人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

バック・トゥ・ジ・オーディオ(7)

2021年04月13日 | 70年代ロック雑談
7.むすび
だが冷静に自問自答を続けよう。私が今やろうとしていることを、別の事象に置き換えて例えれば、それがマニア的なのかそうでないのかを客観視できるかもしれない。
さしづめ軽トラックに皇室御料車カスタムを施すようなものか?「エンジン付きで走行さえ出来れば軽トラで一向に構わない、いや、むしろ軽トラ以外はベース車両としてお断りだ!」と強くこだわりつつ、「全面強化防弾ガラス装着とドア観音開きは必須なのに、なんで防弾なだけで窓ガラスごときがこんなに高いのか?!」安く上げるための軽トラなのにwhy⁈¡みたいな感じか。何故そんなことをしているのかと言えば、防弾窓ガラスを普通のことだと思っているから、、、。
いやそれは普通じゃないよなあ。改造ベース車がトヨタセンチュリーで本気の御料車を作りたいならまだ判るが(それでもおかしいけど)、やはり狂っているのか、これもマニアなのか。
そうかマニアだ、わかったマニアだ認めよう、なんとなく分かった、クルマ好きが昂じてランボルギーニまで買っちゃった高級車マニアと、カネは無いけど特定パーツへのフェティシズムなまでのこだわりがあるフェチマニア、自分は後者であって、どちらも大きな括りではマニアだ。スタイラスとかカートリッジとか言ってる時点で、高い高い言いながら買ってる時点で、既に「入門」済みのマニアだったんだよ(相当に奥深そうなので永遠の初心者ということにしておきたい。深入り、すなわちMC型には決して手は染めまい)。これならアナログなんて聴かずに、配信とCDだけの方がよっぽど手っ取り早いではないか?阿呆なこだわりの持論展開とアナログ再生なんてやめちまえば良いのか?

そんな折に気になるニュースを聞いた。ステイホームのコロナ禍にあって自宅で聴くビニールの新譜売上額が急上昇し、1987年以来CDと再逆転したというのだ。世界中でみんながアナログを聴いているのか?!ハードオフには無いが、HMVやディスクユニオンに行くと必ず新品コーナーがあって、わざわざ新録や旧作の最新デジタルリマスタリングをビニールで新品販売しているが、あれのことか?!私はあれの意味が分からないぞ。せっかくデジタルマスターならばデジタルで聞けば良いのに何のためにメディアフォーマットをアナログに戻してくるのか??すなわち「ADA」や「DDA」の存在意義や如何に?先に示した私のアナログとデジタルの違いの定義に当てはめた場合、音楽以外の部分を再現したいのは理解するが(この場合は厳密には再現ではなくてシミュレーション止まりだが)、「中身の音楽は最新」だなんて本末転倒じゃあないか。まあ仮にカッティングなりプレスの技術がめちゃくちゃ進化していて、「接合丸針だろうがなんだろうが、どんな針でかけても絶対歪みませんから!」と言うのならば聴いてやっても良いけど、、、あるいはそれが「最近少し興味があるものの今のところ全く造詣のないジャンル」すなわちジャズとかだったら「マイルス・デイビスとビル・エヴァンスが共演しているあの名盤(なんてあるのか知らないけど)を最新リマスターでアナログ・フォーマットで限定販売!」とか言われたら普通に面白そうかなと思ってじゃあ買ってみようかという気もするので、私は自分勝手なものである。

ところで、話はさらにエスカレートして昨今では「CDでは聴き取れない音がアナログだと聴き取れる」というWEB評論も見かけた。こうなるともはやオカルトと言って良い。それからオーディオ評論家の相変わらずの抽象的な論調にもウンザリだ、やれボーカルがくっきり前に出た感じだの粒立ちだのきめ細やかさだの立体感だの解像度だの臨場感だの伸びやかだの温かみだの、伊藤政則氏(大ファンです)ばりにちっとも説明が具体的じゃない!アマチュアながら音楽作ってた側の人間として言いたいのだがそんなもんはミキシングとマスタリングで決まるんだってば。制作側が想定する再生環境は特に60年代70年代こそ安物のポータブルラジオが前提であった。だから「再生マニア」を標榜するリスナーがいたとすれば音響的に拘るべきことは2つのみ。すなわち鳴らしたい音量を担保する出力のあるアンプとそれに対応したスピーカーの確保だけ。スピーカーは鳴らす音域を分担させて2way以上にした方がコストをかけずに高いパフォーマンスを発揮するはずだ。それ以上の違いは単なるイコライジング効果と同様なので、残念ながら再生しようとしている録音の仕上がり次第で既に決まっているから、最終再生環境にどんだけ金かけても意味が無いというのが私の持論である。高級オーディオマニアが求める「理想の音」ってのが仮にあるのなら、ぼくだったらグラフィックイコライザー1つ挿させてくれればそれを作り出してみせるね、そしてぜひブラインドテイスティングしてほしい(嘘です)。

結局、遅かれ早かれこのようなプラシーボだけが広がって高級マニアを喜ばすのだ。ならば我々フェチマニアは、CD慣れした耳でアナログを裁いて、70年代ロックに対して、あらゆる旧譜に対して、贖罪しなければならん!アムロ、なんでこれが判らん!

