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続・最近聴いた音楽

2006年05月03日 | 70年代ロック雑談


ドナルド・フェイゲンがいきなり新作を出した。帯には「13年ぶりのソロ」と書かれている。ソロが13年ぶりなのは確かに間違いではないが、フェイゲンとスティーリー・ダンを「別物」と考える人間はほとんど居ないだろうから、事実上は2003年のダンの「エヴリシング・マスト・ゴー」以来ということになる。
誰もが感じたであろうが、彼等というか彼にしては、製作ペースが早い。これっぽっちも待つ前に出てしまった。前作の「エヴリシング~」も「なんと3年ぶりの新作」という帯の見出しの通り異例の短いインターバルで発売されたものの、発売予定日を知ってしまって以来何度も延期されて今か今かと待っていたのに、今回のフェイゲンの新作「モーフ・ザ・キャット」は店頭で見るまで知らなかった。はっきり言って店頭で見た時は度肝を抜かれた。これはいったいどうしたことだ。

内容はと言うと。ダンのアルバムではやらなそうな曲…確かに13年前の「カマキリアド」になら入ってそうな(尻切れトンボなフェイドアウトも含め)比較的単調なtr4を除いては、前作「エブリシング」の延長と言えそうだ。それより何より、ウォルター・ベッカーのあのピロピロプチプチいうギターが聴こえないところが一番違うだろう。前作「エヴリシング~」ではファンキーなノリの曲が少なかったが、本作はいくぶんファンキー。この辺もカマキリ号との繋がりと捉えられなくもない。なお本作はフェイゲン曰く、ナイトフライ、カマキリアドに続く3部作の最終作なのだそうだ。
ぼくは語れるほどロックを聴いてる人間ではないけど、ジャズやフュージョンとなるとさらに完全に黙るしかないくらい、とにかく聞いたことが無い。クラッシックは好きなのにジャズが駄目なんですな。だからフュージョン系のダンは例外。いやダンは一応は「ロック」のくくりだから例外ではないのかもしれないけど、やはり彼らを語るならそちらの畑にも通じていないと駄目でしょう~。なので音楽的なことに関してはあまり触れられませんが、今回気付いたのが、例の2000年の「2アゲインスト・ネイチャー」以来彼らの周囲を固めている顔ぶれが、今のフェイゲンの気分に相当マッチしてるんだろうなあということ。

元々コンポーザー指向だったフェイゲンとベッカーのコンビが、うっかり5人組のバンドでメジャーデビューしちゃったというのがダンの始まりだった。クセのある得意フレーズを連発する固定メンバーにすぐに嫌気がさして、あたかもシンセにプリセットされたアレンジパターンを選択するような要領でとっかえひっかえプレーヤーを何人も使っていたのがいわゆる「黄金期」のダン。確かに「エイジャ」「ガウチョ」みたく1曲1曲演奏者のクレジットが全然違うってのは、それぞれのプレーヤーの持ち味を最大限活かす音作りによって究極のスタジオヲタクという名声を欲しいまにしながら、何だかチョット異常な感じもする。
で、このやり方で一旦行き詰まりを迎え破綻する。

なんだけど聴衆が彼らに求めてたのがこの破綻した方法論だったりするんだよねぇ、何にせよ「黄金期」がそれだから。再結成後最初のスタジオ作「2アゲインスト~」ではちょっぴり肩肘張りすぎてぎこちない感じがあったものの、以降スティーリー・ダンは若いプレーヤーに囲まれほぼ固定メンバーの「バンド」に収まってしまった。それが残念なファンはきっと多いはずだ。「やっぱりガウチョみたいのが聞きてー」とか「ラリカル出せーガッドを出せー」とかいうファンの物の怪のような声が、ぼくにははっきりと聞こえてくる。

だけどぼくは今のフェイゲン(およびベッカー)の充実ぶりはかなり注目に値すると思う。

これは自分の想像の域を出ないが、「エイジャ」の頃、フェイゲンとベッカーは曲作りにおいてもゲストプレイヤーに相当な依存をしていたに違いないと考えている。具体的には、作曲のうち和音・コードの部分「のみ」において。「エイジャ」で明らかに今まで使わなかったジャジーな凝った和声を突然多用するようになる。実はぼくはコードの名前はあまり知らないのだが、多分11thの-5とかそういうコードね。これらはプレーヤーによって後天的に彼らにもたらされたと考えるのが妥当であろう。彼らは当初比較的シンプルな和音を用いて制作したデモ曲(コード進行自体は相当凝っていただろう、「ドクター・ウー」や「エニー・メジャー・デュード・ウィル・テル・ユー」みたいに)を、そっち畑のプレーヤーに演奏させることでマジックが産まれることに気が付いた。そうしてこれらの、当時で言うところの「クロスオーヴァー」的な語法をダンの2人はしっかり自分たちのものとして吸収していったに違いない。「ヘーそういうコードがあるんだ!なら今度からは作曲の段階から使ってみよう」という具合で。そうぼくは考えている。

