人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

スローライフ その2

2004年11月30日 | ただの雑談
大観山道路で何度かリアがロックした。ロックさせるまで踏むことは今までなかったのに、体の調子が悪いのだろうか。日暮れ時に何度もリアから転倒しそうになった。普段この程度のブレーキやシフトダウンではしっかりグリップしたような気がしたのだが、灯りがないせいで人間の方のコントロールが鈍っているのだと考えた。走り慣れない暗闇は本当に怖いものだった。灯りがあれば、という悔しい念を残しながら転倒することなく夕方早々に宿処へ着いた。今ひとつ気分がすぐれなかったものの、酒も入り気を取り直し、宴あけた2日目の朝を迎えた。
別荘形式の保養所を後にして3台3人は再び大観山道路へ繰り出した。昨日は3台で麓から上って怖い目を見たが、今日は頂上から下ることになる。若干霧が出ていたり路面が湿っているきらいもあるが、コンディションは概ね好調であった。そしてやはり太陽の明かりが届いていることに喜びを感じる。自分の体調もよい。ところがこんな日に限ってあとの2人があまり元気がない。ションボリしてしまっている。普段ぼくの先を行くGSX-Rはどんどん視界のかなたに消えるはずなのに、あまりやる気がないらしい。昨日の元気はどこへ行ってしまったのか?WRXも同様である。結局一往復もすることなく途中の駐車場から引き揚げてしまい帰ることになった。御殿場ICまで、芦ノ湖スカイライン、箱根スカイラインという有料路を通って行こうというルートが決まった。
芦ノ湖スカイラインに入ってはGSX-Rが先行した。やはりあまり無理はしていないらしい。いっぽう着いていく自分にとってはこの程度のペースが一番気持ちよい。実にいいペースだ。WRXは基本的にマナー自体は極めてジェントルなため他のクルマへの追い越しがかけられず、後ろのほうへ消えていった。ずっとGSX-Rと並走していたかったが、前方に4輪が現れ道が詰まると250ccでは中々追い越しのチャンスが無い。そうこうで結局3車はバラバラで走ることになったのだ。
実に気分が良かった。タイヤのスミまで使い切るバンクさえできれば、速度自体にそれほどこだわりはない。体調も良好だ。マイペースで気分良く飛ばせた。昨夕の暗闇の時、今はかろうじて生き長らえたが明日はコケるんじゃないかという恐怖があったが、今は全くコケる気がしない。

左コーナーの入口にさしかかる。特別でも何でもない普通のコーナーだ。いつも通りのブレーキングをし、3速から2速へシフトダウンをした。クラッチを切りシフトダウン&軽くアクセルを煽ってクラッチを繋ぐ、このいつもの一瞬の操作、ここで予想外の出来事が起きた。クラッチを繋いだ瞬間リアが暴れた。暴れたとほとんど同時そのまま転倒した。まだコーナーに達していないのでバンクもしていない。ほとんど正立している状態で突然リアが流れ出すとはどういうことなのだ。シフトミスとは思えなかったのだが、結局シフトミスでしかない。負け惜しみを云うなら、タイヤを換えてさえいれば普通にグリップしたのかもしれない。いや負け惜しみでなくて事実そうではないのか、そんな気がして悔しい。とにかくVTRは左側へ倒れそのままズザザザーとアスファルトを削った。このズザザザーが異様に長く感じた。この間運転者の自分がどんな状態であったのかよく思い出せないが、多分バイクと仲良く一緒に滑っていただろう。「まだ止まんないのォー?!」と感じたのをよく覚えている。

慌てて立ち上がる。とりあえず五体で動かない部位はない、無事と判断できた。ジーンズが擦り切れ左のヒザを擦りむいているが、直接アスファルトに擦った形跡はなく全くの軽傷である。次に車体そして道路後方へ目をやった。幸いVTRはコーナーの手前で止まっていたので、後からの眺めは良い。後続車があったとしても、ひとつ後ろのコーナーを抜けた後ぼくを発見してから停止するまでの制動距離は十分あると判断できた。続いて車体を引き起こしにかかる。ハンドルを手に取り、車体を少し浮かす。するとタイヤが回転し車体全体が先のほうへ移動してしまいまた倒れてしまう。これを2回繰り返す。そうか、ここは下り坂で傾いているんだ。とうとうバイクは下り坂の方を向いて倒れている状態になってしまい、最も起こしにくいポジションになってしまった。もう一度起こしに掛かった最中に対向車が現れ、すれ違いざま声を掛けてきた。「だいじょうぶー?」「ああ、だいじょうぶ!」と答えるが、ちょっと浮いた瞬間にまた倒れてしまう。どうやら左足に力が入らない。痛いのはヒザでなく左足首のほうだ。タンクバッグを外して路肩に置き、4度目のトライでブレーキレバーを握りながらようやく車体を立て、路肩へ寄せた。今走ってきた方とは逆を向いて、道路の右端に寄せた形となってしまった。飛ばしていたおかげかとうとう後続車は現れなかったのだが、ようやく数台ずつやってくるようにばった。動くに動けない状態で車体の被害状況を確認した。メーターがザックリ。ウインカーも根元から曲がってる。フロントフェンダーとステップホルダーを擦っていた。フロントがなんだか曲がっているらしく、ハンドルを真っ直ぐにするとタイヤの向きがヘンだ。しかしタンクは無傷だ。ミラーはボルトが緩んでいるのでこれを力ずくで直した。ジーンズのほかジャケットにも穴が開いた。それにしてもWRXはまだであろうかと思っていたところ前方からぼくを呼ぶ声がした。呼んだのはそのWRXだった。知らないうちにぼくを追い越していたようだが気づいてくれて助かった。ちょっと前にクルマを寄せて止めてあるというので、ひとまずそこへ移動することとする。エンジンをかけるべくシフトペダルを探したが…ひしゃげて思いっきり内側に入ってしまっている。なんとか走り出したが左足首が痛みシフト操作が難儀だ。10mほど先の道路わきの砂利の上へすべりこんだ。

(つづく)
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スローライフ その1

2004年11月28日 | ただの雑談
20日から21日にかけて箱根へツーリングへ行った。ツーリングといえばオートバイなのだが、今回は車が混じっている。自分含め全部で3台(3名)で、そのうち1台(1名)がクルマである。車の側からしてみれば小旅行をドライヴと呼ぶのだろうが、こういう場合便宜上自分さえバイクに乗っていればツーリングと呼ぶことにしている。行先を箱根に決めた理由は2つ。第1にぼくの職場の保養所が近くにあるため格安で宿が取れること。もちろん夜は宴席を催すのでこれも楽しみのうちである。第2に箱根といえばワインディング、本来の目的はこちらである。
ぼくはもちろん相棒のVTR250で出かけた。もう1人のバイクはGSX-R1100、クルマはスバルのインプレッサWRX。この顔ぶれは、見た目と裏腹にとにかく遅い…のだったら好かったのだが、そうは問屋が卸してくれない。やっぱり飛ばす。とにかく飛ばす。自称「元」走り屋のWRXはこの前会ったときと違って金色のホイールを履いてきたし、絶対にライダーウェアを着たがらないGSX-Rは相変わらずスニーカーでハングオフだ。この2人はぼくより速い。
夕方5時過ぎには完全に日が落ちた。真っ暗闇の大観山道路をガンガン登っていく2台を自分ははるか後方より望む。実際はそれほど離れてはいないのだが、闇が距離感をあおる。照明のない闇夜へ浮かんでは消え浮かんでは消える2台のヘッドライト。暗闇が視界を遮って全てのコーナーをブラインドに塗りつぶす。怖くて仕方なかった自分は、この風景を形容しようと色々な言葉を考えてみた。しかしとうとう「やつらは変態」としか浮かばなかった。速えー…。
さて、このツーリングでぼくは今までの人生で最大の転倒を経験した。何が最大かといえば転倒時の速度もそうだけど、転倒による被害の大きさがである。実は1日目にGSX-Rも転倒したが、自分はそこまで攻めないからよもや転倒はありえまいと思っていた。

