先日のニュースによれば、いわゆるブログの開設数は年々増加しており、昨年11月の段階で1300万件を突破したという。10人に一人がマイブログという計算であり、ネットへの市民参加はここまで来た、みたいなのが記事の主旨であった。
ブログは商用利用も相当数に上ると思うが、そのことは考慮していないみたいだ。また、SNSについても触れなくてよいのだろうか。
本件に限らず、マスコミによる報道というのは常にある物事の一側面だけがクローズアップされている。我々視聴者は「一を聞いて十を知る」とまでは行かずとも、マスコミが報道しなかった残り9通りの側面の存在の可能性についてだけには、常に注意を払っておくべきだと思う。
いきなり話が逸れたが、いわゆるブログで出来ることというのは、基本的に従来の「ホームページ開設による情報発信、掲示板開設やメールによるコミュニケーション」と大差ない。
ブログの利点は、開設方法の容易さ、日替わり日記形式による更新の容易さ、コメントならびにトラックバックによる簡易な双方向コミュニケーションといった、「気楽さ」が一番の売りではなかろうか。
ブログ誕生によって、いち市民ユーザによるインターネットを用いた情報発信のための門戸が、大きく開け放たれたとでも言おうか(偉そうに)。
いっぽう誕生の時期をブログとほぼ同じくして、「ミクシィ」に代表されるSNSというコミュニティツールも成長を続け、幅を利かせている。こちらはコミュニケーションに比重を置いた切り口で人気を呼んでいる。ミクシーへの登録ID数(≒参加人数)は、今見てみたら1600万件超であった。より短期間でブログ開設数を上回ったことになる。
「♪1年生になったら友達100人できるかな~」は少子高齢化の昨今では現実的にムリとなってしまったが、代わってネット上ならば学校なんてとうの昔に卒業した人間であっても友達100人は十分に達成可能だ。会ったことの無い「マイミクシー」を何百人も溜め込んでおられる御仁は少なくない。
こういうご時世であるからして、実際に会ったことがなくネットを通じてのみという「友人」が、私にもいる。
居るには居るが、それは数名だ。現実の世の中で友人が少ないように、ネット上であっても私は友人は少ないらしい。
改めて、普段コメント等をくださる皆さん、いつもありがとうございます。
このような、顔を知らない友人たちと実際に会ってみたいなという気持ちは、私にも結構あったりする。
そう思うのが私だけではない証拠に、いわゆる「オフ会」は毎日のように開催されている。今日もどこかで、長い間互いに顔を知らぬ友人だった誰かと誰かが、初めて実際に会ったであろう(私も経験があるよ)。
そんなネットの世界での友人。今はネット上でのお付き合いだけだけど、何か機会があればお会いしてみたい人。そして未だそれを果たせない相手。
きょうは、その中の1人についてお話ししたい。
特定の個人について採り上げてお話することは、ひょっとすればご本人に迷惑をおかけするかもしれない。だから、「勘弁して欲しい」というご指摘をご本人あるいは縁者の方からいただいたならば、いつでもこの投稿を取り下げるつもりである。忌憚無くご指摘いただきたいです。
だけど何しろ私は彼のことが頭から離れない。気になるというか、心配というか、何よりミステリーなのだ。
だからお咎めを覚悟であえてここに紹介したい。併せて、このことが特殊なケースであることを予め弁解させていただきたい。
※ ※
冒頭で紹介したブログの開設数のニュースには続きがある。開設数増加の一方で、更新を停止してしまっているブログも相当数見られるという話だ。休眠ブログが全体の何割程度になるのかは忘れてしまったが、1300万件中の実質稼働数はかなり低率だったように記憶している。
実際、今ここをご覧になっている皆様も、休眠ブログというものをしばしば見かけるのではなかろうか?
