人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

今日をもって

2006年05月31日 | ただの雑談
あるフリーメールがサービスを終える。
自分がよく使っていたし、人にも薦めてきたフリメだ。色々と思い出深い便りが交わされた気がする。
その最期に対する手向け的な感慨は、別にない。

人はいつだって現在を真剣に生きているだけだとぼくは思います。
歴史とは、現在からみた過去です。「過去の出来事」をジャッジするのが歴史。だとするなら、歴史をほど個人の主観に頼るものは無いと思います。
美術や芸術といった「形のある過去の文化」は時代を超えて今にその姿をそのまま伝えてくれます。その意味で文化とは生きた歴史です。誰がなんと言おうと、その姿は何時何者の目の前にも同じ姿をたたえている。そこには本来個人の主観に基づくジャッジはほとんど存在しない。それらしいものが存在したとしても、「流行」みたいなチンケな括りで掃いて棄てられると思いたい。

人が後世に残すもの。それは人の営みそのものしかない。
「●●さんは~でした」という、ある人に関する伝承的な出来事は、後の誰かの脚色が横行しがちな気がしてならない。後からどうとでも言えてしまうのです。
だから、たとえどんな評価をもらうにしても、「自らが自らを形にしたもの」こそ、真の歴史たりえると思います。

ぼくが自分の死体を晒し骨として残したいのは、名も無きいち市民の生きた証として、ぼくの望みの象徴を自らのボディに託したいから。こんな時代だから、こんなものが残った。身は体を表す。所詮いくらぼくがワールドカップをウザがる天邪鬼的な要素を持った人物であったとしても、21世紀を生きる現代人という括りからは逃れようがない。

ぼくが語った言葉であるメールやこのウェブログのような下らない文章は消えてなくなったほうが良い。「その時ぼくが真面目であった」ことのみを伝えるという崇高で儚い役目を終えたこのようなツールは、後世に何の価値も伝えない。今消えるのが理想なのだ。何故ならこの時代を象徴するべき優れた「文化作品的つぶやき」が他にいくらでもあるからだ。

リアルに残るのはぼくの骨だけで良い。1000の言葉より、ぼくの骨1本の方が多くを語るはずだ。

ということで某メールサービスよ、さようなら。
バックアップはぼくの記憶の中にだけ。

また最近聴いた音楽

2006年05月29日 | 70年代ロック雑談
連休前盗難に遭った話をした。この時現金のほか実はCDプレーヤーも盗まれてしまっている。まあプレーヤーは我らがアイワ製の安物なんで痛くも痒くもないのだが(いや、痒いくらいのことはあるかな…)、なにより痛いのが中に入れてたCDを盗られたことである。といっても別に光栄の「サウンドウェア」みたいな恥ずかしいCDが入っていたからではい。CDを盗られてしまい、結果手許に残ったのがジャケットとケースとライナーノーツである点が痛いのだ。洋楽ばかり聴くぼくは日本盤CDが好きで結構ライナーとかもコレクションする性質なのだが、「CDケースを開けると日本盤ライナーや帯が完備されているにも関わらずCDそのものが無い」というシチュエーションには、さすがに哀しみの念を禁じえないのだ。もちろんアイワのCDプレーヤーと比べればCD1枚は安いものではあるが、これは金額の問題ではないようだ。ご想像いただけないだろうか?主のいないCDケースの哀しさが。

で、盗られたのはパープルのファイアボールでした。実はその3日くらい前にディスクユニオンで中古で買ったヤツ。800円だった。
以来ずーっとリベンジを果たすべく中古でファイアボールを探しつづけたのだが、ようやく今日GETできた(値段は630円に下がっていた)。まだ開けてもいないのだが、願わくば「ライナーノーツに思いっきりコーヒーがこぼれてる」とか「ジャケットの上下の端がケースに食い込んで破けてる」ようなキズものだったら良いのになぁと妄想してみる。

しかし今日話したいのはパープルそのものではなく、第二期パープルのヴォーカリストとして歴史に名を刻むイアン・ギランのことだ。
これまた昨日ゲットしたアルバムがある。91年に彼が「ギラン」名義で発売した「ツール・ボックス」である。今日はこのアルバムについて語りたいが、長くは語らない。まだ1回しか聴いていないからだ。



ぼくはギランの「スクリーミング」のファンだ。彼のスクリーミング唄法には最大限のリスペクトを惜しまない。ちなみに「スクリーミング」の意味については「シャウト」と何が違うのか最初分からなかったが、彼独特の甲高い叫びがスクリーミングに該当するのだということが判明した。分かり易く言うとスクリーミングとは異様に高音程の金切り声であり、シャウトは音程に関わらず単なる叫び声のこと。
あえて擬音表現するならば、スクリーミングが

「ぉァァァァーーーーーーッ!」

であり、シャウトは

「ギャォッ」

というところだろうか。
もしパープルの「ハイウェイ・スター」をご存知なら、あのイントロのオーヴァーダブされた彼の第一声の雄叫びを思い出してもらいたい。あれがスクリーミングだ(「スモーク・オン・ザ・ウォーター」にはスクリーミングは出てこない、こちらはシャウトのみだ)。
彼のスクリーミングのもう一つの魅力はビブラートにある。異様に高音程の
「ぉァァァァーーーーーーッ!」

であるが、さらに精密に擬音表現するならば
「ぉァァァァーーーー~~~~~~~ッ!」
なのである

同時期に活躍したユーライア・ヒープのデビッド・バイロンはじめ同様のことをやるシンガーも多いし、それはそれで好きなのだが、やはり迫力ではイアンには及ばない。
アルバム「イン・ロック」のラストを飾る「ハード・ラヴィン・マン」を聴いていただきたい。

「I’m a ha~rd lovin ma~n、
 ィやェェェェァァーーーーーーー~~~~~~~~~~~~~~!!!

ぼくはホモではない男性だが、あの声を聞くと背筋にゾクッと来るものを隠し切れない。パープルでは有名な「チャイルド・イン・タイム」はじめ惜しみなくスクリーミングを披露するイアンだが、ぼくの中では「ハード・ラヴィン・マン」こそがベスト・オヴ・スクリーミング・ヴォイスである。

ところが、再結成後のパープルやサバスの「悪魔の落とし子」では一切それが聞かれない。スクリーミングはやらないのだ。これらを聴いたぼくは、イアンが喉を酷使したことでもはやスクリーミングが出来ない体になってしまったものだと思ってとても悲しかった。そしてそれはある程度真実だったらしい。ところがウワサによると、その後の彼のソロで全盛期に負けないくらいスクリーミングを効かせるとんでもない盤が1枚だけあると聞いていたのだ。それこそがこの「ツール・ボックス」なのである。

聞いてみた感じ、サウンドは普通にHRのノリである。再結成DPが好きなら普通に聞けるだろう。他のイアンのソロを知らない自分にとって全く違和感がないが、彼はR&Rやらポップやらカントリーなんかにも興味があったらしく、なかなかHRのアルバムを作りたがらなかったらしい。なので当盤は熱烈なファンにとっては待ち焦がれていたもののようであるし、そういう意味でも内容には申し分無いが、とにかく感動したのはウワサどおりの部分だ。

これぞイアン・ギラン!
スクリーミングの嵐!
まさにスクリーミングだけ聞いてくれといわんばかりに、叫びまくりである!はっきり言ってぶったまげた!