同胞たるオーディオマニア諸兄さえを敵に回すような特殊マニアぶりにエゴだよそれは!と論破されて終わろうと思います。レコスケでも読んで気持ちをリセットしよう。(終)

問題のやつ

バック・トゥ・ジ・オーディオ(6)

2021年04月12日 | 70年代ロック雑談
6.私はオーディオマニアなのか?
店舗までの移動手段は自転車(ブロンプトン)であった。行きは全部漕いで帰りは輪行するつもりだったが、思わず帰りも全て漕ぎ切った。先に購入した針が実売価格では8,000円、今買った針が同じく23000円、合わせて3万円超。私は何をやっているのだろう?レコード再生時の歪みを減らすためだけに、それだけ投資する価値があるのか。そんなことを考えていたら「このまま電車に乗らずに全部漕げば、数百円浮く」という貧乏くさい考えに乗っ取られてしまったのだ。
端から見られた私の姿は、春風を浴びて気持ち良さげにサイクリングしているのんきな中年男性だったはずだが、実際の私はさらに深く自問自答を続けていた。まさか、私の父親がカセット野郎だった理由は、まさにこれだったのではないか?だとすれば父はなんと偉大なのだろう。すなわち、LP全盛時代にも関わらず技術の限界に早々に見切りを付け、それには1円たりとも投資せずカセット野郎に身をやつし、雌伏しながらソニーとフィリップス社によるデジタルメディアの開発をしたたかに見守り、いよいよ具現化したCD技術が市場を席捲してLPを死に至らしめるのを確実に見届け、値段も落ち着いたところで満を持しておいしい所取りってわけだ。父親の小さなCD収納ケースを思い出した。明らかにカセットテープ時代のそれよりも、数量面において充実したライブラリに仕上がっていた。カセットからちゃっかりCDに置き換わっている盤もあった。ビートルズものは「オールディーズ」のカセットメディア1本のみだったが(私が散々聴いたやつだ。何故かアナログと曲順がまったく違ってB面最後が「イエロー・サブマリン」だった)、今では赤盤&青盤である(曲目的には「バッド・ボーイ」だけが被らないな)。その先見の明たるや、改めて畏敬の念をもって父親へ思いを致しました。
帰宅後、恐る恐るスタイラスを交換した。この小さくて精密なスタイラスは取り扱いに注意を要する。にも拘わらず、他のオーテクのスタイラスがみなスポスポとカートリッジに挿さるにも拘わらず、精度の問題かエライ硬くって中々カートリッジにハマらない。「お前処女だったのか」等と一人で冗談を言いつつも、万一手が滑ってスタイラスを壊したりしたら23,000円が血だらけもといおじゃんであるから、精神的なテンションはきつめである。格闘すること数分で私は汗だくになったが、「バチン!」という精神衛生上良くない音を伴いつつなんとか無事合体させた。早速あえて歪みの酷い盤をかけてみた。想像通り残念ながら歪んだままだが、多少はマシになったのは間違いない。それなら「スマイル・アウェイ」はどうかというとこちらは改善が著しく「内周歪みは気にせず聴けるレベル」に化けた。これで方向性は定まった、歪みの改善はスタイラス(のチップ先端の形状)にかかっている模様だ。
それ以外の確認事項はどうか、私は何か怠ってはいまいか。
プレーヤーの設置に際しては三脚用の水準器を用いてちゃんと水平を出した。アームのゼロバランス(水平)もスケールを当てて確認した。針圧計は持っていないが、1.4〜2.4くらいまでの範囲で色んな針圧を試したが変化は劇的までではないので、マニュアル通り水平で0gリセットしダイヤル目盛りで本スタイラス指定の2.0g程度とする作法で良いだろう。もちろんアンチスケーターも針圧条件と揃えた。オーバーハングも5.0cmで指定値通りだしゲージでチェックしても問題ない。トーンアーム調整機能は無いから、もう他に調整出来る箇所はない。
この条件でスタイラスのグレードを上げたら歪みが改善したのだから、これ以上の改善のためには、シバタ針⇒ラインコンタクト針にグレードアップすれば確実、ということだ。

これまでで最も歪みを少なく再生できた

そこでオーテクのサイトにちらり目をやった。ラインコンタクト針60SLCを採用した700シリーズのVMカートリッジ最高峰「VM760SLC」のお値段は、買おうと思ったことすらなかったから未チェックだったが…定価で税込88,000円。軽く眩暈のする数字だ(MC型カートリッジであればさらに上がいるのだが…)そこまでしなければ、あるいはしてもなお、レコードの再生サウンドは平然と歪んでみせるのだろう。とは言え手の届かない金額では無い。ブロンプトン本体より全然安価ではないか。アナログは音の入り口がスタイラスでありカートリッジ、ここがしっかりしていなければ、その先がいくらしっかりしていても、まともな音は得られない。当たり前のことを言っているつもりだが、この発想が既にマニアックなのか。アナログを、普通に、普通な音で聴きたい、たったそれだけのために必要な金額が、普通に88,000円である。冒頭で述べた意見表明をここで復唱する。
「アナログプレーヤーやLPレコードを一言で言うならば『人生の思い出』という程度であり、とことん突き詰める気は毛頭無い。単に鳴らして聴きたくなっただけだ。」
だから自分はレコードプレーヤーの出力先はわずか2,000円のフォノアンプだし、使用ケーブルは500円程度だし、さらにその出力先は2万円未満のコンポ、再生スピーカーのケーブルは付属品だし銅線をクシャクシャに畳んだやつ、それで構わないと言っているのだ。この時点までならオーディオマニアではない。なのにアナログの再生ピックアップ部分だけに既にシステム全体の半額を注ぎ込んでいるのは、とてつもなくアンバランスだ。仮にここをさらにグレードアップすれば、最大で「88,000円+20,000円(未満)」にまでアンバランスの拡大が可能という算段だ。
私は自分をオーディオマニアとは思いたくない。オーディオマニアというのは、アンプやらスピーカーに自動車が買えるくらいの金額を注ぎ込み、ケーブル周りなどオプション品にさえも平然と万単位注ぎ込む人種のことだろう?自分のコストパフォーマンス感覚ではそれをやる気は皆無だ。とは言え電蓄みたいな5000円のプレーヤーを使いたいかと問われれば答えはきっぱりNOだ。音揺れはリスニング時に非常に萎えるので駆動方式はDDに限るし(最近はベルトドライブがえらい進化しているらしいが)カートリッジ交換こそアナログの醍醐味だろう、何しろ中学生の頃から憧れていたんだから。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(5)