ダンの一時解散を挟み、「ナイトフライ」を発表するまでに、フェイゲンはほぼ現在の作曲スタイルを確立したのだろう。その後どういうスランプがあったのかは知らないが、10年以上の時間を経て93年の「カマキリアド」でフェイゲン&ベッカーは仲良く復活。「カマキリ~」はフェイゲンのソロ扱いではあるが事実上ダンの作品。ライヴ活動によるコンビ正式復活後、ややインターバルを置いて発表された「2アゲインスト~」はほぼ特定の顔ぶれで制作されている。
80~90年代の空白は長かったが、彼らはかつてゲストプレーヤーから学んだ語法を消化することで、プレーヤーに大きく依存しないでも描きたいサウンドをおよそ表現できる術を手に入れたのではないか。現在ダンの周りを囲む顔ぶれは、かつてのような依存対象としてのプレーヤーではない。ダンの2人が作り出す素材に、彼らのお眼鏡に適ったスパイスを利かせることでその役目を果たす、70年代とは異なった「専属バンド」なのである。

だから現在フェイゲンらはまさに水を得たサカナのごとく、創作意欲のおもむくままにレコーディングが出来る状態なのに違いない。黄金期に比べればややクオリティは劣るのかも分からないが、それでも00年、03年、06年と3年ペースで3枚のアルバムを発表できたことは見逃せないファクターだ。いまやダンの2人はアメリカにおける第一線で通用する長寿ミュージシャンとしてエアロスミスに並ぶ高年齢なのだから。ちなみに、いわゆる傑作と言われるエイジャ、ガウチョ、ナイトフライは77年、80年、82年という間隔での制作である。
こう思えばあの「黄金期」も彼らにとっては現在のスタイル確立に至るまでの「過渡期」だったのではなかろうか。現在のフェイゲンとベッカーは、とっかえひっかえのゲストプレイヤーはもう要らない段階に達しているのだ。だから安心してペンの趣くまま曲作りに専念できるのだろう。還暦を間近に控えたオジサンたちにしてはモノすごいパワーである。20代の輝きだけではなく、歳を重ねることでより深みが増していく…これが実はロック畑とジャズ・フュージョン畑の一番の違いなのかもしれない。
今回のアルバムがダン名義ではなくフェイゲンのソロ名義であることに、ぼくは現在の彼らの余裕すら感じ取るのである。ライナーによればなにしろベッカーもソロアルバムを企画しているとか。「黄金期」の方法論に固執するファンの気持ちが、分からないでもないが、ぼくは今は暖かく見守ってあげようと言いたい。おそらく彼らはそう遠からずに次の新譜を届けてくれるに違いない。この数年と同じようなやり方で。この独特の凝ったコード進行とかすれたフェイゲンの歌声が聴ければそれで十分だ。

なお世間ではナイトフライがAORの名盤的扱いを受けているらしいが、カマキリアドはそれほど話題にならないらしい。しかし自分はどちらかというとカマキリアドの方が好きだったりする。多くのダン・フリークの人間にとって、カマキリアドは最初の3曲の軽いノリにどれだけ耐えられるかがポイントだと思うし、tr4の「スノウバウンド」、続く「トゥモロウズ・ガールズ」「フロリダ・ルーム」にケチを付けるファンはおそらく居ないであろう。だがぼくは最初の3曲も結構イケル。今回の新作ではtr3、tr4がそれに該当しそうなのだが、いずれにせよスタイルとしてはナイトフライよりはカマキリ号に近いのは間違いない。世間的な評価がナイトフライに及ぶようなことは決してないだろうが、ぼくにはあまり関係がない。

余談だけど、ジャケットの写真。ダン名義のアルバムジャケットには、メンバーの写真が用いられたことは一度もない。どちらかというとアートとしてジャケットも作品のうちと考えているのだろう。70年代らしい考え方といえよう。00年以降の2枚も、最近のミュージシャンのものと比べれば地味で渋いアートワーク。特に「エヴリシング~」のジャケは彼らが70年代に発表した「プレッツェル・ロジック(邦題「さわやか革命」!)」にも通じるまっ渋さ。
一方フェイゲンのソロ3作はいずれも本人が登場している。しかもどれもかなり写りのいい写真だ。ライヴの動画等で見る限りフェイゲンはかなりヘンな顔をしている。中でも口とりわけ唇の形は人間のそれとは思えない(アヒルだ)。ジャケット用写真の撮影時のフェイゲンがおそらく何度も何度も写真写りを確認したであろう姿を想像すると、微笑ましかったりもする…。

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2 コメント

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長っ! (ムネオ)
2006-05-18 08:29:27
スティーリーダンかあ。。。

AORというか凝りまくったスタジオワーク

といえば彼らだもんな~。嘘つきケイティとか

エイジャは好きだけど、全部好きって訳じゃない。



ちなみに裏ジャケではメンバー写真も使われてるね。
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裏ジャケ (人骨)
2006-05-18 18:42:28
およびインナースリーブでは彼らの姿を拝むことができます。さわやか革命の裏ジャケ(固定メンバーが居ない)では解散説もささやかれたとか。



ちなみにぼくは「エイジャ(の赤石)」よりは「ガウチョ」派。なお「幻想の摩天楼」も良いよ。
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