ミュージシャンのうち、シンガーほど年齢による経年劣化を免れない職業は無いが、当時45歳という年齢を考えればこれはもはや偉業の部類である。70年代の力強さがそのまま再現されている。しかもそれは「復活」である。30代で早くもノドの故障でなりを潜めていた特技が、もうご馳走様なくらい全曲にちりばめられているなんて!よく出来たよね…はっきり言ってこのアルバムはすごい。ぼくのようにギランの絶叫が好きな方は、是非当盤を手にとって「パーフェクト・ストレンジャー」のミイラ状のヴォーカルなんか屁でもないくらいのギラン節を堪能してほしい。ぼくもこれから聴きこむつもりだが、いやあホントたまげたよ。

ちなみに当盤は発売当初の日本盤を中古で525円で手に入れた。モノの価値というものは、蓼食う虫もと言われるとおりである。ぼくなら本盤が万一盗まれたなら、3000円出してでももう一度欲しいと思うだろう。

EL&P「トリロジー」

2006年05月25日 | 70年代ロック雑談


一般的にELPと言えば71年発売のセカンド「タルカス」にサードの「展覧会の絵」の2枚である。
続く4作目がこの72年の「トリロジー」。
次の5作目が73年の「恐怖の頭脳改革」(良い邦題だと思う)で、「悪の経典#9」という当時LPの片面に収まらなかった長尺モノで評判だ。
一般的にこの「トリロジー」は名盤と名盤の間に挟まるイマイチ地味な盤という評価らしい。パープルで言えば「ファイアボール」に相当する位置付けだ(不思議とジャケットもファイアボールと似た印象を受ける)。

ELPのファンはエマーソンによる近現代的クラシカルな曲作り(もしくはアレンジ)に一番惹かれるのだと思われるが、同時にイエスと並び長尺モノにこだわる傾向も大きい気がする。残念ながらこの「トリロジー」には片面いっぱいを塞ぐような曲は収められていない。このことのみが当盤をイマイチ地味な存在という評価に閉じ込めてしまっている気がする。

個人的には、ELPの作品中ではこのトリロジーこそプログレファンではない人間にも薦められる普遍性のあるアルバムではないかと思っている。メロディアスな佳曲あり(「永遠の謎」、「トリロジー」他)、短くまとまったシングルふうナンバーあり(「ホウダウン」「シェリフ」)、パープルの「イン・ロック」に収まりそうなリフ中心のハードナンバーあり(「リヴィング・シン」)、クラッシックあり(「奈落のボレロ」)という具合だ。一般的なELPらしさを求める向きには不満が多いかも知れないが、トータルの出来はファーストアルバムを大きく上回るし(インプロヴィゼイションの少なさ。ただし個人的にファーストは「未開人」があまりに強烈で、この1曲だけでご馳走さま)、ELPの底力をよく表す名盤だと思うのだ。

ぼくはこのアルバムでは短いけど変化に富んでまとまった「シェリフ」、それから風変わりなタイトルナンバーがお気に入りだったりする。特にタイトルナンバーは冒頭のメロディアスなバラードから一転して暴力的&チープなモーグの嵐に移るあたりのダサカッコ良さがたまらない。ボヘミアン・ラプソディみたいな「コレは冗談でしょ?」的な割りきりが出来ない、「もしかしてマジ?」と思わせる中途半端なところが良い。
今聞くとアナログシンセの音色そのものは新鮮であるが、モーグの第一人者たるエマーソンの使い方はどうも現代人のセンスにはマッチしない気がする。たとえるなら豚骨ラーメンもしくは秀吉の茶室のようなコテコテした趣なのだ。
本作の一部でそんな悪趣味な面がやけに目に付く。その一方でワビすぎている部分も鼻につく。有無を言わさぬELPワールドとやや一線を画して、味付けがアンバランスな感じがするのだ。
本作にはそもそも良い素材が集まりすぎているのではないか。つまり作曲面での充実が顕著なのだとぼくは思う。「ちょっと厳しかったけど、なんとか伸ばして20分にしました」的な部分が見当たらない。その結果がこのアルバムだとするなら、ELPはもうちょっとアドリブに頼った冗長なプレイをコテコテに塗ったくって聴かせた方がハマるのかもと思える。それなのに、例えば「永遠の謎」の冒頭部分なんかは、作曲は凝っていながら物足りない感があるのだ。
好みにもよるかもしれないが、要するに全体的な曲作りに凝った分アレンジの濃淡にムラが生じている印象があるのだ。エマーソンがかつての自作曲をピアノでセルフカバーしたりしているが、本作収録曲をピアノソロでやったりしたら作曲の良さが伝わってかなり良いのではないかと思う。また「永遠の謎」を「海賊」みたいなオーケストラアレンジでやってもかなり行けそうな感がある。
なおレイクの単独ナンバーである「フロム・ザ・ビギニング」のみが浮いているのは、タルカスを除く他のELPのアルバムと変わらない。余談だがレイクの本領発揮は、皆は否定するがぼくはやはり「ELP四部作」のレイク面が出色だと思う。
本作発表後に初来日を果たした彼らであるが、その際ベースボールファンだったグレッグ・レイクが長嶋茂雄に当盤をブレゼントした逸話は有名らしい。今でも長嶋家にはこのアルバムが収蔵されているのだろうか。
タイトルは「3部作」を意味する。タイトルナンバーが3部構成となっていること、3人編成のバンドであること、スタジオ録音では3枚目となること等々色々な理由がこめられていそうだが、86年の「EL&パウエル」のジャケットや、89年にエマーソンとパーマーが別のボーカリストを迎えて制作したアルバムのバンド名が「3」であったことを考えても、彼らはやたらと3という数字にこだわるらしい。

酒のせいであまりまとまらないが、隠れ名作度はイチオシのアルバムであります。

天気予報

2006年05月24日 | ただの雑談
~4月の番組改変で21時55分の女こと荒嶋恵理子さんを見なくなってしまった。昼間出ているのかな?今彼女はいずこに…?~

ぼくはテレビ放送をほとんど見ないのだが、今日は放送の話。
公共放送自体には特別思い入れは無いのだが、民放があまり好きでないので、放送による情報収集はもっぱらNHKに頼ることになる。最近取り沙汰されている受信料も現在はしっかり銀行引落しで払っている。以前のぼくは、NHKしか見ないくせに受信料を払わないどころかクレームをつけて契約解除をしようとした不届きなDQNであった。
ちなみにテレビでもラジオでも民放が好きでない理由というのは、その騒々しさにある。ぼくは静かなのが好きだ。人の話し声や笑い声がひっきりなしに聞こえるような状況は、家の外だけで結構ウンザリである。せめて家の中や車の中くらいは自分だけの静かな空間であって欲しい。自分が都会派でなく田舎派なのはそのせいだと思う。よって放送を受信するなら、なるべく抑揚がなく淡々としていて、それを視聴しているぼくに何らの心情の変化をもたらさない方が望ましい。
車の中で普通ラジオをかけるならFMだと思う。関東ではJ-WAVEあたりが定番だろう。しかしぼくはAMのNHK第一が多い。NHKの1時間に一度やるニュースが大好きだ。何度見ても聞いても心が安らぐ。同じニュースが何度続こうが、あるいはニュースの内容がどれだけ悲惨であったとしても、ぼくは例外なく心安らぐのだ。このままずっとニュースをしていてくれと思う。どんな下らないニュースでも良いから、ニュース状に数十秒にまとめ、歯切れよくネタを続けてもらいたい。
ぼくはもともと野次馬精神旺盛でアクシデント関係大好き人間であるから、事故はもとより大雪が降ったり台風が来ると例外なく興奮する。しかし台風の場合はさらなる特典として、NHKの台風情報というのがある。これはテレビ放送時間が終了となる深夜であっても、ひたすら台風の進路と状況を実況天気図と併せて放送しつづけるのだ。ラジオの場合、夜更かしチョイワル老人向けの「ラジオ深夜便」も中断して、ひたすら台風情報をやったりする。
この台風情報に、ぼくはたまらない安らぎを感じるのである。いつまで経ってもニュースをやっているというこのシチュエーションが、一生続いてくれればと思う。台風が居なくなってしまった後はいつだって寂しい。
ちなみにその次によく視聴するのが、これはラジオの場合だとFMになってしまうが、放送大学。講義の内容自体には興味があることもあるし無いこともあるが、とにかく教授が淡々と喋るだけという設定が中々良い。テーマが日本史だとついつい見入ったり聴き入ったりすることもある。