その多くが、始めの頃は結構盛んにエントリの投稿がされていたのだが、段々段々とネタが細ってきてしまいに力尽きるという「自然死型」であると思う。
ブログに限らず流行なんて何であれそんなものであろう。ひとつの流行が自然死し、また新しい流行が湧いて出る。たったそれだけのことであり、人類の営みの必然であると思う。それで良いのだ。
かくいう自分だってウェブログはただの流行だと思っていたから、自分のブログがこんなに長寿になるとは当初は思ってもみなかった。
仮に自分が飽きずに書き続けたかったとしても、サービス自体がいつまで残っているやら、と思っていた。
ところが現在のところ、ウェブログのツールとしての立場はまだまだ強固な様子であり、私自身もまだ飽きないみたいだ。
(ちなみに私は、遊び仲間による内輪ホームページを代表として管理していたが、それを自然死させてしまった経験がある…)
昨年九州ツーリングから帰ってきたころ。私にはたまたま互いのウェブログがきっかけでネット上で知り合いになった人がいる。
いわゆるハンドルネームとして、「中年侍」と名乗られる方だ。
彼がどんな人かというと、私と同じくライダーであり、同じくキャンプツーリングを趣味とし、全く同じラフ&ロードのツーリングバッグを背負い、私より数ヶ月先立って九州を同じく初めてツーリングで訪れ、私がいつか乗ってみたいW650というバイクに乗られている方である。ロック好きという点でも共通項が多く、彼の勧めにより私はボストンを愛聴するに至った。あまりプログレではないが大いに気に入ったため、かなりのローテーションで鑑賞している。
ブログから知り得る限りの情報によれば、彼は中京地区在住のサラリーマンで、私より一回りほど年長で、奥さんのほかにお子さんが2名おられる。
とにかく筆が早く、かなりの文量のエントリーを毎日立て続けに投稿されていた。ツーリングの日記によれば、朝4時起きで1日14時間くらい走るキャンプツーリングを何泊もこなしており、気力体力ともに相当なものであろうことが窺い知れた。まさに働き盛りの40代といった趣だ。わりと元気の無い白面のヤサ男としては、頭の垂れる思いである。
またハンドルネームに因んで侍口調に徹しており、例えば自らの「出勤」を「登城」と読み替える等、統一的な世界観(?)が与えられており、読み物としてかなり面白かった(以後は彼の世界観に敬意を表して、ここでは中年侍「殿」と呼ぶことにしたい)。
酒の席に出てきそうなたわいもない話題から、ライダーなら語りたくなる旅の想い出や、あるいは赤裸々な心情の吐露に至るまで、ひたすら「ござる」口調。
どうも最近この侍口調が一部で流行しているらしいが、彼はパイオニアであろう。
私は気がつけば彼氏のウォッチャーと化していた。
彼と同じ年代の人間は私の職場にも多く居るが、趣味を通じての知り合いや、プライベートでの友人と呼べるものは皆無だ。だから私は40代という「年頃」の一面だけしか知らないことになる。
そのこともあって、中年侍殿の、職場では見せないであろう饒舌な横顔に、非常に興味を持ち、同時にその人間臭さに惹かれたのだ。そう、「プライベートについて饒舌な40代」というのが、私にとって唯一の存在なのかもしれない。
彼からの申し出がきっかけで、我々は互いのウェブログへブックマークを貼り付け、友好の証とした。
(よろしければ、画面左の方のブックマーク一覧から参照していただければ幸いです)
ところがある日を境に、突然彼のウェブログは更新されなくなった。
停止の直前に「PCの調子が悪い」と訴えておられたので、修理や買い替え等で手間取っているのではないかと想像していた。
それきり月日は過ぎて行き、昨年10月の更新停止からとうとう4ヶ月が過ぎた。
更新停止後も今日に至るまで私は毎日のように彼のサイトを訪問し続けている(RSSは使わない主義なので…)。しかし名古屋港で息子さんと釣りをされたきり、その後の消息についてはついに記されないままである。
今初めて彼のウェブログを見る人が居れば、最後の投稿日が昨年10月であることをみて、休眠ブログか、あるいはその一歩手前と見なすことだろう。本当にこのまま休眠になってしまうのだとすれば、残念なことだ。
果たして中年侍殿は流行に則って「自然死」してしまったのだろうか。私はそうは思わない。
まず第一に、上で書いたとおり彼の筆の早さと量はハンパではなく、その勢いは終始一貫していて、更新停止前まで全く衰えた様子を見せていなかった。
続いて、彼は複数のブログランキングに参加しており、ランクインすることを停止寸前まで喜んでいた。よって投稿に飽きてしまったようなフシは全く見受けられず、これも自然死を否定するに足る。