いっぽうやけにリアタイヤが滑りやすくなったなと感じたためそれなりに気は使っていた。思えば1ヶ月前のロングツーリングと通勤によってひたすらタイヤの真中ばかり使っていたことになる。タイヤは新車時から純正で履いているままである。実は今日のために新しくてまともなタイヤに換えようかとも考えていたのだが、交換に待ったをかけたのが我が愛妻であった。曰く「今月はお金がかかってるから」。
確かに今月は金がかかっている。引越しをしたのが10月末日で、11月は新居のための調度品等々で出費が嵩んでいるのだ。CATVの工事もしたし、庭に屋根をつける工事の前払いもあったし、妻は何万もするフトンや照明具やベッドやカーテンを選んでくる。自分でも掛かりすぎたと思う。特に妻は生活調度品に対しては遠慮というものを知らないらしい。いや知ってはいるのだろうが、少なくともぼくとは規準が違う。ぼくがグラムで測るところを妻はメートルで測らなければ話にならないという具合だ。一方でぼくにとってのタイヤを換えるという行為は、妻にとっては粗大ゴミを捨てるのに費用がかかるのと同じくらい下らない事象であるから、容れられなかったのだ。豪華な調度品に囲まれるリビングの中でタイヤの件を拒絶されたため理不尽な感もあったが、今回は結局妻の云うとおりにした。通常は妻のあらゆる助言にほとんど耳を貸さないから、これはむしろ珍しいことである。もちろんそれにもちゃんと合理的な理由がある。
季節である。冬は寒い。それに凍って滑る。よって冬季は例の奥多摩へもほとんど出かけない。使うのはもっぱら通勤ばかりだ。1月のおよそ1ヶ月間は寒いので通勤すらしない。タイヤを履きかえるなら、春になって色々お出かけするようになってからでも遅くないのではないかという気が、しなくもなかったのだ。用途が通勤のみならスリップサインが出るまで使いきっても差し支えないだろう。よって妻の助言を容れた。「ナップス世田谷店で、11月13日に、IRCのRX01という比較的マイナーな銘柄に換える」ここまで決めていたが仕切り直しにしたのだ。
しかしこの日いざ箱根に着いた時、そのスリップサインが今にも出そうな状態になっていることに気づいた。しかも真ん中だけの段減りだ。これはヤバいんじゃないか?と思ったが、GSX-Rの方へこれを話すと「まだ出てないから全然平気!」という。冗談だったのかもしれないがおかげで本当に大丈夫な気になった。ちなみにこの純正のG601とかいうタイヤ、世間ではウンコ呼ばわりだが自分はそれほどではないと思う。バンク時の接地感だけとればリプレイスのバイアスタイヤと大差ないレベルに感じるくらいだ。

(つづく)
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北海道ツーリング17

2004年11月25日 | ツーリングのレポート
さて本題の食堂では。メニューをみると、出ましたウニ丼。これも自分の先行イメージなのだが、北海道といえばウニ丼なのだ。ただし!ぼくはウニが全く好きではない。むしろ嫌いな食べ物だ。素材が高価なせいか、幼少期より自分の成長過程において海産物に親しむキッカケを作ってくれた「小僧寿し」のファミリー価格帯のセットにウニが入っていなかったのが、ウニを好きになれなかった最大の原因であろう。初めてウニというものを認識して口へ運んだのは25歳くらいからだ。あの刺々しい外観から想像もつかないクリーミーさ、ほのかに甘いのにカラシのような黄色、どうしても食料として脳内で焦点を結ばず、食べられないのだ。よってウニ丼を食べるのはウニ好きの妻と決めていた。道北の日本海沿いでは、ぼくの代わり是非妻にウニ丼を食わせたかった。バフンウニとかいう名前のまんまウニがテンコモリ(2800えん)のもあった。結局妻はウニいくら丼(2000円くらい)とした。ぼくはシーフードカレー680円。あいにくウニやイクラに国産CD1枚分ほどの価値を見出せない性質であり、カレーの方がよほどうまそうである。最初妻は自分だけ高いのを食べるのを渋ったが、ここはぼくの真意をよく説明し理解してもらった。

さてシーフードカレーにはイカやタコの破片がゴロゴロ入っていたが、カレーは超適当である。はっきり言ってレトルト並みだ。もちろん自分には十分美味い食べ物だが、これじゃあお世辞にも、凝ったというか上質な味とは云えない。そんなカレーを妻が一口二口ついばんだが、美味い美味いという。ウニイクラ丼のイクラ部分も少々もらったが、ぼくとしてはワサビ醤油をガンガンかけないといまいち海鮮丼という感じが無い。まあ妻が満足そうだからこれはこれで成功だ、昨日の特盛ラーメンと比べれば。午後は羽幌炭鉱をみて帰るだけの予定だった。食堂で地図を広げ今後の道筋を妻に説明する。どうせ戻るなら違う道ということで、廃鉱の探検後はR232を留萌まで南下し、ここからR233で深川市経由で旭川まで東上という案を立てた。妻は地図を見て北竜町というところにあるひまわりの里に興味を示し寄りたいと云うので、ここを経過ポイントと定めた。道の駅を後にし羽幌鉱を目指す。本来なら妻と別行動の1日を設け、ここともう1箇所(昭和炭鉱)を丸1日かけて廃墟三昧の予定であった。サンバーが故障していなければ。クマ出没の恐れもあるので、ファイナルバトルに備えて用意していたナタもサンバーに置いてきてしまった。仕方ないので軽くかじる程度の散策としよう。

PM2:00
道道437~747号と東へ進み、まずは上羽幌鉱跡へ。道道は綺麗に整備されているが、この上羽幌近辺は道道を中心にして旧道のようなものが入り組んでいる様子が散見される。ちょっとこの脇道にも入ってみたが実に怪しい感じだ。妖気がプンプン漂ってくる。出そうだ、出そうだ。だがここでは結局廃墟らしい廃墟は出なかった。草木が深く茂っており、この中へ分け入れば何かあったかもしれないのだが妻もいるし難しい。実際はもっと道の先へ住宅跡なんかがあったらしいが、この時はサッサとあきらめ羽幌鉱へ向かうこととする。上羽幌をあとにし道道741を北上するとすぐ途中左手にちょっと廃墟っぽいものがあった。左折し寄ってみるが、ここも近づけず。お宅跡のように見えた。もっと先まで車の轍がはっきりあるし、妻曰くなにか機械の音がするという。現役の何かがあるのは間違いなさそうだ、お邪魔しては悪いので退散。しばらく北へ進むと、ある道道沿いあるコーナーを抜けた左手に突然、巨大なホッパー跡と立坑跡が突然デーンと現れた。来た来た来た来た来た来たッ!!ここが羽幌炭鉱である。立坑までたどり着くにはやはり藪をかきわけなければならなそうだ。残念ながら妻同伴では不可能といえる。しかしホッパーへは容易にアプローチできた。とりあず記念撮影だ。


念願の廃墟

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北海道ツーリング16

2004年11月24日 | ツーリングのレポート
AM11:30
そんな中、牧草ロールが転がる畑にバイクで進入できる箇所があったので、こっそりお邪魔して写真をたくさん撮らせてもらった。自分の中で北海道と草ロールは切っても切れないイメージだ。このロールをよくみれば、ビニールヒモ状のもので丁寧にしばってある。どうやって作るだろう。妻は、詳しくは知らないが機械で作ると云った。確かに手作業には見えない。それではなんのためにあるのだろう。また道内ですでに見てきた光景であったが、この草ロールを黒や白のビニールで完全に梱包してしまったと思しき物体もよく転がっていた。旅行中は、本来むき出しの草ロールが最近の技術の進歩でああなったのだろうか等と想像していた。実はさきほど調べたのだが、これらはサイレージロールなんたらと云って、サイロの代わりなんだそうだ。サイロっていうのは例のミキサー車が逆立ちしたようなデカイ施設のことであるが、中身は牧草であり、これを発酵させて牛のエサとするのだそうだ。最近は巨大なサイロ設備の代わりに、刈り取ってロールとした牧草を直接ビニールで覆うことでサイロと同じ発酵効果を得ているらしい。ちなみに酪農家の仕事というものも、イメージは乳絞りくらいしかなかったが、実際は牧草の確保や飼料とするトウモロコシの栽培等自給自足で実に色んなことをしているそうだ。単に牛を放牧してそこらへんの草を食わせているのかと思ったら大間違いであった。考えれば当然だが雪に閉ざされる季節は放牧なんて出来ない。あの転がってるロールが年間を通して牛の貴重な栄養分となるというわけだ。なお我々が今回オモチャにしたようなビニールで覆わないむき出しのロールは発酵させず干草となるものであり用途も若干異なるらしい。とウンチクを垂れてみたが、この時は何も知らずに遊んでこの場を後にした。