そんなわけで、今朝7時30分くらいにNHKラジオ第一放送で天気予報を聞いた。
きょうの関東は「晴れのち雨」というのが凡その予報の内容であった。午前を中心に晴天なのだが、午後になると上空に寒気が入り込み荒れた模様になるというのだ。
よくこれを「大気の状態が不安定」と表現される。「不安定」とさえ言ってしまえば、「もう雨が降ろうが槍が降ろうがあとはシラナイヨ」という無責任な発言に聞こえてあまり好きではない。しかし今日は違った。名前は知らないが、気象予報士であろう女性キャスターが、落雷や突風や雹が起こりうるという今日の午後の天気を最後に総評して、間違いなくこう云い放ったのだ。

「今日は何が起きるか分かりません」

天気予報でこの発言というか表現はかなり画期的ではありませんか?ぼくは感動を隠し切れなかった。「ブラボー!おお…ブラボー!」である。今後もこういうのをやってくれれば良いなと思う。外れそうな予報を「不安定」というオブラートで包んで苦し紛れの予報をするよりは、もう予測不能で何が起きるか分かりませんと開き直ってしまった方が歯切れが良いし、何より聞いてる自分もあきらめがつく。

今激しい雨が降っているが、これから何が起きるか楽しみである。

オモチャをもらった

2006年05月16日 | バイク雑談
職場に復帰しいつも通りの仕事をしていたところに、我々の隣室を借りているテナントのオバチャンがやってきた。
「ドライバー貸してドライバー!」
何に使うのかと問うと、原付を廃車するのでナンバープレートを取り外すのだと言う。自動車税のシーズンであるが、乗らなくなった原付に毎年1000円払うのがばからしくなったそうだ。ぼくはその原付がテナントビルの脇にホコリを被って放置されているのを知っている。

「捨てるくらいならぼくにくれませんか?」

半分冗談でそう言ったら、

「エ!それ助かる!じゃあげるから手続とかも全部やって!」

ということで、突然大きなオモチャをゲットしてしまった。
さっそくモノを見に行ってみた。
ホンダのパルという原付だ。
書類やキーはちゃんとある。走行は3000km台。書類によると、彼女が2000年4月に中古で買って登録したことが分かる。自賠責が2003年4月に切れているので、最短でも満3年熟成されていることになる。いい頃合だ。
イグニッションを回す。もちろんランプ類は一切反応しない。
ガソリンタンクを覗く。ちゃぷちゃぷ言っているので、サビはそれほど心配なさそう。しかしその匂いは半分腐っている。キャブレターの中はドロドロしていそうだ。
キックを下ろす。エンジンが掛かることを期待したのではない、キックが下りるかどうかを確認したのだ。無事キックはできた。焼き付きは無いだろうし、シリンダーがサビているようなこともなさそうだ。3年程度なら大丈夫なのだろう。
タイヤも見事にヒビわれているが、フラットスポットは無いみたいだ。

こいつを引き取ってレストアすることに決定した。というのも駅までの通勤に現在のコレダ号では少し面倒なのと(収納がゼロだから)、メッキだらけのコレダ君を駅前駐輪場に野ざらしにしっぱなしな点に少し気が引けていたのだ。
再生の後は通勤専用号として使用したいと思う。

さっそく廃車申請書と譲渡証明書を作成、彼女のハンコをもらってきた。こいつらをお役所に提出すれば正式にぼくのものとなる。
レストアにあたってはまずはパーツリストを入手しなければ。原付のエンジン(自動変速ミッションの部分)って一度開けてみたいと思っていたんだよね。

今日は楽しいオモチャをもらってごきげんである。

人格障害なのか(続)

2006年05月13日 | ただの雑談
自分の場合は主にリアルな知人との連絡程度にしか使わないが、「ミクシイ」というSNSに入っていたおかげで、自分と同じような症状(?)を持っているらしい人の日記なりウェブログをたくさん読むことができた。
全員がそうとはいえないが、自分と同じような傾向のある物の考えをする人には似たような日記を書いているケースが多い気がした。一見自分勝手極まりなくて遠ざけたくなるようなイタイ類の文章であっても、「普通に自分が思っていることを書いただけ」って考えてみると、ものすごく同感できるものが多い。自分を外から見るとこういう感じなんだなというのが、少しつかめた。というより自分のウェブログがイタイことを知った。

また何物にも程度というものがあるであろうが、そういう中では自分はそれほど深刻な社会非適合性を抱えているようではないらしい。

今現在ウイルス感染が大分よくなり、抗生物質のおかげか色々なトコロが良くなった気がする。
これを機に自分の人間そのものをOHしてみたい気分である。

人格障害なのか

2006年05月13日 | ただの雑談
ドクターストップによって出勤停止が3日続いた。こういうのが引き篭もりのきっかけになるのかもしれない。確かに今の職場は非常にイヤであるが、かといって来週の月曜から出勤できないつもりは、毛頭ない。

何気なく引き篭もりに関連したキーワードでネットなど見ていて、「回避性人格障害」という単語に当たった。
自分は占いとか心理学とかはほとんど興味がないのだが、精神医学のジャンルでは人格障害というのに10種類くらいの分類があって、その中の一つなのだそうだ。
引用するとこんな感じだ。

次の7つの診断基準のうち、4つ以上が当てはまります。

1)人から批判、否認、拒絶されるのを恐れて、仕事で重要な人と会わなければならない機会を避けてしまう。
2)「好かれている」と確信できる人としか、付き合おうとしない。
3)恥をかかされたり、ばかにされたりすることを恐れて、親密な相手に対しても遠慮してしまう。
4)人が集まっているような社交的な状況では、批判されないか拒絶されないか。とそればかり考えてしまう。
5)「自分は人とうまくつきあえない」と思っているため、新しい人間関係が作れない。
6)「自分は社会的にうまくやっていけない」「自分にはいいところがない」「人よりも劣っている」などと思っている。
7)「恥をかくかもしれないから」と思い、新しいことを始めたり、個人的にリスクを冒すようなことに対して。異常なほど引っ込み思案である。


「このうち4つ」とあるが、自分はきっかり4つ当てはまる。4つなのでギリギリだから微妙と思いたい気もするが、当たっている4つがかなり強固に当てはまってしまうのだ。1、2、4、5だ。どうやってもこの4つは絶対に外せない。というより、「この4つのうち1つでも当てはまらない人間なんて、居るんだろうか?」という疑問さえある。だけど当てはまると人格障害なのだから、健常な人間は当てはまらないのだろう。それほど自分にとってこの4つは身近な存在だったことになる。
これは恐ろしいことだ。

また別のサイトからの引用では次の通り。

このタイプの人たちは、一般的に自己評価が低いような印象を受けます。意識しているかどうかはわかりませんが、何らかの劣等意識を持っていて、それを誰にも知られたくないと思っているのかもしれません。
人間関係は表面的そして形式的になってしまいがちなので、ごく親しい友人とのみ関係を持っていることが多いようです。
とはいっても、このタイプの人たちは「人間嫌い」ではありません。逆に、人間関係を求める気持ちはかなり強く、一番の関心事でもあるのです(これが分裂病質人格障害との違いです)。
それにも関わらず、このタイプの人が人間関係から距離を保たざるを得ないのは、自己評価と自己理想とのバランスの悪さが影響しているようです。
「社会的に認められている」「美人である」「才能がある」など、「~のときだけ、自分はOKである」という限定が強すぎるのです。


