人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

どうでもいい事件

2005年02月22日 | ただの雑談
一昨日のこと。ぼくの職場のそばでちょっとした事件があった。男性の死体が発見されたというのだ。騒ぎがあった時間ぼくはあいにく会議中で、みなが野次馬に興じた話を後で知らされ地団太を踏んだ。死体とは、そばにある堀に沈んでいた土座衛門であった。死後数日でスーツ姿の会社員らしき人間だったとのこと。それほどニュースでも取り上げられなかった様子だ。後にこの人がとある40代の会社員男性だということが判明する。金曜夜に飲んでいたところまでは足取りが明らかであり、その後誤って転落したものとみられるとのことだ。
最近泥酔ばかりしている自分にとって他人事ではないと思った。子供が出来るということは、自分の遺伝子を伝えるという意味のみで考えるなら、ぼくの生物としての役目は終わったと云える。終わったと同時に役目を果たせたとも云える。ぼくがこの世に存在したことによる結果が我が子の存在である、という理屈だ。よってこれでもうぼくはいつ逝っちまっても生物としてやり残したは無いことになる。最近自分の葬式について考えるのにはそういう経緯があった。しかしだからといって泥酔して

♪オラは死んじまっただ~

は、やっぱりカッコ悪すぎる。線路に落ちたぼくを救おうとした外国人(こともあろうか韓国人)の留学生まで巻き添えにしようものなら、ぼくは絶対に成仏できない。

おなじく一昨日、妻の腹にある胎児の性別が判明した。男だそうだ。夫婦揃って、気の毒なことだと思った。まだ見ぬ我が子の将来を憂いた。「彼」が遺伝的に運動能力が極めて低いことが明らかであるためだ。「彼女」ならばそうでもないと思い密かに女の子であることを願っていたのだが、とにかく男の子が運動が出来ないというのはそれだけでコンプレックスである。ほとんど障害に近いと云っても過言でない。人間が成長する中で得る能力とは「生まれつきの才能」プラス「教育」だと思うが、少なくとも彼には天賦の才もなければ両親からスポーツを教わることも絶対にない。ぼくと妻はキャッチボールすらできないし、サッカーのルールも知らない。ぼくと妻は全くスポーツと無縁の夫婦なのだ。だから生まれてくる子は、教育時代を通して自分が周りより劣っている点があるという十字架を背負いつづけるのだ。一方で勉強はどうかというと、知能が高い可能性は高いと云える。特に母方の家系は揃って高学歴だ。秀才かもしれない。よってこのような学歴社会を食いっぱぐれることなく生き抜く能力は強いのかもしれない。
しかし男の子というのは高校生くらいまでは運動が出来る方が偉いものなのだ。その方がモテるしカッコいいのだ。頭が良くて尊敬されるのはせいぜい社会人になってからであろう。あいにくながら、ひとが成長していく多感な10代の過程でずっと劣等感を背負っているということは、その後の人生を大きく捻じ曲げてしまうものなのだ。頭の中が落ち着くまで遠く厳しい道のりとなるはずだ。これは自分の経験でもある。
かつてぼくは世界で自分が一番偉いと信じていた。そうする必要があった。でも我が子にはそんな無駄な思いをしてほしくない。ぼくのようにはなってほしくない。だから教えるべきことは、勉強よりもスポーツよりもまずは寛容のこころ。周囲のひとびとそれから我らのふるさとを愛することから覚えてもらいたい。ぼくみたいに偏った思想をもたないように。ぼくみたいに自尊心と劣等感だけで形成されたショボイ人格にならないために。運動が出来ないことなんて苦にしないくらい大らかな人間になってもらいたい。そしてぼくと同じく次代へ生命を伝えることができるよう、まっとうに育ってもらいたい。

