人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

バック・トゥ・ジ・オーディオ(8)

2024年01月02日 | 70年代ロック雑談

続編を書く日が来ると思わなかったが、思わず日が来てしまったので続編を書く。

はじめに前稿までの総おさらいとして、アナログ歪みの解決方法のみに絞って話そう。
強調したいことは「歪みの解決はスタイラス(針)次第」である。もしあなたがアナログ音源再生中に「いつも音がビリビリ鳴る」という歪みの発生に悩まされているなら、丸針かダエン(楕円)針を使っている場合はそれが原因なので、今すぐダエンよりグレードが高い針に買い換えてほしい。使用しているカートリッジにダエン針までしか適合しない場合は、カートリッジごと買い換えてほしい。シェルがカートリッジの専用品だったら、シェルとカートリッジとスタイラスの3点セットで買い換えてほしい。カートリッジがダエン針までしか適合しなくてカートリッジ交換ができないプレーヤーの場合は、プレーヤーごと買い換えてほしい(アームをカートリッジ交換式に替えられるならそれでもいい)。
私は3年前からオーテクのマイクロリニア針を使っているが、もっと早く交換すれば良かったと後悔している。私にとって内周歪みはもはや恒久的かつ不可逆的に解決済みだ。厳密にいえば少しは歪むが気にならないレベルまで解消された。
もっとも、中古だと盤の方が文字通り擦り切れてしまっていて結果として歪むケースもあるし、それが前オーナーがヘビロテした特定の曲だけということもある。これは盤のせいなので致し方ない。さらに、これを言うと身も蓋もなくなってしまうが、中古アナログ屋の店内再生BGMでもしばしば聴くに堪えないレベルの内周歪みに遭遇するから、気にならない人にとって歪みとは全く気にならないものなのかもしれない。

さて、本稿は転居によるオーディオ生活環境変化のお話である。実は引っ越しをした。前の賃借物件が取り壊しになったせいである。生まれて初めて武蔵国を離れ下総国民になったが、結果として前居宅より大幅に広い収納スペースと、許容音量的には前居宅ほどではないが、まあまあ納得行くリスニング環境を手に入れた(余談だが、新居と書くのに違和感あるほどの築古だ)。このことがもたらした諸々について雑多に述べていく。

1.CDのためのコンポ買い替え

前稿で「アナログ以上に大量に所有しているCD資産を置き去りにした」主旨言及したが、今回思い立つものがあって、収納を活用して新居に持ち込むことにした。同じく前稿で自分がCD世代であること、版元による媒体変更時(つまりいわゆる「CD化」)の再現努力不足に起因するCD不信について言及したが、私の集めたCDたちを改めて眺めてみると、amazon通販を除いて1枚1枚購入時の記憶がよぎるし、とりわけ汗水流して蒐集しまくった学生時代の記憶は鮮やかだ。だから再会は率直に嬉しく懐かしかった。Amazon musicプライムのスマホインターフェースはいまだに私の聞き方に馴染まず使いにくいままだが、所有CDメディアに寄せる私の心境については、引っ越しが小変化をもたらしたと言えよう。もちろんサブスクにはサブスクの良さがあって享受を否定しないが、CDで所有している盤を家で聴くなら、これからは配信ではなくCDで聴こう。宝物の再発見だ。

そこでさっそく懐かしいディスクを安物コンポにセットしてみたところ、このコンポが安物どころか粗悪品であったことが判明した。CDプレーヤーの動作ノイズが酷いのだ。モーター回転音?あるいはディスク接触音?(だったら最悪)、シルシルシルシルとうるさくてリスニングどころではない。収録時間が長い盤にほどその傾向が顕著である。結果として「同じタイトルの盤の場合、CDよりもアナログの方が低ノイズ」というありえない現象が生じてしまいくぁwせdrftgyふじこlp。たまたま同じコンポの売れ残り品が近所の店頭にあったので、勝手テストをさせていただいたところ同じ症状が再現された。ゆえに故障ではなく仕様だと確認できたので、修理は望めないので廃棄が確定した。こんな致命的かつ初歩的な欠陥に長らく気が付かなかいまでに自分はCDと距離を置いていたわけになる。買い替えに向け機種選びを行いKENWOODのK515という時価4万円くらいの中堅モデル(マニアに言わせればそれも安物か)を購入した。粗悪コンポ購入時点でこちらK515は既に市販されていたから、最初からこちらを買えば良かったことになる。とりあえず、コンポ本体価格をスタイラス価格が上回る現象についてのみ、晴れて(?)解消だ。


K515


私がCDコンポに求めるスペックについて少し説明すると、①AUX端子②AMチューナー③タイマー再生機能となる。3点同時に揃うモデルって意外に無い。
①AUXは説明不要ながらアナログプレーヤー接続のためだ。機能そのものはBluetoothで代替可能だが、コンポとフォノイコライザー間にBluetoothトランスミッターを噛ませるのは鬱陶しいので、有線接続したい。一昔前はテープやMD用のIN/OUT端子が標準的に装備されていたものだが、スタンダードとは変遷するものなのだ。
②AMチューナーについては、「FMチューナーは要らない」と言っているのではなく、「FMとAM両方とも必要」という意味である。つまりFMチューナーは全てのコンポに搭載されているから比較の必要がないが、AMチューナーを割愛するモデルが多いのだ。これはFM補完放送が整備済みなことと、AM放送そのものが5年内に廃止の方針が示されているせいだろう。これも時流に伴うスタンダードの変遷だ。テレビレス生活の私にとってAMは毎朝の時計代わりであり(③タイマーONで目覚ましも兼ねる)、何よりあの温かみのあるくぐもった音質が好きだから、AM放送とは最期まで添い遂げるつもりでいる。
粗悪コンポは①~③全条件を満たしていたから購入当時私の目にはお買い得に映ったはずだ。こちらK515はどうかというと、タイマー再生の音量セット機能があるため痒い所に手が届くし、本体のメタリックな質感、スピーカーのコーン紙ホワイト仕上げや着脱式ネットなどと相まって高級感があり、満足感は格段に向上した。

ところで買い替え調査を通じて、CDをメインに据えたコンポそのものの市場が絶滅危惧種なことを知り、少し驚いた。考えてみればこのK515しかり、5年以上昔に発売されたモデルが未だに現役なわけで、新陳代謝に乏しいことからも衰退ぶりが窺える(粗悪コンポのメーカーは撤退済だった)。きょうびリスニングスタイルのスタンダードとして、「サブスク配信をスマホ+Bluetoothイヤホンで聴く」が既に鉄板となっている証左であろう。音楽再生のオンライン化は、アナログ/デジタルの違いを跳び超え、ソフトだけでなくハードの存在すら希薄化してしまった。写真にたとえれば写真撮影機(カメラ)がかつて「独立した機械」だったのに、今はスマホの「機能」に吸収されてしまったことと相似する(いわんやその記録媒体としての「撮影用フイルム」をや)。こう考えればCDのごとく実体あるメディアはもはや有難いとさえ思える(フイルム、もう高くて買えないあるよ)。
ともあれCD問題はコンポ買い換えによって解決したが、今後自分のニーズを充足する次代モデルはもう出ないかもしれないので、一生モノと思って大切に使おうと思う。毎朝必ず使っているので、使い続けることがメンテナンス代わりになるのであれば嬉しい。私の不在の日でさえタイマーON/OFFで大きなのっぽの古時計だ。

2.ラジオのこと

続いて転居にはラジオアンテナ再設置の問題がある。
FMアンテナは、アンテナの代わりに自動車やオートバイの電装系に用いるケーブルを流用して屋外に張り巡らせている(前居宅でもそうしていた)。当アイデアに至ったヒントは、コンポに同梱される頼りなく寸の短い簡易FMアンテナコードの存在である。もちろんこの子は全く役には立たないのだが、「それならば寸をめちゃくちゃ延長してやったらどうなるだろうか?」と考え5メートル以上延長し屋外まで這わせたところ見事に役に立ったものである。具体的には付属コードの先端にギボシ端子をハンダ付けし、そこへ電装用ケーブルを接続して屋外へ導き、ベランダにて手すりなどを活用して蜘蛛糸のように巡らせるのだ。巡らせ方は受信状況を耳で確認しながらの現物合わせすなわちテキトーだ。FM放送用専用アンテナを使ったことは無いが、これで文句なく受信できる。特に手すりの活用は専用アンテナの役割を代替していそうで気に入っている。


ベランダを這うアンテナの一部


AMアンテナは付属品を使おうかと思ったが、新居屋内は電波状況が良くないため、社外品の中型ループアンテナを購入した。純正付属アンテナのケーブルをこれまたちょん切って、新たに端子を儲け、社外品アンテナに付属したケーブルとハンダ付け接続して延長。アンテナの設置場所は、コンポとはずいぶん離れているが室内で最もよく受信感度の良い窓際とした。
しかし新たな課題が発生した。転居地である下総の宿命とも言えるが、相模方面の放送局が受信しずらく、特にそれが「ラジオ日本」(AM1422kHz、FM92.4MHz)に顕著ということだ。AM本放送FM補完放送ともに心許ない。これについてはいかんともしがたく、現状ネットラジオで代えている。「ラジオ日本」の番組には、洋楽や懐メロなど好きなものが多いし、週末の競馬放送もかけっぱなしにしていると無心になれて好きなのだ(ギャンブルとは無縁だが)。ゆくゆく自作のAM大型ループアンテナでもやってみようかなという気持ちもある。
いっぽう、新たに受信できるようになった近隣自治体のローカルFM「市川うららFM」は昔の洋楽が垂れ流しなので非常に心地良く大変に気に入っている。


毎正時と毎30分に1回入るジングル(2種類)もオールドファッションでgood

3.ヘッドフォンのこと

さいごに居宅における許容音量の話をしたい。これは環境的にどれだけの音量でスピーカーを鳴らせられるかという意味であって、単なる防音性のことではない。つまり周囲1㎞四方が無人であればどれだけ音漏れしても構うまい。実は前居宅はこの点がずば抜けてハイスペックだった。鉄筋コンクリート造りで、上下左右が空室だったし、というより棟全体ほとんど無住だった(取り壊しが時間の問題だったことが窺える)。おまけに隣接する建物もない。それゆえ深夜の爆音再生から音源と一緒に絶叫シャウトやらやりたい放題だった。いっぽう新居も、鉄筋コンクリート造りで、各居宅がしっかりコンクリート壁で隔離されており、かつ最上階カド部屋を押さえたが、階下と隣に住人が居るから以前のようには行かず、自ずと格段に常識的な生活が求められる(いやー、今まで幸せだった・・・)。
とは言いつつ、深夜に突然目が覚め、他にすること無いからそのままディスクと戯れるという「新しい生活様式」が、コロナ禍一人暮らしの恩恵によって半ば習慣化してしまったため、何とかこれだけ取り戻せないかな、と考えた。そこで未体験アイテムである「ヘッドフォン/イヤホン」を新たに導入することとした。従来ヘッドフォンは「お出かけ用」と「モニター用」のみ運用だったから、屋内リスニング用途で検討するのは初めてのことである。用途に鑑みオープンエア(開放)型ヘッドホンを選択するものとし、モデルはピンからキリなので、例の「コンポ本体とスタイラス価格の比較」理論をベースに、4万円コンポに見合った価格帯から選択するものに定めた。
WEB上の商品レビューやクチコミを目をやると、オーディオ製品のそれは相変わらず感覚的・抽象的で辟易とするため、参考にすることなく価格だけで選んだ。白羽の矢を立てたのはゼンハイザーHD599SEというモデルである。これは通常価格が30,000円弱だが、Amazonのセール時のみ半値程度で買えるというアルゴル型変光星のような価格変化をするのが魅力であった(カカクコムの推移グラフもこれに倣った矩形波を描く)。これにほれ込んだので時季を狙って購入。
聴感は2トラックをしっかり分離し、低域から高域までバランスよく鳴らしているので(ややドンシャリ)、これ以上言うことは無い。頭と耳への装着感もグッド。付属ケーブルは着脱式だが、ヘッドホン側端子はφ2.5超ミニプラグかつ4極となっている。何故4極なのかはいまだに分からない。有線運用だが一人暮らしのリスニングに不便な要素はなく気に入っている。


アルゴル型変動価格

むすび

本稿執筆にあたって、なんとなくマイクロリニアより上位のシバタ針を試してみたくなってしまって、冬ボーナスの使い道として購入してしまったため、その話も紹介したい。
一昨年、愛用の東芝レコードプレーヤー同型機の部品取り品をHard Offにて偶然発見・入手し、愛機に欠品していたダストカバーとヒンジならびに純正カートリッジ(C-280M)を手に入れた。そのカートリッジの付属シェルがえらく軽量だったため、「そもそも本機はトーンアームの設計含めてこの重量を前提に開発されたはず・・・」という考えが頭をよぎり、いつかこのシェルを活用してみたくなった。カタログデータでは、取り付けるカートリッジの自重範囲はシェルを含めて12~20グラムという指定である。現状シェル一体カートリッジAT100E/Gにマイクロリニア針VMN40MLを着けたそれは20グラムとMAXギリギリである。しかし新品購入した(って言っても10年も前だが)一体カートリッジを分解までする気にはならなかったところ、思い出したのが、前稿にてご登場いただいたヨドバシカメラ横浜店員さんの言葉「入門用の安物カートリッジ」ことオーテクAT-VM95シリーズだ。というのも、現在着用しているAT100に対応したシバタ針VNM-50SHを単品購入するよりも、VM95カートリッジと対応シバタ針がセットになったVM-95SHを購入した方が安いのだ!
改めてカタログを見ると、95シリーズはスタイラスに対応するカートリッジの設定が1グレードしかないので確かに廉価な印象は受けるが、既存ラインナップとはそもそも位置づけが異なる「一体型トーンアーム向け製品」というポジションにいる。それゆれシェル上部からの貫通ビス留めにのみ対応しているのだが、東芝シェルがまさに上から留める貫通穴タイプなので、私の意図と製品の企図がぴったり当てはまる。それなら性能面において私が使用あるいは所持しているカートリッジ(AT120E、AT100E、C-280M)と比較した場合はどうだろう。おそらくこれらは「どんぐり」の背比べであろうし、これまで自分の豚耳による聴感上の違いは「若干再生音量が違うかな?」という点を除いて感じたことはない。メーカーサイトのスペックを見比べる限り、AT100とVM95で各値に若干優劣の差が見られたが、豚耳に関係はなさそうなレベルと判断した。取り付けに関するメーカー注意書き「本シリーズは、貫通穴タイプのヘッドシェル(AT-HS6、AT-HS10、AT-LH13H、AT-LH15H、AT-LH18H)へのみ取り付けができます」だったが、東芝シェルのビス間隔はオーテクと完全一致だったため問題あるまい(この規格は統一ではないのかな?不明)。
というわけで新たな「どんぐり」を求めて師走の町へ出かけ買い求めてきた。C-280Mシェルに取り付け計量したところ合計で15.5グラムとなった。AT100に比較して4.5グラムの軽量化を実現したことになる。針圧を調整し水平を出していざターンテーブルに針を落とす(オートスタートで…)。AT100では「どさっ」という着地感だったところ、「そそぉっ」っという滑らかな挙動が得られるようになり、4.5グラムの軽量化はこれだけの差があるものかと感心した。続いて試聴する。予想通りVM95カートリッジはAT100と比べて聴感に変化は感じない。スタイラスはどうかというと、マイクロリニアとの性能差は小さく感じる。経験則から針はしばらく使用した方が実力発揮するという感想を持っているため(エージング)もう少し様子を見るが、ダエンからマイクロリニアに変えたときほどの衝撃はなかった。
そういうわけで!もし歪対策でダエンより上のグレードにこれからスタイラスを換えたい方がいたら、シバタ針ではなく、マイクロリニア針&カートリッジセットのAT-VM95MLが、最もお買い得ではないだろうか。歪の解決的にはマイクロリニアで十分かなというのが、シバタを初体験した私の現時点の感想だ。マイクロリニアは長寿命と相まってコストパフォーマンスが高く万人にお勧めできる。店員さんに代わって「入門レベル」の先輩マニアとして、VM95MLカートリッジを胸を張ってお勧めしたい。


