人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

おっばあちゃん、ブラッディ、おっばあちゃん

2006年02月28日 | ただの雑談
昨日、駅で見知らぬおばあちゃんをこかしてしまった。
その時ぼくはエロい先生が改札を通って駅に入るのをお見送りしているところであった。
「じゃあ先生、お疲れ様でした~」
と頭を下げて後ずさりしたぼくの足に、おばあちゃんの足が引っ掛かったのだ。
おばあちゃんはキレイにズコーッ…とコケた。
改札の前はとっても広いし、全体が吹き抜けになってて屋根があるし、床はツルツルしたタイルだから、スリキズとかはなかったし、汚れてしまうこともなかったし、思いっきりどこかを打ってしまうこともなかった。

だけどおばあちゃんは地面にキスしてしまったんだ。

顔を上げたおばあちゃんは、唇から微かに血が出ていた。

「ああーっ!す、すみません!だ大丈夫ですかあ?!」

慌てて彼女を抱え起こす。散々謝り、連れのおばあちゃんにも謝り、本人も「大丈夫…(多分…)」なんて言うので、結局そのままで済んでしまった。
おばあちゃんごめんなさい。痛かったでしょう。

しかしそれより何より、この時「白馬の騎士」が現れたのだ、噂の「ホワイト・ナイト」だ!正体を初めて目の当たりにしたと思った。
それは駅前でティッシュを配ってたバイトのにーちゃんのことだ。
ぼくが「大丈夫ですか、ごめんなさい~」とアタフタと大声出してるそばから、唇を切ったおばんちゃんに向かって彼は

「はい、どうぞ」
とおもむろに差し出したのだ。
配ってたティッシュを。

きみ、おいし過ぎるよ~。
あまりに良いタイミングに、絶妙の場所で遭遇した、絶妙のシチュエーションに対して、彼は今求められる全てを偶然、いや必然的に兼ね備えていた!
世界中のスターは、こうやって不思議な偶然から誕生するんだろうなあ。それは映画俳優かも知れないし、ミュージシャンかもしれないし、政治家かもしれないけどサ…。
しかし彼はそのまま消えてしまったし、ぼくは刑法犯になることもなく事なきを得てしまった。

きみの人生にもこれから何が起こるかは、誰にも言えないよ。誰も知らないし、教えてくれもしない。

Nobody will ever let you know
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適当な日記

2006年02月26日 | ただの雑談
1.ゴールドメダリスト

現在冬季オリンピックをやっている。スポーツのスの字も知らない自分はもちろん観戦もキライなわけだが(とくにサッカーワールドカップには嫌悪感すら覚える。理由は、周囲があまりに熱狂的だから余計に遠ざけたくなるという天邪鬼な性格による)、何故か冬季五輪の日本選手の活躍に限り見てしまうことがある。長野五輪では原田選手のラージヒル銅メダルに素直に喜んだクチだ。モーグルの里谷が金を取った時のアヒャッた実況も忘れられない。
さて今回のトリノもようやくメダルが出た。ぼくは新聞で後追い程度にしか見ないし、ヘェこんな競技があったのかって程度だったけど、ようやくな人にとってはようやくだったんだろう。先週、電車の中の吊広告の週刊誌の見出し記事でこんなのを見た。
「なかったことにしよう!トリノ五輪」
この記事をのっけた雑誌も今は手のひらを返す持ち上げように違いない。
フィギュアの荒川選手。最近まで荒川選手そのものすら知らない人も多かったかもしれないが、これで一躍有名人。かくいうぼくも村主選手とミキティはどっかでよく見ていたが、荒川選手は今回の出場まで知らなかったさ。
彼女のメダル獲得以来、この数日間で巷に流れ続ける言葉が「イナバウアー」。普通フィギュアスケートというと「なんとかアクセル」だの「何回転」だのばっかだが、彼女は特別に「イナバウアー」。もう右も左もイナバウアー。猫も杓子もイナバウアー。来週発売のあらゆる週刊誌にこの言葉は欠かせないだろうし、テレビはすべてのチャンネルで1日何十回もこの言葉が出てるだろうし、小学校ではあした月曜から子供たちが真似をすること間違いない。ハードゲイの「フォー」の次は当面「イナバウアー」が来るだろう。全国の稲葉さんや稲場さんは大変なことになる。いまや日本国民は世界で一番「新採点法」だの「技術審判員」だのに詳しい、にわかフィギュアスケートヲタまみれになっているに違いあるまい。
そして半年後にイナバウアーの名前を思い出せる人間は少ないだろう。
「なんだっけあれ?アンバワーとかなんとかいうヤツ…」
実はこのワザは、ワザを編み出した人名そのものらしい…。稲葉さんなのかどうかは知らない。
ということで、ぼくもきょう明日くらいは日本中の皆さんと一緒にイナバウアーしてみたい。

