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EL&P「トリロジー」

2006年05月25日 | 70年代ロック雑談


一般的にELPと言えば71年発売のセカンド「タルカス」にサードの「展覧会の絵」の2枚である。
続く4作目がこの72年の「トリロジー」。
次の5作目が73年の「恐怖の頭脳改革」(良い邦題だと思う)で、「悪の経典#9」という当時LPの片面に収まらなかった長尺モノで評判だ。
一般的にこの「トリロジー」は名盤と名盤の間に挟まるイマイチ地味な盤という評価らしい。パープルで言えば「ファイアボール」に相当する位置付けだ(不思議とジャケットもファイアボールと似た印象を受ける)。

ELPのファンはエマーソンによる近現代的クラシカルな曲作り(もしくはアレンジ)に一番惹かれるのだと思われるが、同時にイエスと並び長尺モノにこだわる傾向も大きい気がする。残念ながらこの「トリロジー」には片面いっぱいを塞ぐような曲は収められていない。このことのみが当盤をイマイチ地味な存在という評価に閉じ込めてしまっている気がする。

個人的には、ELPの作品中ではこのトリロジーこそプログレファンではない人間にも薦められる普遍性のあるアルバムではないかと思っている。メロディアスな佳曲あり(「永遠の謎」、「トリロジー」他)、短くまとまったシングルふうナンバーあり(「ホウダウン」「シェリフ」)、パープルの「イン・ロック」に収まりそうなリフ中心のハードナンバーあり(「リヴィング・シン」)、クラッシックあり(「奈落のボレロ」)という具合だ。一般的なELPらしさを求める向きには不満が多いかも知れないが、トータルの出来はファーストアルバムを大きく上回るし(インプロヴィゼイションの少なさ。ただし個人的にファーストは「未開人」があまりに強烈で、この1曲だけでご馳走さま)、ELPの底力をよく表す名盤だと思うのだ。

ぼくはこのアルバムでは短いけど変化に富んでまとまった「シェリフ」、それから風変わりなタイトルナンバーがお気に入りだったりする。特にタイトルナンバーは冒頭のメロディアスなバラードから一転して暴力的&チープなモーグの嵐に移るあたりのダサカッコ良さがたまらない。ボヘミアン・ラプソディみたいな「コレは冗談でしょ?」的な割りきりが出来ない、「もしかしてマジ?」と思わせる中途半端なところが良い。
今聞くとアナログシンセの音色そのものは新鮮であるが、モーグの第一人者たるエマーソンの使い方はどうも現代人のセンスにはマッチしない気がする。たとえるなら豚骨ラーメンもしくは秀吉の茶室のようなコテコテした趣なのだ。
本作の一部でそんな悪趣味な面がやけに目に付く。その一方でワビすぎている部分も鼻につく。有無を言わさぬELPワールドとやや一線を画して、味付けがアンバランスな感じがするのだ。
本作にはそもそも良い素材が集まりすぎているのではないか。つまり作曲面での充実が顕著なのだとぼくは思う。「ちょっと厳しかったけど、なんとか伸ばして20分にしました」的な部分が見当たらない。その結果がこのアルバムだとするなら、ELPはもうちょっとアドリブに頼った冗長なプレイをコテコテに塗ったくって聴かせた方がハマるのかもと思える。それなのに、例えば「永遠の謎」の冒頭部分なんかは、作曲は凝っていながら物足りない感があるのだ。
好みにもよるかもしれないが、要するに全体的な曲作りに凝った分アレンジの濃淡にムラが生じている印象があるのだ。エマーソンがかつての自作曲をピアノでセルフカバーしたりしているが、本作収録曲をピアノソロでやったりしたら作曲の良さが伝わってかなり良いのではないかと思う。また「永遠の謎」を「海賊」みたいなオーケストラアレンジでやってもかなり行けそうな感がある。
なおレイクの単独ナンバーである「フロム・ザ・ビギニング」のみが浮いているのは、タルカスを除く他のELPのアルバムと変わらない。余談だがレイクの本領発揮は、皆は否定するがぼくはやはり「ELP四部作」のレイク面が出色だと思う。
本作発表後に初来日を果たした彼らであるが、その際ベースボールファンだったグレッグ・レイクが長嶋茂雄に当盤をブレゼントした逸話は有名らしい。今でも長嶋家にはこのアルバムが収蔵されているのだろうか。
タイトルは「3部作」を意味する。タイトルナンバーが3部構成となっていること、3人編成のバンドであること、スタジオ録音では3枚目となること等々色々な理由がこめられていそうだが、86年の「EL&パウエル」のジャケットや、89年にエマーソンとパーマーが別のボーカリストを迎えて制作したアルバムのバンド名が「3」であったことを考えても、彼らはやたらと3という数字にこだわるらしい。

酒のせいであまりまとまらないが、隠れ名作度はイチオシのアルバムであります。