手持ちシェルを活用したシバタ+カートリッジ


lyrics “power cut“ by Paul McCartney & Wings 日本語訳

2022年10月04日 | 70年代ロック雑談
「停電するかもしれない」だって
ロウソクたちは燃え尽きる
でも心のどこかで
それも悪くないかなと思ってる
この気持ち、わざわざ教えないけど
君なら同じこと思うだろう?
「奇跡が起きるかもしれない」って
だから君を愛してる
そんな君を愛してる

※訳注
奇跡=ミラクル≒ワンダー。ジャケットに掘られた点字のwe love youをスティーヴィーワンダーに充てた逸話との関連については不明。


カワサキW800に乗り換えた(カワサキ車体番号のはなし)

2022年09月24日 | バイク雑談

W800

カワサキW800というバイクに乗り換えた。2022年モデルである。VTR-F以来となる新車である(この間中古でCBR650FとBMWのF800GTを所有した)。今はコロナ騒ぎで中古車が高騰していて新車価格を超えており、安くて手垢のない新車を選ばない理由はない。2023年モデルが8月に発表されたばかりだが、2022モデルより値上げされており、値上げ直前すべりこみで店頭在庫を購入できた。
その昔、ちょうど自分がオートバイに乗り始めた年にカワサキW650という車種がデビューした。自分はヤマハSRシリーズにそれほど魅力を感じなかったのだが、同じくクラシカル系統のW650は佇まいが美しく当時より気になるモデルであった。車両を購入せずとも何か関連商品を手元に置きたくて、カタログも集めたし、スタジオTACの「FILE」まで購入したくらいだ(今も所有している)。650が800になって以降も気にかけていて、2016ファイナルエディションに心を奪われかけたものの間一髪踏み込まず。ストリートとカフェによる復活劇では激しくコレジャナイ感を抱いたが(どこに?→センタースタンドが無い点(笑))、晴れて無印も復活したのでひと安心してから3年、紆余曲折を経てここに至った。
自分は、道路が混んでいればすり抜けをやるマナーの悪い中年ライダーだが、逆に道路が空いているとき、このWは何故か飛ばそうという気にならない不思議なバイクだ。
唯一のデメリットはチューブタイヤかな。

さて、新車にもかかわらず既にリコール情報が出てることを知って、カワサキのWEBで相棒の車体番号を検索した。結果、相棒は対策済であることが示されほっとしたが、これをきっかけにあることに気づいた。カワサキのリコールWEB検索は、車体番号から車種(通称名)が特定ができてしまうのだ。

当該リコールの情報はこちら。
https://www.kawasaki-cp.khi.co.jp/recall/22-03a/index.html
2022年3月3日届出。
形式:8BL-EJ800E
通称名:W800、W800 STREET、W800 CAFE、MEGURO K3  
リコール対象車の車台番号(シリアル番号)の範囲及び製作期間:
EJ800E-005003 ~ EJ800E-006726 令和3年8月5日~令和4年2月10日
リコール対象車の台数 1,161

2022モデルは新たな排ガス対応のせいか前年度までと異なる形式番号を取得している(2BL-EJ800B → 8BL-EJ800E)。つまり上記の1,161台というのは、2022モデルのうち、今年2月10日までに作られた全台数ということであろう。2021モデルの製造最終日が昨年8月23日なので18日間クロスオーバーしていることも興味深い。また発売日は昨年の12月17日なので、8月から既に製造していたことも興味深い。
この連休が台風で暇だったので、リコール対象の1,161台がW800のどのモデル(通称名。無印、ストリート、カフェ、メグロ)なのか、1件1件全数調査してみることにした。その結果は次の通りだ。

無印:296台(25.3%)
ストリート:186台(15.9%)
カフェ:139台(11.9%)
メグロ:551台(47.0%)
合計1,172台。

なぜ11台増えたかというと、1件1件検めた結果リコール対象になっていない11台が混じっていたことが判明したためだ。だからこの期間の2022年モデルの製造台数は1,172台だ。
製造台数は販売台数に比例するだろうから、人気順でメグロ、無印、ストリート、カフェなのだろう。メグロがこんなに人気なのは個人的に意外であった。
車体番号の順序が製造時期に比例しているとすれば、番号が若い方が製造時期が去年の8月に近くて、大きい方が今年の2月に近いのだろうか。すなわちトップナンバー005003の製造日は期間初日の昨年8月5日で、ラストナンバー006726の製作日は期間最終日の2022年2月10日ということ、なのだろうか。
またモデル(通称名)別の番号分布をみると、無印、ストリート、カフェ、メグロとも全体にまんべんなく分布している。ただメグロは初出が遅めで005167。初出までの間に無印とストリートとカフェが103台製造されている。2021モデルの在庫があって期間初期は製造されなかったのだろうか?。またカフェは合計数で全体の1割程度だが、番号後半に行くほどに疎になる傾向にあった。メグロ人気に押されているのだろうか。

そのほか車体番号には次のような点が認められた。
(1)同モデルが連番する規則性(たとえば無印5台連続、ストリート3台連続、カフェ2台連続、メグロ8台連続、といった具合に)。
(2)欠番が553もあった。欠番は全体にまんべんなく分布し、そのほとんどが連続欠番、ただし連続して10番以内。生産管理の関係で発生するものなのか、あるいは国外輸出に回されており国内リコール非対象なだけなのか、実体は不明である。
(3)範囲外でも適当な数字をたたいたところ、2022モデルはこの後も006733から007467まで存在するようだ(全数調査はしていないので台数は不明)。また2023年モデルは車体番号012002から始まるようだ。
(4)リコール非該当の11台のうち初出は後半の006288からであって、以降最終盤006724までの間に散在する(リコール非該当車の初出までに869台が製造済)。

調査のきっかけは「私と同じカラーが全国に何台あるのかな」という興味だけだったのだが、結果色々なことが分かり中々面白かったので、記念書きこみすることとした。


lyrics “too many people“ by Paul &Linda McCartney 日本語訳

2021年12月18日 | 70年代ロック雑談

コソコソしてるやつらばっかり
タナボタ狙ってるやつらばっかり
振り回されてるやつらばかり
果報を寝て待ってるやつらばっかり

君の失敗はそもそもがそういう類さ
結局、せっかく訪れたチャンスをご丁寧に追い返したんだ
今、ぼくにはどうしようもない。君がやったんだよ、君が
 
社畜なやつらばっかり
なのに寝坊するやつらばっかり
罰金払っちゃうやつらばっかり
ダイエットに失敗するやつらばっかり
 
君の失敗はそもそもがそういう類さ
結局、せっかく訪れたチャンスをご丁寧に追い返したんだ
今、ぼくにはどうしようもない。君がやったんだよ、君が
 
ルール違反するやつらばっかり
それすら自分で解ってないやつはもはや黙るべき
そうして自分を偽るやつらばっかり、実にバカばっかりさ!
はっきり言うけどぼくはそういうバカじゃない
 
君の失敗は今でもそういう類さ
結局、ぼくは君より大切な恋人を見つけてしまったんだ
今、ぼくにはどうしようもない。彼女が待ってるんだよ、彼女が

PENTAX ESIIについて

2021年11月27日 | カメラ
昔、私の愛機ペンタックスMZ-3(1997年)の話をした。その後俗にMZ病と言われる歯車破損による永遠ミラーアップ症状に陥ったが、修理で克服し(リペア職人に外注)、今も現役だ。銀塩末期の名機ゆえに大変使いやすくて良い。
MZよりさらに年季の入ったメカニカルなオールドカメラに自分はそれほど興味を持っていなかったが、ペンタックスESII(1973年)というカメラが手持ちの現役ボディに追加になった。厳密にいえばMZ-3より前から入手はしていたが、「使える」ようになったのが比較的最近だ。そもそもどうして手に入れたかというと、これはかつて父親が1970年代~80年代に実際に使っていたものをシステムごと本人から譲り受けたものだ。今日はこいつのレビューエトセトラなどしてみよう。


こいつ

父親が言う本機の歴史はこうだ(昔の記憶だからどこまで正しいかは分からない)。
①1972年。M42マウントの時代、前型機であるESとSMC TAKUMAR55㎜F1.8レンズキットを購入して使用し始めた。ほどなくSuper-Multi-Coated28㎜F3.5と同150㎜F4を買い増した。この頃結婚したので沖縄新婚旅行(日本返還直後で当時流行の地)の想い出作りに活躍した。
②1975年、ペンタックスがマウント変更してしまい(Kマウント)、あらゆるM42マウントレンズは早々とカタログ落ちしてしまった。
③日比谷の写真展で入賞し(どんな写真で入選したのだろう?)その賞品としてニコンの一眼レフキット(機種名に「E」が着く何か)を入手した。この頃長男が産まれた。
④ニコンとペンタックスM42、互換のない2種のマウントを維持できないため、熟慮の末、小資産形成済みのM42マウントと心中を決心。M42最終ボディESIIがまだ新品市場で流通していたから、ニコンを売っ払って資金化しこれを入手、ESとESIIの2ボディ体制とした。
⑤1989年、ミノルタα-5700iを購入しマウントを鞍替え。現在まで続くソニー資産の形成を開始する。その購入資金に充てるためESボディは売却したものの、ESIIボディとスーパータクマー3本は何となく手元に残した。
⑥2011年、デジタル一眼レフを始めたばかりの長男がねだるので、譲り渡した。完璧な保管方法だったはずなのに(=誤り)全てがジャンク化していた。
 
かくして私の手元にESIIボディと28㎜、55㎜、150㎜の4点が引き継がれた。幼いころの私の姿を捉えた機器どもだ。カビカビだったレンズたちは自ら分解清掃オーバーホールを施し、直ちにデジタル一眼への供用を開始した。貰った当時は無知だったので同じペンタックスなのにマウントアダプターが必要だと知らなかった。 冒頭で引用した旧記事で私はレンズと同時にESIIボディをも引き取った事実を割愛している。何故ならボディはその後も長らく文鎮として飾るのみだったからだ。
2019年暮れ、リペア職人にオーバーホールを委ねてESIIボディは復活し、再び実働することになった。父による使用期間13-4年間+放置期間30年を経ての現役復帰である。私が使い始めてまだ日は浅いが上述のような経緯により特別な愛着がある。

昨今敢えてフイルムを用いる女子カメラファンも多いが、その中でも本機のユーザーは少数というかほぼ皆無であろう。何故なら本機は使いにくいとされる上に、壊れたままの個体が多いためだ。
使いにくい理由は、本機は多くのカメラ女子が求めている完全機械式(絞りもシャッタースピードもダイヤル操作手動)ではなく、黎明期の産物ながられっきとした自動露出機能を搭載したモデルであり、その代償として何故かスローガバナーを放棄したため1/60よりスローはAUTOに任せるしかなく(マニュアル選択不可)、女子たちが抱いているイメージと違うのだ。
またAE機構のためにICチップなどを積んでしまい、これが機械式カメラを専門に取り扱うリペア職人の仕事に制約を与え(ICはブラックボックスであり、プロとて予備部品をストックしていなければ修理が出来ない)、壊れたままが多いわけだ。部品取り機から供給される実働部品が失くなり次第、真に絶滅してしまうのではないか。だからこそ意を決し「今ならまだ直せる」と標榜する職人(先んじてミラーアップに陥ったMZ-3を直してくれた)に頼んでOHしてもらった。

それではどんなふうにAUTOなのかと言うと「シャッタースピードだけがAUTO」すなわち絞り優先AEである。それから絞り込みに際して常時開放測光が可能である。いずれも現代人にはなんの変哲もなく思われるかもしれないが、これらは当時としては凄いことであった。
AEに関しては、レンズ側の絞りリングF値、フィルムのISOダイヤル値、露出補正ダイヤル値の3つすべてが「アナログなダイヤル位置情報」であるにも関わらず、それらを物理センサーが検知して情報化し、CDS露出計が弾き出したEV値と掛け合わせてICが演算し適切なシャッタースピードを提供~絞り優先AUTOを実現~したわけだ。しかもそのシャッタースピードは、電子制御により8S~1/1000Sまでの間で、なんと「無段階」であった。初の絞り優先オート機にして同時に非常に画期的なメカニズムを持っていた。横幕式のシャッターなので正確性はそれなりかも知れないが、デジタル化した現在の一眼レフカメラでさえ無段階シャッタースピードというのは聞かないので、極めてユニークな機構に相違ない。このあたりは所有欲を刺激する。

同じく現在では当然な常時開放測光も、高度な物理的カラクリによって初めて実現された。それまでは全て絞り込み測光で、測光時にファインダーが暗くなるのが当然だったから、後に続く新しい常識を作ったのだ(余談だが、絞り込み測光については、SPの取説がネットでPDF閲覧できる。P28に自動レバーというのがあるが露出計のスイッチONにすると絞り込まれてしまうため、まだ完全自動とは言えなかった。これらがES、ESIIで解決された。さらなる余談だが、開放測光を凌駕した次世代新技術こそ、絞り込んでも暗くならずに被写界深度の変化だけが見て取れるソニーα7のEVFだろう)。
いずれのメカニズムも前型機ESが初めて(世界初?なおESはスロー側速度は最大1S))採用しており、ESIIは名称通りその改良後継機種である。ペンタックスブランドは、現在に至るまで、後継モデルに「II」という名称を冠するのがお好きなようである。
 
つまり本機は交換式レンズを用いたシステムカメラでありながら、今で言うiPhoneの如く気軽に撮れるために1973年当時に考えうる最大限までに進化したモデルだった。それが現在になって、IC搭載と引き換えでスローガバナーを切り捨てたことが逆に制約と化してしまい、リペア職人ならびにフルマニュアル操作を好むカメラ女子に敬遠されたわけだ。
参考まで、ペンタックスのM42の完全機械式を選ぶなら、リンゴスターも使っていたSPが王道だが、ホットシューまで付いたSPIIが最もお買い得だ。電池が早く減ると言われているもののSPFも良い(ESIIの廉価版の姉妹モデルながら、SPIIに開放測光機能&露出計自動起動を付与したモデル。現在の市場価値はおそらくESIIと逆転しているだろう)。さらに時代を遡れば露出計すら積んでいないモデルもたくさんあるが、それ以上は触れない。
 