…という希望を考えていると、まだまだ死ねないなと思うわけである。だって想像すると怖いぜ。

自分の息子が変態性欲者の場合。
自分の息子が犯罪者の場合。
自分の息子が朝日新聞社の場合。
自分の息子がニートくんの場合。
自分の息子が万年司法浪人の場合。


おえーっ、嫌だなあ。

えっ、息子がアル中の場合…?
父さんごめんなさい。

再会

2005年02月05日 | ただの雑談
押忍お久しぶりです。1年ぶりくらいでしたか。相変わらずきみんちは眺めはいいけど寒い所ですね。でも今日は比較的風が少なくてマシだと思います。大体いつもきみと会うのはクソ寒い季節だよなあ、バイクで3時間もかかったから寒くてガチガチだわ。とりあえず乾杯だな、缶ビールで。たまには昼間っから飲むのも悪くないでしょう?ういーっす。…の予定だったんだけど、悪い!あまりに寒くて持ってくるの辞めちゃいました。さっきコンビニでホットココア飲んで諦めました。すまん。ま、また運転して帰るぼくのためということで許してください、悪いねいつも手ぶらで来ちゃいまして…。
じゃ例によってこちらの近況を紹介しますね。まあ一番の報告は今年子供が産まれる予定ってことでしょうか。他の連中はねえ、○○××云々というところですね、まあみんなあいも変わらずっていう感じです。そういえば△△は今ケンカ中なんで最近は全然わかんない。きみの方は…まあ相変わらずとしか云いようがないでしょうね、そういやあそこにあんな道路あったっけ?こないだ来た時まで見覚えが無い気がするけど。ってまあそんなところかな。
今ここの「定礎」の日付を見て思いましたが、此処って、出来たのは1年以上もあとだったのですか。完成した日にぼくもお邪魔したけど、記憶の中ではそんなに後だったって意識がなかった。そういや最近ぼくは自分の最期についてよく考える。日本のお墓事情とか若い人の意識ってのもあって散骨とかが流行ってるらしい。ぼくは断然土葬派なんだけど。なんでって、ドクロを晒したいのよ!まあそうなっちゃったらご先祖さまとは一緒に入れないけど。そういやきみもずっとここで独りだ。今まで全然疑問に思わなかったけど、そういやちょっと変わってるかもしれない。ふつうお墓って家のお墓に入るもんだよね。きみはどうしてひとりぽっちなの?それは君の意志とは関係なかったと思う。無理もないかな、きみは特別だったから。
あの頃って、自分の気持ちが一番清く正しくて、大人と違ってなんというか、純真だったと思います。今ぼくがどうなってると思う?大人の常識がだんだんぼくを蝕んでいます。だんだん自分を周囲に当てはめていっちゃうんです。みんなもそんな感じだと思います。でもそれはぼくたちが悪いんじゃない。加齢とともに世の中がそういうことをぼくらに求めてくるんだから、誰でもそうなっちゃうと思うよ。え、云われなくても分かってらっしゃる?そうだな、きっときみも今頃そんな事情に悩まされていたかもしれない。同じ悩みを同じように打ち明けていたかもしれない。すみませんどうしてもきみと会うと昔のことばっか思い出しちゃいますよ。最近ぼくが余計なものばかり見えるようになってきたからなおさらです。まともな人間を目指せば目指すほど、社会について知れば知るほど、君から離れていってしまうようである。今定礎を見て初めて気づいたことも、別に知らなくって良いことです。
だけどこれからも友人でいてほしい。友人とかいって、このぼくに?って思うひとが今では多いんですが、そんなことはない、ぼくはきみだけは一生でかけがえのない友人だと思っています。少なくとも今から10ウン年も時計の針を戻せば間違いなく友人だった二人がいる。ぼくがあれほど親友の存在を必要だって思った時期はあの頃しかなかった。ブラックジャックの言葉を借りれば、あの瞬間は永遠なんだ、勝手で悪いけどね。それにきみに会うと人生のおさらいができるんですよ。あのときを起点にして、それから今までがどうだったのかってことです。今年で10何年目だっけ。もうすぐあれから人生の倍が過ぎちまう!まあだんだんフケていくぼくを見て、ぼくと同じ歳になったきみの姿をきみも想像してみてくれたまえ!お互いに鏡だよッ。16歳の時と、それ以降何歳になるまでものお互いの姿を確かめ合う鏡だ。つまりぼくがハゲるときは君もとっくにハゲだ!
そうそう、今でも変わってないのがひとつだけある。昔からぼくは打算的で謀略家だった。そういう情けないというか、醜いところは今も昔も変わらない。これをきみに対して申し訳ないとは思わない。自省の気持ちを知ったのはきみのおかげだからだ。その後も節々で自省しては自分を認め続けてきた、これで良いのだ、と。でも最近ちょっと変わりつつあるよ。これで良いのだ聞く耳持たん。から、果たしてこれで良いのか。へ。
…とまあそれ以上難しい話は酒が入らないとだめですね。そうだ、今からウチに来てくださいよ!きょうは妻も居ないんでボソボソと飲みましょうよ。もう決めましたからね。じゃいきますよ。

