人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

人骨最後のアル中

2007年09月14日 | ただの雑談
アルコール依存症(以下、俗称である「アル中」で通す)は正真正銘薬物依存症の一種である。
自分も若かりし日は興味本位で手間をかけて様々な合法ドラッグの類に手を出したものだったが、実は最も身近で入手しやすい合法ドラッグこそアルコールに他ならない。このことはあまり知られていない。我々日本人は酒を嗜む文化圏に所属しているのだから当然だろう。
そして、この病気は治らない。一度身に付いた依存は二度と消せない。タトゥーより消せない。
悲しい恋の想い出より消せない。

しかし俗にいう「回復」は出来る。
すなわち生涯にわたって一切のアルコールを断つことだ。
煙草を止めたい人には「止めるか、止めないか」の2択しかないのと同じだ(脱線するが、煙草に関してぼくは去年の暮れ以降、第3の選択肢である「たまに吸う」で安定している。自分では買わないので、誰かに貰うのみ。ペースにして月に2~3本程度。別に普段吸いたいとも思わない。これはどういう状態なのだろうか?)。
ところが薬物としてのアルコールが持つ依存性(=やめられない度合い)はとても強いそうで、煙草や大麻のそれを優に越えるという。依存に陥ったものは、一口でも酒を口にすればもはや酒量をコントロールできないというのだ。「酒は飲んでも飲まれるな」ということばをよく聞くが、まさに飲まれている状態だろう。
アル中患者が断酒をするのは並大抵のことではない。断酒会やらAAと呼ばれるミーティグが持たれる所以であろう。

また、アル中は俗に避妊もとい「否認の病」と言われる。当の患者が、自らが依存状態にあることを認められないのだそうだ。嫁さんに病院に引きずられて来て、診察室で「オレはアル中なんかじゃない!」と怒声を上げるのはよくあるパターンなのだという。

ぼくの場合は自主的に、いわば自首しに行った。
そこでアル中という判決を受けた。
クソ寒い2月のある日であった。
以来酒を断った。

※ ※

毎日飲んでいた酒をパッタリ辞めた、その最初の数日間は確かにすごく物足りなかったし、まるで自分が不具のレッテルを貼られたようで非常に不愉快であった。
しかしすぐに馴染んだ。言われるほど大したことではないじゃァないか。
だから、心のどこかで「オレほんとにアル中かな?」とずっと思い続けていた。

認められないこと、それはすなわち否認である。この病気に罹患している典型的な証拠かも知れない。
しかし、仮に本当にぼくがシロだった場合。それやあ疑うのが当然だ。濡れ衣ではないか。
断酒中のアル中患者が再度飲酒を犯してしまうことをスリップというそうだ。
スリップをきっかけにした再度の飲酒習慣の再開は、人間を辞めることを意味する。
だけど、お分かりだろうか。疑念を晴らすため、もはやぼくには危険を冒して「実際に飲んでみて試す」というチョイスしかなかったのだ。

そう思わせるのに十分だったのが、通院していた大病院の医師の反応だ。ぼくが離脱症状も経験せずにアッサリと飲酒を止めてしまったことを、明らかに不審がっていた。

「え、本当に飲んでないんですか?」

ぼくがウソをついていると思われたのかもしれないし、自分が下した診断を疑ったのかもしれない。
診断をもらった初回の通院時に、酒を辞めたら幻覚が見えるだろうし震えも来るだろうからと言われ、その時はこれを飲めと何か精神安定剤みたいなのも処方されていた。これも無用の長物であった(睡眠薬としていつか使えるかも知れないので保存してある)。

それ以降の月イチの通院も、30分以上待って、わずか2分の問診で終了だ。
「そうですか。よかったですね。じゃあまた来月あいましょう。」
はっきり言って通う意味が無い。
精神科の医師は、依存癖のある患者から極度にアテにされ自らが依存の対象とならないよう、過剰に同情的になったり、頼られるようにしてはいけないそうだ。ある程度冷たく距離を保つ必要があるという。
それを差し引いても、ぼくに伝わる情報は少なすぎた。何のために通っているのか、ぼくには理由が分からなかった。
ある時など、問診中に先生のケータイが鳴って、そのまま“問診時間より長い時間”どこかへお隠れになってしまわれたこともある。
今、自分がいかにして酒の無い生活に取り組んでいるのかをこちらから話しかけても、「あそう」という感じで、今日の診察経過を1行だけ書き込んだカルテのファイルをぼくに渡そうとして差し出した手を引っ込めようとはしなかった。
目の前にファイルを突き出されて「良いから黙って早くこれを受付に持っていってくれ」という態度をされては、なんというか、まともに相手にされている感じがしない。
病院不信ってヤツ?
先日、アル中という病気を新幹線に喩える話を書いたが、果たしてぼくは今どこにいるのだろうか?本当にもう静岡なのか?
医師はぼくの位置を見誤っていないか?
まだ東京駅を出発していないのではないか?