さんざん脱線したが、ESIIはその特長を活かした使い方をマスターすれば、実はとびきり使いやすいマシンだ。いっそリバーサルだってフルマニュアル機以上に行けるはずだ(まだしてないけど)。そこで本稿は本機がその全ての機能を維持している前提で、最大限評価されるためのレビューを記しておきたい(なお私はペンタックス信者であって他のメーカーのカメラのことは全く眼中にないばかりか知識もないし比較対象にもしていないことだけ予めお断りしておく。)
 
ESIIは上述通り絞り優先AUTO専用機であるがゆえに露出補正機能を備えている。この補正ダイヤル操作にこそ本機の使いやすさの要がある。すなわち無段階シャッタースピードという最大の特長と併せ、露出補正ダイヤルまでもが-1~+2段の範囲で(クリックを無視すれば)無段階なのだ。
 

およそプラス0.5段の位置

軍艦左上に設けられた操作用ダイヤルの回転範囲は約90度と十分に確保されている。これをフル活用して、絞りとフレーミングの決定後、ファインダー内で露出計が「欲しいシャッタースピード」を指すように露出補正ダイヤルを無段階調整すれば、シャッタースピードダイヤルを備えているフルマニュアルカメラとほぼ同等の使い方ができるわけだ。構図を決めたら、ファインダー内に示されるシャッタースピード針を眺めながら必要に応じて露出補正ダイヤルを無段階に操作する、たったそれだけのことである。使いにくいというイメージは、本機の本領がよく理解されていないからに過ぎない。
なお、このモデルに限らず当時のM42レンズの絞りリングは、クリックを無視すれば無段階で使えた。

こうなれば残るのは露出計のクセの体得のみである。自分はデジタルKもアナログMZも嗜む関係上、分割測光モードは使ったことが無い。分割モードは日進月歩で進化するため機器ごとに使用感ががらりと異なるからだ。ゆえにデジタルKとMZで同じクセを示す中央重点測光で、あらかじめ体得したカンを頼りに、同じやり方で絞り優先モードの露出を補正している。ところがESIIは分割はおろか中央重点も備えておらず、SP同様の「平均測光」だ。現代カメラと比べた場合に独特のクセと受け取られるかも知れないが、実体は3世代前のオーソドックスな測光モードだ。仮に露出決定の難しいシチュエーションに遭遇したとして、可能であれば、同じ場で使い慣れた別機で露出計を作動させれば、カンとのズレの確認ができて良い。これに慣れるのにはそれほど時間がかからないはずだ。露出測定ポイントからフレーミングを変更する時などは、マット全面の平均値を指針する平均測光の方が補正量が少ないこともある(中央重点測光だったらAEロックするようなシーン)。

ファインダーの明るさは最新デジカメと同程度であり全く違和感はない。Mシリーズのような突き抜けた明るさは無いのでそこは期待してはいけない。

そういうわけで、本機は屋外での様々な光量条件のもと、無難なショットを量産することに適しており、今時あえて楽しむフィルムカメラ趣味に適したモデルの一つと言える。ESIIのAEが苦手とするシーンをあげるなら、完全逆光の小さな被写体、あるいは被写体の光量が変わらないのに背景に振られる室内スナップなどが考えられるが、そんな時こそ僅かに選択できる1/60xより速いマニュアルダイヤルを使えば良いではなかろうか。

日常のスナップ撮影にiPhoneしか使わなくなって久しい。あえて頭を使って露出の調整を考えなくてはならない撮影行為になんの意味があるのかと問われれば、それはマニアックな趣味行為だと答えるしかない。しかし一見無為なこの撮影行為を何かにたとえるならば、私はそれは楽器の演奏に似ているのだと感じる。道具とその操作者によるコラボレーションであり、そこに巧拙の差が出るところが、実に面白い(私は一切嗜まないがスポーツも同様ではないか)。そこに楽しさがあるからこそ、それは趣味として成立し続け、決して廃れることはないのだろう。
写真撮影においてこのESIIを例にとれば、絞り優先オートのクセを回避したい場合にマニュアル露出特有の使い易さがあるのは事実なので、「スロー側は、オートしか使えません」というのはいささか中途半端である。しかしAEカメラ黎明期に先人たちがこいつを最先端機器と崇めた時分の操作感覚をあえて「なぞる」ことに、私は高度な趣味性を感じて深い感慨に浸る。楽器やスポーツではないが、先人を相手に、同じ土俵で巧拙を競っているかのような感覚さえ生じる。その先人とはすなわち若かりし日の父親そのものであるから、尚更楽しい。

何しろニコンを売っ払ったのだからガチの好敵手だ。

わが親愛なる友へ

2021年07月31日 | ただの雑談
人生を通じて多くの人たちのお世話になってきたことについては、残念ながら社交辞令程度にしか、そう思っていない。人付き合いの多くは、オフィシャル(社会人)を演じている俳優としてのそれ(芝居)がほとんどであるし、プライベートであってもほぼ表面的なものに限られる。別に人付き合いが嫌いなわけではないのだが、私にとって「人間」というものは、これを趣味・興味の対象として全身全霊を注ぐには、あまりに脆くて壊れやすいのだ。異性として人間に惹かれるしこれと仲良くなるのは自然のことだが、出会った数だけ別れているのが、相手が異性である以前に人間である証左であろう。家族や家庭というものは、世間一般では最も心を許せる安らかな居場所とされているし、私もそう信じたかったが、いよいよそれさえ捨ててしまった。おそらく本当の私は弱くて臆病で警戒心が強く、何かにすがって生きていたいのだろう。しかし壊れやすい存在を前提とし、それを中心に据えて重んずる環境には、とうとう耐えきれなかった。すなわち精神的に未熟というか、乳児そのものであり、仮に周囲に求めているものがあるのであれば、それはもはや母性だけなのかもしれない。これを現代日本の成人男性として照らせば、非常に非情で非常識で、わがままで、自分勝手で、反省もしなければ向上心もなく、およそ責任という言葉から最もかけ離れており、総合的に人間失格としか言えないキャラクターであって、いっそ犯罪者のような気分がする。自分は人間でなかったら良かったのにと思う。本気でそう思う。
そんな自分にかつて親友と呼べる存在があった。残念ながら彼はもうこの世には居ない。没年当時、世の中にはまだ携帯電話もインターネットも無かったから、彼の名前を検索しても同姓同名の別人しか出てこない。ゆえに個人の特定のしようがないから、私にとって馴染みの深いその名前をここに書いてしまっても良いのだが、残されたご家族の心情等々もあるので、やはり名前は書かない。ここでは彼をTと呼びたい。
Tと過ごした時間と、彼の死、それにまつわる諸々の出来事は、私の人格形成に多大な影響を及ぼした。ということは、Tこそが私を変えてしまった犯罪者メーカーだったのだと言いたいわけではなく、全く逆である。私がこうなったのは、私の責任であり、他の誰かのせいではない。否、私に責任などは無く、己の自我というものは単純に哲学的な主体というか存在でしかない。すなわち冒頭で散々自分を罵ってはみたが、哲学的な存在としての自分は、そもそも希薄だし、良くもなく悪くもなくどうでも良いのである。単純に、たまたまTのことを思い出した。そこで、うろ覚えな部分もあるが現時点で一度書き留めておこうと思った。改めて、私にとって唯一だった自分以外の人間、親友への、感謝と敬意と慕情を確かめておきたい、そんな気分に今なっただけである。

私がTと出会ったのは中学生の時であったが、互いに認め合い共に励んだ時間は、高校1年生の冬に彼が他界するまでの僅か数か月であった。中学の音楽の部活で出会ってから長い間、Tとはそれほど懇意ではなかったのだ。性格的に雑な私と几帳面なTとでは、それほどそりが良いとは言えなかった。ただし、中高生ともなれば異性にも興味を持つし淫らな妄想もするものだが、私とTでは「下ネタ」「エロ話」だけは盛り上がったことをよく覚えている。彼は絵が上手だったので、真面目な性格の割にはよく卑猥ないたずら書きをしていたものだ。また、Tには2つ下の妹がいて、学祭で見かけたその妹さんを気に入った私は、
「おい、今度君の家に遊びに呼んでくれよ、君の妹と会いたいからな!」
と言って憚らず、Tからは
「絶対呼ばねえ」
と煙たがられるような、そんな程度の付き合いであった。
お互い同じ高校に進学し、周囲では高校生らしく進路の話題などが盛んとなった。当時私は本気で音大に進学して作曲を学びたいと考えていた。当時すでに習作のような音楽作品を作って録音などしていたので、これを彼に渡して聞かせた記憶がある。おそらくそれが彼と通じあうようになったきっかけであったはずである。
「すごい、この曲を、本当に君が作ったのか?どういう和音を使っているんだこれは!天才じゃないか」
というような反応だったので、自分は大層気をよくして、色々と説明した。
「いや、誰でも耳コピできるような、ギターのコードみたいな和音は、もう卒業したのさ。近現代の作曲家たちはこうとか、こうとか、奇妙な響きを多用するだろう?ぼくはそれが好きなんだ。あまり詳しくはないけどね」。
そこで、音楽教育を受けたことがあるわけでもない高校生ふたりは、音楽室に飾られている西洋音楽の作曲家の肖像画のうち、なるべく後ろの方から色々と聞き探っていくことにした。今と違ってインターネットが無い時代ゆえ、足で通って盤で聴くしかなかったのだが、互いに勉学で忙しい中貴重な時間を割いて収集に励んだものだ。彼からいただいた年賀状に、
「ダフニスとクロエ、展覧会の画は最高だよ!」
と書かれていたことをよく覚えている。音楽的嗜好は今ではクラシックはメインではなくなってしまったものの、モーリス・ラヴェルは今もって好んで聴く作曲家である。
Tは私が作曲を本格的に学ぶことを後押ししてくれたし、自分もそのつもりでいた。共にいろいろな音楽を見つけては情報交換しあった。急激に互いにどんな話でもできるように打ち解けた。ある日の帰り道でのエピソード、例の妹の話である。彼女が習っていたというピアノの発表会だか何だかで入賞したと聞いたので、
「それはおめでとう、大した妹さんだね。それと比べればぼくなど何かの賞など取ったことも無い。是非名を上げてみたいよ」
というコメントをしたところ、
「いや、君は、君自身がやりたいことを続けるべきだよ。誰かが賞を取った、なんて他人の話に影響される必要はない」
という予想外の反応をされた。これは後に胸に刻まれる言葉となる。
そんなTが、高校1年生の2学期くらいからか、唐突に学校に来なくなったのだ。親友と思っている人間が学校へ来ないというのは非常に寂しいものであったが、理由は分からないが彼が登校しないことに触れるのは周囲でタブーとされていた。今思えば、厳格な進学校であり、行事やチームワークや友情より何よりも勉学が重んぜられるという厳しい校風であったから、勉学の士気に影響しそうな話題は触れられなかっただけかもしれない。しかし、自分は何か家庭の事情があるのかもしれないと大層心配をしたものだ。今日も今日もと彼が登校するのを待つばかりで、とうとう一度も会えないまま2学期が終わって冬休みになった。

自分は意を決してTの自宅に電話を入れた。母親が取り次いでくれた。とりあえず家にいることが分かっただけでもほっとした。
「どうしたんだ一体。ぼくに何も言わずにずっと学校に来ないというのはどういうことだ。何があったんだ」
Tは理由について明確にしようとしなかった。言いたくないのだろうと考え、あまり追及しないことにした。
「とにかく、冷静に考えろよ。何かのっぴきならない事情があるんだろうが、ぼくたち今高校1年生だろう?この先進学もするかもしれないし、ゆくゆくは世に出ることがあるかもしれない。だけど、学校の授業の日数が足らないってことは、もしかしたら留年とかしちまうかもしれないし、君の将来にケチが着くだろう?今さら、今年度の成績なんてどうでも良いし、仮に進路で悩んでいるのだとしても、そんなものは後から修正が効く。今はとにかく、学校に来ることだ」
私が一番言いたかったことは伝えられたのだが、Tはこれに対しても色よい返事をしてくれなかった。私は業を煮やしてこう言った。
「わかったよ、ぼくの言うことが伝わらなくても構わない。君には君の考えがあるだろうから、それをぼくは決して否定しない。だから一つだけ、ぼくを安心させるために約束してほしい。それは、3学期からはきっちり登校することだ、いいかい?」
それでもTは相変わらず気乗りのしない様子であったが、私もそれ以上その話をするのはやめたはずだ。せっかく久しぶりに電話で話したのだから、残りの時間は互いに好きな音楽の話でもしたのだろう。先に紹介したダフニスとクロエと書かれた年賀状は、この冬休みに届いたものだ。

学友たちがみな冬休みの莫大な量の宿題と戦い抜き、課題ノートという首級を「どっさり」と携えて、新学期の初日を迎えた。Tは来るだろうか?手ぶらではさぞ気まずいだろうと気を使いつつ、恐る恐る学校へ向かったのをよく覚えている。もしかしたら初日こそ居なかったのかもしれないが、とにかくTは無事に登校を再開した。私は大いに喜び彼を励ましそして礼を言った。
「こちらこそ礼を言うよ。約束させられたから、無理にでも来ることにしたんだ」
Tはそう言った。
このことは後に私に「約束事は、極力、しない」という強い信条を植え付けることになった。

1月には寒空マラソンという学校行事があった。河原をひたすら走るのである。去年まで10kmだったが、今年から高校生なので15kmだ。1月の体育の授業はそれに備えてひたすらジョギングであった。自分とTは球技が苦手で大嫌いなので、ジョギングという体育授業は好きであったが、当日は別だ。さすがにしんどい。前日には、体調が不安な生徒は任意で保健の先生の面談を受けられることになっていた。体育授業の内容といい、この面談設定といい、学校が生徒の体調管理を最大限気遣っていることが見て取れるが、私とTに関しては
「おい、もしこの面談で引っかかったら、明日走らないで済むかもしれないぜ!」
「ああ、もちろんだ、ダメ元でも、面談を受けない手は無いよな!」
と2人して意気揚々として保健室に向かった。実際に面談に行ったのは私とTの2名だけだった。にこやかに2人を迎えてくれた女医が、初めにTに対してこう言った。
「はい、健康健康!問題なし!明日頑張っておいで!」
「ちぇー!!!」
ところが私の番になって女医の顔色が曇った。
「あなた、ちょっと脈がおかしいわよ。ちゃんと病院で調べてもらったことある?」
「は?脈?いや、今までそんなの一度も」
「あら、そう。貴方は明日の参加は認められません。見学していなさい。一度ちゃんと心臓系の病院に行ったら良いわ」
「(まさか!ラッキー!)はいっ!!」

私はホクホク、Tはガッカリな結果となってしまった。
「まじかよー、おれ、15kmなんて走ったら、死ぬぜ、、、」
「大丈夫大丈夫、ちゃんとおれが看取ってやるから!」
「まったく、君がうらやましいぜ、、」

迎えた当日の朝、相変わらず萎え切っているTに対しては
「終わったら一緒にマック行こうぜ、きっと君が次に食うマックは最高にうまいはずだ!」
などと応援して送り出し、自分はずっと河原で座って、晴れた空を眺めてぼんやり考え事をしていた。
「良かった、Tが無事に学校に戻ってきてくれて。お互いどういう進路になるか分からないけど、ぼくと彼とはきっと、一生の付き合いになるんだろうな。まだ日は浅いがこれからが楽しみだ。こういうのを青春ていうんだろうか」