PM0:00
左手に風力発電の巨大な風車が目に飛び込んでくると、まもなく日本海に到達。苫前町だ。海が見たかった妻もさぞかし喜んでいるだろう。ここからは日本海を左手に眺め潮風をあびながら、オロロンラインともいわれるR232をしばらく北上する。途中道路左手海際の断崖にまた3基ほど風車があったが、真下から眺める風車は本当にデカイ。相当デカイ。しかも結構なスピードで回転している。デニーズやロイホの回転看板ですら真下から眺めて「おおでかいのが回っているすげー」と思うことがある自分なので、この光景は相当圧巻であった。数日後ニュースでみたが、この風車の羽に希少生物であるナンタラ鷲とかいう猛禽類のヒナが衝突して真っ二つになったらしい。あの回転スピードじゃ無理もないと本当に思った。国道沿いの苫前町役場の前を通る。北上する車線に相対して目立つところに凶暴そうなヒグマの人形が置いてあり「苫前だベアー」と云っている。この時はよく意味が分からなかったが、「だべ」というのも北海道スラングだったらしい。ほどなくして、士別あたりから「羽幌○○km」の標識を見て凡その時間を掴んでいた通り、ほぼ正午に羽幌タウンについた。「道の駅ほっとはぼろ」という施設に寄ってみる。海に向かって夕日の眺望がすばらしいホテルと、立ち寄り入浴も出来る温泉が併設されている。これまた他に類を見ない立派な道の駅だ。それに「全室西向き」なんて普通じゃ考えられない間取りだよね。バラが咲き誇るフラワーガーデンも道の駅の多くを占めている。妻は喜んで見に行った。自分的には駐車場以外何も無いに等しい道の駅だ。SRに乗った、北海道ツーリングとじゃ思えない軽装備の女ライダーが周囲の耳目を引いていた。つまり道産子の姉さんっぽい。道の駅の隣に「おろろん食堂」とかいうメシどころがあった。最初はまだハラも減らないしということで寄らないつもりであったが、海の幸系が食べれそうだし、こんな田舎ではランチタイムを外すと食事もできまいという妻の推測に従い寄ってみることにした。かの小林幸子も来た店らしい。なおこの店の隣の土産屋の前ではスルメイカを日光乾燥させていたのだが、イカを円形の洗濯干しのようなところへグルリと一周くくりつけ、電気でこれを回転させている(コンセントが挿さっていた)。イカは遠心力でスカート状に広がって回る。さきほどの風車を超えるほどの速度だ。おまけによく見るとイカたちがそれぞれ手を繋いで離れないようになっている。面白いので動画で撮っておいた。妻もお気に入りの光景であった。


回転いか

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ベルギーの日本人

2004年11月22日 | ただの雑談
突然海外の話である。ベルギーってどこにあるのかも知らないし、何語で喋っているのかも分からんチン。かのオードリー・ヘップバーンがベルギー出身ってくらいでしか聞いたことがない国だ。しかし日本人であるぼくにこんなことを云われてベルギー人が悲しむかもしれない。何しろかの国には超有名な日本人がいるらしいのだ。仕事サボってネット見てて海外サイトで偶然みつけたものだ。彼女の名は「ツノ・ヨーコ」


どうやらベルギーでよく知られたマンガに登場するらしい。いや登場するどころか、まさに彼女がこのマンガのヒロインなのだ。マンガのタイトルはずばり彼女の名前である。1970年ごろから現地の少年マンガ雑誌(SPIROUというらしい)に連載されたようだ。このマンガについて紹介している国内サイトを探したが、どうも見当たらない。このインターネットご時世にあって、日本では彼女のことがほとんど知られていないということだ。
ということで、日本人を代表してぼくが彼女をここで紹介したいと思う。海外サイトからぼくが頑張って和訳したのが次の通り。

姓名:ツノ要子
性別:女性
職業:電機技師

あとはドラえもん並に何でも出来るらしいが、あいにくぼくの翻訳意欲が失せたので割愛する。宇宙船に乗ってエイリアンに会ったり、意味不明の化物と戦ったりと八面六臂の活躍ぶりだ。もちろんバイクにも乗っていた。



スタントマンばりにジャンプしている。80年代より前のバイクはよく知らないのだが、これはおそらくホンダのドリームCB250とかいう60年代のバイクである。いちオートバイファンとして彼女が使用しているバイクの車種を明らかに出来ないことは痛恨の極みであるが、ここでは深追いしない。
小さめの写真ばかり紹介したのだが、是非あなたもyoko tsunoというキーワードでググり彼女の顔を拝んでいただきたい。アップでは結構キツーイ顔をしていたりする。しかし彼女は決してブサイクには描かれていない。西洋人から見た美しい日本人とは、こういうイメージだということなんだろう。

ぼくは人骨言うだけあってかの鈴木尚先生に傾倒しているが、先生が言うところの、歴史時代に描かれた日本人の肖像画もしくは彫刻は如実にその時代の人間の身体的特徴を表すという件について、今少なからず思うところがある。それはこの数十年に限ってはその論は適当でないと思える点だ。なぜならYOKOと比較して、同じ時代に日本で描かれたどの漫画もこれほどまで日本人の身体的特徴を表現はしていないはずだからだ。
この時代の漫画といえばぼくは真っ先に手塚治虫を思い出すが、裏を返せば手塚治虫以降の現代日本人が漫画に描いている人間像とは、人種に関わらないヒューマニズムそのものなのではないか。時代はさらに下り、この10年ほど日本のアニメ産業は世界的にも高い評価を得ているという。描かれている人物が特定の国家や人種を想起させることなく、普遍的な人間そのものを表している点も理由の一つなのだと思う。もちろん技術力や表現力もあるかもしれないし、パリの万国博の時と同じく西欧文化圏に対してエキゾチックなMADE IN JAPANというブランドは健在なのかもわからない。それらを差し引いてもこのことは見逃せないと思う。我々日本人の表現力というのは、写実性はともあれ、なかなかのものであると言いたい。

ぼくはコリコリに凝り固まったナショナリストで兼韓兼中主義者ではあるが、外から見て気づく内側というものは確かにあるのだと思う。だからぼくもキムチと焼肉それに本場辛口の麻婆豆腐が美味いという点だけは素直に認めようと思う。だから中国共産党主席よ、靖国参拝くらい認めてはどうだ。
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北海道ツーリング15

2004年11月18日 | ツーリングのレポート
7月27日(火)

【きょうの行動】

キャンプ場~羽幌~ひまわりの里~キャンプ場400kmくらい




AM7:30
爽やかに起床。昨夜の雨はすごかったと妻は云うが、今は晴れ渡っている。サバイバルに巻き込まれた妻もさすがに爽やかな朝の景色に感動している。借りてきたマットを床に敷き、寝袋を開いて掛け布団代わりに使って寝たのだが、冷え性のぼくは未明は少々肌寒かった。菓子パンと昨日の唐揚の残りを食べる。顔を洗って出発準備完了。妻が海が見たいと言い出した。お目当ての廃墟の一つである羽幌炭鉱は日本海側だから、海を見るついでということにして、ヨシ今日はこちらまわりのルートででかけよう。今朝も昨日に引き続き便意をもよおしてきた。ぼくは和式だと1分くらいで足が痺れて自由に用を足せないので、どこぞの巨大スーパー等へ寄ることに決めた。さて改めてバイクを見てみると、雨で濡れたのはともかく、昨日の雨天走行でエライ汚れていた。ヘルメットのシールドだって虫だらけである。雑巾を持ってきたのは実に正解だった。水道もあることだし、雑巾しぼって清掃しておく。