2.神の声

うちにエルモがいる。エルモというのは、セサミストリートという何だか得体の知れない人形劇番組に出てくる、赤くて毛むくじゃらの、ムックのできそこないみたいなヤツである。うちのエルモは喋る。幼児向けの英語学習用のオモチャらしい。どうしてそんなのがウチに居るかというと。ぼくは間違っても「赤ん坊に教育しよう」と思ってこんなものは断じて買わないし、仮にぼくの妻がそうしたのだとしても、ぼくはそのことを今こうやって話題に取り上げようとも思わない。
このエルモは、単にオマケでもらったものなのだ。先日電子ピアノを購入したが、購入の動機となったと話した例のカワイ製ではなく、結局以前と同じくローランドのメチャクチャすぐれものがあったので、またローンランドにしたのだ。そしたらメーカーがキャンペーンをやっていて、ぼくにエルモを呉れたのだ。販売店で購入を決めて支払いを行っている最中、担当だった女の子が思い出したようにこう言っていたっけ。
「そういえば、いまローランドでキャンペーンやってまして、エルモも一緒に届きますので」
ぼくはエルモなんてそれまで知らなかったので、なんかオマケが来るんだろうな程度に思っていたのだが、ウチに段ボールで何箱かに分けて梱包された電子ピアノが届き、最初に開けた箱からこの醜悪なエルモが出てきたわけだ。
電池を入れたら喋るようになった。おまけに体内時計(多分デジタル)を内臓していやがり、朝勝手に「おはよう」とか言ってくる。対象年齢3歳以上と書いてあるので、多分「目に入ったものは、口にも入れるもの」と思い込んでるチビにはこんな毛むくじゃらなヤツは与えられない。当面は、欲しくも無かったけどぼくのオモチャだ。
とは言えただその辺におっぽってあって、定期的に勝手に喋っているだけ。英語でも喋るのだが、なんか鬱陶しいので日本語しか喋らせないように設定している。向こうの部屋から勝手に話しかけてくるので、チビには「あれは神の声だよ」と教えている。
ところがそのエルモの自分勝手なトークによーく耳を傾けてみると、なかなか切ないことを言うのだ。
まず、醜悪なツラに似合わず、声が可愛い。
「おなかすいたな、ねえ、きみはもうごはん食べた?」
「歯は磨いた?」
こういうセリフならともかく、アタマがいいことに
「ねえ、エルモのからだにタッチしてみて」
言われたとおりに触ってみると、
「うふふふふ、くすぐったあい」
「あったかあーい」
「ぼく、きみのことがだいすきだよ」
「ねえ、ぼくたちずっと友達だよね」
機械人形の分際で身分不相応な切ないトークを連発してくるのだ。思わず火の鳥のナントカ編を思い出したよ。切なすぎるよねコレ。しかもその喋り方がなんとも甘ったれた感じで、エルモが好きでもなんでもないぼくは涙を禁じえないくらいだ。
そして今日久々にいじってみたところ、とうとうこんなことまで言い出した。

「ねえ、抱きしめて」

そういわれたら拒めないくらい、甘ったるい言い方だ。大人には語学学習じゃなくて口説きや誘惑のテクニックを教えてくれるらしいと理解した。
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最近聴いた音楽