2021年04月09日 | 70年代ロック雑談
5.私のアナログ人生(リターンオーディオ編)
さて、先月アナログプレーヤーと再会したのは上述通り。最近はちゃんとしたオーディオ用のアンプリファイアにも「phono」入力端子がなかなか付いていないらしいが、安物コンポは言わずもがな。AUXがあるだけで褒めてやりたいくらいだ。と言うわけでフォノイコライザーを買い求めなくてはならなかった。Amazonで購入したのだが、手違いによりオーテクの5,000円クラスのモデルとサウンドハウス系統の2,000円クラスのモデルの2種類を注文してしまった。試しに両方とも使ってみたところ、意外にも2台のフォノアンプはかなり味付けが異なるので驚いた。端的に言えばにはオーテクのは高音が籠り出力が小さい。サウンドハウスの方がよりCD的で好みであるし(そこはやはりCD世代)、出力レベルの調整ツマミまで備えているので、もっぱらこれを使うことにした。ただし電源をいれるとAMラジオに盛大なノイズが乗るので、干渉が忌避されるオーディオ界の製品としてはイマイチなのではないか。その点オーテクの方はそのようなノイズは全く無し。こんなところでもアレンジが可能なのが、アナログのアナログたる所以か、フォノ「イコライザー」という名称所以か。これまでフォノイコライザーはアンプ任せと考えていた自分は考えを改めた。

2,000円程度のフォノイコライザー

続いて昔と同じくカートリッジのことを考えた。第一に歪み対策である。色々トライ・リサーチした結果、シェルとカートリッジは手持ちAT100E/Gのものとし、スタイラスのみを新品交換することにした。「まず針を新品に、それが最も有効」と考えたからだ。何しろ今使ってる針で何百時間聴いたかなんて全く定かでないし、子供に悪さされて傷んでるだろうからである。が結果は違った。新しければ良いわけではなかったのである。
オーテクのHPを見て2つのことにたまげた。1つは2016年からVMシリーズを一斉に多品種展開していたこと、もう1つはその値段だ。オーテク公式サイトのカートリッジ/交換針の互換表は中々読みにくいが、要するにAT100番台シリーズは過去のもの含めて全てスタイラスに互換性を維持したまま現在に至っていると理解して良い。あとは針のグレードなわけだが、この値段はどうしたものか。針ってこんなに高かったっけ??今使ってるカートリッジは確かシェル込みで1万円ちょい程度だったのだが…。とりまAT100Eと同じで一番安い「接合丸針」で良いやと判断し、10CBというスタイラスを手に入れた。それですら税込定価10,000円超だ。
交換してみたところ、特に何も改善しないばかりか、手持ちの中古120Ea楕円針と比較のために同じ曲を再生しそれをMP3に録音して聴き比べてみたところ、接合丸針の新品10CBよりも中古120Eaの楕円針の方が僅かに歪みが少なかったのだ!これには衝撃を受けた。針ひとつでここまで違うし、新品でも丸針じゃダメってわけだ!ならば楕円針のもう1グレード上を目指すか!ということで「マイクロリニア針」なる40MLと言うスタイラスを求めることとしたのだ。
それにしてもこの40MLとは針ごときで税込定価29,000円とはどういう事だ!!ここまで来ると、カートリッジとシェルをどうするかも問題となった。と言うのは、あまりに針が高いゆえ、カートリッジとシェルのセット39,000円が割安に見えてしまうのだ!メーカーに聞けば「全部買え」というに決まっているので、店員に聞いてみることにした。
「かくかくしかじかでこういう経緯です。スタイラスのみか、カートリッジごとか、シェルまで丸ごとか、如何?」
店員氏曰く、
「VM700シリーズのカートリッジなら買換え効果があるかもしれないが、500シリーズならAT100のカートリッジと差は出ないだろう。お客さんみたいに、自分でスタイラスやらカートリッジだけ交換できる人は、スタイラスだけでも良いと思う。とはいえメーカーは『セットでブランニュー』なんだって言っていますからセットで買うのも手ですね。付属のシェルは完全に安物ですよ、でも、買ってすぐトーンアームにポン付けしたいっていうものぐさな人も一定数居るから売れるんですよ」
「なるほど。もう一つお尋ねします、VM95という別カートリッジのシリーズも出ているらしいが、あれは自分の時代には無かった。同じマイクロリニア針でもあちらは格安。これ如何?」
「ああ、あれは入門用廉価カートリッジですよ。お客さんは手を出しちゃいけません」
とのこと。丁寧にアドバイスをいただいたものの、回答をもらったわけではないので、しばらく悩みますと伝えて5分考えた。イマイチ腑に落ちない。自分が昔買ったAT100は1万チョイだった、95シリーズと値段は大して変わらないのに、95へのdisりっぷりはなんだ?あと「入門」という言葉が引っかかる。どういう世界なのだここは?レコード聴くのに入門もくそもあるまい。自問自答の末、再度声を掛けた。
「…スタイラス40MLだけにします」
それが良いですよ!
正解だったか。やっぱり店員さんだって、より高い商品を売りたいわけだ…。
「…ま、高杉です。コンポが2万しないのに針が2万超えるって。」
「おやそうなんですか!(毎度ぉ)」
店員さんに愚痴った通りなのだが、コンポが2万円しないのに針が2万を超えるというのはどういうことだか、さっぱり意味が分からなくなってきた。店の売り場を眺めると「電源ケーブル」「スピーカーケーブル」「インシュレーター」みたいな小物に万単位の値段が付いている。そうか、ここはマニアが来る場所なのか!オーディオマニアは金に糸目は付けないって聞いたことあるけど、それか。そういう市場であるがゆえに、自分が「必要としている」カートリッジやスタイラスが異常に高騰しているのではないか?だとすれば私にとって迷惑な話だ!!と、この時は釈然としなかった。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(4)