北海道ツーリング45

2005年02月04日 | ツーリングのレポート
とにかく1棟の建物がデカくてびっくりだ。これが全部で何棟並んでいるんだろうか。さてしばらく歩くと廊下の右手側に通路が現れ、丁字路となっている。この丁字路へ右折すると階段が断続的に続き、段々と上へ繋がっている。どうやらこのまま隣の棟まで行けるようだ。少し登ってみたが、だめだこれ以上探索を続けてはキリがない。そろそろ妻もしびれを切らすころだろう。カメラはとっくにメモリー切れとなっているので、先日撮った風力発電風車の動画撮影や無意味にたくさんあるクマどもの写真をジャンジャン削除して廃墟内の撮影に供していた。およそ15分程度しかここにいられなかったと思うが、再訪を誓って後にすることとした。それにしてもこの階段通路には実に多数のBB弾が落ちている。本来室内に鎮座していたはずのベッドがぬりかべのように立っているのはバリケードのようである。確かにこんなところで戦争ゴッコしたらそのケはないぼくでも楽しそうだなと思った。


建物を縦に繋ぐ階段通路。右のベッドはバリケードだろう

床の上に散乱する瓦礫をザクザク踏みながら入口へ引き返す途中、人の声がした。声の聞こえた方向は、自分が進入時に間違って歩いた1段下がった南面からのようであった。さっき窓から見えた自動車の連中だろうか?なんかハチ合わせるのも嫌だし、もしここを管理しているようなお役所系の人間だったら怒られてしまうかもしれない。怖くなって走って逃げ出した。幸い彼らと顔を合わすことはなかった。道路へ戻ると、もう1台の自動車が停まっていた。さっき窓から見えた車かどうかは分からない。サンバーに戻って妻に問うてみると、なんでも三脚を担いで慣れた足取りで向かっていった様子で廃墟マニアと思しかったとのことであった。感動に浸りながらこの地を去ることにした。もはやこれを越える聖地はかの軍艦島しか存在しないであろう…。サンバーを切り返した時、後輪が路肩の砂利に落ち、本気でアクセルを踏んでも動かなかった時には少々焦った。バックして勢いをつけて舗装路へ上がった。

あとはひたすら帰るのみである。山を下っていく。このあたりはツーリングライダーが多いようだ。そういえばこの峠道バイクで走れば中々気持ち良さそうだ。まあ今のぼくにはそんなことすらどうでも良いほどの満足感でいっぱいだ。松尾八幡平ICの手前のジョモにて給油する。給油中妻はとなりのコンビニでお茶を買ってきた。空いてる高速を走るのは車であってもあまり悪くはない。ただこのサンバーでは場所によってはほんとに速度が出なくて怖いが。またBGMに耳を傾けながら帰路に着く。ラジオでやってる東京方面の気象情報も興味深い。オヤツの南部煎餅は想像と違ったがピーナツが美味い。1回目どこかで休憩。サッカーのテレビ中継をやっていて愚民たちが群がっていた。その後妻と運転交代。妻には250kmほどを走行してもらい2回目の休憩の那須塩原だかのSAで夕食。レストランへ足を運びかけて、結局貧乏な軽食コーナーにした。決めるのは全部妻である。ぼくは豚汁定食をたべた。ここで南部煎餅と間違えてたピーナツ煎餅に出会う。期待していた方は煎餅と言うかクッキーと言うかで随分洋風だった。軽い南部煎餅のほうが気楽にたくさん食えるからいいという説もある。とにかく、あとは家に帰るだけだった。12時すぎには到着した気がする。北海道ツーリング日記本編、これにて終了…。