2006年02月25日 | 70年代ロック雑談
学生時代ぼくはブラスバンドをやっていたことがある。もっとも音楽好きを自認するぼくだがラッパを吹くのが大嫌いで(いや、プレーヤーとしてのあらゆる楽器演奏そのものが実はあまり好きではないのかも)、楽しかった記憶といえば自作曲をブラバンに編曲し指揮を取ったなんていう生意気な経験くらいである。
最近ぼくは今さらながら、いやプログレファンであることを鑑みれば順当な道のりかもしれないが、70年代のハードロックを聴き漁っている。といっても結構深く掘り下げる性格の自分はいまだにパープルやサバスをよーく聴いていると状況なのだが、そんな中で出会ったのがユーライア・ヒープ。出会わざるを得ない相手であろう。
ユーライア・ヒープと言えばアルバム「Look at yourself」(邦題:「対自核」←意味不明だが時代の雰囲気が出ていてよいと思う)が一般的な代表作なワケであるが、同じ5人編成で楽器パートも同様のパープルと比較した場合は当盤をもってしても今ひとつ冴えない。リヴァイヴァルとなるような様子も全くなく、ショップでは国内盤が見当たらない。もしかしたら廃盤なのではないかと思う。しかしEU盤が最近多数のボーナストラックを含んでブックレットもやたらと立派にリイシューされたので(当国では評価が高いのかな)、既に米Mercury盤で持っていた「対自核」それから「Demons and Wizards」の2枚を含め、EU盤で買いなおしてみた。この際新たにファーストとセカンドも購入してみた。今回はこのユーライア・ヒープのセカンドアルバムである「Salisbury」(ソールズベリー)について語ってみたいと思う。


