人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

関東は雪

2006年01月21日 | ただの雑談
ぼくは雪が好きです。景色の色が変わるのっていいですよね。これだけの雪が降ったのは、前回は2004年12月31日以来だと思います。

ぼくは雪が降るとなんだか嬉しい。
さっき珍しくクルマを出しました。こんな日にでかける人は誰も居ない。いつも激込みで待てないぼくは超ムカツクことになるセルフのガソリンスタンドも、きょうはガラガラ。給油してから、一週間分の酒を買って帰る。雪の積もった道路ではクルマがいうことを聞かない。ブレーキを踏んだ時、ハンドルを切ったとき、クルクルと勝手にクルマがまわる。怖いと思う人も居るだろうが、なんだか楽しかった。ドリフト野郎のケがあるなと思った。

今年の雪を見て思い出したもの。きみの肌のような白さ。きみの心のような白さ。素直な気持ちの潔さ。北の空を仰ぐ。ここからちゃんと見えるところにきみはいる。目の前をちらつく雪は、前回の大雪の時と違って、ぼくの目にはほとんど入らなかった。
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手をつなごう

2006年01月12日 | ただの雑談
投稿が減ったのはここに記事を書くほかに用があるからです、大切な用がネ。それはさておき今日の出来事でも。

気が短いからだと思うけど、ぼくは1人だと歩くのが早い。街中では大概の人間を追い越しながら歩くことになる。ところがそんなぼくでさえゆっくり歩く時というのがある。それは2人もしくはそれ以上の複数名で…要するにとにかく誰かと一緒に歩いている時。多分人間っていうのは本能的に
「複数名ではユックリ歩く」
というのがDNAにインプットされているんだと思う。北チョン国とかの映像でよくみる「軍隊の行進」ってのは、それを見る人間にとって、その整然さもさることながら「あんな大勢いるのに早い」ことがかなり超・自然的であって、だから視覚的に圧巻なんだろうなと思い込んでみたりする。

さて。きょう住宅街の中でのこと。ぼくの前を手をつないで歩いている2人があった。ぼくはひとりで歩くのが早くて、手をつないで歩いている2人は当然歩くのが遅い。最初は随分前方に見つけたが、徐々に追いついていく。追いついていきながら気付いた。手をつないで歩いている2人は、2人とも女の子。身なりからして多分専門学校生。結構ショッキングなシーンでした。あれって同性愛ですか?!でもこんな真昼間から堂々と。しかも後ろからコートの襟を立てたアヤシイお兄さんがウォッチしながら徐々に迫ってきているというのに。追い越しざまに念のために2人の顔までよく見たが、やっぱり女の子同士。
そういや以前、海外旅行者向けのハンドブックで読んだことがあるのを思い出した。郷に入れば郷に従えということで、海外でNGな行為の欄にこんなことが書かれていた。「教会に入るときはノースリ不可」これは分かる。「よく日本の女の子は手をつないで歩きますが、海外では同性愛者と見なされます」。この時は、へえ日本の女の子は手をつないで歩くものなのかと思ったが、実際にはそんなシーンは見たことなかった。それから15年くらい過ぎているが、女の子が手をつないで歩くのはつい今日まで目の当たりにしたことがないのだ。丁度追い越しざま、ひとりの女の子が目にゴミが入ったかなんかで、つないだ手を離して鏡を取り出し覗き込んでいた。用が済んだらまた手をつなぐつもりなんだろうか?手をつなぐ時、なんて声をかけるんだろうか?ぼくはもちろん同性と手をつないで歩いたことなんてないけど、どんな気持ちなんだろうか?というか、単にぼくが知らないだけで、女の子の間では当然の文化なんだろうか?謎だ。
2人を追い越した後、これがバイクだったらここにミラーがあって後方を確認できるんだけどなあともどかしく思いながら、素早く通り過ぎた。あ、そうかそんなに気になるんならずっと後ろからつけながら、たまにはゆっくり歩けば良かったじゃないか。時すでに遅し。