ポツリポツリと、15kmを走破した先輩や同級生たちがスタート地点に戻り始めた。Tは足も遅いし途中でへばって歩いているだろうから、早く帰ってくるはずはないので、走り終わったTが自分を見つけて話しかけてくれるまで待っていようと思い、河原のグラウンドの端っこの方で空を眺め続けていた。
いよいよ終盤(ビリ)グループに近い生徒たちが戻りだしたところで、
「みたか?」
「みたみた、大丈夫かよあれ!」
みたいな不穏な噂が立ち始めていた。何かがあったらしい。やがて別の友人から具体的な情報がもたらされた、
「おい、きみの仲良しのTが、あの辺でぶっ倒れていたぞ!救急車で運ばれた!」
あの辺りと言って指さしたのはもうスタート地点から辛うじて見えるあたりだった。そういえばさっき救急車の音がしたかもしれない。全く気付かなかった。
これを聞いた自分がたまげたことは言うに及ばない。わたしはTが帰ってくるのだけをずっと待っていたのに、彼だけが帰ってこないなんて。救急搬送に対応したといいう体育の教師を捕まえて、何があったのかを問いただした
「ちょっと無理したのかな、意識をなくしたようだ。まあ、比較的よくあることだから大丈夫。心配しないで良いよ、さあきみも帰りなさい」
と言われ、少し安心した。
「判りました。念のため、彼が担ぎ込まれた病院名だけ教えてください。」
と尋ねて、私も帰路に着いた。だがやはり気になる。教師の指示に背くことには勇気が必要だったが、私は帰路に着くふりをして、その病院を訪ねたのだ。昨日の保健の先生は、まさか私とTの脈を取り間違えていたのではないか?どうか無事でいてほしい。それを確認するのは自分の務めだろうと思った。至近にある比較的大きな町の病院であった。ここまでくれば、とにかく彼と会えるんだ、勇気を振り絞って病院の受付にて、不躾な訪問の趣旨を伝え、ぜひ面会させてくれと頼んだ。ところが帰ってきた答えに自分は驚愕した。

「ああ、さっきの心肺停止の子ね。うちでは処置できず、○○大学病院に緊急で再搬送されました」

その大学病院てのは、聞いたところ、めちゃくちゃ辺鄙な場所にあってクルマじゃなければ行けないような場所なのだったが、どうやってそこへ向かったのかは、全く覚えていない。相応の時間がかかったはずだが、とにかく夢中で辿り着いた。あまりに広くてどこからどこまでが病院なのか分からないような病院であったが、救急搬送される患者専用の出入り口を見つけ、ノックもせずに飛び込んだ。Tはどこだ。廊下に面して処置用の簡易な病室がたくさんあるのだが、そのどれかに相違ない。一つ一つ勝手に開けてしまえば、病院からつまみ出されてしまうに違いない、冷静になるよう言い聞かせて、よく観察した。ほどなくして、見慣れた教師が憔悴した様子でそのうち1室から出てきた、あそこかっ!
「こら!お前!どうしてここに居る、やめなさい!」
私の首根っこを掴む教師を振り払って、その病室に駆け込んだ。処置用ベッドを囲んで輪になって座っている見慣れた教師たちが、同じく一斉に目を丸くして立ち塞がって壁となった。再び私に罵声を浴びせた。
「何やってるんだ!出ていけ!」
大の男3人に羽交い絞めにされてしまい、さすがの私も観念した。ところがある女性がそれを制止してくれた。Tのお母さんだった。
「せんせい、まってください!もしかして、それは、○○さんですよね?!そうではありませんか?」
「そうですが」
「なら、今朝もTから彼の話を聞かされていました。どうか、いま、会わせてやってください」
涙ながらにそう言われた。
教師たちから解放され、処置台の上で横たわっているTに再会できた。頬に触れると、既に冷たくなり始めていた。

昨日、冗談で話していたことが、まさか全部本当になっちまった。
たとえ冗談でも、ああ言うことは、言ってはいけなかったんだ。
言葉というのは、どれほど重いのだろうか。
そして、彼が、先月までの通り登校拒否を続けていたら、今頃どうなっていた?
自分が余計な約束をしてしまったせいではないのか。
ぼくがTを殺したんじゃないのか。
同じく、例の妹もそこで泣いていた。こんな形で彼女と再会するなんて。

自分より遅れて、Tの父親が駆け付けた。16歳の息子の死に接した父親の姿はこのようなものであった。
彼は息子に対して2回、やさしく、その名前を投げかけた。当然返事はない。その後大声で怒鳴り始めた
「おい先生はどうした?どこだ!」
「はい、私が担任の…」
「あんたじゃない!!病院の先生だよ!ちょっと呼んでくれよ!!先生だれか!!おい!これ!なんとかならんのかね?!」
大声で呼び出された医師が、数時間前の時刻がスタンプされた死亡宣告を再度、朗々と読み上げた。
「おお」
父親も泣き崩れた。
あのシーンは本当に頭から離れないし、二度と見たくない。少年の心はもうズタズタであった。

それから色んなことがあった。初めに、Tを失ったTのお母さんはショックのあまり、息子を亡くした瞬間に初めて出会った息子の親友すなわち私を、Tの生まれ変わりのように思い込んでしまい、もう1人の母みたいになってしまったのだ。次に、私はTの死に責任を負っているので、彼女の息子にならなくてはならない、そんな義務感にかられた。そうして、そのお母さんから、Tが語らなかった色々な逸話を教えてもらった。几帳面さゆえか「マラソン当日は、とにかく走りぬく、絶対歩かない」と豪語していたそうだ。彼が登校拒否していた理由は、ついに本人から聞くことはなかったのだが、お母さん曰くどこかのアフリカの国で内戦だか難民が発生しているのを憂いて、今すぐにでも支援に駆け付けたいのに高校生では何もできない、という殊勝な理由であった。今思えばそれは思春期の若者特有の反体制的思想の一種であり、一過性のものだったはずだろう。だが、当時音楽漬けだった自分にはとても衝撃的な理由であり、死してなおTという人物の偉大さにかられ、自分は彼のために彼の分まで生きなくては、と思うようになっていった。彼が不登校の自宅で何をしていたかというと、オピニオンの文章を用意して新聞社とやりとりしていたそうだ。学校の単位が足らないのは良くない、なんていう忠告は、彼にとってどうでも良かったんだろう、無理やり約束させた自分を恥じた。そうして、自分では知りえなかったTの色んなものを吸収して、もうほとんどぼくはTと一体になってしまったのではないかと思った。とにかくTは私とは異質な偉い人物だったのだし、自分は責任をもって、Tの意志をよく踏まえ、2人分の人生を生きなくてはならないと思った。
自分の家とTの家、2つの家庭を頻繁に行き来していた。今思えばなかなか異様なことである。そんな折に、実の母親が、産まれて初めて私の目の前で涙を流して泣いて見せた。
「あなたは、私の息子なのだからね」
私は実の母は最強にして最恐と思っていたから、憚ることなく何でも思ったことを伝えてきたのだが、まさか、わが母も、気を遣わなくてはならない弱い存在だったのか、そんな弱い母を困らせてしまっていたのか、私はいったい誰の胸に飛び込んだら良いのか。いや反対なのだ。これからは、母には立派な息子の姿を見せておかなくてはならない、母は守られるものから守るものに変わったのだと感じた。
これからは母を大切にし、そして自分だけを頼りに、Tの為せなかったことまで全て私が代わりに為さなくてはならない、茨の人生になったぞ、大変な人生だぞ、でもやり遂げなくては!自分はそのように、ぼんやりながら息巻いていた。

このようなグチャグチャで奇妙な状態が続き、彼の死から1年ほどが過ぎた頃であっただろうか。
唐突に、先に紹介したTの発言エピソードを思い出した。Tと一体化していた私は、お母さんから聞かされる逸話ではなく、本人の言葉を久しぶりに思い出した。
「いや、君は、君自身がやりたいことを続けるべきだよ。誰かが賞を取った、なんて他人の話に影響される必要はない」
という予想外の反応のことだ。
あっ、これか、と私は直感した。あれだけたくさん何でも話してたのに、登校拒否のことは一切ぼくに語らなかったのは、聴かせる必要がなかったからに相違ない。これは覚醒したと感じた。私は私でなくてはならない、今一度、私に戻らなくてはならない。それが私がTから引き継ぐ意志に間違いない。自分に戻れた後に、さらに元々付いていた余計なモノまで、何もかもそぎ落とさなくてはならないことまで、今の自分には判る。まさに覚醒だ。やらなくてはいけないことが、分かった。自分自身になる、他人は関係ない、誰に何を言われようが、やりたいことをやりきる、これだ。
その結果、音大への進学は母親のために取りやめた。その後現在に至るまで、私はこのとき目が覚めた感覚だけを頼りに、生き続けてきたと言ってよい。それで失敗もした。現時点の自分と社会との関係ついては、冒頭に書いた通りの有様である。だけどもまだまだ自分はこれから成長できると思っている。後悔はない。人生常に新しい発見の連続だからだ。

月日は流れ、後に開催されたTの20回忌では、Tのお母さんと妹の元気な姿を見れた。挨拶をしたが
「元気にやってる?」
それだけであった。

自分とTとは今でもたまに語り合っている。彼は何故か家族のお墓ではなくて独立墓に入っているから、いつでもサシで会える。不定期で墓に出向いては、酒を交わし、近況を報告したり、相談に乗ってもらっていたりする。ぼくの口癖はこうだ
「これで、間違っていないよね?」

この不思議な感覚を上手く表現できないのだが、ぼくは、Tの死後も、彼と一緒に成長し続けている。ぼくと彼は永遠に同い年だ。16歳で止まっているのは、想像上のうわべだけ。そして「2人分の人生」という気持ちは、今もどこかに少し残っている。何か自分自身が他人のように思えることが多いのはそのせいかもしれない。
これが私と私のたった1人の(元)人間の親友のお話でした。
ちょっと彼のお墓の様子を見にいってくる。

バック・トゥ・ジ・オーディオ(7)

2021年04月13日 | 70年代ロック雑談
7.むすび
だが冷静に自問自答を続けよう。私が今やろうとしていることを、別の事象に置き換えて例えれば、それがマニア的なのかそうでないのかを客観視できるかもしれない。
さしづめ軽トラックに皇室御料車カスタムを施すようなものか?「エンジン付きで走行さえ出来れば軽トラで一向に構わない、いや、むしろ軽トラ以外はベース車両としてお断りだ!」と強くこだわりつつ、「全面強化防弾ガラス装着とドア観音開きは必須なのに、なんで防弾なだけで窓ガラスごときがこんなに高いのか?!」安く上げるための軽トラなのにwhy⁈¡みたいな感じか。何故そんなことをしているのかと言えば、防弾窓ガラスを普通のことだと思っているから、、、。
いやそれは普通じゃないよなあ。改造ベース車がトヨタセンチュリーで本気の御料車を作りたいならまだ判るが(それでもおかしいけど)、やはり狂っているのか、これもマニアなのか。
そうかマニアだ、わかったマニアだ認めよう、なんとなく分かった、クルマ好きが昂じてランボルギーニまで買っちゃった高級車マニアと、カネは無いけど特定パーツへのフェティシズムなまでのこだわりがあるフェチマニア、自分は後者であって、どちらも大きな括りではマニアだ。スタイラスとかカートリッジとか言ってる時点で、高い高い言いながら買ってる時点で、既に「入門」済みのマニアだったんだよ(相当に奥深そうなので永遠の初心者ということにしておきたい。深入り、すなわちMC型には決して手は染めまい)。これならアナログなんて聴かずに、配信とCDだけの方がよっぽど手っ取り早いではないか?阿呆なこだわりの持論展開とアナログ再生なんてやめちまえば良いのか?

そんな折に気になるニュースを聞いた。ステイホームのコロナ禍にあって自宅で聴くビニールの新譜売上額が急上昇し、1987年以来CDと再逆転したというのだ。世界中でみんながアナログを聴いているのか?!ハードオフには無いが、HMVやディスクユニオンに行くと必ず新品コーナーがあって、わざわざ新録や旧作の最新デジタルリマスタリングをビニールで新品販売しているが、あれのことか?!私はあれの意味が分からないぞ。せっかくデジタルマスターならばデジタルで聞けば良いのに何のためにメディアフォーマットをアナログに戻してくるのか??すなわち「ADA」や「DDA」の存在意義や如何に?先に示した私のアナログとデジタルの違いの定義に当てはめた場合、音楽以外の部分を再現したいのは理解するが(この場合は厳密には再現ではなくてシミュレーション止まりだが)、「中身の音楽は最新」だなんて本末転倒じゃあないか。まあ仮にカッティングなりプレスの技術がめちゃくちゃ進化していて、「接合丸針だろうがなんだろうが、どんな針でかけても絶対歪みませんから!」と言うのならば聴いてやっても良いけど、、、あるいはそれが「最近少し興味があるものの今のところ全く造詣のないジャンル」すなわちジャズとかだったら「マイルス・デイビスとビル・エヴァンスが共演しているあの名盤(なんてあるのか知らないけど)を最新リマスターでアナログ・フォーマットで限定販売!」とか言われたら普通に面白そうかなと思ってじゃあ買ってみようかという気もするので、私は自分勝手なものである。

ところで、話はさらにエスカレートして昨今では「CDでは聴き取れない音がアナログだと聴き取れる」というWEB評論も見かけた。こうなるともはやオカルトと言って良い。それからオーディオ評論家の相変わらずの抽象的な論調にもウンザリだ、やれボーカルがくっきり前に出た感じだの粒立ちだのきめ細やかさだの立体感だの解像度だの臨場感だの伸びやかだの温かみだの、伊藤政則氏(大ファンです)ばりにちっとも説明が具体的じゃない!アマチュアながら音楽作ってた側の人間として言いたいのだがそんなもんはミキシングとマスタリングで決まるんだってば。制作側が想定する再生環境は特に60年代70年代こそ安物のポータブルラジオが前提であった。だから「再生マニア」を標榜するリスナーがいたとすれば音響的に拘るべきことは2つのみ。すなわち鳴らしたい音量を担保する出力のあるアンプとそれに対応したスピーカーの確保だけ。スピーカーは鳴らす音域を分担させて2way以上にした方がコストをかけずに高いパフォーマンスを発揮するはずだ。それ以上の違いは単なるイコライジング効果と同様なので、残念ながら再生しようとしている録音の仕上がり次第で既に決まっているから、最終再生環境にどんだけ金かけても意味が無いというのが私の持論である。高級オーディオマニアが求める「理想の音」ってのが仮にあるのなら、ぼくだったらグラフィックイコライザー1つ挿させてくれればそれを作り出してみせるね、そしてぜひブラインドテイスティングしてほしい(嘘です)。

結局、遅かれ早かれこのようなプラシーボだけが広がって高級マニアを喜ばすのだ。ならば我々フェチマニアは、CD慣れした耳でアナログを裁いて、70年代ロックに対して、あらゆる旧譜に対して、贖罪しなければならん!アムロ、なんでこれが判らん!