「ソールズベリー」のジャケット


タイトルは有名な寺院があるイギリスの地名だが、そんなことはよく分からないので、純粋に音について語りたい。
世間にはぼくと同じように往年のHRのいちバンドとしてヒープに出会う方が多いのではなかろうか。そしてパープル風のサウンドを期待して肩透かしを食らうのではないかと思う。ぼくがまさにそうだった。確かに「対自核」あたりはHRの名盤として語り継がれるに足る出来だと思うのだが、それ以外はというとストイックなHRのイメージとはかけ離れている。特にこの2枚目の「ソールズベリー」(1970)に、パープルの「イン・ロック」を期待するような気持ちで接した人は「ウヘ~、こりゃナニ?」って気持ちになってしまうだろう。
別にぼくがこんな日記に書いたところでこれからヒープに接する人の誰かが見てくれるワケでも無いのだが、もしそんなぼくみたいな「URIAH HEEP」=「ハードロックの代表的バンド」と思って聴いてみようという方が居たならば、是非是非ぼくのつぶやきに耳を傾けて欲しい。
ヒープにパープルを期待するなかれ。むしろクリムゾンだと思って聴いたら良いと思う、特にこのセカンドアルバムといったら!
冒頭でブラスバンドの話をしたが、正確には「ブラスバンド」ってのは、金管楽器のみの編成を指すらしい。よって木管楽器たるフルートやクラリネット、サキソフォンまでラインナップしている一般の「吹奏楽」というのは、「ウインドオーケストラ」と訳すのが正しいらしい。詳しいことはよく分からないけど、ブラバン≒ウインドオーケストラなワケだ。
で、このヒープのセカンド「ソールズベリー」には、ヘヴィな3曲、キーボードのケン・ヘンズレーによる牧歌的な2曲(この2曲、HRバンドというくくりでかかってしまってはまったくもって理解しがたいことになるだろう)、それから16分に及ぶ終曲=タイトルナンバーという構成なのだが、この終曲は完全にプログレのノリなのだ。おまけになにをやらかしたかというと、まさにその「ウインドオーケストラ」、っていうかみんながいわゆる「ブラバン」と呼んでいるモノとの共演なのである!オーケストラとの共演といえばパープルのロイヤルフィルハーモニックとかELP四部作とかルネッサンスとか、その他色々やっているわけだが、ブラバンとの共演による「プログレッシブ・ハード・ロック」(←プログレでもなくHRでもない、既になんとも中途半端な区分である)なんていうのは他では聴いたことがなかった。
だってブラバンですよ!まがいなりにもハードロックのバンドが、ブラバンと共演?!もう聴いただけで心配になると思いますが、なのに期待して聴いてしまったぼくは、「うわッ!こりゃダメダ!」と叫んだわけです。
「♪ぱららーっ!ぱららーっ♪」っていうヤケにリバーヴの効いたラッパの咆哮に乗せて始まるこのタイトルナンバー「Salisbury」、一聴して「こりゃおしまいだ、好きになれっこない…」と思ったのです。だってジャケットを見てくださいよ。戦車のバックにボカーンと火の球…。どう見てもガンガン来るHRのノリじゃあありませんか?!(米盤とはジャケットや曲目が違うよ。今回のEU盤はそれらも全て網羅!)
ところが明らかに「21世紀の精神異常者」をパクったな、というジャジーなリズムを含め、「ヒープは全くハードロックではない」という頭に切り替えて対峙してみると、これが途端に秀作に化けます。クリムゾンだと思って聴いてみてはどうかというのは、そういうことです。おそらく日本でのデビュー盤となったサードアルバム「対自核」のイメージが強すぎるから、ヒープをハードロックと思ってかかってしまい、このアルバムを聴いた時にうわっ恥ずかしい!ってことになってしまうのではなかろうか?ファースト収録の「ジプシー」を聴けば確かにハードかつプログレッシブなこのバンドの両極面がおいしく混ざり合っているけど、全体的にどっちかというとこのバンドはプログレ指向の方が強い気がします。それでいてヒープにはプログレの重大要素のひとつともいえる「クラシカルな素養」を持つメンバーが居なかった。ケン・ヘンズレーは「7月の朝」みたいに何の変哲もないコードの3和音を平気でアルペジオで弾いてしまう能天気なプレーヤーだ。親しみやすいものの、キース・エマーソンに聴きなれた耳には今ひとつ稚拙に映ってしまう。ジョン・ロードのようないぶし銀的シブさも無いし、トニー・バンクスのような叙情性も無い。ヘンズレーはひたすら能天気。
だけど、この16分の大作は能天気ながら、立派なプログレですよ!ブラスバンドと共演したプログレって発想になれば、途端に萌えまくりっす。まあ確かにタルカスのような複雑さもなければ、キーボードのテクニックも今ひとつだし、叙情性にも乏しい。デヴィッド・バイロンの雄叫びだけがハードな感じだ。このどっちつかず感が、ハード「でもなく」プログレ「でもない」ユーライア・ヒープのイメージになっちゃったんだろうか。自分みたいに両方のジャンルを好んで聴ける寛大なロックヲタ系(結構多いと思うけど)には比較的すんなり入れると思うけど、どちらかだけが好きな人にはダメなんだろうね。次作以降大人しめになってしまうミック・ボックスのギターソロが、何度も繰り返すうえ妙に攻めてるところは聴き所でしょうか。バイロンのボーカルは中々良い。イアン・ギランと比べて、シャウトにそれほどの迫力はないが、引けを取らない無茶な超ハイトーン・スクリーミング。このスクリーミングにはギランより余裕が感じられれ、かなりの存在感をアピール。代わりに緊張感にはチョット欠けるかな…。オーヴァーダブのハーモニーも秀麗、クイーンがヒープのコーラスを参考にしたというのも頷ける。どうでも良いが、史上最強のスクリーミングヴォイスの持ち主は、ロブ・ハルフォードも確かにスゴイが、実はクイーンのロジャー・テイラーではないかと最近思う…。
とにかくプログレもHRも好きならば、このソールズベリーです!HR専門の方にはショボショボだし、完全なプログレファンには稚拙に映るだろうが、「足して2で割る」ならぬ「足して2倍に薄めた」ような出来映えは中々悪くありません!そして買うなら絶対豪華なEU盤。ブックレットの中でメンバーのヘンズレーが2002年くらいの後日談として、こんなふうに語っていました。
「どうでも良いけどあのジャケットは最悪だった」
いけないのは中身の音楽じゃなくて、外側のジャケットのせいで誤解を生んだのだと言いたかったのか、あるいは改めて聴きなおしたらさすがに「我ながらヤバい!」と思ってそう言い訳したのかどうかは分かりませんが、とりあえずジャケットからは想像も着かないような、能天気なマイナーキーのブラスバンド・ロックです。16分間の拷問は、3回聴いたら快感に化けて病み付きになりましたよこのぼくは。
ぱららーっ、ぱららーっ!
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先生、分かりません!