男女が手をつなぐことには、ぼくは理由があると思う。男と女はつながりあいたい。つながりあうための手段として、互いの体の同じ部位を重ね合わせる。もちろんセックスというのはそのための手段であるのだが、「子孫を残す」という「意味のある行為」を特段考慮しなければ、ほかにもう2つ手段ある。それがキスと、意外に見落としがちな「手をつなぐ」という行為である。おおよその人類はこの3種類をもってでしか異性とつながったことがあるまい。そう、3種類しかないのだよ。きみはこの3種類以外でカノジョやカレシとつながったことがあるか?
ケモノに限らず、雌雄同体とかでない限りあらゆる動物はセックスをする。キスはどうかというと、まあハトとかがするんだから当然人間も行う。しかし手をつなぐ、これは手先が器用でなければ難しい。おサルとかなら可能かもしれないが、ヤツラは足も器用なので足から先につなぐのかもしれない。でもサルがディープキスなんてしないと思う。何が云いたいかというと、3種類しかないけど、人間は異性と触れ合う手段に恵まれているのだ、ということだ。
さて、ここで気付くと思うが、セックスを除く2つは、「自らの体の中で器用に動かすことができる部位」どうしを触れ合わせている。人間ほかにも器用に動かせる箇所はあるだろうから、第4の手段が無いかなと考えてみる。目玉がいくら器用に動いたって合わせられない。耳は普通の人は動かない。あとできるのは足しかない。ここで人類4番目の愛のスキンシップ・メソッドを提案したい。今度是非試してください、パートナーと向かい合って腰を地に着けて座り、素足でお互いの足と足を合わせるんです。足には指先の器用さこそ無いものの、互いに熟練すれば実に色々なことができるだろう。これをモノにすることによって、きっとあなたはパートナーとの連帯感を深めると同時に全人類に対して優越感を感じることができるハズ!

そんなことはどうでも良いのだが、さっき手をつないでいた彼女たちは多分同性愛ではないのだと思う。親友同士とかなんじゃないの。だから人間ほか限られた生物にのみ許された第3の男女の手段である「手をつなぐ」を応用して、同性ではあるが互いが深い友情で結ばれていることを示しているのだろう。ぼくには異様な光景に見えたが、それは単にぼくが流行や常識をよく知らないだけなのかもしれない。考えれば彼女たちが手をつなぐのは良いことさ。言語および文字を持ったこと、それから道具を使ったことが人類繁栄の原点だった気がするが、やっぱりあらゆる道具や発明の恩恵を感じる以前に、「手をつなげる」って素敵だな、人間って素晴らしいな、と思いました。

しかし今回一番言いたかったのは、次のことである。
10年くらい昔「手ェェえをォ、つ~なァごうォ」とかいう気持ち悪い歌が流行ったんですよ、UAじゃなくて、誰だっけかアレは。あの歌手の名前が、どォしても思い出せない!それが言いたかった!だからと言って教えてもらいたいわけではない。あの人なんて名前だったっけか、なんか人間っぽくない名前だったのは間違いない、当時彼女流行ってたよなあ、クドいというかしつこい歌い方で見た目もブサイクでしかも確か子持ちかなんかで、なんだか分からんけど栄枯盛衰・盛者必衰だよなぁ、みたいな平家物語な気分になっただけなんですよ、2人の女の子の後姿を見ててサ。マイ・ブレイン・フォー・ナッシング。
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今日のニュース

2006年01月06日 | ただの雑談

http://www.sankei.co.jp/news/morning/06na1001.htm

仏像を盗んでいるヤツがいるという…。なんか昨年書いたぼくの作り話に似ていていやだ。それに時期的にも一致するんだよね…。年末にもニュースで浅草で仏像が盗まれた話は聞いてたんですが、今朝の新聞を読んでさすがに黙りこんでしまった。
2ちゃんとかに晒されて一気に有名ブログと化すのもイヤなので、例のお話はしばらく隠しておくことにします。
なんだかなあ~。
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明け(略)