2021年04月08日 | 70年代ロック雑談
4.私のアナログ人生(充実編)
2013年にとうとうDDの現在のプレーヤーを譲られて入手したが、この頃になってようやくアナログ特有の問題に気付いてしまった。
その昔、アルバム「クラウド・ナイン」を聴いたら「セット・オン・ユー」の音質があまりに酷かった。その時は「そうだよなあ、みんなこの曲ばっか聴いてたからレコードが擦り切れちまったんだろうなあ」と勝手に納得したのだが、新たに手に入れた「RAM」の「スマイル・アウェイ」が同じように音質が悪かったので首を傾げた。誰が「スマイル・アウェイ」を擦り切れるほどリピートするだろう?ここだけ繰り返して再生されたってのは考えにくいんじゃないかな?それにEL&Pの「海賊」が前半のクライマックス「This town is ours tonight!」の箇所と、コーダの「Gold drives man to dream!」の箇所でバックは同じ演奏なのに、後者の音がすごく悪いのは何故か?とりわけ高い音がビリビリいうのは何故だろう?
それが「歪み」とりわけ「内周歪み」であるわけだが、知識として歪みのことを知ったのはもう少し後のことであった。初めは事象として、経験則的に、なぜか最終曲の音が割れる事が多いようだと識るところから始まった。内周に行くにつれ歪むのは、レコードの構造的な宿命であったのだ。
私はプチプチいう「ノイズ」は割と気にならないが、びりびりばりばりと歪むのがどうにも苦手である。音が割れた瞬間にイヤーな気分になる。たまに内周どころか全周に亘って歪むどうしようもない盤もあるが、この場合は盤がいかれていると判断して捨てることにしている(実際はライブラリの「ゴミ箱エリア」へ追いやっている)。はじめのうちは自分の再生環境に問題があるのかと思っていたが、中でも「全周歪み」はむしろレアなので、その場合は私ではなくて盤が悪いものだと断定している。これは検盤しても見た目ではわからないから厄介だ。試聴しなければ見つけられない。歪みは特に既にCDを所有している盤をアナログで買い直した場合に、CDの音を知ってるゆえに余計に気になるものだ。洋楽ロックであれば、大手中古レコード店の格安コーナーに放り込まれている人気盤・有名盤が要注意である。彼らは品定めを間違えてそこへ置いたわけではなく、どうしようもない盤だからこそ、人気盤なのにそこへ入れたのだ(経験済み)。過去のオーナーの誤った再生行為に起因する盤の痛みなのだとすれば、どのような再生状況下であればそれが起きうるのか?自分には測り知れない。だがクラシックで酷い歪み盤に出会ったりすると、ジャケットなどの状況からも乱暴に扱われた形跡が無いのに何故だろう?最初からダメ盤だったのではないか?などと不思議に思う。結局のところ全周で歪むダメ盤が何故ダメになったのか、あるいは元々ダメなのかは、今のところは謎のままである。私の環境に原因がある可能性も完全に捨てきることは出来ない。こんなところもアナログの奥深さであろう。
私のプレーヤーは譲受当時、オーテクのAT120Eaというカートリッジが付いていたのだが、2013年に同メーカーからシェル付き新品カートリッジAT100E/Gが発売されたので、スタイラス・カートリッジ・シェル共に、試みで新調してみた。結局それは何ら歪みの解決には繋がらなかったのだが、カートリッジとスタイラスの組み合わせ次第で、若干歪み具合が違うことに気づいた。また最近知ったが、AT100Eに付いていたのは「接合丸針」で120Eaは「無垢楕円針」という違いがあり、後者の方が高性能である。だが無知だった当時の自分は、カートリッジを120Eaのものにし、スタイラスだけ100Eを付けて、その後先日までずっと使っていた。この問題は後述のリターン編で再度直面することになるので、そこで改めて詳報したい。

ところで、私は2013年以降中古レコード店よりもハードオフの100円ジャンクコーナーに足が向くようになった。洋楽ロックも相変わらず好きだが某大型チェーン店に通っていてはすぐに財布の底がつきそうだし、私は実は洋楽ロックよりも余程ニッチな市場である「邦楽懐メロ」と「クラシック」も守備範囲にしているので、100円ジャンクにはまさに欲しい盤が"たまに"あるのだ。それより何よりハードオフでレコードを漁る人間は少数派なので、大型店よりも空いているから鼻歌交じりで自分の世界に没入できて気分転換にうってつけなのだ。さらに、ハードオフのジャンク盤たちには1970年代の日本人の生活様式がそのまま封じ込められていて、ノスタルジックな気持ちに浸れることも楽しい。例えばだ。
・購入日と思われる年月日が書き込んである物。
・かつての自分のような少年がかじるように聴き込んだのであろう、夥しいスピンドルマークにキズだらけの盤と、折り目で破けてボロボロバラバラのライナーノーツ。
・イージーリスニングに分類される大量の盤。これは当時音楽は自宅でステレオの前に座って聴くものだったせいか、「音楽なんて大して興味は無いけど景気が良くてボーナスも弾んだから、家電製品欲しさで何気なく入手してしまったステレオと抱き込みでつい無駄に買ってしまった疑惑」なポール・モーリアやレイモンド・ルフェーベル(当初、状態の良いものを選んで確保していたが、5枚程度でこのジャンルの制覇感に至ったので以来パス)。
・同じく大量の日本の民謡全集。当時は明治時代後半に産まれた人がまだまだ大勢いたはずだからね。ソーラン節をアナログで聴くぅ?not at all.
・よく出会う常連アーティスト⇒「さだまさし」「グレープ」「アリス」「吉田拓郎」「アルフィー」「小椋佳」「松山千春」「長渕剛」「チェリッシュ」「八神純子」→彼らのアナログ盤が欲しいというファンの方は、是非ハードオフに通うと出会えると思います!(私はnot at all)

またごく稀にであるが、たまに誤って本来100円ではない盤が紛れ込んでおり(「当たり」と呼んでいる)、こういうのを見つける楽しみもある。これまでの当たり代表選手:大瀧詠一の「ロンバケ」(拾ったのは彼のご生前でしたが)、カーペンターズの「ナウ&ゼン」、ビートルズの「HELP!」(国内盤カラービニール)。そして極めつけがツェッペリンの「IV」だ。これはUNTITLEDであることから店員さんが見抜けなかったのに相違ない。現在ならDiscogsで番号を検索すれば一発のはずだが、店員さんが専門家ではないゆえに発生した、中古レコード店では起こり得ないハプニングだろう。大変愉快であった。

100円で当たった盤ども

ジャンク棚に晒されてきたレコたちは破れや砂被りなどジャケットの状態が悪い物が多いし、盤も大層汚れている場合やカビが生えてしまっている場合も多い。何しろジャンクレコ漁りの終了後は「要・手洗い」なくらいだ。このような状態で拾って持ち帰った盤に対して、ジャケットをきれいに拭き上げ、盤面にアルカリ電解水をスプレーして汚れを浮かし、マイクロファイバークロスを用いてキレイに拭き取り、乾燥させてからプレーヤーにかけるのだ。学生時代には盤を洗うという発想は無かった。チリチリ音は洗って乾かしてから再生することでかなり解消するものだ。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(3)