AM8:30
出発である、ルートはR40を北上し、士別からR239で海を目指し西へ走るというもの。キャンプ場から旭川方面へ走って忠別川を最初の橋で渡り写真甲子園の町(?)東川町へ入り道道1160へ。右手すぐにセンブンイレブンがあった。ちょっとここへ寄って朝飯のゴミを失礼。それだけでは悪いからペットのお茶を購入。一応トイレを借りますと声を掛け中に入ったが、たった今店員が使ってたばかりでウンコ臭いし汚い和式だったのだパスした。ウンコは気持ちよくしたいものだ。旭川市内を避けるため道道37号を使ってからR40に入った。間もなくして比布町に入る。ピップ、ピップ。蘭留、和寒とR40は空いていて快走。国道上前方へ目をやると、雲の影の端の部分が、自分の前方100mくらいのところへ差している。今自分は影の下だが、その先は太陽が当たっている具合だ。この影がさっきから自分と同じ方向へ走っていることに気が付いた。80km/hで雲を追いかけると、かろうじて追い越し晴天の下へ出ることができた。ちょっと減速すればまた雲がぼくを追い越し影の中になる。実に北海道だなあ。この遊びを妻に説明したがどうしても意味が分かってもらえなかった。続いて士別市へ入った。大きいスーパーとホームセンターが並んでいる。すわットイレタイムだ。でも時間は10時ちょっと前。より綺麗そうなスーパーの駐車場へ入ったが、ギリギリ開店前だった。停まっている車たちは開店待ち。なので隣接するホームセンターの方へ向かう。確かホーマックという店だ。こちらも入ってみれば十分綺麗な設備だ。思う存分用を足した。多分20分は粘ったのではないか?気分はあまりに爽快だ。思わず職場へメールを送ってしまった。妻と合流すると、女子便はなんとウォッシュレットがついていたそうだ。だが妻はここで済ませたい気持ちばかりが先行してだめだった模様。もう一度逝ってくると云って、再トライ。がんばれ!

AM10:30
結局不完全燃焼だったようだが、まあしたくないものを無理にする必要もあるまい。気を取り直してGO。士別市内からR239へ左折。丘の中を抜ける快走道路である。美瑛もこんな感じだったが、今日のほうが天気が良い。北海道らしい風景に思えた。一方で左手に不思議な施設がある。付近にトヨタの士別試験場というのがあるらしいのは地図にも書いてあるのだが、雰囲気があまりにものものしいのだ。土手のようなものが築かれていて、境界には鉄条網が張られている。高い土手が一旦凹み出入口らしいものが設けられている箇所があったが、ここは黒幕で覆われていて外部からは中が見えないようになっている。米軍施設並みの厳重警備にみえる。本当にトヨタなのか?そうだとすれば自動車メーカーの秘密主義も大変なものだ。いまだに果たしてトヨタの設備なのか半信半疑のままである。R275と交差するあたりで幌加内町というところへ入る。町の絵看板には「-41.2」という文字が。よく知らないが日本最低記録か何かだろう。どうりでさっきから少し肌寒い気がする。カッパの上着を羽織ることにした。さて道内いたるところでカラスをみかける。全国共通の風景だが、よく見ると見慣れたカラスどもとは微妙に違う。東京にはハシブトしかいないのだが、あれはハシボソガラスなのだろうか?はたまた別の種類だろうか?まあいっか。さてこの先のR239は、何もない高速ワインディングが続く。例によってページを繰れなかったツーリングマップルにも、めくった先に同じようなことが書いてあった。ところでバイクではいつものことであるが、特に人気の少ない道内では走りながらもう大声で歌いっぱなしだ。もっぱら四人囃子の「空と雲」「一触即発」が頭から離れない。後々も北海道のテーマとなりそうだ。「ああ空が破ける/ああ声も聞こえない」これを書いている後日、人の背中で同じ歌を聞きっぱなしだった妻はすっかりこの歌が嫌いになってしまったようだ。霧立峠とかいう山を越えるのだが、ここも酪農家の廃墟のようなものが散在していてかなり触手をそそるものがある。
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北海道ツーリング14

2004年11月16日 | ツーリングのレポート
さて旭川市内に入ったところで、何を食おう。何でも良いので食事のことは妻に決めさせた。ラーメンが良いというので、ツーリングマップルにも出てくるラーメン村とかいうところにしようかと思ったが、市街を走ると信号が多く思うように進まない。上陸後の感覚で地図を見ると目的地まで近いなと思ってしまうが、今までいかに信号が無かったかということができる。加えてガイド通りというのもなんか少々シャクなので、適当に大き目のチェーンふうラーメン屋へ入る。旭川なのに札幌ラーメンの店だ。まあなんでも良いか。ぼくが野菜ミソ、妻が醤油のラーメン、それから二人でギョウザ1枚を頼んだ。出てきたラーメンは、ゲゲッ見事なまでの超大盛り。味は…なんか淡白で深みがない。ラーメンなんてナニ食っても美味いと思う自分だったが、とにかく量が多くて延々と続く同じ味。ギョウサも思い切り解凍しましたって感じで、さすがにこれはしくじった。妻はおそらく美味いものを食うぐらいしか楽しみがないであろうから、悪いことをしたものだと思った。大体この店には客がいない。自分たちが入ってから出るまでの45分くらいの間1名しかこなかった。その1名は車でやってきたオッサンだが、北見ナンバーだった。地元の人間には用無しってことなのだろうか。オッサンも心なしか失策ったという表情に見えた。失意のうちにラーメン店を去り、さきほどのBESTOMで買出しだ。それにしても道民の運転はスピードが速い。それからウインカーを出すのが妙に早い。どちらもローカルな不文律があるのであろうが、郷に入れば郷に従えで、早く慣れよう。

PM6:00
実にでかいスーパーだ。ワンフロアに何もかも全て置いてある。だからペットボトルの炭酸飲料が山積みの大安売りのすぐ裏手でレジャーテントが山積み大売出しだ。門をくぐった瞬間から面食らうものがある。妻が殊勝にもバンガローで飲もうかなどと云うので、遠慮なく酒を選んだ。ワインがいいというので大賛成。だが栓抜きがないッ!結局無駄に買ってしまった。ここで買ったものはこんな感じだ。ワイン一本「おたる」、焼酎1本「サッポロソフト20度」、鮭のくんせい、ポリッピー、明日の朝飯に菓子パン(ぼくはコッペパンジャム&マーガリン!)、殺虫剤「フマキラー」、コルク抜き、伊藤園の麦茶2リットル、紙コップ、鶏肉唐揚、割けるチーズ、変なカマンベールチーズ。特筆すべきはこの「フマキラー」ではなかろうか。たしか198円とかなりの安値だった。マンモスといえる店舗の規模を差し引いても、東京と比べ殺虫剤の店頭在庫数が異常に多い。棚の一角を埋め尽くすほどなのだ。キリングフィールドの頭蓋骨のごとく積み上げられたキンチョールやフマキラーやゴキジェット、圧巻であった。この地方の夏がいかに虫との戦いであるのかを無言で語る光景。ハサミムシ程度の件はとっくに諦めがついてしまった。

PM7:00
買出し荷物を掘っ立てバンガローへ降ろし、ひとまず今買った「サッポロソフト」をひとくち口に含む。この焼酎は瓶が赤玉ワインみたいに哀愁漂ってて良い感じだ。蒸留しまくりのいかにもアルコールって感じの極安焼酎。妻が「値段がヤバイ」と云っていたがその通りだ。まあぼくなら気にせず飲める。温泉銭湯「花神楽」へ向かう。入り口は自動券売機で入湯券を購入するのだが、我々はクーポンがあるので2人で1000円を直接窓口で払えばよい。風呂は階段をあがって2階である。待ち合わせ場所を適宜定めて男湯女湯へ分散。今度はちゃんと洗い場にボディソープとシャンプー兼リンスが置かれている、ナイスッ。露天風呂自体は大して眺望もないが、風呂桶の外、高台にある椅子に掛けると遠く東神楽町の谷間を眺めることができる。暖まった体で涼しむにはナイスだ。体を洗ってサウナへ入り汗をかいてまた体を洗ったため無駄な時間を過ごしてしまった。風呂からあがると妻がすでに出ていた。妻にサウナの失敗を話すと、サウナでかく汗は汚くないから流して出れば平気みたいなことを言っていたが、本当だろうか。向こうで子供たちがはまっているアーケードゲームが楽しそうだ=「太鼓の達人6」。バンガローで飲み会するべくサッサと戻る。大型のコテージも隣接しているが、ここに家族連れが着ていてにぎやかだ。建物の外にも座って飯が食えるタープテントみたいのを張る豪華さだ。虫が入らないよう網になっていてうらやましい。ハサミムシを駆除し、死骸をセロテープに貼り付け表へポイする。ひとまずワインを開けて乾杯だ。それにしてもラーメンで腹いっぱいなのになぜ妻は唐揚を選んだか。妻はほとんど飲まなかったので、ひとりでワイン半分くらい飲んで眠くなったところですかさず表の炊事場で歯を磨き床に就く。妻は即寝たが、ぼくはイヤホンでラジオを聴いて天気予報をチェック。道内なんか雷を伴う激しい雨が降っている地域があるらしい。今のところこのあたりは晴れたままである。なお予報での地域分けに「後志地方」があるが、これを「シリベシ」と読むのが分からず、ラジオでなんて言っているのか分からなかった。天気予報の後もラジオを聞いていると、月曜の夜はジャズ番組だそうだ。スキャットでビートルズのカバーを聴く。さすがに朝早かったので疲れた。10時前には夢の中だったかな。深夜に激しい雨が降ったようだ。
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北海道ツーリング13