> 自己評価と自己理想とのバランスの悪さ
なんか自分の宿命をズバリ言い当てられてしまった感すらある。

同じく引用。

また、境界性人格障害と異なり、拒絶されると怒りを向けるのではなく、引きこもり、いじけた様子をみせます。

> いじけた様子
このウェブログなどがまさに良い例だろう。

自分は人間嫌いかと思った時期もあったがそうではない。本当は誰とでも上手にコミュニケーションが取れたらいいと思っている。だけどできないのだ。できない自分はみじめである。みじめになりたくないから、しないのだ。
ただし人間全てが苦手なのではなく、対象が限定的ではある。自分は同世代もしくはそれ以下が苦手なのだ。同世代より上というのは、年下の自分を可愛がってくれるケースが多いと思いこんでいるし、そもそも上の世代と仲良くなりたいとあまり思わないので、逆に普通になじめてしまう。

また人格障害そのものというのは、

自我の形成期における家庭内環境など様々な外的要因が、生まれ持った気質と相俟って一般には思春期以降に表面化する。

なのらしい。10代から20代はじめを振り返ると、ものすごく思い当たるフシがある。

またこの回避性というのは往々にしてニートや引き篭もりに見られる障害であるのだという。
自分は幸い表面上社会生活をまともに営んでいる。職も安定して勤めているし、妻もあれば子もある。生活に支障をきたすようなことはない。欠点をひとつ挙げるならば友人がかなり少ないことくらいか。なのだが、一見普通なこの社会人生活が、いつ破綻するかも分からない脆弱性を秘めたものであるのだと言われれば、なるほどそうかも知れないという気もする。
表面上はまともだが、いたるところ地雷だらけなのは自分が一番よく分かっている。ニートも引き篭もりも、いつも自分と隣り合わせなのかもしれない。

単なる性格と思ってそこまで気には留めていなかったが、もしこれが病気なのだったとしたら一度対決する必要があるのではないか。勝てるのだろうか。不安になってきてしまったよ。
先日も通ったばかりだし、とりあえず病院に行ってみようかなと真剣で思ってしまう5月の夜であった…。

たばこ増税

2006年05月11日 | ただの雑談
たばこの増税である。

ぼくは消費税増税は賛成だ。消費税がかからない人は居ないからだ。そういう意味では公平な税金ではないか。直接税だと課税されない人が世の中にはあまりに多い。

しかしたばこ税は…。もう吸うか吸わないか、それだけで影響の有無がはっきり分かれる。酒税も5月から変わったが、自分はトレンドに逆らった嗜好らしく影響は皆無だ。たばこが嗜好なのか病気なのかは大きい問題らしいが、どっちであるにせよ特定のモノを購入する人間にのみ差別的に課税されることになる。つまり増税=特定商品の値上げという図式である。

みなさんおなじみのマイセンが今度から300円。節操無く色んな銘柄を吸ったぼくがマイセンシリーズで唯一好きだったのはプライムのブルーの方。あれなんか発売と同時に300円だったから、今度から330円なワケ?高っけー…。


まぼくはタバコやめたから全然関係ないけどね!


と言い切りたいのだが、いつまた吸うか分からない。愛煙家と非喫煙者の間を行ったりきたりする蝙蝠男としては微妙な心境でこのニュースを迎えた。前回の増税時はバリバリ喫煙者だったから単純にムカついてたけど、やっぱタバコは百害あって一利なしなんだよなあ~。
都合の良い話であるが、自分の禁煙中だけは、タバコ吸ってる人間がホント哀れで愚かに思えてしかたない。
タバコの味って吸い続けてないと微妙な違いが読めなくなるんだよね。数ヶ月タバコやめていきなりピースライトを吸っても全然あの甘さが分からずただ煙いから不思議なものだ。大体自分のパターンとしては、


禁煙→復活(軽めのメンソール)→成熟(ピース等の芳醇な味わいへ移行)→また禁煙


を繰り返している。今年もう一度学生になることが運命付けられている自分としては、またこの時に吸いだしそうな気がしてならない。どうやら中毒ではならしいので、吸わない時は何の苦労も無くホントに何ヶ月も吸わないんだけど、むしろそのせいで「自分はいつでもやめられるから」と思って再喫煙しがちなような気が最近してきた。これでは結局生涯吸い続けているのに等しいではないか。本数自体は相当落ちているのは間違いないのだが…。

よって4月より今年度の目標を定め実行しているところである。すなわち、いきなり「絶対吸わない」ではなく、ひとまず「絶対買わない」から始めた。よくよく考えるとものすごく他人様に迷惑を掛けている目標のような気がするのだが、今回の増税でますますその思いは強まった。
とにかくぼくは買わないので、ぼくに請われて下さる方にごめんなさいの気持ちでいっぱいだ。

人生初 c/w ホンダウルトラG2

2006年05月10日 | ただの雑談
 


バイク事故で入院したわけではない。
点滴を打たれたのだ。ポッチャリした若い女医に
「脱水症状を起こしてます。点滴しときますので」
と言われて、「エぼくがですか?」と問い返してしまった。そんなオーバーなと思ったんですが、3週間くらいずっと体調悪く、単なるカゼかと思っていたら数種類のウイルスに感染していて、今現在ゲリなのだがこいつがロタウイルスとかいうそうで、体調は自分の想像以上に悪いのだそうだ。白血球が9500という異常値だそうで(多いらしい)、知らないうちに発疹とかも出てるし、今週は出勤停止を命じられてしまった。
アル中のぼくなのに、このところ酒が喉を通らず飲めない日が多かったのもうなずけると思った。我が5臓6腑のうち肝臓だけは今頃ホッとしているところであろう。
ちなみにぼくは2月に牡蠣にあたってノロウイルスとかいうのに感染したばかりである。

診療室とは別の専用部屋へ通され点滴開始。要領は注射と一緒。腕の中に冷たいものが注入されていくのが分かって不気味。薬剤は「ソリタT3」と書かれている。この薬は聞いたことがある。
実はロタウイルスというのは先日チビが感染したばかり。ヤツを経由してぼくにも伝染ったに違いない。で、小児科で飲み薬で処方されてたのがの「ソリタT3顆粒」とかいう。そういや点滴と同効果とか言われたっけ。ウチにまだ余っている。これを飲んでおけば済んだのだろうか。
1リットルはありそうな薬剤が全て注入されるまでに約30分かかった。この間ヒマなので携帯をいじくり記念撮影もしてみる。

点滴終了後ほどなくして今までの体調不良がふっとんで超元気になった。脅威の点滴パワーである。
今後当面は食べられるものが制限されていて、中にはウチには無いものも多いため、そのまま勢いでスーパーに買出しにでかけた。まずたらみ(現在サイトリニューアル中。ぼくが買ったのはこういうやつ)のゼリーを買い込む。この数日胃が気持ち悪くて特に朝食はゼリー以外中々喉を通らないからだ。あとは2月のノロウイルス以来はまっている「ウドン」がOKらしい。それから脱水症状予防のためのエイクエイリオス(=アクエリアス)も欠かせない。買い物中、今は元気なのでもう少し食べられそうだと思い、卵ボーロも購入。
ちなみによく見ると卵ボーロでなく「乳ボーロ」という商品名である。帰って調べて分かったのだが、地方で呼び名が違うらしい。乳ボーロというのは主に関西だそうで、今回自分が買ったのは大阪前田製菓というメーカーのものであった。

さて何気なく平日昼間のスーパーという珍しいシチュエーションをもう少し楽しもうと思ってフラフラしてみた。そしたらこの結構デカ目の地元のスーパーで、トンデモナイ掘り出し物を見つけてしまった。
ヘルメットに目がとまり自転車コーナーに足を運んだときのことである。
そこにはバイク関連ケミカル商品もいくつか置いてあった。中心はやはりスクーター向けの2ストオイル。こういう店でお約束の得体の知れないメーカーのが沢山ある。聞いたことも無い怪しいメーカーによるDOT3のブレーキフルードなんかもあって見ていて楽しい。そんな中でいつもぼくが愛用しているホンダ純正のウルトラG2を発見。何気なく値段を見て目を疑った。いつも1100円程度で購入している。通販とかでもどんなに安くても900円とかだ。これがなんと税込み790円ですよ。はじめはワングレード下のウルトラG1の値札かと思ったのだが、G1は置いていない。最近はオイルにも製造年月日が刻印されているのだが、3月末の日付なので古くもない。こいつを掘り出し物と言わずしてなんと言おう。
ということで病院帰りだというのに迷わずこんなモノを購入。たぶんこのスーパーはバイクオイルの市場価格はあまり調べずに、仕入れ値に他の食料品とかと変わらない薄い利益率で値段設定をしているのではないか。
怪我の功名とはこういうことを言うのであろう。今度からオイル交換時はこの家から一番近いスーパーで買うことにした。