2021年04月07日 | 70年代ロック雑談

3.私のアナログ人生(成長編)
時代が過ぎて90年代も後半、大学生になった自分は電蓄からまともなフルオート機にアナログプレーヤーを更新し、かつてより頻繁にレコードを買うようになっていた。時代はまだインターネット前夜であり、情報ソースとして「レコード店MAP」などが書籍で売られていた(自分は買わなかった)。自分はこの頃になるとビートルズモノはソロの7インチB面の未CD化曲狙いに特化し(例:「アイルランドに平和を」「ディン・ドン」。7インチは、洋楽でも1枚10円てのがざらにあった)、新たにハードロックやらプログレなどへも食指を伸ばしていたが、1,000円以下のものにしか手を出さないという原則があった。何故なら1,000円を越せば「もうちょい積めば輸入盤CDが中古で買えるな」という心理が働いたためである。CDが正義という空気は未だ健在であった。当時世間では、少なくとも私は見たことも聞いたこともないマニアックな珍盤が「世界初×日本限定CD化」等されていた。
一方で、既にCDで持っている盤をわざわざアナログで買い求める逆転現象が自分の中で起き始めたのもこの時期である。例えば「ジョージ・ハリスン帝国」はどうだ。あの穴空きジャケットはアナログでなくては楽しめない。オール・シングス・マスト・パスやバングラデシュ・コンサートだってBOX入りが良いし、EL&Pやツェッペリンなど「変形ジャケット」も枚挙に暇がなかった。そもそもあらゆるアナログジャケットのあのサイズ感、それをカンバスとしたアートワーク(CD世代にとっては驚異的な拡大となる。ビートルズならば「リボルバー」が一番感動するだろう)、ジャケットの紙質も様々だったし、ディスクを納めたときのズシリとした重量感なんかも、実際に手に取ってみなければ味わえない。さらにはインナースリーブにまでアートワークが施されていたり、豪華ブックレットが標準で挿入されていたり、こういう部分がCD化に際してしばしば省略されてしまっているのは残念極まりない。残念というか詐欺とさえ思う。アナログを買い求めて初めて「なんと、こうなっていたのか!」と知って、目から鱗となることが、哀しいほどしばしばである。レーベルシールのデザインに至るまで全てその作品の構成要素なのだから、CD化に際してはよろず再現すべきなのに、音楽だけCDフォーマット化してオシマイというやっつけ仕事があまりに横行している。紙ジャケットCDであっても、全く再現していないパチモノまがいの盤がザラだ。ビートルズでさえこの扱いなのだから、世界中のあらゆる再発CDフォーマットがこの詐欺に晒されている。この事象を私はCD不信と呼んでいる。既にアナログで同じ盤を所有してる人向けに「どうぞCDフォーマットだけ受け取りください。スリーブの類は最低限の紙切れしか入れていませんので、引き続きアナログの方の付属品にてお楽しみください」という商売であり、不親切極まりない。


ジョージ・ハリスン帝国のくり抜きジャケット


盤そのものに関してはオモテ・ウラの両面プレス(いわゆるA面B面)であることがアナログ最大の特徴である。ひっくり返し作業の際に必ず再生が停止される前提ゆえ、停止とそれに伴う演奏の再開に、制作者が意図を込めることも可能だった。つまり、前半開始⇒前半終了⇒休憩⇒後半開始⇒後半終了⇒全体締めくくりといった「プログラム」を導入すれば、たかだか40分の中に演劇性を持たせることができた。あるいはA面B面それぞれに異なるコンセプトを付与することもきわめて一般的だった。その意図をCDで再現するには2枚組にするしかないため、「コンパクトかつ長時間」というCDの有利性を損なうことになる。取捨選択の結果、その情報はCD化に際して引き継がれることなく抹消された。ライナーノーツを通じて情報の申し送りは可能だが、前半の自動終了と手作業による後半再開を強制的に制御することは、CDにはできない。
私は手持ちのいずれのCDであっても、配信であっても、どこまでがA面でどこからがB面でどれがボートラなのかは、今でも常に、必ず、意識しかつ把握しているし、それを無視してiPodでシャッフル再生なんてのは言い過ぎだが狂気の沙汰だと思っている。「B面2曲目」は、仮にCDで8曲目に位置していたとしても「かつてB面で2曲目だった」という情報を備えているべきだし、1枚通しで聴く時間が無いので一旦どこかで箸を置きたいならそれはA面最終曲にするべきだ。
ここまでをまとめると、つまりアナログとは音楽云々の以前に発売当時にメディア(フォーマット)で制御されていた諸条件を保ち続けているため、音楽「再生」と同時に音楽以外のもの~盤のオーナーが享受し得たあらゆる感覚~を再現できる起源(オリジン)そのものだ。しかし移り行く時代を生きていく以上我々は常に現在に適応し続けなくてはならないから、やがて(過去の作品であっても)CDでの再生が基本(スタンダード)になり、さらには配信での再生が基本になったように、メディアが変更され新しい基本になることは全くもって正常的な進化である。しかし「オリジン」と「スタンダード」はそれぞれ存在理由が異なるので、単純比較の出来ない別物である。長くなったがこれが私にとってアナログとデジタルの違いの定義であり(全くどうでも良い)、記録・再生方法の違いによる「音の違い」にむしろほとんど着目していない
CDは普通に必要十分に聴こえるから、アナログもそれと同じように普通に聴こえればそれだけで構わない(このことが前提条件の誤解だったことを後ほど思い知る。改めて詳述する)。