断酒会とかに参加する代わりに私のところへ報告に来い、という意味なのかもしれなかったけど、それも分からずじまい。
5ヶ月目を最後に、勝手に通院をやめた。

※ ※

そこへ件のドイツ人旅行客の青年が現れたわけだ。
彼はこう言った(英語で)。

「なんだジンコツは飲めない体なのか。OKそれならあとでこう言えば良いんだよクレイジーなジャーマンに飲まされたってな。じゃァかんぱいだ。」

そういって彼は目の前でプシュっとタブを開けて缶ビールをぼくに差し出した。何が出るかと思えばドイツ人なのに麒麟「淡麗」だ。

「吸うかい?日本ではタバコが安くて助かる」

もらったタバコはマイセンライト。

ぼくは彼が現れるのを待っていた!
何でも良いから実験のキッカケを作ってくれる存在を待っていた。
ぼくは躊躇することなく麒麟淡麗をノドに流し込みながら、よく意味の分からない酔っ払いの英会話を続けた。そして彼がペットボトルに入れて持ち歩いていた日本酒ももらった。

「樽酒量り売りでもらったんだ。おいしいよ」

「おーいお茶」のペットボトルに日本酒を入れるなんて、さすがにガイジンならではの発想と思った。しかも味は「菊正宗」とかそういうヤツの味だった。樽の味もしなかった。

かくして、ぼくは泥酔することなく飲酒量をコントロールすることが出来た。彼と何を話したかもよく覚えているし、適宜切り上げてシュラフにもぐったのだ。気持ち良く寝れた。
今まで酒の量を減らそうなんて考えたことすらなかったが、本気でやろうと思えば出来た気がする。それを今改めて証明してみせた。
実験は成功だった。

ただしこれからいつまでも同様にコントロール出来るとは限らない。今だけなのかも分からない。
ひとまずこの「シーボルト事件」以降はまた飲むのを辞めた。

ぼくはどうするべきか。
シロだったことにして、勝手に断酒生活をやめるか。
それとも、やはりここまで続けた断酒生活を継続するべきか。
どちらの可能性もイーブン、分からなくなった。

※ ※

意を決して、先日殿下も入院された久里浜の門を叩いた。日本のアルコール治療における正真正銘の「聖地」である。大雨の中をバイクで走り、三浦半島までやってきた。先月買ったばかりの1万5千円もするカッパの効果は抜群だった。

ここでぼくは改めてこれまでの経過を正直に話した。上に書いたようなことを洗いざらい全部話した。前の病院への通院歴だけを除いて。理由はただひとつ。

「セカンドオピニオンは保険の対象外で、高くなります」

とホームページに書いてあったからだ。セカンドオピニオンの定義はよく知らないけど、とにかく初めて医者にかかったことにした。保険外治療なんて無駄な出費としか思えない。この期に及んで我ながら冷静な判断だったと言いたい。

聖地のゴッドたちは、ぼくの血を吸ったりオシッコを採ったり心電図を見たりまっすぐ歩かせるテストをさせたり内蔵の触診をしたりと4時間みっちりかまってくれた後、こう審判した。



「結論としては、あなたはアルコール依存症ではありません。ただしプレアルコーリックという、依存症の手前の段階と思われます。危険に変わりはないので、もし飲むなら、今の気持ちを持ち続けて、気を付けて飲んでね」



アゲーン!!!!!!!

※ ※

そこまでして飲む理由が欲しいのって、やっぱりキケンなんじゃない?
これから遠慮なくジャンジャン飲むつもりでしょう?

答えはノー。ぼくはとにかくアル中という自らに冠されたディッソナラブルなタイトルを返上したかっただけだ。この思いが一番強い。

「おめでとう、とりあえず今夜は記念に飲んでおく?」

妻が提案してきたが、断った。当面晩酌は原則しない方針である。それに今は彼女が飲めない身だ。

これまでの半年間で、得たものは大きく、失ったものは何も無い。ぼくが唯一誇れるプラス思考の賜物だ。転んでもタダでは起きない。
せっかくの機会だから、自分をよく見つめた。なぜ飲酒に走ったのかを考え、一定の結論に達した。これに対処する手段を考え、実践した。ぼくはもう酒が無くってもやっていける。危険な依存体質は、受け流して違うものにぶつけよう。

もしこれから飲むことが許されるなら。それは余裕をもって楽しく飲む酒が良いかな。
春が来て2人目が産まれた時、きみと乾杯しよう。

(と、言ってみただけ)
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