2004年11月15日 | ツーリングのレポート
PM1:30
温泉銭湯やらオートキャンプやら色々入口があってどこだかよく分からない。最初はオートキャンプの受付へ入り、ここではない、銭湯へ行けといわれる。銭湯の入口へ向かう。前日の八戸みたく立派な門構えだ。混むという噂であるものの、今夜から風呂はここを使う予定であるから一安心だ。昼真っから大声でおじいちゃんがカラオケをしているのが聞こえる、うらやましい。だがどう考えてもこの風呂の受付でキャンプの受付をしているとは思えない!事前に届いていたハガキを見直すと、我々が借りたバンガローの受付場所が明記されていた。ナンタラという建物の1階となっている。カッパを着て暑いので早く落ち着きたい。慎重に建物を見つけ出し、チェックインを行う。
おばさんが1名、電話が鳴りっぱなしで忙しそうだ。電話が終わるのを待ち、宿帳に記入。昨日1日キャンセルしてしまったのを詫びたが、特に嫌な顔もせず愛想のいい対応であった。4日連泊の申し込みであるが、支払いは1日ずつでもいいし、4日まとめてでも良いという。試みに、28日は別のところへ泊まる予定なんですが、3日だけって出来ますか?と聞くと全然構わないとの返答。その間は他のお客さんに使っていただくので平気だという。でも考えたら荷物はその間も置きっぱなしにしたいので、31日朝まで4連泊の申し込みとした。なにせ1泊1600えんだから構わないさ。自分が借りるのは二人用の小さいバンガロー。クルマ用の駐車場もあるが、バイクはバンガローの脇に停めておいて良いという。ありがたい。「バンガローってやっぱ単なる掘っ立て小屋なんですよね?」と聞いたら「ええもうほんとに床と明かりがあるだけのただの小屋」だそうです。なお例の併設温泉銭湯「花神楽」の割引券を4日分もらった。600円が500円になるそうでありがたい。カギを手に実際そのバンガローへ向かうと…。想像にたがわぬ掘建て小屋っぷりだ。いや想像以上だった。なんというか、三角形だ。まさか三角形だとは思わなかった。テントが木になっただけとでも云おうか、いやテントであっても最近のはこうも見事な三角形はしておるまい。内部は…何か汚ねー。木の床なんか黒っぽいし。思いっきり虫とか出そうだ。明かりは裸電球が1個。以上の設備。床はかなり傾いている。内部に立つと、なにしろ三角だから狭い。床は2畳くらいありそうだが、壁が天井を頂点とした三角壁。地下鉄大江戸線をさらに極端にした感じ。こりゃあヒドイ。妻は蒼ざめている。ので余計にぼくが気丈に振舞わねば。「へーきだってこんなの。床も思ったほど汚くないよホラねそべってごらん?」もともとIQの高い妻には最近この手のハッタリはほとんど通用せず、黙って先ほどの受付へ行き敷物を4日間借りてきてしまった。1個しかない寝袋をこの上に開いて敷き掛け布団とすると。とりあえず眠いから、裸で寝そべっていた。すると背中に鋭い痛みが。「イテッ!?」起き上がるとちっちゃなハサミムシが…。オウノウ。とりあえず撤去。もう1匹見当たったからこれも撤去。あとで買出しの際に殺虫剤も必須だな。バンガローは上部に東海道線の電車のトイレみたいな窓があるが、この付近が怪しい。まだまだ出てきそうな予感が大いにしているが、妻には云わないでおこう。妻はコインランドリーと乾燥機を場内に見つけ、洗濯をはじめた。驚いたことに、全く想像外なことに、ぼくのPHSが通話圏内だった。これには全くおったまげた。ぼくはとりあえず休憩、一眠り。



バンガロー。仮設トイレではない。


PM4:30
洗濯も乾燥も終わったようだ。雨もあがり晴れ間が出ている。今夜の計画は旭川にて晩飯を食って、適宜買出しを行い、最後に花神楽の風呂へ入るに決定。ここからどんな距離だか分からないが道道294号というのを一直線に走って旭川市外を目指す。想像通り中々遠い。途中東神楽市内ではホクレンのスーパー、それからセブンイレブン24時間営業を発見。さらに進みだいぶ旭川市街が近づいたところで左手に「BESTOM」という相当デカイスーパーを見つけた。地方特有の巨大平屋の大規模小売店舗だ。帰りはここに寄ればよいか。旭川市外を取り巻く環状線に当たったところでセルフのスタンドがあった。VTRは購入してこの方セルフ以外で給油したことがないので、ひとまず給油。この時メーターを読んだら本日の走行は約260kmほどであった。燃費を計算してみると、実に30km/lをマーク。普段が街中だろうが峠だろうが大体25だから、当社比20%増だ。もともと燃費の良いVTRであるが、道内の航続距離は30×13で390kmは無給油可となる。心強い。
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北海道ツーリング12

2004年11月12日 | ツーリングのレポート
AM9:30
日高町の樹海ロードとかいう道の駅へ入った。なんというか、道の駅というより雑居商店ビルと云った趣だ。だって普通道の駅にスーパーはないでしょう。妻が一足先に建物内部へ足を運ぶ。ぼくはラジオを取り出しNHKを探していた。さっきから停まっていたXJR1200のオッサンが声をかけてくる。「どちらまでですか?」「あー旭川の方まで。天気が心配で」適当に世間話等しておく。旅人同士のふれあいも北海道ならではなんだろうかな。道の駅の建物内部では日勝峠のライブカメラが放映されていた。2年前、霧と雨の中を職場の友人である志郎君と陽君が釧路方面からほうほうの体で越えたという峠だ。この日高町で宿を取りすぐに風呂へ飛び込んだと言う。あの時、場合が場合ならぼくも同行していたかも知れなかったよな。2年遅れたがついに来たぜ、北海道!商店のほうで妻がサンドイッチセットを買った。これを半分ずつ食し、最後にこれまた妻が買ったソフトクリームを半分ずつ。駐輪スペース前にいるとさっきのバリオスも来たし、ZRX1200のカップルも来た。見た顔ばかりだ。続いてZRX400と黒のバリオスのカップルが来た。意外に女性ライダーも多いようだ。時間は9時55分になったのでラジオの天気予報に聞き耳を立てる。予報は相変わらずだ。先を急ぐ。



見た顔ばかり


続いて現れたのが占冠村。なんか安っぽい酒の名前のようだ。北海道は市町村のうち町は多いが村は少ない気がする。前方にスーパースポーツマシンなのに法定速度遵守という珍しいお方がいて追いついてしまったところ、ここの道の駅に入っていった。

AM11:00
続いて富良野市へ入る。大学時代世事に疎いぼくを誘って、お好み焼きの作り方を知らないのに教えてくれ結局失敗したり、オシャレなバーへ連れてってくれてシングルだのダブルだの得意げに教えてくれながらピスタチオを「これ最高堅えー」とか云いながら殻ごと食べた友人、K松君の実家があった富良野だ。彼は全く音沙汰無しだが元気にしているだろうか。北海道の方言「なまら」を標準語に翻訳した結果「最高」という言葉に落ち着いたとかで、やたらと「最高」を連発していたものだった。さてそろそろ天気がアヤスイ。ずっと走ってきたR237がR38と分岐するあたりにマックがあり、マックに用は無いがシリが痛いので休んでいたら雨がポツポツと降ってきやがった。早めに装備したほうがということで夫婦揃ってフルガッパに。この時不動産仲介屋さんから留守電が入っていたのでかけてみた。担当から折り返し連絡が入り、曰く庭の土露出部分の広さは100cmか70cmかとかいう話だった。100cmと答えて電話を切ったが、すぐかけなおしてやっぱり70cmにしてくれと頼んだっけ。富良野といえばラベンダーが有名だ。ぼくは見たくも何ともないが花好きの妻が興味あるだろうと思い、途中で国道を外れ西側の丘の方を走ってみた。確かにラベンダー畑の丘が多い。どっかの駐車場に入って紫色の斜面を見上げてみる。