2006年02月18日 | ただの雑談
今さらですが、ガンズ・アンド・ローゼズのユーズ・ユア・イリュージョン(両方)を聴いてます。高校の時リアルタイムで聴いたけど、当時はあまり好きではなかった。同級生の中にもそれなりにワルなのが多くいて、ガンズ初めとしたロックってのは彼らのものだった。ぼくと言えば高校時代はクラッシック全盛期だったしね…。買った理由は掘り出し価格だったから。だって国内版帯付き美品が1枚1000円ですよ。
あれからはや15年。このCDがどれだけ売れたのか知らないし、国内リイシューされたかどうかは知らないけど、ぼくが買ったのは発売当時の中古盤。リアルタイムを知らない音楽って、妙に歴史的な背景とかも気がかりだったりする。ところがリアルタイムで知っているガンズの後日譚に興味もなければ、ぼくの中では高校時代のあの一瞬だけが彼らの全てであって…要するに発売当時の盤の方が馴染みが良いんです。
高校時代の色んなことを思い出す。米国にホームステイしていた時、ガース・ブルックスと並んでガンズが全盛だった。ステイ先のテレビでこのアルバムに収録されてる「ノヴェンバー・レイン」のビデオクリップがしょっちゅう流れてたっけ。
それで久しぶりにある記憶を思い返した!そういやこんなことがあった!

そうそう、ぼくはちっともワルじゃあ無かったが、何というか、今思い返せば恐い者知らずであったのかなあ、いや、今と変わらず非常識なだけであったんだろう。常識ってのは色んなトコロにあって、村のルールもあれば国際ルールもあるように、あの高校の中でしか通用しないルールもあったに違いない。今は当時よりはよっぽどマシな常識人に近づけたと思うが、とにかく当時から非常識っぷり全開だった。
保険体育の授業ってのがあった。ぼくが苦手な体育なのに、座学なのである。「なんたら憲章」とかいうのを授業でチラっと取り上げて、教室の中でもトレパン姿のある体育教師がこう言い放ったのだ。
「今から5分やるから、この憲章を丸暗記してみろ。暗記してこの場で諳んじることが出来たら、無条件で成績は10をくれよう。本番のテストは白紙で出しても必ず10だ。約束しよう。じゃあ暗記スタートォ」
それはいい話だなあと思って、ぼくはその場で暗記を始めた。何とか覚えることが出来た。制限時間になり、体育教師が「じゃあ暗記できたヤツはいるか~?」と挙手を求めだした。
数名がトライを始めた。ある者は成功し、ある者は敗れた。ぼくもダメモトでトライしてみた。そして無事に諳んじることができたのだ。「はいオッケー。」教師が自分の手帳にしっかりそのことを書き込んでるのを目視し、やったラッキーと思ってガッツ!

その後中間だか期末で筆記試験があったわけだが、ぼくは約束どおりなんも勉強せず、体育教師の粋な取り計らいに答えるべく、回答用紙は白紙で提出した(成績は約束どおり満点だった)。

しかし、この解答用紙が採点後にホームルームで返却された時、担任にこういわれた。

「おまえ…これはどういうことだ…」

ただそれだけだったが、その一言がどうしても忘れられない。ぼくは何も悪いことはしていない。体育教師との約束を果たしたまでだ。なのになんでそんな非難がましいことを言われなくてはいけないのか。ウルサイ教師ではなかったが、とにかくぼくとこの男はついに最後まで通じあえなかった。相性が悪いとしか言いようが無かった。あとでいわゆるワルに部類する別の生徒にこう言われた。
「オマエ勇気あるなあ、まさかマジで白紙で出すなんて普通ねぇだろう!」
当時は、きみたちこそあの時諳んじることができたなら何故白紙で出さなかったんだ、どうしてぼくだけなんだ、と思ったけど、それが今思えば常識非常識なのだろう。
で、ぼくはワルではなかったから、何とかこの教師とも仲良くしたいと考えていたのだけど、どうしても言語が違ったのだ。残念なことだと思う。ついでにこの男に関してもう何点か思い出したので、こんなことがあったと書いておく。

進路相談のオリエンテーションみたいなのがあった。「将来何をしたいのか」みたいなことをテーマに、要するに進路について個別で面接があった。この男と向かい合って話したことを覚えている。

「おまえがいま一番したいのはどんなことかな。」
「音楽が好きです。将来は音楽に関わる仕事に身を置こうかどうか考えています」
「具体的にはどういうことをしたいのかな?」
「一番すきなのが作曲という行為です。でもジャンルは目立つロックや歌謡曲でなく、クラッシックなんです。正式な教育を受けてみたい」
「きみが音楽を作ったら、それを聴いた人がどう思ってもらいたいと思う?」
「うーん、気に入ってもらえたら嬉しいです」
「そうかわかった。おまえが一番したいのは『他人を喜ばす』という行為だ。世の中には人を喜ばせるいろいろな手段がある。おまえはそうやって世の役に立つのだ。音楽にはこだわる必要は無い。」