以降に今回の北海道の旅行の感想を以下にまとめてみたい。遠足の後で書かされる感想文みたいなものである。

いまをサボる

2005年02月02日 | ただの雑談
いきなり引用で恐縮ですが、こんなサイトがあります。
http://www.geocities.jp/lionheart_katebush/SecondArrangement/steelyroom.html
ぼくの好きなミュージシャンのひとつであるスティーリー・ダン、彼らの歌詞の日本語訳を試みるサイトですね。まあぼくは洋楽はほとんど音しか聞いてないのですが中々奥が深くて面白いと思いました。ドラゴンを追いかける話なんて実に秀逸です。ダンの歌詞はビートニクとかいうジャンルの文学の影響を受けていて、シニカルで分かりにくいと云われます。ウィリアム・バロウズという代表的な作家があって、この方が書いた「裸のランチ」という作品の引用でグループ名をとっているとのこと。先日の上人のホーデンのミイラじゃありませんが、「スティーリー・ダン」とはすなわち「ちんぽこ」の意味らしいです。
さてCDを日本盤で発売するに当たって国内レコード会社は邦題ばかりでなく解説それから対訳をつけなくてはいけない訳です。この訳詞を担当する方にとってスティーリー・ダンの対訳は上のような理由からまさに大役です。ところがこのCDの訳詞者はこの大役を放棄しているではないかというお怒りが、上のサイトからはひしひしと伝わってきます。そういやぼくの大学時代の先輩(文学部)が、卒業後特に定職に着くこともなくアルバイトで洋楽CDの対訳をやってたなんて聞いた。訳詞なんてその程度だったりするのかもしれない。だとすればスティーリー・ダンの訳詞ときたら全くキャパシティオーバーでしょう。
というところで、ここで何となくぼくも1曲大役をこなしてみようかな、なんて急に思い立ってみました。当時の社会情勢からスラングから色々な知識が要求されそうですが、まあ及ぶ限りでトライしてみたいと。ネタに選んだ曲は、こんな曲。邦題は「最後の無法者」、いい題ですね。直訳はエキサイトのページ翻訳にでもかけてみてください、およそCDの対訳歌詞カード通りに出ますので。いま色々と背景を調べてます。オレゴンで親父を殺ったとは?どうやらジョン・ウェインの映画「オレゴン魂」ってのが関係ありそうです。この曲が世に出た年(76年)の前の年の映画ですし。殺し屋ライクな保安官が「法の番人」。「生け捕りにするな」と。何はともあれこの映画を観てみないことには始まりませんかね。家にビデオないのにどうしよう。それからbookkeeper's sonってのは何なんだろう。簿記係の息子。ホットツナの1stに収められたトラディショナルソングの「ヘジテイション・ブルース」にも同じ単語が出るみたいですが、どうもDQNでなくそれなりの中産階級の家庭の出身みたいな意味らしい。そいつが強盗に入ると。アルバム全体が当時の米国都市事情を皮肉ったりしているらしいので、その辺も踏まえなければならないですね。何だか難しそうだ。
ともあれこういう無駄な作業は大好きです。急に新しい世界に首を突っ込むのは勇気が要りますが、チャレンジ精神「0」のぼくを動かすのは好奇心だけです。そしてすぐに飽きます。それでも色々くだらんことに興味が多いと人生楽しいと思います。残念ながら自分の社会人としてのキャパシティを磨くようなトレーニングには興味が起きない。ああ、この好奇心を世に認められる方向へ活かせたなら!今ごろぼくなんてとっくに弁護士だかお医者だか政治家ですよ、えへん!高校時代にある友人が云っていたセリフを思い出します。クラスに友達のグループが幾つかあるんですよ(ちなみにぼくは人望「0」からどこにも所属できませんでした)。そんな中で最下層とされる、当時「オタッキーズ」と云われていた集団がありまして、その中の一人がグループの連中を評価しているのを聞いたんです。「○○君のいい所探し」みたいな。といっても勉強できる・運動できる・絵が上手、みたいなキャパシティ評価ばかりでして、ところが最下層の皆さんにはそれほどいい所は無かった。頭も悪けりゃ運動も出来ないし、顔も悪い。なのに無理矢理評価したんです。
「××も一見ボーッとしてるけど、大したもんだよな、あの雑学の知識」
雑学って何さ、ちーっとも能力じゃねーよ!学というのもおこごましい!当時そう思った。だけど今やぼくも社会人としての自らを高めるような、つまり必要な学問には興味は持てず、当時のプライドはもはや邪魔なだけ。最近いい言葉がありますね、トリビヤってヤツです。ムダ知識。ぼくは何でも途中で投げ出してきたから知識も全部中途半端。多分この訳詞すら完成しない気がしてきた。いまやぼくはキング・オブ・雑学。情けなくって声も出ない。昔ぼくがまだ金の卵だった頃。ぼくはこの歌の詞みたいにA man of my mind can do anythingだった。せめてぼくみたいなヤツが先生って呼ばれなくて良かった、と負けを惜しむ。でも実際ぼくみたいな自尊心ばかり強くて他人を見下すのが大好きな人間が、社会で役立つ先生だったら最低でしょう。もっともイヤな奴です。それに汚職に献金、所得隠しに詐称と隠蔽、およそ何でもやったでしょう。もしもぼくが先生だったら、それらをしたであろうという自信だけはある!だけど先生にはなれなかった。かつての自分からみれば、いまのぼくは負け犬に等しい。かつて持っていたプライドのための鎮魂歌、それが冒頭に紹介されたサイトの「ディーコン・ブルース」。先生になれなかった男にこそ、いい名前をつけてくれ。人骨でも何でも。
でも知識欲が役に立たなくても、それが楽しみをもたらすならいい気もします。今はただの無能兵士だ。でも30年後はどうだ。現役時代に頑張って働いたお爺さん、遊んでなまけたお爺さん。どっちの人生が楽しかったかなんて誰にも分からんです。唯一いえるのは日本には大した敬老思想は無いので、どっちもジジイなだけです。定年後に昔を振り返って講釈をたれるジジイ。相変わらず楽しく今を怠けるジジイ。好奇心バンザイ、早く定年したいですな。そしたら1曲くらいは訳してみせよう。