なおアファリエイト投稿もやっておられたが、毎回ではなかったし、各投稿への気合の入り方を見ればアファリエイトが目的ではなかったことは間違いない。あくまで趣味の範囲で嗜まれていたはずだ。
怒涛のように新しい記事を書き続け、ある日突然居なくなってしまったのだ。
これまでのところ、ブログでの実質活動期間はわずか半年程度。
本当にこのまま居なくなってしまったら、さながら東洲斎写楽である。
彼は何故沈黙してしまったのか?私はずっと真相を推理している。
「自然死」の可能性が低いと考えている自分としては、何か更新できない事情があるに違いないという前提で論を進めてみた。
まさに「写楽は何者か」みたいなミステリーの世界であるが、そのいくつかを紹介してみたい。
※ ※
仮説1「ネット環境不備」
推理の初動段階で考えたのが、彼の使用していたPCがそのまま壊れてしまったという仮説である。不調を訴えていた通り、そのままウイルス等にやられてHDDが破壊されてしまった可能性は低くない。
しかし、故障後4ヶ月間も放置というのは考え難い。このご時世で一たびブロードバンドの恩恵を受けたものが、「壊れたから止めました」ということは中々無いだろう。修理に出したり、ビスタマシンに買い換えるなりの対処を試みたはずだ。
4ヶ月という時間は、問題解決のためには十分な時間といえる。復旧は既になされたと断定して差し支えないだろう。
それにも関わらず更新されていないということになる。
となると次に思い浮かべるのが、マシンが変わったことによって、彼がブログ編集用に設定していたIDならびにパスワードが分からずログインできなくなってしまった可能性だ。
パスワードを問い合わせようにも、メールアドレスまで変更になってしまい、にっちもさっちも…というケースだ。
いっぽう、あれだけの蓄積がなされていた自らのウェブログをそのまま放棄するのは、中々出来ないことだろう。人には愛着というものがある。自然死ではなければ尚更だ。何とかして自分のウェブログを自分のものとして繋ぎとめたいと考えるのが自然ではないか。不本意な更新停止の理由について、何らかのフォローのアクションを起こしてしかるべきである。
そこで各エントリ記事への「コメント」欄が使われていないかを確認することにした。これは読者であれば誰でも書き込みできるから、仮にログイン出来ずとも本人が発言することが出来る。
それから、もし彼がID・パスワードともに紛失してしまった現ウェブログへログインすることを諦めたのなら、その有り余る投稿意欲をぶつけるべく、新しくどこか別のウェブログサービスを用いて続編を始めたと考えることも、不自然な論理ではないだろう。
そのような場合にも、コメント欄を用いて移転先をPRすることが可能だ。続編を始めたならPRしているだろう。
続編が存在しなかったとしても、更新停止について本人から何らかのコメントが見られるかもしれない。
しかし残念ながら本人からのコメントはその後一切されていない。沈黙の理由が語られることはなく、読者からの沈黙を心配するコメントに対しても返答が無いままなのだ。
「続編」の存在を独自に探すことも試みたが、それらしいものを見つけることも出来なかった。
よって故障のせいで沈黙中という説は、いまいち説得力が無い。無事に暮らしてさえいらっしゃれば、どこかで必ずネットを見ているはずだ。
私はこの仮説1を先月末には放棄した。
※ ※
仮説2「出奔・浪人」
第二に、自らの意志で「中年侍」を封印してしまったという仮説。
ブログといえば「炎上」がしばしば取り沙汰される。
有名人ブログの炎上は3面記事になったりもするが、それは一般人である我々にも十分起こりうる。犯罪行為等を書いた場合がそれだ。変態でキチガイである私の場合、過去の投稿で危険な部類のものが結構あったりするのでヒヤヒヤものだ。
炎上発生の場合に取るべき手段は色々あるらしいが、鎮火まで沈黙期間を置くというのは常套手段のひとつと思われる。裏を返せば、沈黙の理由のひとつたりえる。
が、中年侍殿のそれに関しては、炎上の形跡は全くないし、そもそも炎上するようなことは一切書かれていない。素朴で私的なウェブログであった。
彼を自重させる外的要因は今のところ見当たらない。
となると、沈黙を続けているのは自発的な意志によることになる。
もしかしてウェブログを通じて関わりつづけてきたネット社会に疲れ、嫌気がさし、ネットという名の仕官先から出奔し浪人されているのかもしれない。
そう言えば、投稿の中で「ツーリングの日記を一気に書くのが大変だ」というようなことをこぼしていた。