なお昔8cmCDとかのタイトルによく書かれていた「c/w」というのは、「カップリング・ウィズ」の略である。

VTR250の油脂類交換作業メモ

2006年05月09日 | メンテナンス実演(VTR250)
ひとまず整備が終了したので、2年間2万キロで油脂類がどんなもんなのか、また交換時期はどれくらいが妥当そうなのか、および今回の交換作業におけるVTR250の整備性について、時系列で、写真を交えながら説明してみたい。

まずは第一にガソリンタンクをはずさなければならない。タンクを外すにはガソリンコックにつながる2本のチューブを外す必要がある。フーエルチューブおよびコック用の負圧チューブであるが、先日も書いたとおりコック部で直接引き抜くにはスペースがタイトすぎるために、コックから伸びた先の分岐ジョイント部で管を抜く必要がある。このためタンク取り外し時にはコックから短いホースが2本ぶら下がっている状態となる。
分岐ジョイントはいずれもバイク右側のタンク下へまとめられており、かつ特に工夫せずともそのまま手が届く場所にあるためアクセスしやすく取り外しも容易。こういうホース類の抜き差しの仕方には人によって色々作法がありそうであるが、自分は大きめのマイナスドライバーをヘラのように用い、引き抜くベクトルの方向に向かってホースのフチを押しながら、ホースを引っ張るようにしている。大概のホース類はこれで抜ける。ドライバーをホースとニップルの隙間へ差し込むのはご法度。どうしようもない場合は自分は556を吹き付けるが、これも人によってはゴムを犯すので良くないという。厳密には自分が使っているのは556ではなくスズキ純正の「スーパータプトン」という潤滑剤だ。今までのところこの潤滑剤が悪さをしてゴム部品が犯された経験は無いということを、一応付け足しておく。

ガソリンタンク取り外しはこのように容易なのだが、問題は取り付けだ。先日書いたようにコックから直接ホースを抜くことを妨げているのはコック付近の排ガス対策のヘンなパーツだが、タンク取り付け時には、コックからぶらさがるフューエルホースと負圧ホースを、こいつの下をくぐって間から通さないといけない。これが1名ではけっこう困難。最初にタンクをステム側に下ろして支えながら、シート側を浮かせつつ器用にホースを通してからでないと、タンクをフレームへ置くことすらできない。タンクが満タンだったりするとさらに大変である(今回満タンでやってしまった…)。これでは排ガス規制に適応するために人間工学を無視したデメリットと言わざるを得まい(言い過ぎか)。

さてタンクを外したところへ話を戻す。すぐにエアクリーナーボックスが顔を出すので、このフタを開けさえすればエレメントとご対面だ。以前1万km走行程度の時にも一度対面したが、2万km走行後のエアクリはどんなものだろうか。


使用後/使用前


ご覧の通りである。エレメントは4千円弱だったと思うが、まあこれぐらい汚れたなら取り替えてもいいだろうかなあという感想だ。なおエレメント交換のみでテスト走行し、吹け上がりフィーリングやアイドル時の様子、エンジンの掛かりやすさ等を比較してみたが、何ら変化を体感できなかった。つまりこの程度の汚れならば許容レベルで本来の性能を維持できるということだろう。メーカー推奨の交換時期が多分2万kmなので、これで良しということにしたい。どうでも良いが、本来交換するべきはこの汚れたヒダヒダろ紙の部分だけでよいのだけど、周囲のプラスチックとか裏面の金網部分まで使い捨てなのって少しもったいない気がする。分別して捨てるのも大変…

続いてクーラントを抜きにかかる。抜き方はカンタンで、ラジエターキャップ(ガソリンタンクを外すと初めて露出する)を外し、クーラントのドレンボルトを外すのみである。抜き方の順序としては、最初にバケツ等で廃液を受ける準備をし、ドレンボルトを外して出るだけチビチビと垂らしてから、最後にラジエターキャップを外すと良いだろう。キャップを外すと同時に、既にドレンボルトを抜いてある排出孔からチンポからオシッコが出るごとく勢いよく廃液が飛び出す。この順序で行えば、ボルトを抜くと同時に廃液が勢いよく飛び出すより作業性が良いはずだ。
なおドレンボルトはサービスマニュアル(以降SM)記載箇所であるウォーターポンプカバーの他に実はもう一箇所あるので、写真で示しておきたい。


クーラント隠しドレンボルト


すべて排出後にさらにこの隠しボルトを抜いたところ、もう100ccは出たと思う。ちなみに何故この隠しボルトの存在をぼくが知っているのかというと、以前乗っていた同型エンジンのVT250FのSMではしっかりここを第2のクーラントのドレンボルトと記述していたからだ。そのことを覚えていたぼくは、VTRのSMに目を通して、「VTRのクランクケースではこの箇所のドレンボルトは廃止されたのカナ」と思ったのだが、実物を見てみたらちゃんと付いていた。そしてそこからまさしくクーラントを排出できた。よって、VTRのSMは単純にこのことを書き忘れているのだと思う。


クーラントの廃液


廃液の様子は抹茶ミルクと化していて透明感ゼロであった。先にも書いたが新品のクーラントは透明な緑色である。冷却効果そのものは水分によるところが大きいだろうからあまり関係ないだろうが、不凍および防錆効果については劣化しているのかも分からない。が、この液体を見たところでどうという判断は付かない。SMで推奨されている交換時期は4年に一度である。

さてこの後が難関であった。クーラントのリザーブタンクがフレームのヘッド部分に挟まっているのだが、こいつを取り外すのが超難儀なのだ。SMに「キャブレターを外す」と書いてあるのを読んで「マジかよ」とビビってみたが、実際はそれ以上に面倒だった。正直言って、通常の冷却水交換作業時にはクーラントリザーブタンクの洗浄はパスするのが妥当と思った。最終的にこのタンクを取り外してチャプチャプ水で洗い流してはみたが、正直別に洗わなくったって大して困ることはない。リザーブタンクの底にはこのタンクの本来の役目のひとつである「冷却回路へのクーラント補充」用のためのホースが刺さっているから、これを引き抜いてタンク内部をカラにして新しいクーラントを補充しておけば十分であろう。
次回は4年後で良いやと思った。

参考までにこのリザーブタンクを取り外すまでの面倒な作業と、そのことで知ったVTRに盛り込まれていた「経済設計」について記しておく。
結論としてクーラントのリザーブタンクを取り外すにはキャブレターは完全撤去する必要があった。そしてキャブを取り外すには2つのイグニッションコイルを取り外す必要があるのだが、コイルはエアクリーナーケースに取り付けられており、特にフロントバンクの方がタイトな箇所へ盛り込まれており取り外しが面倒。また至る所に例の排ガス規制の関連ホースが絡まっており、キャブに辿り着くまでの作業工程の多さには中々ウンザリであった。
面倒の原因と言えるのが経済設計。これはひとえにエアクリケースが果たす役割の多さだ。エアクリケースは3パーツから成っている。1番上は空気吸入のただのフタ。その下に2番目の樹脂製パーツがあり、エレメントはここに収まる。この2番目がクセモノ。3番目はキャブと直接接続する最下部を構成する金属製のパーツである。
真ん中のエアクリケースパーツが果たす役割を次に書き出そう。