何故CD世代の私がA面B面の情報を忠実に身に付けたかというと、それをカセットテープのA面B面に正しくダビングしていたからである。ボーナストラックは、気に入って録る気になれば、まず再生時間を計算の上、何分テープを使うか選択し、テープA面の最後の余ったところ、B面の最後の余ったところ、それぞれにあるいは片方に納めていた(ボートラと言えば最後に入ってるものだから各面の最後に入れたのだ。そういえば大瀧詠一はファーストソロの再発で関連シングルのボートラを冒頭に入れてきたのでさすがマニアと唸った。シングル⇒アルバムの発売時系列を重視したため、らしい。ボートラだけにボートー?)。
だから例えば「アビー・ロード」であれば、B面のメドレーばかり取り沙汰されるがA面の「終わり方」についてもっと言及されるべきだ。CDでの「ヒア・カムズ・ザ・サン」の始まり方の唐突なこと!それを避けるため私はよくポーズボタンを押したくなるのだが、いざ押したら寸前で冒頭のアコギを一瞬再生してしまった時のジョージへの申し訳無さを判ってくれるのはレコスケくんだけだろう。
例外的にA面B面の境が無くなることに改善効果が認められる(場合がある)のはライヴ盤だろう。アナログ原盤では間違いなく曲間の歓声でフェードイン/アウトするのだが、これをCD化の際に編集もしくはリマスタリングで繋ぐことは許容しうる(大昔、カセットテープにダビングする時には逆に困った。人骨少年がウイングスのラスト3枚に続いて4枚目に買ったアナログが、既にCD化されていた「USAライヴ!!」だったのには、そういう理由もある。すなわち、当時レンタルで借りたCDをカセットテープにダビングしようとしたが、曲間の歓声がCDでは途切れないせいで、上手くいかなかったのだ。それこそ「アビー・ロード」A面ラストみたいに大歓声が「ブチッ!」ってなっちゃって笑)。
特に2005年リマスター盤の「コンサート・フォー・バングラデシュ」の「Wah-Wah」の始まり方は、あれはズルい!1971年8月1日当日はラヴィ・シャンカールとのステージ入替えにそれなりに時間を要しただろうし、その後発売されたアナログ盤やリマスター前のCD盤では、曲のイントロ前でグダグダとE音の音出しをやらかすのだが、2005年リマスターでは、シャンカールのステージ終了直後の歓声の中に、なんとそのまま「Wah-Wah」のイントロを繋げてしまったのだ!これは初めて聞いたときはぶっ飛んで鳥肌が立って涙が出たし、今聞いてもぶっ飛んで鳥肌が立って涙が出るのでやばい(でも、もちろん、やっぱり、アナログ盤も当然ながら捨てがたい)。
あとEL&Pの「恐怖の頭脳改革」の「Karn evil 9」(このタイトルってCarnival Nightを捩ったものだと私は思っている)が何をやりたかったかというと、おそらく「片面1曲」は多くのプログレバンドによってやり尽くされていたから、「俺たちゃもう片面なんかにゃ収まりきらないぜ!感」を演出する目的があったのではなかろうか。CD化に際しては、アナログ原盤同様にフェードアウト/インで一旦発売されたものの、リマスターではライヴ盤のようにここを繋いで再発された。この点どう評価するかは人によるだろう(私はどっちでも良い)。
そう言えば連載冒頭で「フレイミング・パイ」を盛大にdisってしまったが実は大好きな作品である。ただしあれは発売当時からCDフォーマットであった。私が彼のアーカイブに求めるのは発売当時の「アナログフォーマット質感のリメイク」だから、そもそもそれを持ちあわせていない作品だ。

と、また別路線に脱線したが、本題に戻るなら、「かつて輸入盤CDを包装していた紙箱」の意味は、CDをアナログフォーマットに近づけるための工夫だったではないかと推測している。重さなのか、ジャケットのサイズなのかは測りかねる。アナログ前提で据付けた「棚」を用いた「商品の陳列」だったのかもしれない。
ともあれ私がアナログを聞く理由は、その盤が「5%」であれば言わずもがな、「95%」であったとしてもオリジナルが持つ音楽以外の全ての感覚まで余さず再現したいからだ。これは先に示した「1,000円以下盤の考え方」とは矛盾が生じる。どちらに当てはめて判定するかはケースバイケースであった。(続)


バック・トゥ・ジ・オーディオ(2)