同胞たるオーディオマニア諸兄さえを敵に回すような特殊マニアぶりにエゴだよそれは!と論破されて終わろうと思います。レコスケでも読んで気持ちをリセットしよう。(終)

問題のやつ

バック・トゥ・ジ・オーディオ(6)

2021年04月12日 | 70年代ロック雑談
6.私はオーディオマニアなのか?
店舗までの移動手段は自転車(ブロンプトン)であった。行きは全部漕いで帰りは輪行するつもりだったが、思わず帰りも全て漕ぎ切った。先に購入した針が実売価格では8,000円、今買った針が同じく23000円、合わせて3万円超。私は何をやっているのだろう?レコード再生時の歪みを減らすためだけに、それだけ投資する価値があるのか。そんなことを考えていたら「このまま電車に乗らずに全部漕げば、数百円浮く」という貧乏くさい考えに乗っ取られてしまったのだ。
端から見られた私の姿は、春風を浴びて気持ち良さげにサイクリングしているのんきな中年男性だったはずだが、実際の私はさらに深く自問自答を続けていた。まさか、私の父親がカセット野郎だった理由は、まさにこれだったのではないか?だとすれば父はなんと偉大なのだろう。すなわち、LP全盛時代にも関わらず技術の限界に早々に見切りを付け、それには1円たりとも投資せずカセット野郎に身をやつし、雌伏しながらソニーとフィリップス社によるデジタルメディアの開発をしたたかに見守り、いよいよ具現化したCD技術が市場を席捲してLPを死に至らしめるのを確実に見届け、値段も落ち着いたところで満を持しておいしい所取りってわけだ。父親の小さなCD収納ケースを思い出した。明らかにカセットテープ時代のそれよりも、数量面において充実したライブラリに仕上がっていた。カセットからちゃっかりCDに置き換わっている盤もあった。ビートルズものは「オールディーズ」のカセットメディア1本のみだったが(私が散々聴いたやつだ。何故かアナログと曲順がまったく違ってB面最後が「イエロー・サブマリン」だった)、今では赤盤&青盤である(曲目的には「バッド・ボーイ」だけが被らないな)。その先見の明たるや、改めて畏敬の念をもって父親へ思いを致しました。
帰宅後、恐る恐るスタイラスを交換した。この小さくて精密なスタイラスは取り扱いに注意を要する。にも拘わらず、他のオーテクのスタイラスがみなスポスポとカートリッジに挿さるにも拘わらず、精度の問題かエライ硬くって中々カートリッジにハマらない。「お前処女だったのか」等と一人で冗談を言いつつも、万一手が滑ってスタイラスを壊したりしたら23,000円が血だらけもといおじゃんであるから、精神的なテンションはきつめである。格闘すること数分で私は汗だくになったが、「バチン!」という精神衛生上良くない音を伴いつつなんとか無事合体させた。早速あえて歪みの酷い盤をかけてみた。想像通り残念ながら歪んだままだが、多少はマシになったのは間違いない。それなら「スマイル・アウェイ」はどうかというとこちらは改善が著しく「内周歪みは気にせず聴けるレベル」に化けた。これで方向性は定まった、歪みの改善はスタイラス(のチップ先端の形状)にかかっている模様だ。
それ以外の確認事項はどうか、私は何か怠ってはいまいか。
プレーヤーの設置に際しては三脚用の水準器を用いてちゃんと水平を出した。アームのゼロバランス(水平)もスケールを当てて確認した。針圧計は持っていないが、1.4〜2.4くらいまでの範囲で色んな針圧を試したが変化は劇的までではないので、マニュアル通り水平で0gリセットしダイヤル目盛りで本スタイラス指定の2.0g程度とする作法で良いだろう。もちろんアンチスケーターも針圧条件と揃えた。オーバーハングも5.0cmで指定値通りだしゲージでチェックしても問題ない。トーンアーム調整機能は無いから、もう他に調整出来る箇所はない。
この条件でスタイラスのグレードを上げたら歪みが改善したのだから、これ以上の改善のためには、シバタ針⇒ラインコンタクト針にグレードアップすれば確実、ということだ。

これまでで最も歪みを少なく再生できた

そこでオーテクのサイトにちらり目をやった。ラインコンタクト針60SLCを採用した700シリーズのVMカートリッジ最高峰「VM760SLC」のお値段は、買おうと思ったことすらなかったから未チェックだったが…定価で税込88,000円。軽く眩暈のする数字だ(MC型カートリッジであればさらに上がいるのだが…)そこまでしなければ、あるいはしてもなお、レコードの再生サウンドは平然と歪んでみせるのだろう。とは言え手の届かない金額では無い。ブロンプトン本体より全然安価ではないか。アナログは音の入り口がスタイラスでありカートリッジ、ここがしっかりしていなければ、その先がいくらしっかりしていても、まともな音は得られない。当たり前のことを言っているつもりだが、この発想が既にマニアックなのか。アナログを、普通に、普通な音で聴きたい、たったそれだけのために必要な金額が、普通に88,000円である。冒頭で述べた意見表明をここで復唱する。
「アナログプレーヤーやLPレコードを一言で言うならば『人生の思い出』という程度であり、とことん突き詰める気は毛頭無い。単に鳴らして聴きたくなっただけだ。」
だから自分はレコードプレーヤーの出力先はわずか2,000円のフォノアンプだし、使用ケーブルは500円程度だし、さらにその出力先は2万円未満のコンポ、再生スピーカーのケーブルは付属品だし銅線をクシャクシャに畳んだやつ、それで構わないと言っているのだ。この時点までならオーディオマニアではない。なのにアナログの再生ピックアップ部分だけに既にシステム全体の半額を注ぎ込んでいるのは、とてつもなくアンバランスだ。仮にここをさらにグレードアップすれば、最大で「88,000円+20,000円(未満)」にまでアンバランスの拡大が可能という算段だ。
私は自分をオーディオマニアとは思いたくない。オーディオマニアというのは、アンプやらスピーカーに自動車が買えるくらいの金額を注ぎ込み、ケーブル周りなどオプション品にさえも平然と万単位注ぎ込む人種のことだろう?自分のコストパフォーマンス感覚ではそれをやる気は皆無だ。とは言え電蓄みたいな5000円のプレーヤーを使いたいかと問われれば答えはきっぱりNOだ。音揺れはリスニング時に非常に萎えるので駆動方式はDDに限るし(最近はベルトドライブがえらい進化しているらしいが)カートリッジ交換こそアナログの醍醐味だろう、何しろ中学生の頃から憧れていたんだから。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(5)

2021年04月09日 | 70年代ロック雑談
5.私のアナログ人生(リターンオーディオ編)
さて、先月アナログプレーヤーと再会したのは上述通り。最近はちゃんとしたオーディオ用のアンプリファイアにも「phono」入力端子がなかなか付いていないらしいが、安物コンポは言わずもがな。AUXがあるだけで褒めてやりたいくらいだ。と言うわけでフォノイコライザーを買い求めなくてはならなかった。Amazonで購入したのだが、手違いによりオーテクの5,000円クラスのモデルとサウンドハウス系統の2,000円クラスのモデルの2種類を注文してしまった。試しに両方とも使ってみたところ、意外にも2台のフォノアンプはかなり味付けが異なるので驚いた。端的に言えばにはオーテクのは高音が籠り出力が小さい。サウンドハウスの方がよりCD的で好みであるし(そこはやはりCD世代)、出力レベルの調整ツマミまで備えているので、もっぱらこれを使うことにした。ただし電源をいれるとAMラジオに盛大なノイズが乗るので、干渉が忌避されるオーディオ界の製品としてはイマイチなのではないか。その点オーテクの方はそのようなノイズは全く無し。こんなところでもアレンジが可能なのが、アナログのアナログたる所以か、フォノ「イコライザー」という名称所以か。これまでフォノイコライザーはアンプ任せと考えていた自分は考えを改めた。

2,000円程度のフォノイコライザー

続いて昔と同じくカートリッジのことを考えた。第一に歪み対策である。色々トライ・リサーチした結果、シェルとカートリッジは手持ちAT100E/Gのものとし、スタイラスのみを新品交換することにした。「まず針を新品に、それが最も有効」と考えたからだ。何しろ今使ってる針で何百時間聴いたかなんて全く定かでないし、子供に悪さされて傷んでるだろうからである。が結果は違った。新しければ良いわけではなかったのである。
オーテクのHPを見て2つのことにたまげた。1つは2016年からVMシリーズを一斉に多品種展開していたこと、もう1つはその値段だ。オーテク公式サイトのカートリッジ/交換針の互換表は中々読みにくいが、要するにAT100番台シリーズは過去のもの含めて全てスタイラスに互換性を維持したまま現在に至っていると理解して良い。あとは針のグレードなわけだが、この値段はどうしたものか。針ってこんなに高かったっけ??今使ってるカートリッジは確かシェル込みで1万円ちょい程度だったのだが…。とりまAT100Eと同じで一番安い「接合丸針」で良いやと判断し、10CBというスタイラスを手に入れた。それですら税込定価10,000円超だ。
交換してみたところ、特に何も改善しないばかりか、手持ちの中古120Ea楕円針と比較のために同じ曲を再生しそれをMP3に録音して聴き比べてみたところ、接合丸針の新品10CBよりも中古120Eaの楕円針の方が僅かに歪みが少なかったのだ!これには衝撃を受けた。針ひとつでここまで違うし、新品でも丸針じゃダメってわけだ!ならば楕円針のもう1グレード上を目指すか!ということで「マイクロリニア針」なる40MLと言うスタイラスを求めることとしたのだ。
それにしてもこの40MLとは針ごときで税込定価29,000円とはどういう事だ!!ここまで来ると、カートリッジとシェルをどうするかも問題となった。と言うのは、あまりに針が高いゆえ、カートリッジとシェルのセット39,000円が割安に見えてしまうのだ!メーカーに聞けば「全部買え」というに決まっているので、店員に聞いてみることにした。
「かくかくしかじかでこういう経緯です。スタイラスのみか、カートリッジごとか、シェルまで丸ごとか、如何?」
店員氏曰く、
「VM700シリーズのカートリッジなら買換え効果があるかもしれないが、500シリーズならAT100のカートリッジと差は出ないだろう。お客さんみたいに、自分でスタイラスやらカートリッジだけ交換できる人は、スタイラスだけでも良いと思う。とはいえメーカーは『セットでブランニュー』なんだって言っていますからセットで買うのも手ですね。付属のシェルは完全に安物ですよ、でも、買ってすぐトーンアームにポン付けしたいっていうものぐさな人も一定数居るから売れるんですよ」
「なるほど。もう一つお尋ねします、VM95という別カートリッジのシリーズも出ているらしいが、あれは自分の時代には無かった。同じマイクロリニア針でもあちらは格安。これ如何?」
「ああ、あれは入門用廉価カートリッジですよ。お客さんは手を出しちゃいけません」
とのこと。丁寧にアドバイスをいただいたものの、回答をもらったわけではないので、しばらく悩みますと伝えて5分考えた。イマイチ腑に落ちない。自分が昔買ったAT100は1万チョイだった、95シリーズと値段は大して変わらないのに、95へのdisりっぷりはなんだ?あと「入門」という言葉が引っかかる。どういう世界なのだここは?レコード聴くのに入門もくそもあるまい。自問自答の末、再度声を掛けた。
「…スタイラス40MLだけにします」
それが良いですよ!
正解だったか。やっぱり店員さんだって、より高い商品を売りたいわけだ…。
「…ま、高杉です。コンポが2万しないのに針が2万超えるって。」
「おやそうなんですか!(毎度ぉ)」
店員さんに愚痴った通りなのだが、コンポが2万円しないのに針が2万を超えるというのはどういうことだか、さっぱり意味が分からなくなってきた。店の売り場を眺めると「電源ケーブル」「スピーカーケーブル」「インシュレーター」みたいな小物に万単位の値段が付いている。そうか、ここはマニアが来る場所なのか!オーディオマニアは金に糸目は付けないって聞いたことあるけど、それか。そういう市場であるがゆえに、自分が「必要としている」カートリッジやスタイラスが異常に高騰しているのではないか?だとすれば私にとって迷惑な話だ!!と、この時は釈然としなかった。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(4)

2021年04月08日 | 70年代ロック雑談
4.私のアナログ人生(充実編)
2013年にとうとうDDの現在のプレーヤーを譲られて入手したが、この頃になってようやくアナログ特有の問題に気付いてしまった。
その昔、アルバム「クラウド・ナイン」を聴いたら「セット・オン・ユー」の音質があまりに酷かった。その時は「そうだよなあ、みんなこの曲ばっか聴いてたからレコードが擦り切れちまったんだろうなあ」と勝手に納得したのだが、新たに手に入れた「RAM」の「スマイル・アウェイ」が同じように音質が悪かったので首を傾げた。誰が「スマイル・アウェイ」を擦り切れるほどリピートするだろう?ここだけ繰り返して再生されたってのは考えにくいんじゃないかな?それにEL&Pの「海賊」が前半のクライマックス「This town is ours tonight!」の箇所と、コーダの「Gold drives man to dream!」の箇所でバックは同じ演奏なのに、後者の音がすごく悪いのは何故か?とりわけ高い音がビリビリいうのは何故だろう?
それが「歪み」とりわけ「内周歪み」であるわけだが、知識として歪みのことを知ったのはもう少し後のことであった。初めは事象として、経験則的に、なぜか最終曲の音が割れる事が多いようだと識るところから始まった。内周に行くにつれ歪むのは、レコードの構造的な宿命であったのだ。
私はプチプチいう「ノイズ」は割と気にならないが、びりびりばりばりと歪むのがどうにも苦手である。音が割れた瞬間にイヤーな気分になる。たまに内周どころか全周に亘って歪むどうしようもない盤もあるが、この場合は盤がいかれていると判断して捨てることにしている(実際はライブラリの「ゴミ箱エリア」へ追いやっている)。はじめのうちは自分の再生環境に問題があるのかと思っていたが、中でも「全周歪み」はむしろレアなので、その場合は私ではなくて盤が悪いものだと断定している。これは検盤しても見た目ではわからないから厄介だ。試聴しなければ見つけられない。歪みは特に既にCDを所有している盤をアナログで買い直した場合に、CDの音を知ってるゆえに余計に気になるものだ。洋楽ロックであれば、大手中古レコード店の格安コーナーに放り込まれている人気盤・有名盤が要注意である。彼らは品定めを間違えてそこへ置いたわけではなく、どうしようもない盤だからこそ、人気盤なのにそこへ入れたのだ(経験済み)。過去のオーナーの誤った再生行為に起因する盤の痛みなのだとすれば、どのような再生状況下であればそれが起きうるのか?自分には測り知れない。だがクラシックで酷い歪み盤に出会ったりすると、ジャケットなどの状況からも乱暴に扱われた形跡が無いのに何故だろう?最初からダメ盤だったのではないか?などと不思議に思う。結局のところ全周で歪むダメ盤が何故ダメになったのか、あるいは元々ダメなのかは、今のところは謎のままである。私の環境に原因がある可能性も完全に捨てきることは出来ない。こんなところもアナログの奥深さであろう。
私のプレーヤーは譲受当時、オーテクのAT120Eaというカートリッジが付いていたのだが、2013年に同メーカーからシェル付き新品カートリッジAT100E/Gが発売されたので、スタイラス・カートリッジ・シェル共に、試みで新調してみた。結局それは何ら歪みの解決には繋がらなかったのだが、カートリッジとスタイラスの組み合わせ次第で、若干歪み具合が違うことに気づいた。また最近知ったが、AT100Eに付いていたのは「接合丸針」で120Eaは「無垢楕円針」という違いがあり、後者の方が高性能である。だが無知だった当時の自分は、カートリッジを120Eaのものにし、スタイラスだけ100Eを付けて、その後先日までずっと使っていた。この問題は後述のリターン編で再度直面することになるので、そこで改めて詳報したい。