・2つのイグニッションコイルのクランプ
・ウインカーリレーのクランプ
・メインハーネスおよびクーラントオーバーフロウホースのクランプ
・排ガス対策のヘンな装置のクランプ
・同装置からエアクリに繋がるホース
・ブローバイガスの戻しのホース
・キャブレターのオーバーフローホースのクランプ

ざっとこんな感じで、要するに全部取り外す必要がある。

ここまでやってようやくキャブを撤去できるのだ。キャブそのものについては以前よくいじくったVT250Fのそれと同型であるので取り外しや取り付けに苦労することはなかった。
VTのキャブ取り外しでポイントをいくつか挙げるなら、まずキャブの着脱時にはエアクリーナーの一番下部パーツである金属製の皿はキャブ本体に付けたままにしておくこと。この皿でもってキャブのV型バンクをしっかり固定した状態とし、抜き差しを行うのだ。
アクセルワイヤーを取り外し、スターターバルブ(=いわゆるチョークバルブ)を取り外し、インシュレーターのバンドを緩めて引っこ抜く。
引っこ抜くのは意外にアッサリ行くはずだが、取り付け時にはややコツがある。
まずゴム製のインシュレーターだが、これは必ずエンジン側にセットする。そしてインシュレータを留めるバンドのうち、エンジン側だけ気持ち固めに閉めておこう。キャブ側は緩めたままにしておく。キャブを取り付けるときは、フロントかリアどちらかのバンクだけをまず完全に差し込み、もう片方は滑り込ませるのが良い。ぼくはこの時よく滑るようにキャブの口に556を付けてから臨んでいる。ゴムへの影響は知らないが、固いインシュレータゴムに無理なテンションを掛けて欠けさせてしまったりするよりはマシなはずだ。
なお今回初めて知ったのだが、インシュレータゴムにはウラオモテと前後の向きがある(VTの時は無かった、多分…)のでこれも要注意である。インシュレータに書かれた矢印「↑」の指す方向は上の方、つまり空を向くようにして、インシュレータをセットするのだ。
気をつけることといえばこの程度で、エアクリーナーの隙間が狭くて苦労する直列4気筒マシンと比べれば全然ラクであろう。

キャブの撤去が済んだら、次にラジエターキャップをはめる部分を撤去する。ラジエターホースは太いから抜くのに力が要って面倒だが、要領としてはガソリンホースを抜くのと変わらない。だけどキャップ周りはとにかく狭い。サーモスタットのマウントを外してラジエターホースをずらさないと無理であった。作業性は極めて良くない。なぜここまでしてクーラントのタンクにアクセスしようとするだろうか?自問自答しながらの作業であった…

ようやくクーラントリザーブタンクと対面。このタンクがまた経済設計で複数の役割を担っており面倒なのだ。タンクは下部にクワ型に2本の「足」が生えていて、それぞれの足をビス留めする形でヒートガードのためのスカート状のゴムをぶら下げている。このビスが2パーツから構成されていて外し方がよく分からない。ぼくはペンチで半分破壊して取り外したが、幸い再利用に支障がなかった。クーラントリザーブタンクは1箇所だけフレームにビス留めされているが、ぼくはこれに気づかず強引に引きちぎりビスを破壊してしまった。こういうことはいちいちSMには書かれておらず、パーツリスト(PL)でどこになにが付いているのか事前に確認した方が良いだろう。


ヒートガードのゴム


しかし実際オーナーだからそこまでやる気になれるが、バイク屋に頼む場合はそこまではしてもらえまい。オーナーならば自分の車種のことだけをいくらでも詳しく知っておけば良いが、バイク屋はあらゆる車種を扱うだろうからそうはいかない。特定車種ごとのノウハウをどれだけもっているかはそのバイク屋の経験次第である。知らない車種、不慣れな車種の場合は知識に基づいて手探りで作業するしかあるまい。DIYでオートバイのメンテナンスをすることのメリットやデメリットは色々あるだろうが、ぼくとしては、愛車によく慣れておけばプロに頼む以上にいい仕事ができることがある、と思っている。
実際に以前別の車種でバイク屋のお世話になったとき、タンクにキズをつけられたり、カプラーの挿し忘れでメーターが動かなかったりという経験があったからだ。まあ頼まなくてはいけない時は頼めば良いが、極力自分で面倒を見れるようにしておこうという気になったのは、そういうきっかけがあったのだ。

さて、写真の通りヒートガードのゴムは、クーラントタンクとあわせて丸い口が開くようになっているのが分かるだろうか。この丸い部分がラジエターファンのモーター部を囲む仕組みである。後の組みつけの際、この穴をメインハーネスが通っていたかどうか忘れてしまい、結局2回やり直す羽目になった。正解は、メインハーネスはここを通らず、クーラントタンクのクワガタ足より上を通る。穴を通るのはラジエターファンモーターのケーブルのみ。別に取り外し時にしっかり確認しておけば間違いないのだが、自分はコレで痛恨の二度手間を踏んだのであえて強調したい。取り回しを間違えると、あとでエアクリケースのクランプにメインハーネスがどうやってもはまらなくなってしまうのだ。

実際の作業は昼前から行っていたのだが、ここで日が暮れてしまった。以降は2日目、残すはクーラント注入のほか、フルード交換、プラグ交換といった普通の作業である。

2日目の作業はクーラント注入から。用意するクーラントは希釈後でほぼ1.5リットル。冷却循環器内部は1リットル少々なのだが、リザーブタンクに400ccばかり入るのだ。

ここでLLC(ロングライフクーラント)に関する脱線をひとつ。今回ホンダ純正のLLCを用いたが、これは「原液」と「50%希釈済み」の2種類が発売されている。今回ぼくが買ってきたのは「原液」。水道水で薄めて使う。この希釈に際して水道水をそのまま使うかどうかは意見の分かれるところである。というのも、ご存知の通り水道水は沸騰するとカルキというのが発生する。ヤカンにこびりつくアレである。冷却水は当然のことながら高温に晒されるため、水路の中にカルキがついて汚れになるというのが「水道水そのまま使用否定派」の言い分である。実際のところどうなのかはよく分からない。意外にホンダ純正の希釈済LLCも水道水で薄めてあるだけかも。
否定派が言うところの対応策としては、一度沸騰させてカルキ抜きをしてから使うか、水道水ではなく蒸留水や精製水を使うというものである。
ウチには過去に沸騰後の湯冷ましで作った50%LLCがPETボトルに入れてとってあったりする。実はコイツ、なんだか使う気にならないから取ってあるのだ。というのもこのLLCを透かして見ると、ミジンコみたいな浮遊物がワンサカ漂っているのだ。その正体は、PETボトルに起因するのか、はたまたカルキなのか分からない。唯一言えるのは、ウチのヤカンは沸騰させてもカルキが全く付かないスグレモノであるということ。逆に沸騰させてもカルキが抜けてないのか?と勘ぐってしまう。
自分の場合は、今後相棒のVTRの冷却水を何度も交換し水路にカルキがたまってしまって循環を妨げるようなことは起きなさそうだ。そうなる前にとっくに色んなところがダメになってバイクそのものがオシャカになっていそうな気がするのだ。
しかし何気なく大型スーパーで見かけた「バッテリー補充水」(=精製水)や、薬局で売ってるソフトコンタクト洗浄用精製水が、1リットル100円とか200円程度なので、とりあえず今回は無難にコレにしようかということにした。
バッテリー用は、一緒に置かれている「バッテリー超強化液!」みたいのがなんか色々アヤシイ添加物が入っているので、一番安い自分のお目当て品に単なる「精製水」と書かれていても、何だかなあと思ってしまう。用途もバッテリー液の補充に限定されている。対するコンタクト用の精製水は使用方法が限定されておらず、複数上げられた用途の中に「バッテリー補充液として」なんて書かれていたりする。こちらのほうがより間違いなく「精製水」な気がする。ということでソフトコンタクトレンズ用の精製水を1リットルばかり購入してきたのであった。
これらをジョッキの中で混ぜ合わせる。指定は50%なのだが、今回は40%程度と薄めにしてみた。これも昔のVTとの比較であるが、VTは30%指定だった。濃さによって何が異なるかというと凍結温度である。濃いければ濃いほど凍りにくいのだ。凍るとナニがマズイかというと、コップに氷を入れて冷凍庫に入れたら割れるのと同じ理由である。バイクのエンジンも一発死亡してしまうらしい。
とは言え30%でも氷点下16度まで凍らないというのだから、北海道にでも住んでいるのでなければ30%で十分なのだろう。
一方で冷却効果だけ考えると理想的な効果を果たすのは実は単なる水なのだという。LLCを「不凍液」と言うのはそのためだろう。