ラベンダー畑


続いてかの有名なファーム冨田へも寄ってみた。が、殊勝にも妻が天気悪いし早く着きたいというので、じゃあ明日にでも見るかいということにしてとりあえず引き返してしまった。遠くから見たラベンダー畑は、まあ綺麗といえば綺麗なんだけど、別にこれといった感慨もなく。というか結局雨はほとんど降らず、カッパが暑すぎる。続いて美瑛町へ。美瑛の丘というのが流行りの風景らしいが、この国道を走っている限りそれほど風光明媚な感じでもないなあ。ちょっと裏道へ分け入れば丘に登れるのだろうか。この辺り、天気は曇りだが路面は超ウェット。さっき大雨が降ったという感じだ。国道はあまり広くなく、トラックかなにかが詰まっているのだろうか結構ノンビリと流れている。

PM0:30
東神楽のオートキャンプ場が目的地なのだが、美瑛から富良野線をまたぎ志比内というところを通過していくルートを計画していた。R237から適宜右折するはずなのだが、なんの看板も見ないまま旭川市に入ったので、少し行き過ぎのようだ。Uターンするべく路肩へ停車。それにしても眠い。急に眠くなった。きっとカッパを着たせいで暑いからじゃないか。ということで、雨も降らないみたいだしカッパを脱いでしまった。アクビと涙も収まってきた。気分も改め道を少し戻り、志比内方面への正しい道へ入った。忠別川を越える橋を渡ったが、地図で見る限りキャンプ場は川の手前。どこかでもう一度渡らねばならないのだが、見る限り川沿いにずっと山が連なっている。どうやって渡るんだアレ?ということで結構迷ってしまった。道道1160号というところに当たると今度こそ雨が降ってきた。誰もいやしないバス停へもぐりこみ雨宿りする。待ってもやまないので、早くオシッコしたいという妻の意見をいれもう一度カッパを着た。一度脱いだカッパをまた着るのがすごく嫌いなんだよねぼくは。向こうからスクーターのオバチャンが入れ替わりでカッパを着にやってきたが、荷物からしてどうやら北海道ツアラーのようだ。結局橋まで引き返し、細い山道を雨に濡れながら登った。現場の道標もあったのでこちらで正解だ。ついに東神楽のキャンプ場に着いた。
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北海道ツーリング11

2004年11月11日 | ツーリングのレポート
AM7:10
ついに北海道に上陸を果たした、感無量!相変わらず霧が出ているがひとまず写真撮影だ。





港を出たばかりの場所であったが、いまフェリーから降りたばかりのクルマやバイクが雑用で停まっている。昨夜八戸埠頭で会った4人組も停車していた。無事に乗れたようで何より。軽バン(エブリイ)が1台停まっていたが、ドライバーと家族がイヌ(巨大なゴーリデンレトリバー)2匹と戯れていた。フェリーはペット乗船禁止だったと思うが、車内にとぼけていれっぱなしにしておいたのだろう。9時間ぶりに愛犬と再会を果たしたはずである。その間の水やエサはともかく、クソはどうしたのであろう?車内は相当大変なことになっていたのではないか?まあぼくには関係ない。苫小牧港から東へ向かう道道へ乗る。ここでさっそくカルチャーショック。道路が片側4車線もあるじゃないか!しかもトラックが多くて超ハイペース。それからすぐに気になったのが道路の端に立ってる紅白縞々模様の柱。てっぺんに「↓」型の看板がついている。この看板は一定の間隔でずっと続いている様子だ。そういや写真でも見たことがある。これはいったいなんなんだろう。ちょっと考えてみてすぐに分かった。妻にあれは何だと思う?と尋ねてみてもぼくの想像と同じ返答であった。北海道は積雪地帯であるから、一面雪が積もった時に道幅を示すための矢印なのであろう。さて都内ではデフォルトで60km/hの法定速度で走れる道路はほとんどない。大体指示速度が設定されている。北の住民は余裕で80km/hオーバーだ。その後走り続けて知ったが、指示速度が入るのは国道や道道を問わず市街・宅地もしくはカーブが多いところというのが決まりらしい。この理屈なら都内なんか確かに全部が市街だもんなあ。山道で40km/hの指示が入ると、きつめのカーブが多いという意味。初見の道路を走っていてこの先どれくらいのワインディングがあるのかスグ分かる仕組みだ。それからツーリングマップル。初めて北海道版を手に取ったとき、デカイ文字に違和感があった。縮尺も他の地方1/14万に対し北海道は1/20万なのだ。ゆえに地図としてはかなり大雑把。また冊子としても他より薄い出来上がりとなっている。いくら北海道が広いと言っても、結果がこの薄さなら十分に他の地区同様1/14万で作成できたはずだ。廃鉱ばかり探していた自分としては、もっとリアルに書き込んでくれよーという不満があった。だがこの1/20万の意図は走行していて一発で理解できた。北海道は地図をめくるヒマがないのだ!ハイペースでどんどん進んでしまうのに対し、信号の数があまりに少ないからだ。自分が地図のページを繰るのは必ず信号待ちの時だったのだ。性格もあるかもしれないが、地図をめくるためだけに路肩に停止ということは、道に迷っていない限り中々しにくい。結局走行中ページが変わってもそれっきりということが多かった。
それは置いておいて、沼ノ端ICとかいうところでR235へ入りしばらく南下、R237を目指す。トラックが多い。鵡川町のタンポポちゃん看板だ、事前調査の際北の道ナビとかいうサイトで見た覚えがあるぞ。石油タンクみたいなのにもこのキャラクターが書かれている。フェリーで一緒だった秋田ナンバーの赤いバリオスの女の子を信号待ちスリ抜けで追い越す。左手に見えた朝からやってる食堂にもフェリーで見覚えのバイクが停まっている。R237に入る。80km/hで走っていてもフツーの自動車に100km/hくらいで追い越されていく。こえー。自分は指示速度+20km/h以内を信条としているが、流れが100に近ければそれに従わざるを得ない。後ろの妻が「速いと風が目に入って見えない」と苦言を云っているが却下。結果さっそく後ろで寝てしまった。海沿いのR235は色々と寄れそうな所もあったが、ここは何もなくなった。ただ道がある。なんというか普通の田舎の谷間の道路と言う感じであまり感動はない。が、道の端々にかなり古い個人宅の廃墟のようなものがチラホラと散見される。おおっこれぞ北海道!鉄道記念館なるものがあった。もう名前だけで意味が分かる、昔鉄道が走ってたんだろう。当然そこかしこに鉄道廃墟もあるはずだ。オラわくわくだ!妻が目を覚まし腹が減ったという。じゃコンビニでも寄るかと言いたいが、ほんとに何も無い。看板で16km先に日高という町があるから待ってくれと話した。
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北海道ツーリング10

2004年11月10日 | ツーリングのレポート
7月26日(月)曇り~雨~はれ

【きょうの行動】

苫小牧港~日高~富良野~東神楽のバンガロー260kmくらい




AM4:30
周囲の人たちが荷物をまとめる物音に目を覚ます。カーテンのかかった船窓から白々しく明かりが差し込む。夜が明けたか…時計に目をやる。って、まだ4時半ッ?あなたたち起きるの早すぎるよ!フェリーの到着予定時刻は朝6時半である。6時間は眠れたと思うが、睡眠時間がまだ惜しいからもう一度ウトウトしてみる。しかし結局5時には完全に目が覚めてしまった。通常目が覚める時間ではない。ってことはやっぱり慣れない環境なんでリラックスできなかったんだろうなあ。とりあえず昨日飲み残した焼酎を喉に流しこみ、朝飯代わりに昨夜の「たけのこの里」を2~3コついばむ。万年便秘気味の自分であるが貴重な便意をもよおし、フェリーという不利な条件のなか大にチャレンジ。自宅で使い慣れたウォッシュレットのない生活なのが辛いが、とりあえずは洋式があったので用を足せた。神経質な話題はこの辺までで、昨日1日履いてた靴下とTシャツで元気いっぱいだ。妻は余裕でずっと寝ている。キャンプとかテント泊をサバイバルと称しその手の旅行は嫌だとあれほど云っていたが、彼女の方がよほど耐性を持っているように思える。