ところで、私は2013年以降中古レコード店よりもハードオフの100円ジャンクコーナーに足が向くようになった。洋楽ロックも相変わらず好きだが某大型チェーン店に通っていてはすぐに財布の底がつきそうだし、私は実は洋楽ロックよりも余程ニッチな市場である「邦楽懐メロ」と「クラシック」も守備範囲にしているので、100円ジャンクにはまさに欲しい盤が"たまに"あるのだ。それより何よりハードオフでレコードを漁る人間は少数派なので、大型店よりも空いているから鼻歌交じりで自分の世界に没入できて気分転換にうってつけなのだ。さらに、ハードオフのジャンク盤たちには1970年代の日本人の生活様式がそのまま封じ込められていて、ノスタルジックな気持ちに浸れることも楽しい。例えばだ。
・購入日と思われる年月日が書き込んである物。
・かつての自分のような少年がかじるように聴き込んだのであろう、夥しいスピンドルマークにキズだらけの盤と、折り目で破けてボロボロバラバラのライナーノーツ。
・イージーリスニングに分類される大量の盤。これは当時音楽は自宅でステレオの前に座って聴くものだったせいか、「音楽なんて大して興味は無いけど景気が良くてボーナスも弾んだから、家電製品欲しさで何気なく入手してしまったステレオと抱き込みでつい無駄に買ってしまった疑惑」なポール・モーリアやレイモンド・ルフェーベル(当初、状態の良いものを選んで確保していたが、5枚程度でこのジャンルの制覇感に至ったので以来パス)。
・同じく大量の日本の民謡全集。当時は明治時代後半に産まれた人がまだまだ大勢いたはずだからね。ソーラン節をアナログで聴くぅ?not at all.
・よく出会う常連アーティスト⇒「さだまさし」「グレープ」「アリス」「吉田拓郎」「アルフィー」「小椋佳」「松山千春」「長渕剛」「チェリッシュ」「八神純子」→彼らのアナログ盤が欲しいというファンの方は、是非ハードオフに通うと出会えると思います!(私はnot at all)

またごく稀にであるが、たまに誤って本来100円ではない盤が紛れ込んでおり(「当たり」と呼んでいる)、こういうのを見つける楽しみもある。これまでの当たり代表選手:大瀧詠一の「ロンバケ」(拾ったのは彼のご生前でしたが)、カーペンターズの「ナウ&ゼン」、ビートルズの「HELP!」(国内盤カラービニール)。そして極めつけがツェッペリンの「IV」だ。これはUNTITLEDであることから店員さんが見抜けなかったのに相違ない。現在ならDiscogsで番号を検索すれば一発のはずだが、店員さんが専門家ではないゆえに発生した、中古レコード店では起こり得ないハプニングだろう。大変愉快であった。

100円で当たった盤ども

ジャンク棚に晒されてきたレコたちは破れや砂被りなどジャケットの状態が悪い物が多いし、盤も大層汚れている場合やカビが生えてしまっている場合も多い。何しろジャンクレコ漁りの終了後は「要・手洗い」なくらいだ。このような状態で拾って持ち帰った盤に対して、ジャケットをきれいに拭き上げ、盤面にアルカリ電解水をスプレーして汚れを浮かし、マイクロファイバークロスを用いてキレイに拭き取り、乾燥させてからプレーヤーにかけるのだ。学生時代には盤を洗うという発想は無かった。チリチリ音は洗って乾かしてから再生することでかなり解消するものだ。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(3)

2021年04月07日 | 70年代ロック雑談

3.私のアナログ人生(成長編)
時代が過ぎて90年代も後半、大学生になった自分は電蓄からまともなフルオート機にアナログプレーヤーを更新し、かつてより頻繁にレコードを買うようになっていた。時代はまだインターネット前夜であり、情報ソースとして「レコード店MAP」などが書籍で売られていた(自分は買わなかった)。自分はこの頃になるとビートルズモノはソロの7インチB面の未CD化曲狙いに特化し(例:「アイルランドに平和を」「ディン・ドン」。7インチは、洋楽でも1枚10円てのがざらにあった)、新たにハードロックやらプログレなどへも食指を伸ばしていたが、1,000円以下のものにしか手を出さないという原則があった。何故なら1,000円を越せば「もうちょい積めば輸入盤CDが中古で買えるな」という心理が働いたためである。CDが正義という空気は未だ健在であった。当時世間では、少なくとも私は見たことも聞いたこともないマニアックな珍盤が「世界初×日本限定CD化」等されていた。
一方で、既にCDで持っている盤をわざわざアナログで買い求める逆転現象が自分の中で起き始めたのもこの時期である。例えば「ジョージ・ハリスン帝国」はどうだ。あの穴空きジャケットはアナログでなくては楽しめない。オール・シングス・マスト・パスやバングラデシュ・コンサートだってBOX入りが良いし、EL&Pやツェッペリンなど「変形ジャケット」も枚挙に暇がなかった。そもそもあらゆるアナログジャケットのあのサイズ感、それをカンバスとしたアートワーク(CD世代にとっては驚異的な拡大となる。ビートルズならば「リボルバー」が一番感動するだろう)、ジャケットの紙質も様々だったし、ディスクを納めたときのズシリとした重量感なんかも、実際に手に取ってみなければ味わえない。さらにはインナースリーブにまでアートワークが施されていたり、豪華ブックレットが標準で挿入されていたり、こういう部分がCD化に際してしばしば省略されてしまっているのは残念極まりない。残念というか詐欺とさえ思う。アナログを買い求めて初めて「なんと、こうなっていたのか!」と知って、目から鱗となることが、哀しいほどしばしばである。レーベルシールのデザインに至るまで全てその作品の構成要素なのだから、CD化に際してはよろず再現すべきなのに、音楽だけCDフォーマット化してオシマイというやっつけ仕事があまりに横行している。紙ジャケットCDであっても、全く再現していないパチモノまがいの盤がザラだ。ビートルズでさえこの扱いなのだから、世界中のあらゆる再発CDフォーマットがこの詐欺に晒されている。この事象を私はCD不信と呼んでいる。既にアナログで同じ盤を所有してる人向けに「どうぞCDフォーマットだけ受け取りください。スリーブの類は最低限の紙切れしか入れていませんので、引き続きアナログの方の付属品にてお楽しみください」という商売であり、不親切極まりない。


ジョージ・ハリスン帝国のくり抜きジャケット


盤そのものに関してはオモテ・ウラの両面プレス(いわゆるA面B面)であることがアナログ最大の特徴である。ひっくり返し作業の際に必ず再生が停止される前提ゆえ、停止とそれに伴う演奏の再開に、制作者が意図を込めることも可能だった。つまり、前半開始⇒前半終了⇒休憩⇒後半開始⇒後半終了⇒全体締めくくりといった「プログラム」を導入すれば、たかだか40分の中に演劇性を持たせることができた。あるいはA面B面それぞれに異なるコンセプトを付与することもきわめて一般的だった。その意図をCDで再現するには2枚組にするしかないため、「コンパクトかつ長時間」というCDの有利性を損なうことになる。取捨選択の結果、その情報はCD化に際して引き継がれることなく抹消された。ライナーノーツを通じて情報の申し送りは可能だが、前半の自動終了と手作業による後半再開を強制的に制御することは、CDにはできない。
私は手持ちのいずれのCDであっても、配信であっても、どこまでがA面でどこからがB面でどれがボートラなのかは、今でも常に、必ず、意識しかつ把握しているし、それを無視してiPodでシャッフル再生なんてのは言い過ぎだが狂気の沙汰だと思っている。「B面2曲目」は、仮にCDで8曲目に位置していたとしても「かつてB面で2曲目だった」という情報を備えているべきだし、1枚通しで聴く時間が無いので一旦どこかで箸を置きたいならそれはA面最終曲にするべきだ。
ここまでをまとめると、つまりアナログとは音楽云々の以前に発売当時にメディア(フォーマット)で制御されていた諸条件を保ち続けているため、音楽「再生」と同時に音楽以外のもの~盤のオーナーが享受し得たあらゆる感覚~を再現できる起源(オリジン)そのものだ。しかし移り行く時代を生きていく以上我々は常に現在に適応し続けなくてはならないから、やがて(過去の作品であっても)CDでの再生が基本(スタンダード)になり、さらには配信での再生が基本になったように、メディアが変更され新しい基本になることは全くもって正常的な進化である。しかし「オリジン」と「スタンダード」はそれぞれ存在理由が異なるので、単純比較の出来ない別物である。長くなったがこれが私にとってアナログとデジタルの違いの定義であり(全くどうでも良い)、記録・再生方法の違いによる「音の違い」にむしろほとんど着目していない
CDは普通に必要十分に聴こえるから、アナログもそれと同じように普通に聴こえればそれだけで構わない(このことが前提条件の誤解だったことを後ほど思い知る。改めて詳述する)。

何故CD世代の私がA面B面の情報を忠実に身に付けたかというと、それをカセットテープのA面B面に正しくダビングしていたからである。ボーナストラックは、気に入って録る気になれば、まず再生時間を計算の上、何分テープを使うか選択し、テープA面の最後の余ったところ、B面の最後の余ったところ、それぞれにあるいは片方に納めていた(ボートラと言えば最後に入ってるものだから各面の最後に入れたのだ。そういえば大瀧詠一はファーストソロの再発で関連シングルのボートラを冒頭に入れてきたのでさすがマニアと唸った。シングル⇒アルバムの発売時系列を重視したため、らしい。ボートラだけにボートー?)。
だから例えば「アビー・ロード」であれば、B面のメドレーばかり取り沙汰されるがA面の「終わり方」についてもっと言及されるべきだ。CDでの「ヒア・カムズ・ザ・サン」の始まり方の唐突なこと!それを避けるため私はよくポーズボタンを押したくなるのだが、いざ押したら寸前で冒頭のアコギを一瞬再生してしまった時のジョージへの申し訳無さを判ってくれるのはレコスケくんだけだろう。
例外的にA面B面の境が無くなることに改善効果が認められる(場合がある)のはライヴ盤だろう。アナログ原盤では間違いなく曲間の歓声でフェードイン/アウトするのだが、これをCD化の際に編集もしくはリマスタリングで繋ぐことは許容しうる(大昔、カセットテープにダビングする時には逆に困った。人骨少年がウイングスのラスト3枚に続いて4枚目に買ったアナログが、既にCD化されていた「USAライヴ!!」だったのには、そういう理由もある。すなわち、当時レンタルで借りたCDをカセットテープにダビングしようとしたが、曲間の歓声がCDでは途切れないせいで、上手くいかなかったのだ。それこそ「アビー・ロード」A面ラストみたいに大歓声が「ブチッ!」ってなっちゃって笑)。
特に2005年リマスター盤の「コンサート・フォー・バングラデシュ」の「Wah-Wah」の始まり方は、あれはズルい!1971年8月1日当日はラヴィ・シャンカールとのステージ入替えにそれなりに時間を要しただろうし、その後発売されたアナログ盤やリマスター前のCD盤では、曲のイントロ前でグダグダとE音の音出しをやらかすのだが、2005年リマスターでは、シャンカールのステージ終了直後の歓声の中に、なんとそのまま「Wah-Wah」のイントロを繋げてしまったのだ!これは初めて聞いたときはぶっ飛んで鳥肌が立って涙が出たし、今聞いてもぶっ飛んで鳥肌が立って涙が出るのでやばい(でも、もちろん、やっぱり、アナログ盤も当然ながら捨てがたい)。
あとEL&Pの「恐怖の頭脳改革」の「Karn evil 9」(このタイトルってCarnival Nightを捩ったものだと私は思っている)が何をやりたかったかというと、おそらく「片面1曲」は多くのプログレバンドによってやり尽くされていたから、「俺たちゃもう片面なんかにゃ収まりきらないぜ!感」を演出する目的があったのではなかろうか。CD化に際しては、アナログ原盤同様にフェードアウト/インで一旦発売されたものの、リマスターではライヴ盤のようにここを繋いで再発された。この点どう評価するかは人によるだろう(私はどっちでも良い)。
そう言えば連載冒頭で「フレイミング・パイ」を盛大にdisってしまったが実は大好きな作品である。ただしあれは発売当時からCDフォーマットであった。私が彼のアーカイブに求めるのは発売当時の「アナログフォーマット質感のリメイク」だから、そもそもそれを持ちあわせていない作品だ。

と、また別路線に脱線したが、本題に戻るなら、「かつて輸入盤CDを包装していた紙箱」の意味は、CDをアナログフォーマットに近づけるための工夫だったではないかと推測している。重さなのか、ジャケットのサイズなのかは測りかねる。アナログ前提で据付けた「棚」を用いた「商品の陳列」だったのかもしれない。
ともあれ私がアナログを聞く理由は、その盤が「5%」であれば言わずもがな、「95%」であったとしてもオリジナルが持つ音楽以外の全ての感覚まで余さず再現したいからだ。これは先に示した「1,000円以下盤の考え方」とは矛盾が生じる。どちらに当てはめて判定するかはケースバイケースであった。(続)


バック・トゥ・ジ・オーディオ(2)