北海道ツーリング44

2005年02月02日 | ツーリングのレポート
左折できる道があった。松尾鉱山ナンタラ処理場方面とか書いてある。ここは違うかなと思い通り過ぎたが、結局入口はここであった。引き返して右折、ここからいよいよ現場へ近づいていく。すぐ左手に学習院ナントカ寮というのがある。こんな素敵なところで合宿できる学生はさぞかし幸せだろう。この道路はお宅の廃墟群を大きく右手に眺めながらグルーと取り巻くようだ。そこかしこにもワケの分からない廃墟が散見される。オラ、もうワクワクしっぱなしだ!しばらく近辺をクルマでうろついたあと、団地へのアタックをかけるべく路肩へ停車した。この松尾銅山は例の土曜の夜ジャニーズが出てるUSOとかいうテレビで見て以来憧れの地であったが、現物を目にすると誠に感慨ひとしおである。
「うっわー…」
「言葉にならないね…」
「うっわー…」
「すーごいねえ…」
「うっわー…」
「言葉にならないね…」
という感じで独り言が何度となくでたと思う。全く、はっきり言って、もう北海道なんてどうでもいい。ここは聖域である。巡礼の地である。イスラム教徒は生涯一度の大行脚としてメッカ巡礼を体験するというが、まさに聖地を目前にした教徒の感慨とはこんなものだろう。すごい、すごい、すごい。この世にこんな感動の場所があったなんて。北海道なんて行かずに一週間ここにいればよかったとこの時は本気で思った。普通の廃墟とは明らかに違う生命感がある。妖気アンテナ総勃ち。いつもみたく過去のこの地へ思いを馳せるとかそんなチンケな想像も起こらない。発してくる圧倒的な存在感に、もう黙るしかないのである。廃墟という言葉が相応しくないとさえ感じる。そう、これは貴重な歴史の遺産ではないのか。法隆寺なんてどうでもいいから、こちらを世界遺産へ登録しなくて良いのであろうか。歴史こそ浅いものの、この生命感溢れる歴史の遺物がゴミ扱いだなんて、日本人の価値観を疑ってしまうよおじさんは。とにかく日本に住んでいるのなら一度ここを訪れるべきであろう。廃墟もここまでくればもう立派な遺産だ。ナニがそんな違うのと言えば、とにかくその規模でしょう。まさに「街一つがそっくり」という表現が当てはまる。人類にはまだ知られざるポンペイがあるのだ。
しかし現実は残酷である。この巨大聖地を目の前にして、ぼくは妻をクルマに置いて数分の探索しか許されないのだ。一秒一瞬を惜しみつつ手前の1棟のお宅へお邪魔することに。季節は盛夏。もう、草ぼうぼう。建物は高くそびえているのにアプローチ困難、入口がどこだか分からない。お宅の南面に沿ってずっと歩いていたら、知らないうちに一段下がったところへ来てしまった。一旦引き返し遠めに眺めてみると、獣道(ではなくて実際は廃墟マニア道であろう)があったのでこれに従う。無事入口へたどり着けた。造りは時代ものであるから例の縦階段型なのだが、1階部分だけ近代マンションのようにすっぽり屋根で覆われた廊下となっているのが特徴かな。よって住人は階段1階まで降りたあと風雨に晒されることなく内部を往来できる。この廊下は何のためどこへ続くのだろうか。とりあえず廊下は置いておいて、一番手前の階段を登ってみた。間取りは例によって2DKでしょうか。ただし、窓からの眺望が非常に素晴らしい。特に最上階(5階かな)では八幡平の高原風景が窓枠いっぱいに広がって美しい。また各部屋にダストシューターが設けられていて、ゴミは全て1階に集積されるようだ。これも面白い。部屋の窓から今走ってた道路が見えているが、1台の自動車がノロノロ走っているのが見えた。同じくこの風景に驚愕しているのであろうか。ここから人が覗いていたら興醒めだろうから、目立たないようにしておいた。1階へ戻って今度は廊下を歩いてみた。梁の部分に「は」の文字が出た。これもどこかの廃墟系サイトで見覚えがあるなあ。