見当外れもいいところだと思ったが、真顔でそういうので反論できなかった。ぼくは自分さえ良ければ他人なんてどうでもいい人間。自分の正義のためならそれ以外は全部犠牲にできる人間。どうしてそう思うのか。この時ホントは先生とそういう話をしてみたかった。だがこの男は通り一遍のセオリーどおりの進路面接しかしようとしなかった。ぼくが特殊だったのか、この男が平凡だったのか、あるいは実はふたりは似ていたのかは、まったく分からない。ぼくが音楽をやりたかったのは…自己満足に過ぎない。人のために音楽をつくろうなんて思ったことも無かった。ぼくの、ぼくによる、ぼくのための音楽だった。とにかく担任教師とのスレ違いと、教師に気に入られてみたいという願いと、こんな大人とは話したくもないという思いとが、色々混じってそれっきりになってしまった。
今となっては、当時の彼くらいの年齢になった自分としては、思春期の子供を相手にしなくてはいけない仕事は大変だなあ、と思うばかりだ。

ガンズのこのアルバムが2枚同時発売だったということは、当時ヘーなんでだろ程度にしか思わなかったんだけど、最近になって分かることといえば、音楽といってもビジネスであって、ミュージシャンたちは必ずしも自分が出したい音を出せるわけではないってこと。要するに売れなそうなレコードは売らせてもらえない世界だってわるわけだ。それをガンズは2枚組の分量を、しかも2枚組みにしないでバラバラで発売した。当然レコード会社としては「つまらないトラックをお蔵入りにして、ベストの1枚にしろ」とか、「うち1枚は来年にしろ」とか、色々ケチをつけたかもわからない。まあレコード会社とどういうクンダリがあったのかは分からないけど、とにかくこういう形での発売になった。彼らのやりたい放題なのか。それとも実はレコード会社側に勝算があってそうなったのか。今でも知らない。

あれから15年。当時間違いなくこの2枚組みを本気で聞き込んでいたであろう元ワルの知人が、いまメジャーデビューを果たしていたりする。デビューの話は一昨年の話だったと思うが、未だに名前を聞かない。やはり現実は厳しいのだろう。そのメジャーデビューに前後して同窓会があったから、久々に彼らに会った。教師とも会った。色んな形で立派に巣立っていったかつての教え子たちを、教師たちも楽しげに眺めていた。あの教師と、同級生のアイツとが、同じ席でタバコをくわえ酒を飲んでいるなんて、ある意味異様な眺めでもあった。決して相容れないはずだったものが、時間を経て混ざり合っている。

ぼくは今、しがないリーマンとしてかつての夢なんかと全然違う場所で呑気に暮らしている。今さら聴いてみたガンズは、ワルとか反抗の象徴でも何でもなくって普通に耳に滑り込む。少なくともビートルズのホワイトアルバムよりはよっぽど統一感がある2枚だ。かつて作曲家にあこがれて、自分の野心のために作っていた音楽。今ではちょっとした隠し芸程度ととして、人に贈るためのつもりの音楽をたまに作る程度。かつて夢見た大勢のオーディエンスなんて要らない。贈った相手が喜んでくれればそれで良い。

だから、あの教師が「おまえが一番したいのは『他人を喜ばす』という行為だ。」と話したのを思い出さずにはいられなかった。
絶対ありえないと思っていたことだって、起きたりするもんだ。
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天丼

2006年02月07日 | ただの雑談
(これは2月3日に書いたものです)

今日も誰も居ない。ぼくは本日1日ずっと職場にはりついていないといけない。昼飯にも出れないのでコンビニおにぎりを買ってある。相変わらず後ろの席ではボス(52)がどう考えてもデスクワーキング中のものとは思えない奇妙な音を発している。