さて話を元に戻しLLC注入の場面へ。注入方法は単にラジエターキャップを開けてここから注ぎ込むだけ。口元まで注ぎ込んだらキャップを開けたままでエンジンを始動し冷却水を潤滑させる。これによって水路内に残ったエアをキャップ口からポコポコと抜いてやるのだ。
先日も書いたが、エンジン始動にはガソリンが必要であるにも関わらず、ラジエターキャップはガソリンタンクを撤去しないと顔を出さない。整備性が悪そうだと考えた所以である。しかし色々想像してみると、ひょっとしたらタンク真下の方がラジエターよりも高い場所にあるからエア抜きがしやすいとかいうメリットがあるのかも知れない。
ひとまずLLCをトクトクと注ぎ込み注入終了。続いてエア抜きだ。
エンジン始動の前に。このエア抜き作業にもコツがあって、実は始動前に主だった混入エアを抜いておくことが可能だ。作業はカンタンで、冷却水のホースを至る所でモミモミするだけ。特にVTRはウォーターポンプからラジエターまでムチャクチャ長いホースが生えているので、ここは責めのポイントだ。「オラァ!」と言いながらもみもみもみもみもみ…(これをぼくは「手コキ」と呼んでいるが、誰にも話したことは無い)。すると注入口からポコッポコッと大きい泡が浮かぶ。このポコをドピュッとも言えるが、言わない。と同時に注入口の水面が下がるのでまたLLCを補給。これを繰り返して泡が出なくなくする。また脱線だけど、この長いホースがなんかイマイチ垢抜けないんだよね。ダブルクレードルフレームのVT250FC、FEは、この部分はフレームパイプが冷却水路を兼ねていた。それが本来の姿なのかなと思う。しかしVTRの長いホースの方が手コキしやすいのは確か。

さていよいよエンジン始動。前述の通りガソリンタンクを乗せるは一苦労なのだが、タンクを載せるとステム側のボルトのすぐ付近にラジエターキャップが位置しているため、タンクを浮かせて覗き込みながらアイドリングできることが分かった。バイクのトップブリッジ付近にしっかり頭をうずめて微動だにせずアクセルを一定にアイドリング、たまに7000回転くらいまでスナッピング。傍から見たら自閉症だと思われそうだが、そういう誤解のないようにしっかり「作業用ツナギ」を着て整備を行っているから安心だ。手コキが功を奏し細かい泡がプチプチ出る程度だ。5分ばかりでエア抜き終了。想像したほどは苦労しなかったなという印象であった。VTで同じ作業をした時は、アイドリング中に注入口を覗いていたらどんどん水位が上がり、突然風呂の中でオナラをしたごとく泡がドバッと出てビビった記憶がある。

さて残るはブレーキフルードとプラグの交換。
ブレーキフルード交換は特にVTRだからといって特筆すべき点は無い。2年経つと写真のようないい感じの飴色であるという程度か。ちなみにリアの方が酷かったように思える。作業に使ったのは一般的なホースとペットボトル。ペットボトルのキャップに穴を開け、そこへホースを差し込んだものだ。以前何かに使って余った耐油性の緑色の透明ホースがあったので、これを用いた。フルード交換時には、排出されるフルードの色で中身が入れ替わったかどうかを確認するのであるから、無色の透明ホースを使った方が良かったと思った。実際いつフルードがきれいになったのかがよく分からなかった。


2年熟成


プラグ交換は2度目である。前回1万1千km程度で交換だから、9千kmぶりの交換である。一応自分の持論ではこれでもOK。目視的には写真の程度。やや電極が擦り減ってはいるものの…。


使用後/使用前


交換作業は車載工具のプラグレンチを使うのがセオリー。だけどあのバイク屋さんが持っている長くて先端がクネクネ曲がるプラグレンチも欲しいと思った。というのも、VTRのプラグはフロントは交換しやすいのだが、リアバンクには普通のメガネレンチがほとんど入らず、結局もう一度ガソリンタンクを外したからだ。
なおVT系エンジンのプラグ交換で一点だけマストポイントをあげるなら、必需品として「OA用スプレー缶式エアーダスター」を用意すること。はっきり言ってVTのプラグキャップ周りは構造的に砂や小石だらけとなる。このまま遠慮なくプラグを交換してシリンダー内に石を落としたら、エンジンが亡くなる可能性がある。プラグキャップを外したら、プラグネジを回す前にかならずプラグホール付近に向かってこれでもかとエアーダスターを吹き付けこれらのゴミを撤去してもらいたい。これだけはぼくと約束して欲しい(誰が)。
プラグ締め付けの際は、ネジ部にモリブデングリスを塗るようにしている。「熱によるかじりつきを防ぐ」とかヤングマシンとかで読んだ気がするからなのだが、効果があるのかどうかは知らない。あとは何だい、最近のNGKのプラグはパッケージに締め込み回転数のイラストが描かれているのか。以前はこんなのなかったなあ。イラストに従って手で回せなくなったところからさらに180度ばかりレンチで締め込む。このパッケージは型番等の表示を含めて一切日本語が使われていないことに気がついた。このままの仕様で輸出できるということなのだろうか。

翌日整備終了のVTRに乗って「野菜ツーリング」に出かけてきた。ツーリングの詳細は気が向いたら書くかもしれないが、この時思った。

昨日までと比べて、明らかに全域トルクアップしている…。

エアクリ交換後の試運転では感じなかったことだ。車両購入直後の、あの「コロコロトコトコ」と低回転からよく粘るVTRならではの乗り味が蘇った。裏榛名のコーナーを10000回転で全開で抜ける時も、いつもと異なり回しただけパワーが着いて来ている(従来比で)。持論を修正することにした。

プラグはケチらずさっさと換えた方が良い。

続・最近聴いた音楽

2006年05月03日 | 70年代ロック雑談


ドナルド・フェイゲンがいきなり新作を出した。帯には「13年ぶりのソロ」と書かれている。ソロが13年ぶりなのは確かに間違いではないが、フェイゲンとスティーリー・ダンを「別物」と考える人間はほとんど居ないだろうから、事実上は2003年のダンの「エヴリシング・マスト・ゴー」以来ということになる。
誰もが感じたであろうが、彼等というか彼にしては、製作ペースが早い。これっぽっちも待つ前に出てしまった。前作の「エヴリシング~」も「なんと3年ぶりの新作」という帯の見出しの通り異例の短いインターバルで発売されたものの、発売予定日を知ってしまって以来何度も延期されて今か今かと待っていたのに、今回のフェイゲンの新作「モーフ・ザ・キャット」は店頭で見るまで知らなかった。はっきり言って店頭で見た時は度肝を抜かれた。これはいったいどうしたことだ。