2006年01月02日 | ただの雑談
今年(略)

さて年賀状のシーズンがやって参りました。昨年もやりましたが、今年も年賀状ランキングを行いたいと思います。ぼくの年賀状事情について昨年ここで詳しく触れましたが、ザッとおさらいしますと、要するにぼくは非常識なDQNですので年賀状という習慣を拒絶していて1枚も出さない、もらっても返事すらしない、そんなことをもう何年も続けていて、いつか自分宛に届く年賀状が0枚というのを達成したいと思っている、というところです。
他人様がわざわざぼくごときのために50円払って宛名と裏面を書くもしくは印刷する苦労をしてまで便りを遣してくれるという行為が大変ありがたーいことなのはよォく分かります。それを踏みにじる自分。これはなかなか人として辛いですよ~。年に1度自分の最低っぷりが試される踏み絵のようなイベントです。
確か去年は父親になる自分を想像してか、「それも今回限りかもしれない」なんてうそぶいていた気がしますが、ノンノンぼくは何も変わっちゃあいなかった。このままだと一生年賀状をしない状態が続くでしょう。

カウントの独自ルールは昨年と一緒。昨年なんて書いたかわざわざ確認なんてしませんが。

1.営業ハガキはノーカウント
2.妻と連名で来たハガキもノーカウント

ことしも妻はセッセと彼女専用の年賀状をこさえていた。親戚とかに出すにあたって勝手にぼくの名前を使うことを許していますが、裏面も全部印刷済みのハガキの中にあって「ぼくの名前だけ手書き」「しかも自分で書いていない」というみっともない状態。もうぼくの名前は書かなくったって良いよ。

さて今年の動向としては幾つか気になる点があります。2回連続ぼくに年賀状を呉れたT先輩(好きな先輩です)もさすがに今年は断念してくれるかどうかとか、誰だか知らないけど便りをくれた「山岡さん」からは今年も来るのだろうか、とか。

1月1日、2日が過ぎました。昨年から2日も届くようになったんだっけ?ポストには随分な量の賀状が放り込まれていた。ちょっぴりドキドキしながら宛名だけ確認。気分は「球入れ」の結果発表の時のアレ!
「いーち!にー!さーん!…」
掛け声にあわせて赤組白組ともに籠の中に入った球を1球ずつ先生が投げていく。どっちが最初に球数が無くなるか、全員がその場で目の当たりに出来る緊張の集計シーン。いよいよ最後に近づくと、先生の表情がちょっぴり薄笑いに変わるのが分かる。「あ、そろそろ白組終わるな!」って子供たちには分かるんですよね。いよいよ最後の1球になると、「これでおしまい」の合図で球をとりわけ高々と放り投げて、この時点で勝敗が決します。実は赤組の先生がポーカーフェイスで、いきなり高い球投げて終わっちゃったりしてね。

カウントの結果を発表します。ぼく宛の賀状、現在「0」!
投げる球すらない、妻圧勝、良いですねえ!
届いた年賀状を楽しそうに眺め、新たに机に向かって笑顔でハガキを書きはじめる妻。本当に勝ったのはきみじゃあない、1枚も来なかった充実感に浸っているこのぼくの方なのだよ!
でも毎年出だしは好調なのに、1週間みてると1~2枚は来ちゃうんですよ。今年も0達成は出来ない気がしますが、どうなるかな。
今回、例年欠かさず行ってきた深夜の除夜の鐘&初詣&甘酒タダ飲みという重要なイベントを、こともあろうか家で飲んだくれてて紅白すら最後まで見ずに寝過ごしてしまった(正確には、12時が来るのを飲みながら待ってるつもり、であった…)。この大失態を受けてロクに新年を迎えた気がせずしょんぼりしていたのだが、年賀状イベントでようやく盛り返してまい(略)
コメント (2)
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