また、日中勤務のサラリーマンにも関わらず、夜中に眠れなくてPCへ向かいひたすら投稿を書く、というような発言があったことも記憶している。これは少し心配なエピソードだ。
あるいはネットそのものが嫌になるまでは至らなかったにしても、何らかの理由から「中年侍」を演じつづけることに疲れてしまった。そして、ひとり静かにお腹を召されたのかも分からない。「切腹」を決意するふとしたきっかけが、仮説1によるPC故障に起因した静養期間にあったというのなら、あり得ないストーリーではなさそうだ。
彼はネットへ向けて積極的に発言することをいっさい止め、私の憶測をよそに「元」中年侍として、今は静かなネットライフを送っているのかもしれない。
ところで、自然死した個人ブログの「死因」のうち、「ミクシーの日記へ移転」というケースは案外多いのではなかろうか。
ミクシーを始めとしたSNSがコミュニケーションに重きを置いているのは上述の通り。
ブログの投稿とミクシーの日記を比較した場合、自分の書いた投稿に対して読者から何らかのレスポンスを得ることができる(いわゆる「絡んでもらう」)可能性はSNSの方が断然高い。
一方、アクセスカウントを重視し不特定多数の人間に一方的に何らかの情報を発信するツールとしてはブログに軍配が上がるだう。これは両者の性質の違いに起因する現象といえる。
そんななか、従来よりブログを活用してきた多くのユーザーたちは、ある時「自分の場合、ブログよりもミクシーの方が使えるかも」と感じる場面に直面した。
これまた現在の流行と言えるが、すなわちネットを通じた未知のユーザーとのコミュニケーションを、魅力的に感じるユーザーは多いのだ。
ミクシーの登録IDがブログの開設数を超えているのは、その裏づけではないだろうか(ミクシーにも休眠IDは多いが…)。
コミュニケーションを目的にブログを開設していたユーザーがミクシーに移転してしまった事例は、果たしてどれほどあるのだろうか?
残念ながら統計のような物を見つけることは出来なかったが、自分の周囲ではこういうケースを複数件目撃している。
ちなみにミクシーにはアクセスログ機能を利用し自らのページへアクセスを誘うネズミ講的コマーシャルIDも多い。商用利用が禁止されているせいでアファリエイトが存在しない代わりの抜け穴なのだろう。しかしここではあくまで大多数の一般ユーザによる一般的利用を前提に話をした。
自分に関して言えば、上述のようにリアルでもバーチャルでも友人は少なく、どちらかというと1人で静かなのが好きだ。いっぽう、気心知れた相手とのやり取りでまでシーンとしているかというと、そうでもない。むしろかなりフランクだ。
現在のところ、私は両サービスの良い所取りをして使い分けているつもりだ。
ということでまた話が逸れたが、例えば中年侍殿が遅ればせながらミクシーの存在を知り、これこそ自分の求めていた活動の場であると悟ってしまった可能性もある。今まで苦労してブログをせっせと更新し、他のブロガーとの連携を強めてきたが、その努力に空しさを覚え、ミクシー等のSNSで心機一転し、積極的に活動しているのかも知れない。
だがその場合も、これまで築き上げてきたブログによるコミュニケーションまでを放棄する必要があったのだろうか。彼にとって「中年侍」という役は不本意なものとなってしまったのだろうか。
また東洲斎写楽別人説があるように、中年侍殿も実はそもそも別の誰かが創造した架空の人格ということもあり得るのだろうか。
今ひとつ納得行く説明が得られず、仮説2にも今のところ謎が多い。
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仮説3「身上に異変」
第三の仮説、これはあまり考えたくないのだが、事故説だ。
つまり「ポール死亡説」みたいなものだ。これはあまり考えたくない。
まさか既に故人となられてしまったとは思えないが、ブログなんかやってる場合じゃないような、致命的な問題が発生したのではないか。
この説については、これ以上考えることは出来ない。
※ ※
結局どのような理由があるにせよ、中年侍殿の意思は不明のままであり、私には何も出来ないしこれ以上何もするべきでない。出来れば帰ってきてもらいたい気持ちは正直あるが、私は彼の意志を尊重したい。失礼な詮索は十分し尽くしてしまった。ここで何らかの呼びかけをするつもりもないし、私はただ黙って成り行きに任せるだけである。今後何か状況に変化があるかもしれないし、無いかもしれない。ただ見守るしかない。
1300万件の中うちたった1件、ほんの小さな出来事のお話でした。