「…ッかァぁー…ッ…。」

「…ンン…、…よいショよいショォぉぉ…!」


昼になった。食事を遮られるのが何より嫌いなぼくは、彼が昼食に出て行くのを待ってからおにぎりにかぶりつく。おにぎりは近所のセブンイレブンで買ってきた。最近は仕事が遅くて晩飯も会社なのだが、昼ソバ、夜おにぎりというパターンが多い。今日は逆にしないと。でも金曜夜の蕎麦屋って飲みに来る人もいるからチョット混むんだよなあ。

さて、今日は節分。
今年初めて知ったことがある。それは「恵方巻」という習慣。この日は太巻きを特定の方角へ向かってかぶりつくらしい。そうすることによって何が起きるのかは調べないと判らないけど、とにかく豆撒き以外にそんな習慣があったなんて全く知らなかった。しかし先日ぼく御用達の産経新聞で読んだところによると、この習慣は40年ほど前に関西の海苔屋が勝手に始めたものらしい。さっきおにぎりを購入した時、おにぎりの棚の下方に太巻きがズーンと積んであった。なるほど、あくまで推測だが、コンビニの全国チェーンに乗っかって最近ようやく我々が住む東国まで伝播してきたのではなかろうか?だとすれば、道理で聞いたことが無かったわけだ。ぼくは自分の常識に全然自信が無いから、知らないのはぼくだけかと思っていた。
という訳で、コンビニでは太巻きには目もくれずおにぎりを買い込んだ。赤飯むすび、紀州梅、わさび海苔…。
恵方巻というのは、特定の「方角」へ向かって食べる、というのが何か笑える。しかも今年の方角は「南南東」だっけかな。つまり16方向に分けてあるのね、NHK第二放送の天気予報さながらのリアルさ。40年経ってここまで育ってきたのか、それとも最初からそうだったのか、不明だけどどうでも良い。多分ぼくは一生やるまいなと思った。何故かって?ぼくは太巻きがあまり好きじゃないから。それに今さら新しい国民的習慣ですなんて言われたって…。

バレンタインデーが近い。バレンタインも恵方巻も、どっちも似たようなソースから発生した現象であることはご存知のとおりであろう。しかしバレンタインは大好き。だって女の子からチョコもらえるんですよ。「本命」だの「義理」だのというヴァージョンも微笑ましい。恵方巻と何が違うのか?それはぼくが小さい時から馴染んできたかどうかだけの違いだろう。
ぼくの記憶が正しければ、ぼくが小さい頃はバレンタインデーはあったがホワイトデーが無かった。小学生6年だったかな、あの頃は多分わが人生で一番モテていた。それほど仲の良いわけでもないクラスメートの女の子2名が、突然バレンタインチョコをくれたっけ。おまけに手紙まで入っていた。当時はまだ女の子に興味なんてなくって、ホワイトデーにお返し(「飴」を返すのが当時の習わしだった)するのがムチャクチャ恥ずかしかったのを覚えている。そのころこう思った記憶があるのだ。
「こないだまではもらいっぱなしでよかったのに、最近ホワイトデーとか言うのが出来たんだよなあ…」って。
あのままみんなと一緒に中学生になっていたなら、ぼくはかなり早い時期から異性に馴染んでいたに違いない。しかし生憎ぼくは以後6年間全く女性と喋ることがなく、今のような女性恐怖症になってしまった。
それはともかくだけど、「ホワイトデー」というのは初見が幼少時だったから素直に馴染むことができた気がするわけなのだ。同様にして「父の日」。「母の日」は昔からあったけど、父の日というのはかなり最近に出来たような記憶がある。だけどこれも許容できる時期に知ったものなのだろう。今では母の日と父の日は対になってフツーに頭の中にある。

どうやらぼくは頭が固いみたいですね。30なんてまだまだ若いうち。若いうちは何にでも新しいモノに飛びついたら良い。だけどそうしたくないのは天邪鬼な性格によるのだろう。今が青年だから、青年らしくはしたくない。だから誰もが意固地になるような老年になったら、ぼくは逆に老年でいたくなくなるのかもしれない。初めて若者の気持ちになれるのかもしれないな。その時になってようやく若かった日々を懐かしく思うんだろう。