AM6:00
窓のそばに陣取っていた乗客がカーテンを開けているので外が見えた。ボンヤリとして何も見えない。曇りガラスなのかと思ったら、外がほんとに霧だらけなのだ。オイオイ大丈夫かよッ。5時55分の天気予報を聞くべくラジオを手に甲板へ出てみる。室外なら受信は良好だ。隅っこで大音量で鳴らしてみた。他に聞きたい人が居るかもしれないからな。で北海道地方は大体今日は午後から雨と。苫小牧からバンガローのある東神楽町までどれだけかかるかは分からないが、なるたけ早い時間に距離を稼いだ方が良さそうだ(なお後ほど天気予報等で知ったことだが、南に太平洋を望むこの近辺はもともと霧が発生しやすい模様だ。帰りに苫小牧港へ着いたときも霧だらけとなる)。カウンターでお茶をサービスしているとか朝食時間帯となりレストランが営業しているとの放送が入るようになった。カウンターを通りかかったらサービスのお茶はしっかり有料であった。フツーお茶で金取るか?仮に無料でもお茶を欲しいとはあまり思わないしパスである。6時になると「霧のため苫小牧港が入港制限につき、到着が1時間遅れる模様」などという放送。しきりに船が「ボー」という汽笛をあげている。港と合図でもしているんだろうか。こないだテレビで初めて観た「未知との遭遇」を思い出した。

AM6:45
結局云っていたほど遅れが出ることなく下船準備が出来たようで、みんな出て行ってしまった。我々も準備にかかる。昨夜の主(ヌシ)が最後まで余裕をかましているので、これにならって最後の最後で乗務員が声を掛けるのを待って下船した。なお主のすぐ脇には室内で唯一と思われる電源コンセントがあって、おそらくあれを確保すのがプロなんだろうな。しかしここに刺さっていた携帯充電器を抜いて持っていったのはヌシではないどっかの若者であった。居場所と充電は別物だったらしい。バイク置き場へ向かうと案の定全員まだ待っていた。4輪車の下船が済んだあと、つまり一番最後に出るのがバイクなのであった。乗船とは逆だが、これは別に構わない。余裕で荷物の中身をタンクバッグとおばあちゃんバッグで分けていると、誰かがエンジンをかけた。もうバイクも下船できるのだろう。自分もエンジンをかけてみたが、荷物を雨から守るべく船内でかっぱらった毛布用のビニールに梱包していたのだが、これがツルツル滑って大変で時間がかかった。さてイザ出発しようと思ったら、周りが五月蝿くて気づかなかったが、VTRは始動直後にエンストしていたようだ。おお、これも北の大地ゆえチョークが要るのか?とワクワクしつつ再始動、我々が出るのを待っている乗務員に妻が謝りながらフェリーを後にする。
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北海道ツーリング09

2004年11月04日 | ツーリングのレポート
係員が乗船券を検めにやってきて、これが済んだ人間から自動車用乗船ゲートへなだれ込む。とにかく初体験なのでおらワクワクしっぱなしだぞ。誘導に従って船内へ入る。パッと見わかりにくいが船内の駐車スペースは多階層構造になっているようだ。2階の床が巨大なスロープになって降りてきていて、ここを登って2階の駐車スペースへ上がる。スロープの穴がぽっかり開いた周囲を頑丈な鉄柵が覆っているが、バイクはこの柵にタイダウンベルトで固定するものらしく、巨大な駐車スペースの一番はじっこに1列に並んでいる。「ギヤいれたままハンドルロックしてくださーい」と手短に言われ、その通りにするとすぐさまシートからタンクにかけて毛布をかけられ床のフックと鉄柵とでベルトでギッチリまかれてしまった。先ほどの乗船手続の際に「荷物はバイクに置いといていいですか?」と聞いたら一応持っていくようにみたいなこと言われていたんだが、並んだバイクは全員フル積載状態のまま。自分もおばあちゃんバッグ以外は置いていくことにした。妻が一応寝袋を持っていくというので、さっき寝袋を持つ一般客の集団を見たりしたのでワケありかも知れないと思い許可した。これが大正解だった。

PM9:00
続いてバイクの客たちは客室へ案内された。我々も乗り込む。まだ客は誰も居ないようだ。一番奥の部屋に案内される。とりあえず先に到着しているさっきのバイクの顔ぶれと同じく、壁際のスペースを確保する。妻は通路わきの端っこを陣取ろうとしたが、風の噂で通路付近は出入りが鬱陶しいと聞いたのでここは避けた(後にここはカーテンがしかれ着替えスペースとなり入れ替わり立ち代り乗客がごった返していた。正しいチョイスであったと言えよう)。ココはバイク専用の部屋になるのかな?等思っていたが、そうではない単にバイクの客が一番に客室に入れるのであった。それ以外の客が後から後から入り込んで来て瞬く間に室内はタコ部屋の様相となった。デッキに出かけた妻はなだれこむ乗客を見て席の確保に不安を感じすぐに戻ってきた。バイクでよかったと役得を感じる瞬間だった。妻が売店で買ってきたビールと「たけのこの里」をたしなむ。船内放送が入り、「毛布の配布については今しばらくお待ちください」みたいなことを言っている。なんかバイク連中の1名に坊主頭でチビでデブのヒッキーっぽい奴がいた。確かアメリカンのでかいバイクに乗ってた。寝袋をサッサと広げ一人分のスペースを確保し、他の客にウンチクをたれている。この男なんだか船旅に慣れた主(ヌシ)の貫禄があるので、その内容を盗み聞きしていると、曰く「この船は短距離旅客扱いになるんで、二等船室は着席状態での席数が基準である。よって混雑してくると、乗客に就寝スペースを取らせないため毛布の配布がされない。今日はとりあえず配布はあるみたいだ」というようなものであった。へぇー、ふぅーん。で、出航後に毛布の配布のお知らせが入る。なんと1枚300円、金とんのかよ!ということでソッコー寝袋を広げ、開いて掛け布団代わりにした。持ち込んだ妻のお手柄である。



奴隷船のようなフェリー内部


PM10:00
フェリーは22時に出航したわけだが、なんかこう足元からガラガラガラガラとエンジン音?がずっと鳴っていて五月蝿い。そして狭い。早く乗り込んだおかげでかろうじて足を伸ばすスペースは確保できたが、寝返りは無理だ。左隣が妻なので、とりあえず左側だけは気が許せる。二人だとこういういいこともある。それでもとても安眠を貪るには程遠い。明朝苫小牧から旭川まで一気にバイクで走るわけで、できるだけ早く寝ておきたいと考え、船内で安い焼酎ワンカップを買ってきた。焼酎をほぼ空にすると、案の定自然に眠くなってきた。ラジオでも聞こうと思ったが船内はどやら受信できないようだ。仕方ない、おやすみなさい。深夜1~2度目を覚ましたが、向こうのスペースから子供の夜泣きがしている。あの傍でなくて助かった。
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北海道ツーリング08

2004年11月02日 | ツーリングのレポート
PM6:00
おばあちゃんバッグは特別にフロントで預かってもらった。この極楽湯という風呂は銭湯にしては大規模で、件のピアドゥ内にあるだけあって新しく綺麗だ。事前調査によれば市内にこういった規模の銭湯風呂が何箇所かあるらしい。そういえば富山の銭湯も有名だったっけ。雪に閉ざされる土地柄、風呂が好きな住民が多いのであろうか。それはわからない。いざ浴室へ入ると、シマッタ石鹸もシャンプーもここには何もない、全て持ち込みだったのか!とりあえず洗い場に置きっぱなしになってる誰かのシャンプーらしきものをサササッ頭につけたが、これはあいにくコンディショナーであった。しばらく湯に漬かったりウロウロして機を窺ったが、やはり他人のを使うのは視線が怖い。しかたない石鹸類を買ってから入りなおすかと思い脱衣場へ戻った。この時脱衣場の脇にマッサージルームのような部屋があることに気付き、中を覗くと無人で据え付けのボディシャンプーがあるではないか。すかさずこれを頭にジャンジャン振りかけ、タオルにもジャンジャンかけて、貴重な石鹸類とし浴室に戻った。おかげで無事入浴をすることができた。最後には洗い場でまた誰かのリンスを無断で使わせてもらった。風呂を出て妻と合流し軽くビールを飲み、さっきフェリー埠頭でもらってきた乗船名簿みたいなのに記入し(事前にサンバー用で書いていたため書き直しが必要だった)、荷物を乗船体制に組み直す。船に持って行くべきものと、バイクに置きっぱなして構わないであろうものに分け、船内グッズは全ておばあちゃんバッグへ移動させた。