2021年04月04日 | 70年代ロック雑談
2.私のアナログ人生(誕生編)
次に私とアナログの出会いについて語りたい。まず自分は完全にCD世代だ。一般的に世代の境目はアナログとCDの売り上げが逆転した1987年とされる(CDメディアの市場登場は1982年)。ただし私の同世代がみな中学生で音楽と出会ったのに対し、早熟だった私(笑)のそれは小学生だったため、わが音楽生活の初期はアナログ世代と多少被っている(イコールFMエアチェックを知る最終世代でもある)。残念なことに、わが父親はレコードに否定的な「カセット野郎」(1970年代のミュージックライフ誌に掲載されていたアポロン音楽工業の広告より引用)だったため、わが家にはアナログプレーヤーが無く購入音楽メディアは全てコンパクトカセットだった。父親は私のようなロックファンではないし、リスニングそのものも嗜む程度だった。
そのような中、私にとって1987年のビートルズのCD化は一大事件だった。
それより前、小学生の自分は、新品で2,500円もするビートルズのカセットテープを、1年に2本くらいしか買ってもらえなかった。あとは全てFMでエアチェックするしかなく、今は無き「FMレコパル」やら「週刊FM」が愛読書であった。隅から隅まで番組表を探したものだが、1980年代半ばの東京のラジオ(NHK-FM、FM東京、FMヨコハマの3局。J-WAVEは当時なかった。)ではビートルズは本当に滅多にかからなかった。昨今NHKで「ディスカバリー」とかやってるのを聴くと、少年時代の悔しい記憶を思い出し複雑な気持ちになる。レコード店に行けばビートルズのアナログLPが幾らでも置いてあったのに、カセットテープメディアは圧倒的に流通量が少なかった。それは中古市場でも同様で、LPの中古は小遣いでも買える500円位でゴロゴロあったがカセットは皆無。プレーヤーが無い自分は指をくわえて眺めるしか出来なかった。アナログの方がたくさんあるし、ジャケットも大きくて良いのになと羨むのみであった。多くの友達の家に置いてあった立派なダストカバーを備えたレコードプレーヤーが、何故うちにはないのだろうか?父の嗜好に疑問を持ったものだ。さらには、当時は書籍しか情報源が無いから私にとって必要な情報も乏しかった。結果としてオリジナルアルバムではなく意味不明な編集盤ばかりを買ってもらっていた(「ヘイ・ジュード」「バラードベスト20」)。
このような状況のもと、英国オリジナル盤が正しくCD化されたことにより、乱立する編集盤に小学生が惑わされることも無くなり、レンタルコーナーに置かれたそれらを2泊3日500円でいつでも借りることができるようになったのだ。そいつをテープにダビングすればメディアを買わなくて済む。少年は何とか父におねだりして窮状を説明し、翌88年についにCDプレーヤーを買ってもらった。アナログプレーヤーにあれだけ否定的だった父ゆえにあまり説得に自信は無かったが、同じ「円盤再生機」にも拘らずCDプレーヤーは比較的すんなりと導入してくれたように記憶する。理由は「音が良いから」だと。曰く「レコードはダメ、あれはとても聴いていられないよ。だから父さんは音も良くてコンパクトなカセットテープ派だ。CDは、カセットテープよりもさらに音が良いし劣化しないので買う価値がある。」という持論だったのを覚えている。かくして私はレンタルCDコーナーの常連になったし(実際のところビートルズについてはプレーヤー購入に先んじてFM東京がCD化記念として深夜放送してくれたのでエアチェック、残りは人骨少年の噂を聞きつけた友人の父親が全部CDからテープに録ってくれた)、私が生まれて初めて買ったCDは晴れて「マッカートニーII」であった。CDの小さめのジャケットでさえ、カセットテープのそれに比べればはるかに大きくて眺めるに足りた。それからカセットと比べてCDの中古流通量は(当時でさえ)圧倒的に多く、2,500円もするカセットよりも安いから、小遣いでそれらの入手も可能となった。少年はCD万歳であった。カセットテープというのは記録用のメディアたるべきであり、これでようやくそういう付き合い方が出来ることになったのだ(後年、3ヘッドデッキとか、録音レベル調整とかバイアス調整とか、散々やりました笑)
ところでウイングスのアルバムラスト3枚だけが、最後までCD化から取り残されていた。「フラワーズ・イン・ザ・ダート」発売の頃である。同作CDに予約特典で付属していたブックレットに過去作のライブラリが国内品番とセットで掲載されていたが、その3枚だけ「CP32」とかではなく「EPS80500」とか何とかだった。もう他に聴くものが無くなっていた自分は、またまた父に事情を説明し、CDプレーヤーに引き続きアナログプレーヤーをも何卒我に与え給えと懇願した。父は、子供が与えられたオモチャにすぐ飽きることを嫌っていたが、この時ばかりはこう思っただろう。「こいつ、もう何年もビートルズばっかだし、本当にオーディオが好きなんだな。つまり、すぐに飽きる事はなさそうだ」。そうして「時代に逆行する無駄な買い物だ」とか言いつつも、電蓄みたいな安物アナログプレーヤー(を搭載した韓国製粗悪コンポ)を人骨少年に買い与えてくれた。少年はさっそくウイングスのラスト3枚を中古レコード店で難なく見付けて手に入れた。


最後までCD化されなかったウイングスの3枚

CDプレーヤーしか持っていない最近の若者に「たそがれのロンドン・タウン」は聞けないし、カセット野郎は中古流通量の極めて少ないカセットメディアで「スピード・オブ・サウンド」を探すのにはさぞかし苦労するだろう!ついに自分はすべての障害を克服したのだ。またアナログならではの利点として、中古盤の流通量がきわめて豊富で、かつCDより格段に安く手に入れられた。「ウイングスUSAライヴ!!」は3枚組が600円で叩き売られていたから、これを買い求め、挿入されている6つ折りポスターを壁に貼って悦に入っていた。少年はアナログ万々歳であった。翌年、ウイングスはあっけなく全てCD化されてしまい、結局CDで買い直したわけだが、このわずかなタイムラグのせいで自分はアナログと関係を持ってしまったのだ。このようにして、私がアナログに接したのはCDより後なのである。だから私は「レコードに針を落とす」という行為に今でもどこか不自然さ・ぎこちなさを感じるし、自らをCD世代だと標榜しているわけである。
当時、CDは新しい正義でLPは古い悪だから淘汰されるべきという時代の空気があった。アナログでは聴き取れない音がCDなら聴き取れるとも言われていた(FMレコパル誌上で、プリンスだったか渡辺美里のアルバムを例に聴き比べる特集が組まれていたような、うろ覚えがある)。今では信じられないかも知れないが当時は本当にそうだった。ゆえに人骨少年も当然の常識として「CDで手に入れられるものは、よろずCDで手に入れるべき」と考えていた。様々な旧譜が「ついにCD化!」されまくっていた。輸入盤CDは何故かジャケットが拡大印刷されたタテ長の紙スリーブに入れて売られていた。そして少数民族だったカセット野郎どもはCD世代以降静かに市場から退場していったように記憶する(記録用メディアとしては、MD登場後も長きに渡って市場を席巻していたが)。既存のアナログの所有者は、手持ちのお気に入り盤をCDに切り替えるためLPを大量放出し、中古市場ではそれらが安価に叩き売られていた。人骨少年も、本当はCDが欲しかったが、その後「この値段ならば」という消極的な動機から、そのようにして捨てられたアナログを拾い始めることになった。聴かずして買った結果、自分の好みであれば後から安心してCDを求めれば良いし、好みでなくても諦めのつく値段だったからだ。もちろんジョージ・ハリスンはすべからく全てCDで揃えた。食べ放題・飲み放題なんて、考えつきもしない時代だった。(続)

バック・トゥ・ジ・オーディオ(1)

2021年04月04日 | 70年代ロック雑談
音響製品については、音楽好きが嵩じて少年時代からそれなりに造詣があった。いずれ給料を貰える身分になった際には単品コンポーネントをバラで組み合わせて購入する構想を描いており、マランツのアンプとB&Wのスピーカーを軸に具体的な導入計画まで立てていたのだが、不幸なことに(?)実行直前に私の趣味が「オートバイ」に向けてガラリと180度転換したため、ついに実現しなかった。
爾来、結婚・育児を経てすっかりオーディオの世界から離れていたが、とは言え毎朝ラジオを聞く習慣ゆえ音響製品とは常に共にあったし、製品にそれなりの愛着を持ち続けてきた。以前紹介したDENONは亡くなってしまい中古でKENWOODのレシーバーセットを導入したほかとりわけ2013年親友から譲り受けた東芝の旧AULEXブランドのアナログプレーヤーは長年憧れていたDD方式採用モデルということもあり、譲受の時点でダストカバーが失われてこそいたものの、わが人生におけるフェイバリットアイテムの一つだ。
オートバイの世界では「リターンライダー」なる言葉がある。その意味するところは、結婚・育児を理由に一度バイクを降り、ひと段落着いたことを機に改めて趣味として乗ることを指している。さしずめ自分はオーディオにリターンすることとなったのだ。そこで本稿ではその顛末について触れてみたい(なお、オートバイについて自分は結婚・育児を経て一度も降りていないのがちょっとした自慢だ)。

1.現状のリスニング環境について
現在自分は諸事情により一人暮らしをしている。独居を開始するにあたって、それまでと同様に毎朝ラジオを聞かなくてはならないから、直ちに簡易的な音響製品を導入した。とてもオーディオと呼べるような代物ではない2万円もしない安物コンポだ。家庭ではもう幾分マシなものを使っていたが、別れた家族とて毎朝ラジオを聞くだろうから、これは家に残しておくべきと考え、置いてきてしまった。
家を出てから1年以上経ったが、文字通り家族よりも愛してきた様々な物々を、私は、今に至るまで時間をかけて、徐々に現在の自宅へと持ち出している。時間をかけている理由は、単純に急いでいないからである。カメラにオートバイに自転車、クルマなど、あらゆるものを。上述のアナログプレーヤーをこの3月にようやく持ち出したことが、本稿で扱うリターンのきっかけである。

「そうだ、アナログレコードを聴こう」

プレーヤー並びに大量のアナログレコードの持ち出しは順序的に諸搬出の最後の方になってしまった感があるが、ともあれ移設は無事完了した(今や立派に成長したわが倅が作業を手伝ってくれた)。だからいま私の言うリターンオーディオとは「安物コンポにアナログプレーヤーをくっつけようとしている」単にそれだけである。
ところでアナログ以上に大量に所有しているCDはどうしたかというと、これはまだ置いてきたままだ。むしろ今後持ち出すことは無いかもしれない。というのも現在私の音楽メディアは「95%が配信」に移行済みであり、手持ちのCD資産は、そのほとんどが、プライム会員を活用して導入したAmazon Music Unlimitedでいつでも聴けてしまうからだ。配信を利用し始めて以来、それまでライフワークのごとく取り組んできたCDメディア蒐集を一切絶ってしまった。スマホにDLして、屋外なり、車内なり、自室でさえBlootooth接続で聴くという現代的なスタイルに、意外に思われるかもしれないが私はすっかり馴染んでしまった。これは居酒屋に喩えれば「飲み放題&食べ放題が時間無制限かつ皿に盛ってから味が気に入らなければ好きなだけ残して捨ててOK」という食材ロス的に絶対にやってはいけないマナー違反行為を、定額配信の世界ではやりたい放題なわけだ。アルバムをDLして気に入らなければ即デリートだ。一品一品丁寧に盤を買っていた時代は、仮に中身が期待外れだったとしても、残さずかつ何度も聴いて、それに投資した自分自身への戒めというか仁義を通したものだから、まさに隔世の感がある。
とは言え「プレイリスト」機能にだけは未だに馴染めないけどね。「ロックはアルバムで聴くべき」というスタイルだけは三つ子の魂百までで、この世界観だけは何者にも変えることはできない。そういう意味においてAmazonのUIは実際イマイチとしか言いようがない。アルバムでソートするとアルバムタイトル順に全てのアーティストが並ぶ仕様(2021年3月現在)では、とてもライブラリの整理が出来ない。また私は、Amazonでは永遠に配信されることが無いであろう盤や、メディアでさえ二度とリイシューされそうにない盤といった「残り5%」の音楽については、手持ちの物理メディアからリッピングしてスマホに引っ張ってきている。本来それらもプレイヤーアプリとしてのAmazon Musicにて聞きたいところだが、そのような再生機能はない。これらのことは、すでにAmazonのカスタマーセンターにも改善を提言してある。
仮に、いまどき新たに物理フォーマットを買うとすれば、それは「残り5%」に含まれるマイナー盤に出会った時か、ポール・マッカートニーがアーカイブを放出してくる時くらいだ。後者については絶対に欲しかった「RAM」「ウイングス・ワイルド・ライフ」「レッド・ローズ・スピードウェイ」のアーカイブ化がいずれも完了しているので、もはや買うべき盤は残っていない(誰がフレイミング・パイなどに10万以上払うだろうか?)。が、待てよ「バック・トゥ・ジ・エッグ」に「カンボジア難民救済コンサート」がロケストラ含むフルステージ完全収録で映像DVDとセットで出て来たら買っちゃうではないか。だから出しちゃダメですよポールさん。あ、ローレンス・ジュバーって昔からピック使わないんですよね。


いまだCD化すらされていない「残り5%」盤の例

別路線なくらいに脱線したが、要するに今の私にはもはや高級オーディオは要らない。2万円のコンポに配信Bluetoothで十分なのだ。このことは、自分と音楽との関係は(私の過去の趣味音楽制作なども参照いただければありがたいが)「クリエイター志向・プレイヤー志向>>>>エンジニア志向・リスナー志向」であることに由来するだろう。大事なのは楽譜的な作品そのものであって音響ではない。したがってアナログプレーヤーやLPレコードを一言で言うならば「人生の思い出」という程度であり、とことん突き詰める気は毛頭無い。単に鳴らして聴きたくなっただけだ。そんな私のリスニング対象はビートルズを筆頭とするクラシック・ロックが中心である。月刊「レコードコレクターズ」は定期購読はしないがたまに買っている。レコスケを読むとしばしば笑いが止まらない。(続)

サイクルコンピュータを導入

2021年01月10日 | 自転車
Amazonのタイムセールで格安(2000円弱)で売っていたので、人生初のサイコンを導入してみた。


XOSS G


中華の「XOSS G」というモデルである。他製品と比較したことが無いゆえあまり実のあるレビューはできないが、とにかくGPSサイコンなので、ホイール側にセンサーを付けることなく本体装着だけで速度と移動距離がリアルタイムで表示される。デメリットとしては、起動時GPSキャリブレーションに若干の時間を要するほか、当然ながらトンネルに入るとロストする。しかし、クルマやバイクと異なり首都高のような長い地下道路を走る機会の少ない自転車にとって、これはさほどの瑕疵にはならないだろう。また、先行販売されている「XOSS G+」というモデルはオプション品の心拍計との連動も可能というが、この「G」はそれが省略されており、後発の下位エントリーモデルという位置づけらしい。心拍計に今のところニーズがないので、自分的にはこれで十分である。
自転車への取付けに際してワンタッチで付け外しが可能なアタッチメントが採用されており、その形状はGPS測位計の草分けであるGarmin社のサイコンと互換性がある。Garminサイコンは市場シェアが高いため、その恩恵、すなわちサードパーティー含む各種のアタッチメントの選択肢が増えて良いと言えるが、ブロンプトンに使うのなら製品同梱のゴムバンド簡易アタッチメントで十分という感じだ。自分はエスケープ用にのみGarmin用の社外品アタッチメントを装着した。
また、GPSサイコンの特長である走行ログの記録も可能となる。サイコン本体はログデータを蓄積するのみで走行履歴の閲覧はできないので、これを閲覧・活用するにはスマホやPCといったデバイスと連携させる必要がある。「XOSS G」に特化した連携方法がWEBで色々書かれているが、分かりやすくまとまったサイトが見当たらなかったため、とりま、ここに記載しておこう。

①スマホに「XOSSアプリ」をインストール(要ユーザー登録)
②スマホに「STRAVAアプリ」をインストール(要ユーザー登録)
③走行ログ記録済みのXOSS Gを用意し、電源ONの状態にする
④スマホで「②STRAVA⇒①XOSS」の順でアプリを開く(2つとも開いておく)。
⑤「①XOSSアプリ」を用いて、XOSS GとスマホをBluetoothで接続し、「同期」を実行。
⑥同期が完了すると、サイコンのログが「①XOSSアプリ」にコピーされ、同じログが「②STRAVAアプリ」によりSTRAVAマイページに自動投稿される。
本体に走行ログが溜まった度に上記手順を繰り返せば、追加分のログが次々とアプリに保存されていく。