「は」

北海道ツーリング43

2005年02月01日 | ツーリングのレポート
PM0:30
何度も手を振りつつスバルを去り、とりあえずおばあちゃんバッグを買ったニコアへまた寄ってみる。実は今日の予定は何も無かったのだが、ちょっと色気が出てきてアソコへ寄ってみたいと考えていたのだ。そのため中の本屋で岩手県地図を購入する。やはりここからそう遠くはない。明日は日曜だし、今夜家に着くのは遅くても構わないだろう。アソコとはもちろん松尾鉱山である。妻は随分不満気ではあるがここも押し通した。二戸から八戸道に沿って下道の県道を走り、安代でR282と合流するルートとする。特に高速を使う必要は無いだろう。県道は狭く、浄法寺というところを過ぎる辺りまで遅いトラックが居てイライラしたがこいつも適宜消えてくれた。妻は産直のヤサイ売り場に行きたいとせがむので、たぶんあるから勝手に窓の外を探すように指示した。もちろんでまかせだ。R282に合流し南下しているところ、右手に安比高原ナンタラ野菜とかいう産直センターがあった。ここへ立ち寄り妻は嬉々として出かけていった。これから廃墟へ行く以上、はじめに妻を満足させておくに限る。安比と書いてアッピと読むのか、へえー。妻が買い物している間にトイレを済ます。直売場は地区会館みたいな建物を兼ねているらしく、トイレは畳敷きの部屋の方にあった。駐車場へ戻りふと場内に出ている看板に目をやると、商店のみならず個人のお宅まで名前入りで書き込まれた地図があった。田舎風情だなあ。それにしても同じ苗字が多い。立花さんという家ばかりだった。民宿やってる立花さんだけで3軒くらいあるという有様。これまた田舎だ。妻は色々野菜やら花やら買い込んだ模様。それでは出発である。国道から右折、松尾八幡平IC入口を過ぎてさらに先へ。ここからは峠道になる。VTRを荷台に積んでいるサンバーは低速モードにシフトしないとまともに動かない。また壊れては困るぞ、がんばれサンバー。途中ナンタラという集落というかおみやげ場みたいなところを右折、さらに八幡平スキー場方面を目指す。やがて北海道にもあった雪よけシェルタートンネルみたいなのが道路に覆い被さってきた。地図によればこの辺りが松尾鉱山跡のはずだが…。
PM2:30
妻が「あった!」と叫ぶ。左手にジャーンお宅跡がズラーとならんでおりますです!


来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た!!!!!!!!!!!!