内容はと言うと。ダンのアルバムではやらなそうな曲…確かに13年前の「カマキリアド」になら入ってそうな(尻切れトンボなフェイドアウトも含め)比較的単調なtr4を除いては、前作「エブリシング」の延長と言えそうだ。それより何より、ウォルター・ベッカーのあのピロピロプチプチいうギターが聴こえないところが一番違うだろう。前作「エヴリシング~」ではファンキーなノリの曲が少なかったが、本作はいくぶんファンキー。この辺もカマキリ号との繋がりと捉えられなくもない。なお本作はフェイゲン曰く、ナイトフライ、カマキリアドに続く3部作の最終作なのだそうだ。
ぼくは語れるほどロックを聴いてる人間ではないけど、ジャズやフュージョンとなるとさらに完全に黙るしかないくらい、とにかく聞いたことが無い。クラッシックは好きなのにジャズが駄目なんですな。だからフュージョン系のダンは例外。いやダンは一応は「ロック」のくくりだから例外ではないのかもしれないけど、やはり彼らを語るならそちらの畑にも通じていないと駄目でしょう~。なので音楽的なことに関してはあまり触れられませんが、今回気付いたのが、例の2000年の「2アゲインスト・ネイチャー」以来彼らの周囲を固めている顔ぶれが、今のフェイゲンの気分に相当マッチしてるんだろうなあということ。

元々コンポーザー指向だったフェイゲンとベッカーのコンビが、うっかり5人組のバンドでメジャーデビューしちゃったというのがダンの始まりだった。クセのある得意フレーズを連発する固定メンバーにすぐに嫌気がさして、あたかもシンセにプリセットされたアレンジパターンを選択するような要領でとっかえひっかえプレーヤーを何人も使っていたのがいわゆる「黄金期」のダン。確かに「エイジャ」「ガウチョ」みたく1曲1曲演奏者のクレジットが全然違うってのは、それぞれのプレーヤーの持ち味を最大限活かす音作りによって究極のスタジオヲタクという名声を欲しいまにしながら、何だかチョット異常な感じもする。
で、このやり方で一旦行き詰まりを迎え破綻する。

なんだけど聴衆が彼らに求めてたのがこの破綻した方法論だったりするんだよねぇ、何にせよ「黄金期」がそれだから。再結成後最初のスタジオ作「2アゲインスト~」ではちょっぴり肩肘張りすぎてぎこちない感じがあったものの、以降スティーリー・ダンは若いプレーヤーに囲まれほぼ固定メンバーの「バンド」に収まってしまった。それが残念なファンはきっと多いはずだ。「やっぱりガウチョみたいのが聞きてー」とか「ラリカル出せーガッドを出せー」とかいうファンの物の怪のような声が、ぼくにははっきりと聞こえてくる。

だけどぼくは今のフェイゲン(およびベッカー)の充実ぶりはかなり注目に値すると思う。

これは自分の想像の域を出ないが、「エイジャ」の頃、フェイゲンとベッカーは曲作りにおいてもゲストプレイヤーに相当な依存をしていたに違いないと考えている。具体的には、作曲のうち和音・コードの部分「のみ」において。「エイジャ」で明らかに今まで使わなかったジャジーな凝った和声を突然多用するようになる。実はぼくはコードの名前はあまり知らないのだが、多分11thの-5とかそういうコードね。これらはプレーヤーによって後天的に彼らにもたらされたと考えるのが妥当であろう。彼らは当初比較的シンプルな和音を用いて制作したデモ曲(コード進行自体は相当凝っていただろう、「ドクター・ウー」や「エニー・メジャー・デュード・ウィル・テル・ユー」みたいに)を、そっち畑のプレーヤーに演奏させることでマジックが産まれることに気が付いた。そうしてこれらの、当時で言うところの「クロスオーヴァー」的な語法をダンの2人はしっかり自分たちのものとして吸収していったに違いない。「ヘーそういうコードがあるんだ!なら今度からは作曲の段階から使ってみよう」という具合で。そうぼくは考えている。

ダンの一時解散を挟み、「ナイトフライ」を発表するまでに、フェイゲンはほぼ現在の作曲スタイルを確立したのだろう。その後どういうスランプがあったのかは知らないが、10年以上の時間を経て93年の「カマキリアド」でフェイゲン&ベッカーは仲良く復活。「カマキリ~」はフェイゲンのソロ扱いではあるが事実上ダンの作品。ライヴ活動によるコンビ正式復活後、ややインターバルを置いて発表された「2アゲインスト~」はほぼ特定の顔ぶれで制作されている。
80~90年代の空白は長かったが、彼らはかつてゲストプレーヤーから学んだ語法を消化することで、プレーヤーに大きく依存しないでも描きたいサウンドをおよそ表現できる術を手に入れたのではないか。現在ダンの周りを囲む顔ぶれは、かつてのような依存対象としてのプレーヤーではない。ダンの2人が作り出す素材に、彼らのお眼鏡に適ったスパイスを利かせることでその役目を果たす、70年代とは異なった「専属バンド」なのである。

だから現在フェイゲンらはまさに水を得たサカナのごとく、創作意欲のおもむくままにレコーディングが出来る状態なのに違いない。黄金期に比べればややクオリティは劣るのかも分からないが、それでも00年、03年、06年と3年ペースで3枚のアルバムを発表できたことは見逃せないファクターだ。いまやダンの2人はアメリカにおける第一線で通用する長寿ミュージシャンとしてエアロスミスに並ぶ高年齢なのだから。ちなみに、いわゆる傑作と言われるエイジャ、ガウチョ、ナイトフライは77年、80年、82年という間隔での制作である。
こう思えばあの「黄金期」も彼らにとっては現在のスタイル確立に至るまでの「過渡期」だったのではなかろうか。現在のフェイゲンとベッカーは、とっかえひっかえのゲストプレイヤーはもう要らない段階に達しているのだ。だから安心してペンの趣くまま曲作りに専念できるのだろう。還暦を間近に控えたオジサンたちにしてはモノすごいパワーである。20代の輝きだけではなく、歳を重ねることでより深みが増していく…これが実はロック畑とジャズ・フュージョン畑の一番の違いなのかもしれない。
今回のアルバムがダン名義ではなくフェイゲンのソロ名義であることに、ぼくは現在の彼らの余裕すら感じ取るのである。ライナーによればなにしろベッカーもソロアルバムを企画しているとか。「黄金期」の方法論に固執するファンの気持ちが、分からないでもないが、ぼくは今は暖かく見守ってあげようと言いたい。おそらく彼らはそう遠からずに次の新譜を届けてくれるに違いない。この数年と同じようなやり方で。この独特の凝ったコード進行とかすれたフェイゲンの歌声が聴ければそれで十分だ。

なお世間ではナイトフライがAORの名盤的扱いを受けているらしいが、カマキリアドはそれほど話題にならないらしい。しかし自分はどちらかというとカマキリアドの方が好きだったりする。多くのダン・フリークの人間にとって、カマキリアドは最初の3曲の軽いノリにどれだけ耐えられるかがポイントだと思うし、tr4の「スノウバウンド」、続く「トゥモロウズ・ガールズ」「フロリダ・ルーム」にケチを付けるファンはおそらく居ないであろう。だがぼくは最初の3曲も結構イケル。今回の新作ではtr3、tr4がそれに該当しそうなのだが、いずれにせよスタイルとしてはナイトフライよりはカマキリ号に近いのは間違いない。世間的な評価がナイトフライに及ぶようなことは決してないだろうが、ぼくにはあまり関係がない。

余談だけど、ジャケットの写真。ダン名義のアルバムジャケットには、メンバーの写真が用いられたことは一度もない。どちらかというとアートとしてジャケットも作品のうちと考えているのだろう。70年代らしい考え方といえよう。00年以降の2枚も、最近のミュージシャンのものと比べれば地味で渋いアートワーク。特に「エヴリシング~」のジャケは彼らが70年代に発表した「プレッツェル・ロジック(邦題「さわやか革命」!)」にも通じるまっ渋さ。
一方フェイゲンのソロ3作はいずれも本人が登場している。しかもどれもかなり写りのいい写真だ。ライヴの動画等で見る限りフェイゲンはかなりヘンな顔をしている。中でも口とりわけ唇の形は人間のそれとは思えない(アヒルだ)。ジャケット用写真の撮影時のフェイゲンがおそらく何度も何度も写真写りを確認したであろう姿を想像すると、微笑ましかったりもする…。