上記手順の意味・理由について補足説明する。
XOSSアプリは、走行ログの閲覧ができるし地図表示もされる。ただしデータはスマホに蓄積されるのみで、閲覧もそのスマホでしかできない。また表示できる地図もapple mapだけとなる。保存されたデータは後述の「FITファイル」形式で、エクスポート自体は可能。可もなく不可もない。
これに対してSTRAVAは、サイコンをはじめ様々な運動測定メディアと連携可能なクラウド型の情報蓄積サービスであり(連携の可否はメディア側に依存する)、ユーザー数の多さからSNS的機能まで有するなど、トレーニングアクティビティ管理のプラットフォームとして頭角を現している。走行ログはクラウドに蓄積されるためスマホのみならずPCでもログイン・閲覧ができる。STRAVAで表示できる地図はmapboxという自分には馴染みの薄い地図なのだが、PCでブラウザからSTRAVAにアクセスすればログデータ後述のGPX形式に変換してエクスポートが可能であり、これを活用してGoogle mapなど好きな地図で走行ログを表示させることが可能となる。
すなわちログデータ活用に汎用性と拡張性を持たせるためにはSTRAVAと連携できることが定石ということらしい。

と、ほとんどGPSログ連携の話ばかりしているが、念のため説明しておくと、GPSログ取りだけが目的の場合サイコン購入は不要であり、GPSロガーアプリさえスマホにインストールしておけば、アプリを起動したあとはスマホをバッグに放り込んであればそれで構わない。サイコンはあくまでリアルタイムメーター機能がメインである。例えばSTRAVAアプリにもロガー機能があるので、もしこの投稿を見ている貴方がGPSログ取得のためだけにサイコンを探しているのであれば、その購入は必須ではないので、スマホでお好みのGPSロガーアプリを使ったら良い。
参考までに自分もスマホSTRAVAアプリだけでログを取ってみた。もちろん上手くやれば上手くいくのだが、途中でSNSを受信したり、カメラや地図アプリなどを起動したことにより気付かないうちにSTRAVAが落ちていることがある。当然ながら落ちている間はログが生成されないため、アプリが落ちた場所から次に起動された位置までがトンネル・ロストと同様に「一直線」で結ばれてしまい、残念な結果となる場合がある。そういう意味で、ロギングに専念させておくためのGPSサイコン、という用途は十分に成立するだろう。


PCでブラウザからSTRAVAにアクセスし、地図上に表示したログ


ログデータのファイル形式については、上でも少し触れたがいろんなものがあるらしい。それぞれの特長などは良く知らないが、自分で分かった限りのことを以下に列挙する。またこれらのファイル形式はコンバートが可能である。

①FITファイル
Garmin社が採用している形式らしい。「XOSS G」は取付けアタッチメントがGarmin社製と同じなのは前述通りだが、ログデータも同様にこのFITファイルで生成・保存される。

②GPXファイル
最もスタンダードなGPSログファイル形式らしい。Google mapに対応しており、同サービスの「マイマップ機能」を使って地図上にログを表示することができる。「XOSS G」で記録したFITファイルは、STRAVAのエクスポート機能でGPXに変換して出力することが可能である。


Google mapに表示させたログ


さらには、テキストエディタやワードパッドを用いて編集が可能ということが判明した(ぐぐればやり方が出ます)。例えばロギング中に寄り道などでXOSSの電源を切りたい場合、一度電源を切ると記録はいったん終了となってしまうため続きは別のログファイルとなってしまうのだが、このようにして分割されてしまったログファイルを後から接続するなどのテクニックも可能となる。自分も実際に複数の走行ログを繋いでみたが、確かに上手くいった。ただし、編集にはHTMLタグ程度の知識は必要だ。
余談だが、ログの生データには標高、緯度、経度、時刻、気温などが1秒ごとにスタンプされていた。うち時刻についてはグリニッジ標準時で記録されるので、日本標準時(プラス9時間00分=「UTC+9」)での表示は閲覧時補正らしい。そういえばXOSSアプリの設定でタイムゾーンがあったので、そのためだろう。

③KMLファイル
詳しいことは分からないがGoogle earthに使用されるらしい(自分は使ったことが無い)。自分は国土地理院の地形図に走行ログを表示させたかったのだが、国土地理院がGPX形式に対応しておらず、代わりにこのKMLが必要だった。このサイトはGPXをアップロードすればKMLに変換エクスポートしてくれる。


国土地理院の地形図に表示させたログ


以上の通りで、自分のGPSログ研究は緒についたばかりである。GPSを内蔵したスマホが普及する以前より登山家たちがGarminとカシミールを用いて色々なことをしていることに鑑みれば、こんなのはまだまだ序の口のはずだ。これ以上突っ込むかどうかは未定である。またアプリはファームアップで色々変わってしまうのであくまで2021年1月現在の情報という事でご了承願いたい。

ダイエッター向けの情報としては、正しい消費カロリーを計算するためにはBluetooth接続させた心拍計を使わなくてはならないらしいが、XOSSアプリから自動投稿されたSTRAVAのログには暫定消費カロリー値が表示されるので、これが十分参考になる(XOSSアプリはこれを表示しない)。ただし、なんの設定もしないと非常に過大な消費カロリー値が出てしまうので、XOSSアプリの設定画面にて、最大心拍数を「220-年齢」、乳酸閾値心拍数を「その85%」で暫定設定しておくことをお勧めする。設定後ストラバからメールで心拍数の連携許可メールが来るので承諾しておくこと。
自分は昨年秋にラーメン二郎(のインスパイア系)にハマったせいで4㎏もゲインしてしまったのだが、昨年11月末の37T化以来、夢中でブロンプトンと戯れているだけで1か月で元の体重に戻ってしまったので、特に自転車での消費カロリーを意識することはなかった(二郎ってやばいですね、1食2,500kcalとか、知らなかった)。

最後に、この商品の名称「XOSS」なのだが、その読み方如何に。70'sロックファンな自分としては「クロソス」と呼んでいる。EL&Pの1stアルバム収録の「運命の3人の女神」を彷彿ともさせるし、ジミー・ペイジのシンボル通称「Zoso」に通じる何かが感じられるスペルも上出来だ。

しかし、これについては残念ながら異なる正解が用意されていたので紹介する。
XOSS cycling の XOSS を なんて読めば良いのかわからないので、Amazon > 出品者に連絡 > 社名の読み方を質問 してみた…。

BROOKSレザーサドル

2020年12月12日 | 自転車
これまでの人生で皮革製品を使ったことはあっても興味を持ったことは一度もなかった。最もよく使う革製品と言えば普段スーツを着る仕事ゆえ「革靴」だが、それとて合成皮革をふんだんに用いた安物しか使わない。私は仕事着におしゃれの余地を見出す気は微塵も無いダサいおじさんである。
つい先月、昨年買った革靴がわずか1年で壊れたため買い直したが、その際たまたま本革100%の良い靴(自分にしては)を買った(現品限りで半額だったから)。こいつが最初の使用2回までは硬くて足指の皮がむけて痛くて仕方なかったのだが、以降はどんどん馴染んできて今では本当に履き心地が良い。その具体的な理由は、革が柔らかくなり、靴の形状が私の足の形状に合わせて変化したということだろう。
「良いものは良い」ということ、「皮革素材の柔軟性」という2つの事実を実感した限りである。購入時に靴店から「濡れると型崩れするから」ということで防水スプレーを勧められ、その時は通勤靴ごときに過ぎたりと考え謝絶したが、後に考えを改めて革対応防水スプレーを買い直したくらいだ。今やたまに家で靴を磨くほどである。

そんな折、くだらない変速比カスタムに没頭していた私を尻目に同僚S君から衝撃のメッセージが届いた。

「サドルを交換したよ、Panasonicの電動子供乗せママチャリ用。尻痛から解放!」

完成写真も添付されていたが、そのずんぐりしたルックスはさながら購入当初に戻ったかのようであった。私やS君の世代の純正サドルは「見た目ママチャリ、もっちりした手触りのオール樹脂、ヤグラもシートレールも持たず調整不可(記憶違い。調整できた、という神の証言あり)」という不思議な代物だったゆえ、皆こぞって撤去・交換していたし、我々もそうした。当時のブロンプトンはいかにもスポーツサイクルのイメージではなかった。先日の投稿では、H君の車体に試乗した結果「M6にすれば良かった」と書いたが、だんだんと購入時のことを思い出してきた、たしか当時のM6はリアキャリア付きモデルのM6Rしかなかった。あのもっさりしたキャリアは今でも欲しくはない。そのせいで車重が13kg近いことも当時6速モデルを敬遠した理由だったはずだ。だから私の10年前の選択は後悔ではなかったのだ。
ともあれ、もう10年も前にリプレースしたS君とお揃いのサドルが私のブロンプトンのトレードマークの一つであったが、このたびの自転車神S君の「原点回帰」をきっかけに、私も私なりの原点を見据えてサドル交換をしようかな、と言ういかにも大仰な機運となった。S君は私的なインフルエンサー(神)である一方で、彼と私の嗜好は実際にはかなり異なる。両者いずれも許容してしまう懐の深さもブロンプトンならではの魅力だろう(?)。
現状のVelo Plushなるサドルも悪くはないのだが、姿勢変化が少ない河川敷連続走行ではかねてより尻痛に陥るので、どこかで何かが矛盾しているはずだ。リプレースの検討に際してはこの点も解決したいし、何よりも10年経っているから、サドル市販品にも何かしら新技術や進化があるかもしれないのでリサーチが楽しみでもある。そこで例によってAmazonで安物から調べ始めたのだが、結局行き着いたのが標題の革製サドルしかもド定番、since1866伝統のBROOKSであった。10年進化するつもりが100年退化した!こうして私は生まれて初めて皮革製品に興味を持ったわけだ。

「ブロンプトンと言えばブルックスのサドル」

という定評は昔っから聞き及んでいたものの、これまで興味を示さなかった。理由は単にサドルに万単位のお金をかける気が起きなかったためである。しかし、先の100%本革靴の事例で素材の長所を身をもって感じたこと、レザーサドルのレビューは「最初のうちは固いが馴染めば最高」が一般的(まさに革靴と同じ)であることなどから、気が変わってきた。
そもそも私は消耗品の通勤革靴ごときに年間1万円以上も投じているわけであり、いわんや靴と異なり摩耗しない自転車イスへの万円投資は下手すれば一生モノ、そう考えればもはや「安い」とさえ思えてきた(自己暗示)。


選んだのは「B17standard」


レザーサドルにも色々な種類がある中で王道ブルックスを選んだ理由は、メーカーがテンション調整用スパナならびに革保持用の専用オイルクリームを設定して「手入れする楽しみ」をサポートしている点に共感したからである。何しろ私はPanasonicの安物電動シェーバーにでさえ、取説に従って洗浄の上で内外の刃材に別途買い求めた専用オイル塗布するようなメンテナンスおたくである(取説に騙されるタイプ)。
中でもその名の通り最もスタンダードなB17を選択した理由は、その定評もさることながら、現在「それほど不満なく」使っているVelo Plushサドルと形状が最も近しいことが最大の理由である。商品は最近まで多色展開していたようだが(ペンタックスの一眼レフエントリーモデルみたいに)現在は黒・焦げ茶(ブラウン)・茶(ハニー)の3色のみ。もし今でも選べたら私は「赤」が欲しかったが、3色から選ぶのならば焦げ茶色とした。初めは赤がなければ黒にしようと思ったものの、「エイジングによる変色」(汚れて徐々に黒っぽくなるイメージ)が楽しめそうと想像したためである。
同梱されていたものは、多言語取説(怪しい日本語翻訳つき)と、スパナと、お試しサイズの使い切りクリームであった。
同時に「メンテナンスキット」と呼ばれるクリームとウェスのセットも購入したところ、こちらにも多言語取説とスパナが同梱されており、手持ちがダブってしまった。これなら単体クリーム(キットのより容量が多い)を購入しボロ布を用意すれば事足りたことになるので、これから買われる方は注意されたい。
しかし、うち取説はイシュー違いでありフォントのサイズ変更ならびに日本語翻訳が全面的にリバイスされていた。メンテキットに同梱されていた方は裏面全体に「キツネ狩りのポスター」がフューチャーされているのに対して、サドル同梱の方はこれが割愛されていた。キツネ狩りはどこかの古いネット記事で見かけたことがあるので、こちらが古いイシューかと思う。コレクターズアイテムとして満足である(?)。


サドル本体の同梱物と、メンテナンスキット


取説の冒頭ではサドルの慣らし=「'braking-in' process」について触れられている。翻訳版はリバイス前後とも怪しい日本語に変わりはないため、原則として英語原文を参照した。要約すれば
①慣らしのために、初めのうちは頻繁にオイルを塗れ
②ウラ面も塗布が必要。塗ったらそれきり放置のこと
③オモテ面は少量塗布し、一定時間放置後、磨き上げること

であるので、その通りにする。このオイルには保湿並びに革を柔らかくする効果があるのだという。ご存知の通り、一部でまことしやかに「ウラ面には塗らない説」が流布されているが、なんのそのである。
これは想像だが、メーカーが一番嫌うクレームは使用初期における「尻が痛いので返品」ではなかろうか?ゆえに、取説に示されているような処方が最も手早く尻痛から解放される最善の方法なのだと考える。にも拘らず、これを一部のマニアが「時間は無限にかけて良いから、オイルによる型崩れリスクを100%避け、自分の尻にマッチする最高のサドルを手に入れよう」と呼び掛け、その根拠として「昭和時代の製品と比べて革が薄くなった」「工場長が変わった」だのなんだのもっともらしい理由を付けた「ウラ面には塗らない都市伝説」なのだと考えている。私は支持したくない。
取説では、慣らしが済んだ後は、オイルメンテとテンションのチェックならびに調整を最低でも半年に一度はされたし、とのことだ。そうしないと保証対象外とも書かれている。


ウラ面は真っ黒に染み込む


レザーオイルなど扱うのは人生初だが、とりま指で直接塗り込んでいったよ。ウラ面はオモテ面と異なり艶出しなど表面処理が施されておらずに革が剥き出しで、オイルをよく吸い込む様子だ。浸透による柔軟効果が高そうだ。


装着したところ。この後さらに後ろ寄りに調整した


取り付けに際しては既存のヤグラを再利用したが、レール間隔が狭くて少々難儀した。前後の位置については既存サドルと同じ位置を基準としつつもシートレールの前後なるたけ真ん中近くでヤグラと接続させてスタンダードなポジションとした。角度については「前側に尻が落ちやすいためフロントアップ気味が良い」という意見が多いものの「単にライダーが滑りやすさに馴染んでいないだけ」という否定的見解もあることから、水平よりもほんのわずか上向く程度とした。
オイル塗布の翌日に1h15kmほど乗ってみたインプレとしては、ウラ面塗布効果のせいか、触って分かるくらいに革が柔らかくしなっており、巷に三角木馬と言われる様な不快感は特に感じなかった。続いて翌々日に80km程度のライドをしてみたところ、乗っている間は平気であったが、降りてから左右の坐骨がそれなりに痛む。これは噂通りかもしれないと思った。
サドル位置について必要に応じて微調整してベストを探りつつ、引き続いて「’braeaking-in’ process」を継続したい。なお自分の乗り方については「どっかり座る」ことはほぼ無く、軽めのギアでペダルに体重をかけてクルクル漕ぐ派である。乗り方すなわちサドルに体重をどれだけ預けるかどうかでこの痛みの印象は随分異なってくるのではないか。巷の評価によれば「どっかり座る派」に対してでさえ最良のパフォーマンスを発揮してくれるというのだから、今後のサドル育成が楽しみである。


海まで自走ポタ(帰りは電車)