしてしまった。あえなく断酒記録は中断。まあ楽しい時くらいは構わないか。ちなみに適量でやめたよ。

☆公園併設の温泉に入る。ドイツ人は、日本人のぼくよりも温泉好きだ。タバコももらった。

☆24時近くまで色々語り合う。ビートルズが歌える程度の英語力でも何とかなった(多分)。

☆ドイツ人の夏休みは6週間らしい。うらやましいことを「envy」というと教わった。

【食事】
朝:あんぱん(ノーマルつぶ)、ランチパック(ダブルチーズ)

昼:ざるうどん(並)

夜:カップやきそば、缶ビール4本…


R192から吉野川



小歩危峡。水がグリーン。

2007夏のツーリング2

2007年09月02日 | ツーリングのレポート
8月25日(土)

【行程】

朝8時。妻子を置いて自宅出発。
中央道経由で西を目指す。どこまで行けるかな。一気に3時間走って恵那峡SAで給油と昼食(11:00)。
1時間休んだあと、続いて2時間走る。小牧から名神道へ入り、大津SAで休憩(14:00)。アイスを食った。四国までは問題なく行けると確信。淡路島のキャンプ場へ何箇所か連絡を試みる。飛び込みOKの所が複数あったので安心。
1時間休んだ後、さらに1時間走る。だんだん連続航続時間が減るのは、スタミナが持たないせいだ。
名神道から中国道、山陽道の順で走り、淡路島へ上陸(16:10)。淡路SAは色々遊べる複合商業施設の体をしていた。
ここで下車し、下道に入る。国道28号を少々走り、給油後「淡路島ワールドビレッジ」というところで今夜の宿を取る(17:30)。オートキャンプ場である。1日2500円。
走行距離は634km、ほとんどが高速道路だった。


【できごと】

☆こだわっただけあって、バッグの取り付けはパーフェクト。前につんのめってきたりすることも無く快適。

☆ドライブスプロケットを15丁に換装して出発した。高速道路での効果はてきめんで、100km/h超の巡航時の快適さが全然違う。丁度8000回転で120km/hをキープ。今回のツーリングはずっとこのまま行っても良さそうだったけど、重い荷物背負って低速走行することもあるだろうから、この夜キャンプ場でもとの14丁に戻しておいた。

☆高速道路をラクに走るための秘訣を教えよう。耳栓をするのだ。どんな優秀なヘルメットでもある程度の風切り音がするだろう(ぼくは今使ってるOGKのFF-4より高いメットは被ったことが無いけど)。高速道路ともなればかなりの騒音になる。この風切り音がカットされると、驚くほど疲労が少なく運転に集中できるのだ。聴力を失うことについて賛否両論があるだろうが、街中で音楽聴くよりはマシだと思う。

☆フューエル1の効果あってか、1200だったアイドリングが大体元通りになった。だけど1200くらいの時もあれば1400くらいの時もあるという感じ。というより普段がどんなだったかあまり覚えていない。ただVT250FEもそんな感じだった。

☆朝からクソ暑い日であったが、中央道は小淵沢から恵那あたりまでずっと涼しかった。

☆名神道八日市ICを過ぎた付近で、左手に綺麗に復元された前方後円墳が見えた。

☆名神道本線と京滋バイパスの選択肢は、初めてなので本線を通った。

☆淡路島のR28沿いに巨大な観音様発見。田舎。

☆久々のテント設営だけど、土曜日のオートキャンプ場は家族連れで賑わっていて、寂しい感じがしなかった。というか周囲はかなり都会だった。

☆キャンプのかいものはSATYにて。設営を終えてスプロケを戻し日が暮れてから買出しに出かけた。しかし歯磨きセットを買い忘れて21時過ぎに再訪した。

☆コインシャワー、1回3分間だけで粘って済ます。ぼくの隣におじさんが入ってきて曰く「コインシャワー…?お?」、コインを入れて「お?」湯が出て「お?お?」終わるまでずっと「お?」だった。

☆場内にコインランドリーがあったので、洗濯・乾燥もできた。


【食事】
昼:恵那峡SAであんぱん1個
おやつ:大津SAでアイスモナカ1個
夜:カレーヌードル、ローストアーモンド半袋


恵那峡SA




キャンプ場

2007夏のツーリング1

2007年09月01日 | ツーリングのレポート
ロングツーリングにいってきました。
昨年の北海道は途中で書く気が失せたので、今回は手短に書きます。

今回の行先は、どこまで行けるか分からないけど、何となく西。
西といえば、3年前の秋にも山陰地方にツーリングにいった。この時、当初実は九州最南端を目指すつもりであった。しかし日本をナメていたことがすぐに判明。結局出雲大社までしか行けなかった。
よって今回は「より遠くまで」を最大目標にし、見物ポイントはあまり設けず、走りっぱなしツーリングにした。
もちろん、距離に拘らず立ち寄りや見学重視でまったり行くのも悪くない。
でも、変わっていく風景や地形をただ眺めたり、どういう所に川が流れ、集落が出来ていのかなんてことを考えながら、特にどこかへ寄らずに延々と走りつづけるのも、結構好きなのだ。
使える時間は4泊5日。長いといえば長いが、例えば九州まで走っていきたいのだとしたら、のんきに油を売っていられる時間は多くないだろう。

宿泊は費用節約のためキャンプ・野宿・船中泊としたい。テント泊は撤収時に雨だと非常に面倒なので、翌朝が明らかに雨なら宿利用も止む無しとした。

なお、実は22日朝に原付で転倒し左掌と右肘にスリキズを負ってしまった。急いで治したいので「モイスト・ヒーリング」に初挑戦する。出発前の状態がこれ(←グロ注意)。帰宅後の状態がコレ。真中のクレーター部分以外は皮膚が再生しているのが分かるだろうか。「キズパワー」なるバンドエイドを貼りつづけることで怪我を苦にすることなく旅を楽しむことが出来た。

では、以降は行程1日分につき1投稿、箇条書きで分かりやすくという書き方で行ってみようと思います。