また一方で、子供の頃できたことが今できなくなっているという見方もある。そう思ったらいてもたっても居られなくなってきた!
くそやっぱりミーハーに太巻き食っとくべきか?!今日も職場で夕食を食べる。買出しに出かけると、スーパーでは大量に余ったこの恵方巻に「半額」のシールが貼られ、15cmはあろうかという長い太巻きがなんと199円。
思わず買ってみた。食ってみた。方向は…このデスクに座って食べたから西を向いてたな。そしてやっぱり太巻きは美味しくない。好きじゃない。買ってしまった一番の理由は、太巻きの両端から「玉子焼き」と「カニかまぼこ」がハミ出してたんです。それが美味そうに見えた。だけどかぶりついたら好きじゃないヤツが出てきた。何が好きじゃないかって言うと、ピンク色の着色料で飾られた甘いシャリシャリした部分。アレは一体なんなんですかね。納豆巻きとかは大好きです。カンピョウもまあ許せます。カッパは醤油をつければまあまあ。鉄火巻きはほとんどネギトロと思って実においしく食えます。だけどいわゆる太巻きのあのピンク色がダメ。
だけどとにかく全部食ったさ。方角は無視したってのをせめてものツッパリとして残しておいて、ちょっとは素直になれたかなぼく?
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たった1日

2006年02月07日 | ただの雑談
きみの声が聞こえないだけで。
きみの消息が知れないだけで。
きみの具合が悪いのかもしれないと考えるだけで。

ぼくは落ち着きません。
ぼくは眠れません。
ぼくはきみの無事の知らせをずっと待っています。

日が暮れて。
やがて夜が明けて。
2日目が過ぎてしまっても、なお。

それが愛でしょうか。
ぼくにそうさせるのが、愛でしょうか。
きみをそんな目に遭わせるのが、愛でしょうか。

だとしたら、それはかけがえのないもの。
そしてか弱く心細いもの。
守り育てなくてはいけないもの。

たった1日で、それと気づかせるもの。
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トンカツ

2006年02月02日 | ただの雑談
すっかり投稿がご無沙汰しているが、そんなことは全然構わない。久々に昼休みに誰も居なくなり仕事も止まってしまった職場で束の間のボーを楽しんでいる。

いまさっき後ろの席のボスがこんなことをつぶやきかけてきた。

「そそそゥいやー、人骨君なんかはサァ、お昼は相変わらず蕎麦?」

「そうですね、この頃は蕎麦しか食べません」

「フゥーん、健康的だねえいやァぼくなんかサァ、やっぱ昼からウナギとか食べちゃうんだよね。
 そそそんで!Mさんなんかはサァあ、サンドイッチばっかだって、ウン?」

「ぼくもウナギやサンドイッチは好きですが、やっぱり蕎麦の方が好…」

「ウンウンウンウン!!人の好みってのはァ、ほんとに人それぞれなんだよねェ、うんうんうん」

と言い放つや、

「っパぁぁーッ…」

と臭そうなため息をついてから、彼はぼくを残して昼食に出て行った。今日は昼からトンカツだそうだ。

静まり返ったオフィスで、「好みは人それぞれ」ということについて、ぼーっと考えてみた。
ある人にとってものすごく大事なもの、好きなもの、外せないもの。それがある人にとってはそうとも限らない。当たり前といえば当たり前なことだけど、ふと思い返すと不思議になったりする。だってさ、
「ぼくはこのために生きている!」
って思ってたって、違う誰かには
「そんな人生やめちまえ!」
って言われるかもしれないワケなんだよね。
逆にぼくに「やめちまえ」と言い放った彼の人生こそ、ぼくから見たら
「おまえはもう死んでいる」
のかも知れない。

かつてはよくそんな議論したものさ。そしてたくさんの人相見をした。周囲全てを鏡にして自分という存在が何なのかを映し出そうとしたっけ。
今はもうそーんな議論は要らない。いずれそんな時期を懐かしむ時は必ず来る気がするが、20代を終えて(実際はあとちょっと残ってます)間もない今、ホントに要らないものに思える。周囲はかつてみたいに敵だらけには見えなくなりました。それって進歩なのか退化なのか劣化なのか?どれでも良いです~。

考えることは人それぞれ、だからぼくは自分が大切なもののことを、普通に毎日考えてるよ。それがぼくの役目だよきっと。仮にぼくと彼の好みが相容れなかったとしても、普通に毎日自分の向いてる方へ向かって生きてるってことは、二人とも一緒じゃないカナ。

さあボス、早くトンカツ食って帰ってきてよ。ぼくはそばを食いにいくからサッ。
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