2021年04月04日 | 70年代ロック雑談
2.私のアナログ人生(誕生編)
次に私とアナログの出会いについて語りたい。まず自分は完全にCD世代だ。一般的に世代の境目はアナログとCDの売り上げが逆転した1987年とされる(CDメディアの市場登場は1982年)。ただし私の同世代がみな中学生で音楽と出会ったのに対し、早熟だった私(笑)のそれは小学生だったため、わが音楽生活の初期はアナログ世代と多少被っている(イコールFMエアチェックを知る最終世代でもある)。残念なことに、わが父親はレコードに否定的な「カセット野郎」(1970年代のミュージックライフ誌に掲載されていたアポロン音楽工業の広告より引用)だったため、わが家にはアナログプレーヤーが無く購入音楽メディアは全てコンパクトカセットだった。父親は私のようなロックファンではないし、リスニングそのものも嗜む程度だった。
そのような中、私にとって1987年のビートルズのCD化は一大事件だった。
それより前、小学生の自分は、新品で2,500円もするビートルズのカセットテープを、1年に2本くらいしか買ってもらえなかった。あとは全てFMでエアチェックするしかなく、今は無き「FMレコパル」やら「週刊FM」が愛読書であった。隅から隅まで番組表を探したものだが、1980年代半ばの東京のラジオ(NHK-FM、FM東京、FMヨコハマの3局。J-WAVEは当時なかった。)ではビートルズは本当に滅多にかからなかった。昨今NHKで「ディスカバリー」とかやってるのを聴くと、少年時代の悔しい記憶を思い出し複雑な気持ちになる。レコード店に行けばビートルズのアナログLPが幾らでも置いてあったのに、カセットテープメディアは圧倒的に流通量が少なかった。それは中古市場でも同様で、LPの中古は小遣いでも買える500円位でゴロゴロあったがカセットは皆無。プレーヤーが無い自分は指をくわえて眺めるしか出来なかった。アナログの方がたくさんあるし、ジャケットも大きくて良いのになと羨むのみであった。多くの友達の家に置いてあった立派なダストカバーを備えたレコードプレーヤーが、何故うちにはないのだろうか?父の嗜好に疑問を持ったものだ。さらには、当時は書籍しか情報源が無いから私にとって必要な情報も乏しかった。結果としてオリジナルアルバムではなく意味不明な編集盤ばかりを買ってもらっていた(「ヘイ・ジュード」「バラードベスト20」)。
このような状況のもと、英国オリジナル盤が正しくCD化されたことにより、乱立する編集盤に小学生が惑わされることも無くなり、レンタルコーナーに置かれたそれらを2泊3日500円でいつでも借りることができるようになったのだ。そいつをテープにダビングすればメディアを買わなくて済む。少年は何とか父におねだりして窮状を説明し、翌88年についにCDプレーヤーを買ってもらった。アナログプレーヤーにあれだけ否定的だった父ゆえにあまり説得に自信は無かったが、同じ「円盤再生機」にも拘らずCDプレーヤーは比較的すんなりと導入してくれたように記憶する。理由は「音が良いから」だと。曰く「レコードはダメ、あれはとても聴いていられないよ。だから父さんは音も良くてコンパクトなカセットテープ派だ。CDは、カセットテープよりもさらに音が良いし劣化しないので買う価値がある。」という持論だったのを覚えている。かくして私はレンタルCDコーナーの常連になったし(実際のところビートルズについてはプレーヤー購入に先んじてFM東京がCD化記念として深夜放送してくれたのでエアチェック、残りは人骨少年の噂を聞きつけた友人の父親が全部CDからテープに録ってくれた)、私が生まれて初めて買ったCDは晴れて「マッカートニーII」であった。CDの小さめのジャケットでさえ、カセットテープのそれに比べればはるかに大きくて眺めるに足りた。それからカセットと比べてCDの中古流通量は(当時でさえ)圧倒的に多く、2,500円もするカセットよりも安いから、小遣いでそれらの入手も可能となった。少年はCD万歳であった。カセットテープというのは記録用のメディアたるべきであり、これでようやくそういう付き合い方が出来ることになったのだ(後年、3ヘッドデッキとか、録音レベル調整とかバイアス調整とか、散々やりました笑)
ところでウイングスのアルバムラスト3枚だけが、最後までCD化から取り残されていた。「フラワーズ・イン・ザ・ダート」発売の頃である。同作CDに予約特典で付属していたブックレットに過去作のライブラリが国内品番とセットで掲載されていたが、その3枚だけ「CP32」とかではなく「EPS80500」とか何とかだった。もう他に聴くものが無くなっていた自分は、またまた父に事情を説明し、CDプレーヤーに引き続きアナログプレーヤーをも何卒我に与え給えと懇願した。父は、子供が与えられたオモチャにすぐ飽きることを嫌っていたが、この時ばかりはこう思っただろう。「こいつ、もう何年もビートルズばっかだし、本当にオーディオが好きなんだな。つまり、すぐに飽きる事はなさそうだ」。そうして「時代に逆行する無駄な買い物だ」とか言いつつも、電蓄みたいな安物アナログプレーヤー(を搭載した韓国製粗悪コンポ)を人骨少年に買い与えてくれた。少年はさっそくウイングスのラスト3枚を中古レコード店で難なく見付けて手に入れた。


最後までCD化されなかったウイングスの3枚

CDプレーヤーしか持っていない最近の若者に「たそがれのロンドン・タウン」は聞けないし、カセット野郎は中古流通量の極めて少ないカセットメディアで「スピード・オブ・サウンド」を探すのにはさぞかし苦労するだろう!ついに自分はすべての障害を克服したのだ。またアナログならではの利点として、中古盤の流通量がきわめて豊富で、かつCDより格段に安く手に入れられた。「ウイングスUSAライヴ!!」は3枚組が600円で叩き売られていたから、これを買い求め、挿入されている6つ折りポスターを壁に貼って悦に入っていた。少年はアナログ万々歳であった。翌年、ウイングスはあっけなく全てCD化されてしまい、結局CDで買い直したわけだが、このわずかなタイムラグのせいで自分はアナログと関係を持ってしまったのだ。このようにして、私がアナログに接したのはCDより後なのである。だから私は「レコードに針を落とす」という行為に今でもどこか不自然さ・ぎこちなさを感じるし、自らをCD世代だと標榜しているわけである。
当時、CDは新しい正義でLPは古い悪だから淘汰されるべきという時代の空気があった。アナログでは聴き取れない音がCDなら聴き取れるとも言われていた(FMレコパル誌上で、プリンスだったか渡辺美里のアルバムを例に聴き比べる特集が組まれていたような、うろ覚えがある)。今では信じられないかも知れないが当時は本当にそうだった。ゆえに人骨少年も当然の常識として「CDで手に入れられるものは、よろずCDで手に入れるべき」と考えていた。様々な旧譜が「ついにCD化!」されまくっていた。輸入盤CDは何故かジャケットが拡大印刷されたタテ長の紙スリーブに入れて売られていた。そして少数民族だったカセット野郎どもはCD世代以降静かに市場から退場していったように記憶する(記録用メディアとしては、MD登場後も長きに渡って市場を席巻していたが)。既存のアナログの所有者は、手持ちのお気に入り盤をCDに切り替えるためLPを大量放出し、中古市場ではそれらが安価に叩き売られていた。人骨少年も、本当はCDが欲しかったが、その後「この値段ならば」という消極的な動機から、そのようにして捨てられたアナログを拾い始めることになった。聴かずして買った結果、自分の好みであれば後から安心してCDを求めれば良いし、好みでなくても諦めのつく値段だったからだ。もちろんジョージ・ハリスンはすべからく全てCDで揃えた。食べ放題・飲み放題なんて、考えつきもしない時代だった。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(1)