PM7:50
極楽湯を出ると隣がヤマダデンキ。ふとやっぱりラジオがあったほうが良いなと思い、寄って購入する。車に置いてきてしまった懐中電灯つきラジオは大きすぎて持って来れなかったのだ。色々あったがソニー製の1000円のAM専用ラジオにした。大好きなアイワ製で100円くらい安いのもあったが、電池だけでなくイヤホンも付属していたのが決め手であった。後にこのラジオはかなり活躍してくれた。

PM8:20
再度フェリー埠頭へ到着。さっきここへ来た時みかけた真っ白のTZR(?)がまだいた。ということは貴方は3時間以上待ってたんですね。乗船手続では東京から来た4人組くらいの今風の若者が慣れない様子で乗船名簿記入に困惑していたが、これを尻目にサッサと済ませる。乗用車からバイクへの変更であったため、往復4万円くらいのうち1万ン千円がバックとなった。レッカー代が高くついたのでありがたい。運行ダイヤは22:00八戸発、翌朝6時半苫小牧到着となる。さて、いざ乗船券をもらったがドコから乗りこむのかよくわからない。とりあえず妻は船室内では場所の取り合いになるからと言ってサッサと行列の最後尾についてしまった。バイクはどうやら自分で積み込むのだということが分かり、積み込んだ後そのまま他の乗客とは違うコースで乗船することも判明した。この時同乗者である妻もこちらから乗船することになるというので、行列から妻を呼び戻しバイク専用の乗り場へバイクごと向かう。窓口でもらった「苫小牧いき」の札をフロントウインカーにくくりつける。針金で留めるのだが、適当に留めようとしたところ妻にコヨり方を指示された。既に10台くらいのバイクが並んでいる。最後尾にはカップルで2ケツのZRX1200が。岩手ナンバーだから地元のヒトだ。その前には赤いバリオスの女の子。こちらは秋田ナンバー。自分は最後尾のまま。さっきの若者4人組はいつまで経っても来ないが大丈夫だろうか。ある時みな一斉にエンジンをかけた。いよいよ乗船の時間らしい。
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迷惑メール

2004年11月01日 | ただの雑談
最近迷惑メールがよく来ます。ヤフオクとかで不特定多数の人とメールしていますからどこかからリークしてしまったものなのかもしれないし、あるいは先方が手当たり次第で送信しているものなのかは不明です。中にはウイルスとかがあるかも、ってことで危険ですから普段はセオリー通りに一切開かないことにしております。
ところがぼくのPCメールは携帯に転送されてきます。この携帯がメールはテキストのみしか対応していないうえウイルスとも無縁ですので、転送されてきた迷惑メールをとりあえずは安心して表示できます。中身は案の定ゴチャゴチャとURLが貼ってある商用広告メールばかりです。大抵がいわゆるピンクものばかりです。ピンクチラシとなにも変わらないです。

ところが一昨日来たメールは、今までのと違ってひたすらテキストでうってありました。内容もそんなワケねーというような美味しい内容です。ぼくはこれを読んだ限り、商売というよりは犯罪の香りがすると思いました。架空請求、オレオレに次いで今後はこういうのが流行るのだろうか、あるいは既に出回っている有名な手口が今ごろ自分に送られてきたものなのか。個人的には非常にこのメールの続きが気になります。オチが気がかりです。
以下に本文もアドレスも全部晒しておきます。続き知ってる人は教えてください。


-----Original Message-----
From: 清恵 [mailto:ki_yo_e2000@yahoo.co.jp]
Sent: Saturday, October 30, 2004 9:57 PM
To: *******@*****.plala.or.jp
Subject: はじめまして。清恵といいます。

清恵といいます。セックスしていただけそうな相手を探しています。
27歳未婚です。職業は派遣会社の取締役を務めています。
性的なコンプレックスがあって実は、私。。。下のヘアがありません。
二次成長期に生えてこなくてそのまま27歳の今日に至っています。
ですがセックスへの興味は、それゆえに人並み以上にあります!!
ここまで読んで、もうお分かりでしょうが、処女です。
処女ってのはきっと面倒と思われるでしょうから金銭的なものを提供したいです。
私の月収は95万です。
そこから、処女という面倒な私を相手にしてくださるのならいくらか提供したいです。
35万ぐらい必要でしょうか?
こちらがどんな女かまったくわからないと思いますので、いまは猜疑心しかないかもしれません。
お返事いただければ、私の写真を送りますので。お返事待ってます。。。
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北海道ツーリング07

2004年11月01日 | ツーリングのレポート
PM1:00
さてこれからどうしよう。まだこんな時間である。十和田湖とか色々行こうかと考えたがまとまらず、結局とりあえず八戸まで行ってしまうことにした。というより、とにかく暑い。ホントここは本州最北なのか。暑くて何もする気にならない。
軽米から八戸までは下道を走ること30分くらいで着いたであろうか。実は八戸市街については少々事前に下調べをしてあった。当初立てていた詳細な旅行計画によればフェリーに乗る前にフロに入っておくことになっており(新婚旅行の記憶からしてフェリー内のフロは面倒だった)、そのため銭湯を探しておいたのだ。調査の結果、市街でおそらく最大の商業施設である「ピアドゥ」とかいうところに「極楽湯」なる新しい銭湯があったので、ここへ寄る予定としていた。実際に訪れてみるとこのピアドゥなる地域はイトーヨーカドーをはじめとする大規模小売店の集合体のようなものであり、遠くからもとても目立つ存在であった。結構最近できたものらしく、広々としていて清潔な感じである。妻は涼しいところへ行きたいからあのヨーカドーへ行かせてという。ぼくはというと、どうも積載荷物のスワリが悪いのでバイク屋でも探してネットをひっかけるフックが欲しいと思っていたので、妻を降ろして市内を走り回った。が、バイクグッズを置いているような店は皆無であった。そういえば八戸市内は大都会と言えるがバイクが全然走っていない。探してみたが本当に見当たらない。東京に住んでいる自分には珍しい風景である。1年の多くが雪で閉ざされているであろう地域性ゆえだろうか。

PM2:30
一方の妻はヨーカドーで涼をとりながら、本屋で立ち読みして同市郊外の「八食センター」というところが筍な食い処であるという情報を仕入れていた。そういやぼくも事前調査の段階で聞いていた場所だ。ヨシッ、朝飯もロクに食っていないことだし、変な時間だが飯を食いに行こう。荷物を載せたテールカウルが早くも削れてきているので、先のことを思いヨーカドーでセロテープを購入し、キズ予防のために何本も貼ってから出発。

PM3:00
この八食センターは市場に隣接した鮮魚&オミヤゲ&レストラン街である。回転寿司に入り適当に腹を満たした。メシよりも喉が渇いて仕方なく、優雅にエビスを飲んでる妻を尻目に冷水(茶ではなく)ばかり3杯も頼んでしまった。妻が珍しいというので馬刺しを食ってみた。食後はセンター内を散策する。魚屋がたくさん並び、オミヤゲ屋もたくさん並ぶ。なんと云えばいいか、小売市場という感じだ。アメ横を思い出す。市場内で今買ったばかりのサカナをその場で焼いて食える七輪焼きコーナーという商売があったのにはなるほどーという感があった。少々疲れたので休憩スペースでマッタリすごす。周囲に目をやると老人たちがこぞってソフトクリームを食べて座り込んでいる。よく分からないがそういう市民性なのだろう、良い感じだ。





PM5:00
17時を過ぎ機も熟した、改めて銭湯へ向かうことにする。妻の提案で、邪魔な荷物を事前にフェリー乗り場のコインロッカーへ入れてしまうことになり、風呂の前にフェリー埠頭へ立ち寄った。乗り場はなんというかショボい。空港的なものを想像していたが、ローカル駅の風情だ。そしてお目当てのコインロッカーも存在しないことを確認し、結局荷物を抱えたまま風呂屋へ向かったのであった。

コメント
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