2021年04月04日 | 70年代ロック雑談
音響製品については、音楽好きが嵩じて少年時代からそれなりに造詣があった。いずれ給料を貰える身分になった際には単品コンポーネントをバラで組み合わせて購入する構想を描いており、マランツのアンプとB&Wのスピーカーを軸に具体的な導入計画まで立てていたのだが、不幸なことに(?)実行直前に私の趣味が「オートバイ」に向けてガラリと180度転換したため、ついに実現しなかった。
爾来、結婚・育児を経てすっかりオーディオの世界から離れていたが、とは言え毎朝ラジオを聞く習慣ゆえ音響製品とは常に共にあったし、製品にそれなりの愛着を持ち続けてきた。以前紹介したDENONは亡くなってしまい中古でKENWOODのレシーバーセットを導入したほかとりわけ2013年親友から譲り受けた東芝の旧AULEXブランドのアナログプレーヤーは長年憧れていたDD方式採用モデルということもあり、譲受の時点でダストカバーが失われてこそいたものの、わが人生におけるフェイバリットアイテムの一つだ。
オートバイの世界では「リターンライダー」なる言葉がある。その意味するところは、結婚・育児を理由に一度バイクを降り、ひと段落着いたことを機に改めて趣味として乗ることを指している。さしずめ自分はオーディオにリターンすることとなったのだ。そこで本稿ではその顛末について触れてみたい(なお、オートバイについて自分は結婚・育児を経て一度も降りていないのがちょっとした自慢だ)。

1.現状のリスニング環境について
現在自分は諸事情により一人暮らしをしている。独居を開始するにあたって、それまでと同様に毎朝ラジオを聞かなくてはならないから、直ちに簡易的な音響製品を導入した。とてもオーディオと呼べるような代物ではない2万円もしない安物コンポだ。家庭ではもう幾分マシなものを使っていたが、別れた家族とて毎朝ラジオを聞くだろうから、これは家に残しておくべきと考え、置いてきてしまった。
家を出てから1年以上経ったが、文字通り家族よりも愛してきた様々な物々を、私は、今に至るまで時間をかけて、徐々に現在の自宅へと持ち出している。時間をかけている理由は、単純に急いでいないからである。カメラにオートバイに自転車、クルマなど、あらゆるものを。上述のアナログプレーヤーをこの3月にようやく持ち出したことが、本稿で扱うリターンのきっかけである。

「そうだ、アナログレコードを聴こう」

プレーヤー並びに大量のアナログレコードの持ち出しは順序的に諸搬出の最後の方になってしまった感があるが、ともあれ移設は無事完了した(今や立派に成長したわが倅が作業を手伝ってくれた)。だからいま私の言うリターンオーディオとは「安物コンポにアナログプレーヤーをくっつけようとしている」単にそれだけである。
ところでアナログ以上に大量に所有しているCDはどうしたかというと、これはまだ置いてきたままだ。むしろ今後持ち出すことは無いかもしれない。というのも現在私の音楽メディアは「95%が配信」に移行済みであり、手持ちのCD資産は、そのほとんどが、プライム会員を活用して導入したAmazon Music Unlimitedでいつでも聴けてしまうからだ。配信を利用し始めて以来、それまでライフワークのごとく取り組んできたCDメディア蒐集を一切絶ってしまった。スマホにDLして、屋外なり、車内なり、自室でさえBlootooth接続で聴くという現代的なスタイルに、意外に思われるかもしれないが私はすっかり馴染んでしまった。これは居酒屋に喩えれば「飲み放題&食べ放題が時間無制限かつ皿に盛ってから味が気に入らなければ好きなだけ残して捨ててOK」という食材ロス的に絶対にやってはいけないマナー違反行為を、定額配信の世界ではやりたい放題なわけだ。アルバムをDLして気に入らなければ即デリートだ。一品一品丁寧に盤を買っていた時代は、仮に中身が期待外れだったとしても、残さずかつ何度も聴いて、それに投資した自分自身への戒めというか仁義を通したものだから、まさに隔世の感がある。
とは言え「プレイリスト」機能にだけは未だに馴染めないけどね。「ロックはアルバムで聴くべき」というスタイルだけは三つ子の魂百までで、この世界観だけは何者にも変えることはできない。そういう意味においてAmazonのUIは実際イマイチとしか言いようがない。アルバムでソートするとアルバムタイトル順に全てのアーティストが並ぶ仕様(2021年3月現在)では、とてもライブラリの整理が出来ない。また私は、Amazonでは永遠に配信されることが無いであろう盤や、メディアでさえ二度とリイシューされそうにない盤といった「残り5%」の音楽については、手持ちの物理メディアからリッピングしてスマホに引っ張ってきている。本来それらもプレイヤーアプリとしてのAmazon Musicにて聞きたいところだが、そのような再生機能はない。これらのことは、すでにAmazonのカスタマーセンターにも改善を提言してある。
仮に、いまどき新たに物理フォーマットを買うとすれば、それは「残り5%」に含まれるマイナー盤に出会った時か、ポール・マッカートニーがアーカイブを放出してくる時くらいだ。後者については絶対に欲しかった「RAM」「ウイングス・ワイルド・ライフ」「レッド・ローズ・スピードウェイ」のアーカイブ化がいずれも完了しているので、もはや買うべき盤は残っていない(誰がフレイミング・パイなどに10万以上払うだろうか?)。が、待てよ「バック・トゥ・ジ・エッグ」に「カンボジア難民救済コンサート」がロケストラ含むフルステージ完全収録で映像DVDとセットで出て来たら買っちゃうではないか。だから出しちゃダメですよポールさん。あ、ローレンス・ジュバーって昔からピック使わないんですよね。


いまだCD化すらされていない「残り5%」盤の例

別路線なくらいに脱線したが、要するに今の私にはもはや高級オーディオは要らない。2万円のコンポに配信Bluetoothで十分なのだ。このことは、自分と音楽との関係は(私の過去の趣味音楽制作なども参照いただければありがたいが)「クリエイター志向・プレイヤー志向>>>>エンジニア志向・リスナー志向」であることに由来するだろう。大事なのは楽譜的な作品そのものであって音響ではない。したがってアナログプレーヤーやLPレコードを一言で言うならば「人生の思い出」という程度であり、とことん突き詰める気は毛頭無い。単に鳴らして聴きたくなっただけだ。そんな私のリスニング対象はビートルズを筆頭とするクラシック・ロックが中心である。月刊「レコードコレクターズ」は定期購読はしないがたまに買っている。レコスケを読むとしばしば笑いが止まらない。(続)